2005/10/18 - 2005/10/25
9535位(同エリア10891件中)
明石DSさん
いや、ほんま疲れた。広かった〜、広かった。
でも・・・「百聞は一見に如かず」という事を改めて実感できた旅でもあった。
トルコ人は人懐っこいのか?
イスタンブールのホテルの近くを散歩すると、直ぐに何人かの人から声を掛けて来られた。
「今、何時?」
「タバコの火を貸して?」
「英語しゃべれるか?」
「俺はロシア人、ディスコに行こうか?」
「若い女の子好きか?」
などなど怪しげな客引きも多いのだろうが、
いや、若しかしたらイスタンブールの新市街、
タクスィム広場近くで私に声を掛けて来たのは・・・
全部が曰くありげな野郎たちだったかも知れない。
しかし、それ以外の所でも小学生や学生が、
私達に「こんにちわ」と日本語で通りすがりに声を掛けてくれることもビックリするくらい多かった。
親日国家トルコも少しは実感できた旅だった
そして・・・。
偶然にも同じツアーで一緒になったメンバーたち、みんな無事に帰ってきた。一期一会の丸8日間の出会いだった。偶然と言うのがあるのだから又、どこかで出会うことがあるかもしれない・・・が
有意義な旅でした。ありがとう、皆さんのご多幸を祈ります
総勢40人の修学旅行??のような旅だった
-
タクスィム広場近くのホテルの窓から
トルコの国土は日本の約2倍、人口は日本の約半分の6500万人。消費税18%。イスタンブールは、その内の1200万人が暮らすトルコ最大の都市であり、車の渋滞も多いようだ。
渋滞を縫ってバスはタクスィム広場傍にあるKEBANホテルに到着した。
イスタンブールの外は7時頃ではまだ薄暗い。窓を開ければ道を隔ててモスクが建っている。雰囲気あるなあ〜ここはイスタンブールだ。
うきうきと外へ散歩に出かけた。ひんやりと気持が良い。店もボチボチ開店準備をしていた。トルコの一日目の朝。 -
ケバンホテルの窓から
モスクが目の前に・・・
私はイスタンブールに居るのだった?
昨日10月18日は確か??日本だったのに -
■傘を買いに
今日は雨という天気予報なので傘を買いに出た。近くのタクスィム広場まで歩くと天気予報が雨だからか、傘を乗せた屋台を傘売りおっちゃんがゴロゴロと曳いていた。
ちょうど良いと思い「一番安いのが欲しい」と言ったら5リラで折りたたみの傘があると出してくれた。でもこっちのは25リラだけど、“これを買え”と、しつこく勧められた。
5リラので十分なので、「これでいいから・・」と10リラ札を手渡したら、お釣りがないようで、その札を握って仲間を探してウロウロしだした。
やっと三人目の仲間に換えてもらったようで、戻って来て5リラの釣りをくれた。そして、許可を得ておっちゃんの写真を撮った。
トルコのおっちゃん
今も元気で傘を売ってますか・・・。
傘は結構丈夫だったよ、日本に土産に持って帰りました。 -
平成17年10月19日
イスタンブール:
交番がない代わりにパトカーを停めて警官がたむろする??
