2012/12/31 - 2013/01/04
125位(同エリア171件中)
マローズさん
[史跡の「嘘」と大正時代のデジタル時計を所蔵する時計店]
公園からは北東に石段を下って行く。
中腹の道路に出ると、「おいらん坂」か「おいらん公園」(記憶が曖昧)の標柱が複数建っているが、「旅の贈りもの」では、その標柱が「風待ちの丘記念碑」に変わっており、そこで櫻井淳子と細川俊之が会話していた。
その道路の下方に続く尾根上のコンクリート歩道がおいらん坂で、映画では不満気に坂を下りる黒坂真美を大滝秀治が案内するシーンや、太平シローが歩くシーンが撮影された。
道路から石段を下りた所に、一部が欠損したおいらん公園の道標があり、南西に折れて行くと、100基余りの遊女や童子等の墓が整備されたおいらん公園に着く。これらの墓は’00年代初頭、西方の急傾斜災害防止工事中に出土したもの。
公園一角には「火の車の塔」と呼ばれる石塔も建つ。これは宝暦年間の8月23日の夜、御手洗屈指の遊郭・若胡子屋や富田屋の主人たちが月待の宴を開いていた際、突如、火の車が現れ、まちで起こった不幸を伝えたことによる。
遊歩道の石段を下りきった所は簡易宿泊施設の「ふるさと学園」だが、ここは御手洗小学校跡で、元は校長の宿舎だった教育資料館(施錠)も残っている。
運動場跡に降り立つ手前には以前触れた、慶応3年、大長の新谷邸で坂本龍馬らと密会したことになっている星野文平の碑がある。が、実際、文平は文久3年、勝海舟に会いに行く途次、切腹未遂の傷が悪化して亡くなっているので、慶応3年時はこの世にいない。
東の道路に出て、北に折れて行った突き当たり左の満舟寺の石垣前が、「旅の贈りもの」で多岐川華子が葬式の列とすれ違うシーンや、靴擦れを起こした櫻井淳子の足を初対面の徳永英明が勝手に触る等のシーンの撮影地であり、「ももへの手紙」で、ももが妖怪たちに追いかけられて倒れ、陽太に声をかけられるシーンの聖地でもある。徳永英明は石垣から境内に上がる石段の、下から二段目に腰掛けていた。
尚、「満舟寺の石垣」のクチコミコメントでも説明したが、現地の案内板にも記されている、この石垣を加藤清正が築いたというのは嘘。それは藩政時代後期の歴史小説「太閤真顕記」に描かれたフィクション。石垣築造時期は、藩政時代の絵図から享保12年から寛延4年までの間であることが分かっており、豊町史でも指摘されている。
満舟寺北東角の三叉路はそのまま北西に直進する。三軒過ぎると、かつての御手洗のメイン・ストリートに出る。斜向かいには新光時計店があるが、この店先は「ももへの手紙」でももが妖怪に追いかけられて駆け抜けた通りであり、「旅の贈りもの」でも、店の時計型看板(約70年前の精巧社の懐中時計を模したもの)がアップで映されていた。
その新光時計店は明治4年創業の日本最古の時計店と言われており、店内には日本製の大正時代のデジタル時計があるという。
書籍によっては、安政5年創業とするものもあるが、それは時計店を本業とする前の業種時代のもの。
時計店の二軒西に御手洗郵便局がある。映画やアニメでは局自体は映されてなかったと思うが、アニメでは郵便配達員・幸市の勤務先となっており、映画では、大滝秀治がここの郵便局長だった。但し、ポストだけは、太平シローが妻宛てに自殺の決意を書いた手紙を投函するシーンに登場する。
その西の三叉路角には近代に建てられたと思しき「ヒラノ理容」がある。映画に登場したかどうかは記憶にないが、アニメのロケ班はこの建物を写真に撮っている。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- 交通手段
- 自家用車
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おいらん公園石標とおいらん坂
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「旅の贈りもの」に何度も登場したおいらん坂。当サイト地図では、誤まってこの尾根に天満宮を図示している。当サイト地図の図示箇所の誤りは国内外施設で数百に及ぶ。当方が何度も運営側に注意しているのだが・・・・
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火の車の塔・・・宝暦7年(1767)10月、遊郭・若胡子屋主人、多兵衛と富田屋主人、平兵衛によって建立された一字一石供養塔。
2人が宝暦年間の8月23日夜、ここの荒神堂山で月待に酒を酌み交わしていた時、突如、火の車を牽いた鬼が現れた。車には御手洗の髪結い、和助が乗っていたが、なぜかもがき苦しんでいた。
不審に思い、二人が和助宅に行ってみると、和助は櫛を持ったまま頓死していた。
そこで二人は和助の回向のため、一石に一字ずつ経文を彫って埋め、その上に火の車の塔を建立した。 -
星野文平碑。文平は天保6年、御手洗の町医者の家に生まれた。幼い頃、福山藩の儒者の門に入り、その後、江戸に出て著名な学識者たちのもとで学問を学んだ。
文久元年、帰郷し、広島藩の学問所の教師になったが、勤王の志が強く、脱藩しようとした。しかし周囲に引き止められた。それが無念で切腹するが未遂に終わった。
それでも尊攘の意志が強く、遂に藩から上京の許しが下りる。上京後は高杉晋作らとも交流したが、伏見の勝海舟に会いに行く途次、切腹未遂時の傷口が開き、29年の生涯を閉じた。 -
校長の宿舎だった教育資料館
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満舟寺の石垣。この石垣が城壁を思わせるほど立派なのは、高波や高潮被害を警戒してのことだろう。
満舟寺の石垣 名所・史跡
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徳永英明が腰掛けた石垣
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「旅の贈りもの」で、多岐川華子が葬式の列とすれ違うシーンが撮影された、満舟寺に向かう道
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新光時計店(松浦時計店)。各メディアからの取材依頼も多く、全国から修理依頼がある。
新光時計店 名所・史跡
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御手洗郵便局。真ん中奥のポストに太平シローが手紙を投函した。
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御手洗郵便局のポストとヒラノ理容
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