2014/09/07 - 2014/09/07
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大雲院
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大雲院 (京都市) 寺・神社・教会
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天正15年(1587年)、正親町天皇の勅命を受けるという形で、貞安を開山として、織田信長の子信忠の菩提を弔うために、
信忠が討たれた二条御所跡(烏丸御池)に創建したのが初めで、大雲院という寺院名は、信忠の法名からつけられた。
しかし同年中に都市政策(京都改造)を理由として、豊臣秀吉の命にて四条寺町南(四条河原町、下京区)に
移るように指示され、
天正18年頃に四条に移ったと言われる。後陽成天皇により勅願所ともなった。
その後度々、火災で焼失し、明治初期に再建されたが、周囲が繁華街となったことで、1972年(昭和47年)に、
?島屋京都店増床に伴い、東山区の大倉喜八郎旧邸を買得して再移転した。
2014年、京都市下京区の河原町通四条の発掘調査で、旧大雲院の敷地跡から豊臣秀次の供養塔の一部とみられる石材が
見つかった[1]。
大雲院は秀次の切腹後、三条河原で処刑された側室らを供養したとする文献があった -
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祇園閣 - 1928年(昭和3年)に建築された3階建ての建物で、大倉財閥の設立者である大倉喜八郎が別邸とし建てた別邸「真葛荘」の一部である。
屋根は銅板葺きであるが、これは大倉が金閣、銀閣に次ぐ銅閣として作ったためである。
祇園祭の鉾を模したもので、設計は伊東忠太。1997年(平成9年)12月12日、国の登録有形文化財に登録された -
高さ36mの三階建てで、祇園祭の鉾をかたどった造りとなっており、閣上からは京都の町が一望できます。
ただし残念ながら閣上からの写真撮影は近隣の方のプライバシーの件から禁止とのことでした。
夏でもとても気持ちのよい風が吹いて少しの間ですが涼を取ることができました。 -
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境内墓地には石川五右衛門の墓があり、これは処刑前に市中を引き回された五右衛門が大雲院門前に至った際、
貞安が引導を渡した縁による。 -
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祇園閣を遠くから見るとこんな感じです。
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