タクスィム広場付近にて写す -
平成17年10月19日
イスタンブール新市街:タクスィム広場近くから
ホテル方向を写す
異国だ・・・。雰囲気があるなあ
さあ、トルコ観光が始まるのか・・・。 -
■ブルーモスク(スルタンアメフット・ジャミィ)
1616年にスルタンアメフット?世の命を受け建造されたものだそうで、今も現役のイスラム寺院でイスタンブールの象徴でもある。
確かに外観も荘厳で美しい。
世界からの観光客だらけで、それも白人の観光客が多いのでやはりここがトルコなのだと実感する。
今迄、私はこんなにも多くの白人たちと行動を共にした経験がない。
この旅を通じて、名所旧跡もそうだが、白人たちの一挙手一投足を観察するのも又楽しからずや・・・だった。白人の多くは“でかい”“ だけど動きは物静かだ”
ドームの内部は高く大きく、ステンドグラスが張り巡らされ荘重で荘厳な祈りの場だった。
ここでトルコの男たちがひしめき合って礼拝するところを見たかったが・・・。迫力ありそうだ。
でもその時間ではなく内部は観光客がウロウロするだけだった。 -
平成17年10月19日
ブルーモスクを見学する我らがツアーご一行様で〜す -
幻想的なブルーモスクの内部:ドームである
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平成17年10月19日
ブルーモスクのドームから出ると朝からこの混雑 -
■次は、アヤソフィア大聖堂に行く。
(10月19日、午前10時25分:入場券に入場日時の刻印がある)
ブルーモスクからアヤソフィアに向かう人の波 -
■油断も隙もない、チェリージュース売り
ブルーモスクを出てアヤソフィアに向かう道中で、民族衣装に身を包んだチェリージュース売りの男性何人かが、私達のツアーの同行者にジュースを売りつけ、その人が1リラの持ち合わせが無かったので私が立て替えて払った。
まあこれも記念か・・・私も飲んでみようと一杯頼んだ。そして、お金を出そうとポケットに手を突っ込んだが、あいにくポケットに小銭はすでに無く、財布にある金を探したが・・・矢張り小銭が見当たらず、手間取っていたら、このジュース売りが私の財布に手を入れて20リラ札を盗った。
私は慌てて取り返そうとしたが、奴は中々離さず釣りを私に渡す振りをしながら、ごまかそうとする。もう、手に持っていたジュースどころではなく、そのジュースを奴らの使い捨てコップ差しの上に重ね、とりあえず20リラ札を取り返し、一枚見つけた1リラ札を手渡した。
その後、金が足りてるか財布の中味を調べている内に奴らは他の客の所に行き、私のジュースも分らなくなった。その顛末がはっきりしないのだが・・・若しかしたら、10リラか?5リラ札が抜かれたのかも知れない。いきなりの勉強代だ・・・。
この右側の男に財布から20リラ札を抜き取られた・・・飲まずに1リラを払ってしまった失敗談 -
アヤソフィア大聖堂は西暦325年建築が始まり、その後、幾たびかの焼失を経て、537年から6年近くの歳月をかけてビザンツ様式の大聖堂が完成した。
この後、ビザンツ帝国が終わりを告げるまでギリシャ正教の本山として崇められていたそうだ。
1453年にコンスタンティノーブルが陥落すると聖堂はジャミィ(イスラム教のモスク)に変えられた。1700年にはモザイクも漆喰で塗りつぶされ1931年にアメリカ人の調査隊により壁の中のモザイク画発見された。
モザイク画は完全ではないが十分綺麗に残っており当時の壁画の様子が伺える。
キリスト教会からイスラム教のモスクへと変えられ、今はどちらにも使わず博物館として観光名所になっている。
その数奇な運命を経て、この堂はこれからもこの地に立ち続け、ここを訪れる世界各国の、その時代時代の人間を見守り続けるのだ。
100年後は如何に??地球は?世界は?そして、この聖堂、イスタンブールの地は? -
アヤソフィア大聖堂
ヨーロッパからの観光客が多い
