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高台寺〜建仁寺〜両足院への道のりです。

第39回京の夏の旅 特別公開  建仁寺 両足院

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2014/09/07 - 2014/09/07

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etoileさん

高台寺〜建仁寺〜両足院への道のりです。

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  • 祇園閣を出て、高台寺方面へ向かいました。

    祇園閣を出て、高台寺方面へ向かいました。

  • 途中にあった御陵衛士屯所跡<br /><br />御陵衛士は、孝明天皇の陵(後月輪東山陵)を守るための組織。<br />高台寺党とも(高台寺塔頭の月真院を屯所としたため)。

    途中にあった御陵衛士屯所跡

    御陵衛士は、孝明天皇の陵(後月輪東山陵)を守るための組織。
    高台寺党とも(高台寺塔頭の月真院を屯所としたため)。

  • ここ高台寺月真院は、慶応3年(1867)6月から11月にかけて、熱烈な勤王主義者で、孝明天皇の御陵衛士伊東甲子太郎ら15名が屯所とした所である。<br />伊東は常陸の出身で学問もでき、剣は北辰一刀流の名手であった。新撰組に入り、その参謀となったが、隊長近藤勇と意見があわず、慶応3年3月、同志14名をつれて新撰組と分れ、御陵衛士に任命され、ここを屯所とした。<br />それからは、薩摩藩の援助をうけ、各藩を廻ってさかんに勤王を説いた。しかし新撰組との対立は深く、慶応3年11月18日、伊東は新撰組に謀殺され、さらに同志3名も斬られて、御陵衛士隊の活動は終った。

    ここ高台寺月真院は、慶応3年(1867)6月から11月にかけて、熱烈な勤王主義者で、孝明天皇の御陵衛士伊東甲子太郎ら15名が屯所とした所である。
    伊東は常陸の出身で学問もでき、剣は北辰一刀流の名手であった。新撰組に入り、その参謀となったが、隊長近藤勇と意見があわず、慶応3年3月、同志14名をつれて新撰組と分れ、御陵衛士に任命され、ここを屯所とした。
    それからは、薩摩藩の援助をうけ、各藩を廻ってさかんに勤王を説いた。しかし新撰組との対立は深く、慶応3年11月18日、伊東は新撰組に謀殺され、さらに同志3名も斬られて、御陵衛士隊の活動は終った。

  • 圓徳院 三面大黒天御堂<br /><br />吉の出世守り本尊「三面大黒天」は、たいへん珍しい大黒天・毘沙門天・弁財天の三天合体の尊像です。<br /><br />http://www.kodaiji.com/entoku-in/ennichi.html

    圓徳院 三面大黒天御堂

    吉の出世守り本尊「三面大黒天」は、たいへん珍しい大黒天・毘沙門天・弁財天の三天合体の尊像です。

    http://www.kodaiji.com/entoku-in/ennichi.html

  • 坂をのぼって高台寺の境内に。

    坂をのぼって高台寺の境内に。

  • 今回は時間がないので境内だけ回りました。

    今回は時間がないので境内だけ回りました。

  • 高台寺を出て、ねねの道を通り、石塀小路へ。<br />曲がりくねっていて道の先が見えません。

    高台寺を出て、ねねの道を通り、石塀小路へ。
    曲がりくねっていて道の先が見えません。

  • とても狭い路地をどんどん進みます。

    とても狭い路地をどんどん進みます。

  • 石塀小路を抜けて次の目的地、建仁寺まで来ました。<br />やはり有名なお寺なので人が沢山います。

    石塀小路を抜けて次の目的地、建仁寺まで来ました。
    やはり有名なお寺なので人が沢山います。

  • 建仁寺<br />仁寺は、京都府京都市東山区にある臨済宗建仁寺派大本山の寺院。<br />山号を東山(とうざん)と号する。本尊は釈迦如来、開基(創立者)は源頼家、開山は栄西である。<br /><br />京都五山の第3位に列せられている。俵屋宗達の「風神雷神図」、海北友松の襖絵などの文化財を豊富に伝える。<br />山内の塔頭としては、桃山時代の池泉回遊式庭園で有名であり、貴重な古籍や、漢籍・朝鮮本などの文化財も<br />多数所蔵していることで知られる両足院などが見られる。<br />また、豊臣秀吉を祀る高台寺や、「八坂の塔」のある法観寺は建仁寺の末寺である。<br />

    建仁寺
    仁寺は、京都府京都市東山区にある臨済宗建仁寺派大本山の寺院。
    山号を東山(とうざん)と号する。本尊は釈迦如来、開基(創立者)は源頼家、開山は栄西である。

    京都五山の第3位に列せられている。俵屋宗達の「風神雷神図」、海北友松の襖絵などの文化財を豊富に伝える。
    山内の塔頭としては、桃山時代の池泉回遊式庭園で有名であり、貴重な古籍や、漢籍・朝鮮本などの文化財も
    多数所蔵していることで知られる両足院などが見られる。
    また、豊臣秀吉を祀る高台寺や、「八坂の塔」のある法観寺は建仁寺の末寺である。

  • 今回の目的は建仁寺ではなく特別公開の両足院。<br /><br />両足院<br />建仁寺の開山・明庵栄西禅師の法脈・黄龍派を受け継ぐ龍山徳見禅師を開山とする臨済宗建仁寺派の塔頭寺院です。<br />現在の両足院は、開山当時「知足院」と号していました。知足院は、龍山徳見禅師の遺骨が知足院に葬られてからは、徳見禅師の法脈を継ぐ当院3世文林寿郁の両足 院・一庵一麟の霊泉院などの黄龍派寺院の本院でした。<br />  創建された当時の両足院は、知足院の別院、または徒弟院として建仁寺開山堂・護国院の中にありましたが、天文年間の火災の後、「知足院・両足院」両院を併せて「両足院」と称する事となり現在に至ります。 <br />http://www.ryosokuin.com/

