2012/12/31 - 2013/01/04
134位(同エリア171件中)
マローズさん
[殺人事件の怨念と龍馬滞在所と島随一のパワースポット]
ヒラノ理容の南沿いの道に入ると、右手二軒目に昔から続く北川醤油が営業しており、その南向かいには御手洗随一の遊郭・若胡子屋跡がある。アニメではももが妖怪に追いかけられて逃げるシーンに登場したほか、映画では櫻井淳子ほか、ツアー客全員が島民に歓待を受けるシーンが撮影され、床に座布団が敷かれた。また、縁側でも撮影シーンがあった。
北川醤油の西隣に坂本龍馬その他の志士の滞在所があるので、龍馬らも若胡子屋を訪れた可能性が高い。
現在、若胡子屋跡の一階は郷土資料館のようになっているが、二階は関係者以外の者が立入ることはない。二階は遊女たちの支度部屋だった。そこで藩政期、凄惨な殺人事件があり、一人の花魁によって、遊女たちの世話をしていた幼女のカムロがむごい殺され方をした。その時、もがき苦しんだカムロの血のりの付いた手形が壁に残っているという。「若胡子屋時代の女郎鉄漿(おはぐろ)事件の遺蹟」という木製看板の横の壁がそれだと思われるが、遊女たちが鉄漿で落書きした跡が黒ずんでおり、手形はよく分からない。
この事件は大正年間に編纂された「豊田郡誌編纂資料」に記載されているが、なぜか地元の番所等の記録にはない。若胡子屋側が藩からの厳罰を恐れ、番所等に賄賂を贈ってもみ消したのかも知れない。
若胡子屋の斜め向かいの前述の屋敷が、龍馬がいろは丸衝突沈没事故の件で、衝突相手の紀州藩と長崎で交渉すべく、瀬戸内海を船で西進している際、潮待ちで上陸して宿泊した豪商兼庄屋の金子邸で、屋号を三笠屋という。
この金子邸では、龍馬が暗殺されてから11日後、御手洗港で合流した長州藩軍と広島藩軍による御手洗条約が締結されている。締結の翌朝、長芸連合艦隊は倒幕のため、出港して京へ向かった。
余談だが、近代、金子家当主は御手洗郵便局長を務めていた。当時の郵便局は金子邸の裏手、現在のJA広島豊御手洗支所の地にあった。
因みにここの金子家の宗家は大長のかつてピアノ教室を開いていた金子家。先祖は豊臣秀吉の四国征伐で四国防衛の長宗我部軍の武将として散った金子備後守一族。宗家の現在の当主は関西の某大学の金子教授だが、数年前、宗家屋敷を売却している。
金子邸の南西の道路向かいにあるのが、「ももへの手紙」に描かれていた天満神社。ももが、サンダルが脱げながら走って参道を逃げていた。それを追う妖怪の一人は、鳥居をくぐらず、玉垣を乗り越えてももを追っかけていた。
参道脇には菅原道真公の巨大な歌碑が建立されているが、この碑と碑の解説板もアニメに描かれていたと思う。
本殿右横には、道真公が大宰府に向かう折、潮待ちで御手洗に滞在していた際、手を洗った「菅公の井戸」がある。この井戸は元々あったのではなく、菅公が持っていた笏で地面を掘ったところ、清水が湧き出たのだという。それが「御手洗」の地名の由来。この菅公の井戸を元にして、アニメで妖怪の三人がよく集まって話し合いをしていた祠のイメージが創られた。
神社の拝殿と本殿を繋ぐ通路下を「可能門」という。願い事を一つだけ唱えながらここをくぐれば、それが叶うという。
菅公の井戸から可能門を抜け、そのまま北上して道路に出れば、神社境内を回遊したことになる。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 5.0
- 交通
- 3.5
- 交通手段
- 自家用車
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御手洗会館として使用されている遊郭・若胡子屋跡。「旅の贈りもの」のロケでは、この一階フロアに座布団が敷かれ、出演者の大半が座って歓待を受けた。
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若胡子屋跡の座敷。裏座敷の障子の腰板、天井板、雨戸等は当時、留め材として薩摩藩からの輸出が禁じられていた屋久杉で造られている。これは薩摩藩が御手洗を密貿易拠点の一つとして利用していたことと、若胡子屋の財力による。
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若胡子屋跡二階。その日、花魁の八重紫はいつものように鏡の前に座り、カムロが差し出したお歯黒壺でお歯黒を塗っていた。が、なぜかその日に限ってうまく塗れなかった。そこでカムロに壺を取り替えるよう指示したのだが、何度取り替えても全く思うように塗ることができなかった。 一階からは客が矢の催促。焦れば焦るほど塗れない。苛立ちが頂点に達した八重紫は「えーい、口惜しい!」と叫んだかと思うと、いきなり側にいたカムロの顎を掴み、煮えたぎったお歯黒液をカムロの口に流し込んだのである。カムロは七転八倒して畳の上を転がり回った後、壁にもたれかかってお歯黒混じりの黒い血を口から流しながら、息絶えた。
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カムロの血のり手形があるという壁。遊女たちの落書きのせいでよく分からない。
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若胡子屋跡の庭に建つ八重紫の墓。カムロの死後、八重紫が二階の鏡の前に座ると、必ずその鏡にカムロの霊が現れ、「もーし、花魁へ、お歯黒、付きなんしたか。」と、恨めしい目で言うようになった。このようなことが毎日何日も続くと、流石に八重紫も自責の念にいたたまれなくなり、四国遍路に出ることにした。
瀬戸内海を渡り、伊予・今治に上陸した時、再びカムロの霊が現れ、「ここからは一人で行きなんせ。」と言うと姿を消し、以後、八重紫の前に現れることはなくなったという。それ以来、若胡子屋では遊女を100人置くと必ず一人、死ぬようになったため、99人しか置けなかったという。 -
遊郭・若胡子屋跡
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若胡子屋跡にある「ももへの手紙」の記念撮影ボード
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三笠屋・金子邸。鳥取藩士・河田左久馬の書簡に、慶応3年4月30日、潮待ちで御手洗に滞在していたら、偶然、龍馬も上陸し、談笑した旨、記されている。
龍馬はこの後出港すると下関に寄り、三吉慎蔵に、自分に万が一のことがあれば、お龍を土佐におくり届けて欲しい旨、依頼している。つまり、龍馬は紀州藩関係者に暗殺されるかも知れないと思っていた。
いろは丸事故についてはこの後、龍馬ら海援隊側に有利な措置が取られたが、龍馬が京で暗殺された後、慎蔵は奇しくも前述の約束(=龍馬の遺言)を果たし、お龍を土佐へ送り届けることになる。 -
アニメに描かれた天満神社境内の参道。左側に写るのは手水舎。当サイト地図の図示箇所は間違っているので、正しく図示をした。
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菅公の井戸。昔は井戸があるだけだったが、明治4年、広島藩士・船越寿左衛門が覆い屋社殿を建立・寄進した。
2016年3月10日現在、当サイトの天満宮の図示は間違っているが、敢えてその図示箇所に表示にした。御手洗天満神社 寺・神社・教会
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不可能を可能にする「可能門」
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