白人観光客見物
私はバードウォッチングより
人間ウォッチングが一番興味がある
名所旧跡よりも・・・。 -
アヤソフィア大聖堂
外へ出たところでトイレ待ちの女性の方々
超混雑の女性トイレ -
次は、地下宮殿(貯水池跡)へ
4世紀から6世紀にはすでにこの地にはこんな立派な貯水池が数ヶ所あったらしい。
宮殿と呼ばれるくらい地下貯水池は立派な柱で支えられている。今も水が少し貯まっており魚も泳いでいる。
地下宮殿とは地下の貯水池だった -
次はバスに乗って陶器の店に・・・。一日一店
これが格安ツアーの一端であり最初は陶器店にご案内である。
巧みな日本語を操る日本人の奥さんを持つ青年が陶器の実演者の横で説明をする。
如何にトルコの陶器が素晴らしいかを・・・。私達は椅子に坐ってひと時の実演販売を楽しむ。
誰かが何かを買ったと思うが・・・チャイを振舞われ多くの店員が準備して待ち構えている店に入れば、「誰か買ってくれよ、そうでないと出て行きにくい・・・」のだ。
でも大体誰かが何かを買う。値段はともかく、欲しい人には安心して買うことが出来るので有りがたい一面はある。
ちなみにトルコに嫁にきた日本女性は二年になり、子供はまだいない・・・との事だった。この店で旦那とともに日本人相手に商品の説明と営業をしている。
左側の背の高い男性が、日本語ぺらぺら営業マン
奥さんが日本女性
右の男性は陶器職人
何故か?独身・・・性格は真面目で見た目大人しそうだが・・・。どなたか -
■そしてトプカプ宮殿へ・・・
(10月19日、午後3時6分入場)
トプカプサライはボスボラス海峡を望みここに大砲を設置したことから、トプ(大砲)、カプ(門)、サライ(宮殿)と呼ばれるようになった。
広いし全体像は模型が展示してありそれを見る。入場の時は、空港と同じような荷物検査がありじゃまくさい。 -
■トプカプ宮殿よりボスボラス海峡を望む
宝物とかには興味も無く、海峡が見える場所で初めてイスタンブールにやって来た感激があった。 -
ボスボラス海峡を挟んでアジア大陸が広がり、左手は金角湾の向こうに新市街の街が広がる。
そして右手にはマルマラ海が見える。ガイドブックの写真で見ていた風景、見たかった風景が、今、私の眼前に広がっているのだ。 -
金角湾に架かる手前の橋がガラタ橋、
向こうがアタテュルク橋 -
トプカプ宮殿
1時間ほどの自由時間が与えられ、
5時10分に「幸せの門」の前で集合となった。
「幸せの門」を確認してから、又、急いで海の見える場所に戻り、そこにあるレストランに一人で入って行った。
客は日本人の姿はほとんど見えず、外国人があちこちでテーブルを囲んでいた。私もとりあえず窓際の席に着いたが、セルフと気づきコーヒーを買いに行った。 -
トプカプ宮殿
紙コップに一杯のコーヒーが5リラ(450円)。まあこの景勝の地では安い方だろう。
ここでのんびり時間が来るまで、外国人たちを観察しながら、外の景色を見ながら一人で異国の雰囲気を楽しんでいた。 -
■次は、グランドバザールへ
今や観光地化した大規模な市場。
メーンの通りは宝石店が左右にズラッと並んでいる。中は迷路のように狭い道を挟んで店がひしめき合っていた。蜘蛛の巣のような市場の中を歩き回った。 -
あんまり私は声を掛けられなかった。買いそうにもない客だとすぐに見破るのだろう。
ほとんどと言っても良いくらい店主は男ばかりだ。女性の店番は皆無ではなかったかもしれないが・・・記憶にはない。 -
10月19日はラマダン時期だったが、
トルコはあまり戒律に厳しくないようだ。でも、ラマダンを実行している者も多いようで、このバザールでも日没後からは、みんなで粗末な木箱を並べ新聞紙を敷いて、その上に宅配で注文した食い物を並べて食事をしていた。
そんな光景があちこちで見られた。イスラム社会ならではの光景だ。 -
2005・平成17年10月20日
イスタンブール〜アンカラ:夜行寝台車は快適