    今回の目的は建仁寺ではなく特別公開の両足院。

    両足院
    建仁寺の開山・明庵栄西禅師の法脈・黄龍派を受け継ぐ龍山徳見禅師を開山とする臨済宗建仁寺派の塔頭寺院です。
    現在の両足院は、開山当時「知足院」と号していました。知足院は、龍山徳見禅師の遺骨が知足院に葬られてからは、徳見禅師の法脈を継ぐ当院3世文林寿郁の両足 院・一庵一麟の霊泉院などの黄龍派寺院の本院でした。
     創建された当時の両足院は、知足院の別院、または徒弟院として建仁寺開山堂・護国院の中にありましたが、天文年間の火災の後、「知足院・両足院」両院を併せて「両足院」と称する事となり現在に至ります。
    http://www.ryosokuin.com/

  • 毘沙門天堂<br /><br />両足院の敷地内にあります。<br />戦国武将、黒田長政に所縁の塔頭で、元は鞍馬にあった毘沙門天像を兜の中に入れ、関ヶ原の戦いで活躍したとの言われがあり、明治時代になり黒田侯爵家から像が<br />寄進され、毘沙門天堂に祀られた。

    毘沙門天堂

    両足院の敷地内にあります。
    戦国武将、黒田長政に所縁の塔頭で、元は鞍馬にあった毘沙門天像を兜の中に入れ、関ヶ原の戦いで活躍したとの言われがあり、明治時代になり黒田侯爵家から像が
    寄進され、毘沙門天堂に祀られた。

  • 建仁寺塔頭の禅居庵 摩利支天堂<br /><br />http://www.zenkyoan.jp/<br /><br />京都市東山区大和大路通り四条下る4丁目小松町146 <br />075-561-5556 <br />参拝時間:午前 9時〜午後5時 年中無休 参拝自由<br /><br />開運と勝利の神・摩利支天をまつる摩利支尊天堂。摩利支天は従者が猪であることから猪ゆかりの寺としても有名です。<br />境内には、異なる姿の狛猪が点在したり、手水舎に猪の像があったりするほか、お堂の欄間にも猪の彫刻が見つかります。

    建仁寺塔頭の禅居庵 摩利支天堂

    http://www.zenkyoan.jp/

    京都市東山区大和大路通り四条下る4丁目小松町146
    075-561-5556
    参拝時間:午前 9時〜午後5時 年中無休 参拝自由

    開運と勝利の神・摩利支天をまつる摩利支尊天堂。摩利支天は従者が猪であることから猪ゆかりの寺としても有名です。
    境内には、異なる姿の狛猪が点在したり、手水舎に猪の像があったりするほか、お堂の欄間にも猪の彫刻が見つかります。

  • 摩利支天( 梵: Marīcī, 訳:陽炎、威光)は、仏教の守護神である天部の一柱。日天の眷属である。<br />原語のMarīcīは、太陽や月の光線を意味する。<br />摩利支天は陽炎を神格化したものである。 摩利支天の原形となった尊格は、おそらく古代インドのヴェーダ神話に登場する暁の女神ウシャスであろう。<br /> 陽炎は実体がないので捉えられず、焼けず、濡らせず、傷付かない。隠形の身で、常に日天の前に疾行し、自在の通力を有すとされる。<br />これらの特性から、日本では武士の間に摩利支天信仰があった。<br /><br />禅居庵 の秘仏「摩利支天像」は毎年10月20日の大祭で御開帳されます。

    摩利支天( 梵: Marīcī, 訳:陽炎、威光)は、仏教の守護神である天部の一柱。日天の眷属である。
    原語のMarīcīは、太陽や月の光線を意味する。
    摩利支天は陽炎を神格化したものである。 摩利支天の原形となった尊格は、おそらく古代インドのヴェーダ神話に登場する暁の女神ウシャスであろう。
    陽炎は実体がないので捉えられず、焼けず、濡らせず、傷付かない。隠形の身で、常に日天の前に疾行し、自在の通力を有すとされる。
    これらの特性から、日本では武士の間に摩利支天信仰があった。

    禅居庵 の秘仏「摩利支天像」は毎年10月20日の大祭で御開帳されます。

  • 建仁寺側の入口はこんな感じです。

    建仁寺側の入口はこんな感じです。

  • 三門(望闕楼 ぼうけつろう)<br /><br />静岡県浜松市(旧浜名郡雄踏町)の安寧寺から1923年に移築したもので、江戸時代末期の建築である。<br />

    三門(望闕楼 ぼうけつろう)

    静岡県浜松市(旧浜名郡雄踏町)の安寧寺から1923年に移築したもので、江戸時代末期の建築である。

  • 法堂<br /><br />仏殿(本尊を安置する堂)と法堂(はっとう、講堂にあたる)を兼ねている。<br />明和2年(1765年)の建立<br /><br />

    法堂

    仏殿(本尊を安置する堂)と法堂(はっとう、講堂にあたる)を兼ねている。
    明和2年(1765年)の建立

  • 平成14年(2002年)創建800年を記念して天井に小泉淳作により双龍の絵が描かれた。<br /><br />ちなみに建仁寺にある国宝風神雷神図はレプリカです。<br />本物は京博に寄託されています。

    平成14年(2002年)創建800年を記念して天井に小泉淳作により双龍の絵が描かれた。

    ちなみに建仁寺にある国宝風神雷神図はレプリカです。
    本物は京博に寄託されています。

  • 花見小路を通って帰りました。

    花見小路を通って帰りました。

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