車窓の景色・・・窓ガラスのトルコのマークがカッコいい -
二人部屋は洗面所もあり、広さもある。
中国の寝台車より遥かに良かった
薄明るくなった5時半頃から起きて車窓の景色を眺めていた。7:00頃に車掌のノックがあり起床の時間。
その内、ベッドの片付けに来た車掌に1ドル札のチップを渡す。もっともベッドの片付けと言っても倒したベッドを壁に起せば椅子に変わる。
自分でも簡単に出来るが添乗員からチップを渡すように言われていたので待っていた。 -
トルコは広すぎる
アンカラはトルコの真ん中よりやや西部に位置する首都であり、人口400万人、政治の町。
そして学生の町、公務員の町であるそうだ。ここにも観光地はあるようだけど脇目もふらずバスはひた走る。
アンカラの街を出るとアナトリア高原(海抜約1000メートル)が果てしもなく続く。
これだけも一見の価値あり。旅のベテランが多い同行ツアーの誰しもが、こんなだだっ広い平原が続く景色なんて見たことないと言っていた・・・のだから。 -
アナトリア高原は広い。
麦を栽培しているそうだ。トルコは食料自給自足体制で、5年前は人口の半分が農業に従事する国だったが、今は3割に減っているらしい。
その内、自給自足が出来なくなるかも・・・。 -
トルコは徴兵制があり、20歳から1年半の期間、入隊し国防の義務を果たす。
第二次世界大戦時も中立を堅持し戦争には参加していない。現在はNATOに属し、アフガンなどに軍隊を送っているとサリーちゃんが説明してくれた。 -
午前11時半。Tuz Lake(トゥズ湖)はトルコの中央に位置し二番目に大きな湖(塩湖)であるそうだ。
琵琶湖の3倍の大きさだが、今は水も少なくその全貌は分らない。。
今は水が引いている湖を歩いた。遠くに水が見えるが・・・休憩時間も短く、そこまで辿り着けずに途中で引き返して来た。まさに足元は塩、塩、塩・・・そのまま、ちょっと洗えば料理に使えそうだ。舐めてみたらホンマ塩だった。 -
その湖畔にあるお土産屋が休憩所であった。
トゥズ湖は塩分35%、採っても採っても下から塩が湧いてきてなくなることがないらしい。
塩の採集も以前は国の占有事業だったようだが、今は民営化され大中小の企業が塩生産に携わっているそうだ。
この土産物屋で水(0.5リラ=45円)と目玉のお守りキーホルダー(2リラ=180円)也を買う。 -
次は、洞窟レストラン
(Salikaya Restaurant)で昼食
人口10万人の町Aksarayを経由し、PM1時半頃到着。
確かに洞窟レストランだが、ドアを開けて入ると観光レストランそのもので、真ん中フロアーを中心に放射線状に各小部屋(各洞穴)にテーブルが並べられ、それぞれのツアーグループが席に坐り食事をする。
他にもすでに何組かのツアー客が坐って食事中だった。 -
雰囲気は良かった。
水・チャイ・アップルティーと飲み物を三つも頼んだ。
全部が1リラで、このレストランはトルコ旅行通じて一番飲み物は安かった。
地方だから・・と、いうこともあるようだ。
初めて?スープが出たが、残念ながら熱々ではない。
バルック料理(マスの料理)がメーンだった。
味はまあまあ。 -
レストランの屋根に上って町を写す
-
大奇岩地帯:カッパドキアへ
まず着いたのは有名なキノコ状の奇岩が連なる景観地であった。
数億年前に噴火したエルジェス山(3916メートル)の火山灰と溶岩が積み重なり、その後は風雨に打たれ寝食が進み、硬い部分が残されてこんな不思議な形の岩になった。 -
ここも4世紀頃からキリスト教の修道士が住み始め岩をくり抜いた住居群になっている。
-
旅たち前の写真で何度も見ていた奇岩が目の前に並んでいた。
ホンマ突如として突っ立っているキノコ状の岩、岩、岩。
写真を撮り、岩をくり抜いた部屋に入り、しばし、想像に耽る。
こんなところで外敵から身を守り、一体毎日どんな生活をしていたのだろう・・・と。 -
そして、ここの土産物屋で何故か?
蛇の小さな置物石を買ってしまった。
「ハウマッチ?」と聞くと「80リラ」と兄さんはのたまう。
ふざけるなよ・・・と、思いながら、
「15リラならOK」というと、
「40リラ」「20リラ」そして
「15リラでOK」になった。
彼は「手彫り、手彫り」と日本語で強調していたが・・・後で見れば、私の値踏みでは5リラでも高い代物のようだ。
妥当は値段は2〜3リラだろう。まあ仕方がない。 -
次は、ギョレメ野外博物館へ・・・(10月20日、午後3時8分入場)
良くぞ掘ったな。
ギョレメ谷には30以上の岩窟教会があるそうな。
岩山は穴だらけ、岩山全部が住居なのだ。
お見事!としか言いようがない。 -
その中で保存状態の良いフラスコ画が残っているその部屋には、ツアー客が順番に入る。
私達が行った時は前の組が中に入っており外で待っていた。
中は、どんな大きさなのだろう?どんな見事なフラスコ画?・・・と。押し合いへし合い状態で、観光より私はこんな状況を楽しんでいた。
白人のマナーは如何なものか??と。
日本人は?
コリアンは? -
中は39人全員入れたが、狭かった。
写真はバツ。
どんなフラスコ画だったか記憶がない。
サリーちゃんの説明も記憶がない。
一体この岩窟住居群で大人も子供も何をして遊んでいたのだろう?アナトリア大高原の一角の不思議な自然の中で、暮らす人たちの姿を想う。 -
次は、ウチヒサル(尖った砦)
鳩の家が一杯ある高い岩峰。
数多くの穴は、鳩ノ巣で、住民は昔から鳩の糞を集めてブドウ畑の肥料にしていた・・・そうだ。
フン、フーン。ダジャレ?今は鳩の姿は見なかった。 -
何故か?
バスが停まった場所にラクダが記念撮影用に繋がれていた。
ラクダに乗って写真は・・・2ドル。
二人の一人参加の女性が交代で記念撮影をしていた。積極的だな女性陣・・・。 -
次は、カイマルクの地下都市・・・圧巻だった。
いざカイマルク地下都市へ、
・・・最後尾で後ろを振り返り写す -
中に入って二度停電、
ちょっとしたハプニング・・・
熱弁振るうサリーちゃん -
ガイドブックに出てくる円形の石の扉
正味の地下都市。紀元前400年頃の記録にもすでにあるらしい。
こんな地下都市はデリンクユにもあり、そこは4万人の人間が住み、このカイマルクは2万人が暮らしていたという。
通気孔は各階に通じ、礼拝堂、学校の教室、寝室、厨房、食料庫に井戸・・・と、
サリーちゃんがべトコンが地下道を張り巡らせて米軍と戦ったことを例に上げて説明していた。 -
なるほどこれなら敵も易々と攻め込むことなど不可能だ。通路は迷路になっており腰を屈めて歩くところも多い。
ここの見学で私は足が張った。昔のサッカー部時代の練習を思い出す。この地下都市巡りで停電が2回起こり、しばし闇の世界になった。それが面白かった。
この遺跡は見る価値が十二分にある。
感動もした。
私は大体最後尾を歩きながら、「しんどい」とつぶやいていたが、私の後ろに身長2メートル?の白人が付いて来た。
フーン・・・この狭い中を屈んで平気で歩けるのだ。 -
ちょっとの自由時間に
カイマルクの地下都市を出ると両側に土産物屋が並び、その中を通ってバスの待つ駐車場へ行く。
集合時間までしばらくあったので、私は周囲の農家を散策した。
昔ながらの石造りの家並みも残り、覗くとロバが屋内に繋がれていた農家もあった。 -
途中いかにも地元の農家のおっちゃんにすれ違い「メルハバ(こんにちわ)」と声を掛け、写真を撮らして下さいと頼んだら、ニコッとOKをしてくれた。
かっこいい味のあるトルコ人だ。
遺跡見学のあとの自由時間はいつも20分くらいが多く、みんなに迷惑を掛けれないので正味10分くらいになってしまう。
ゆっくりと今の人々が暮らす生活の場を見たいのになあ・・・。
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