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本光山・宗胤寺(そういんじ、千葉県千葉市稲毛区弁天)は千葉介である千葉宗胤(ちば・むねたね、1265~1294)が弘安10年(1287)元寇の際蒙古軍と戦いで傷をうけその傷がもとで37歳で死亡した父頼胤(よりたね、1239~1275)ら一族や将兵の霊を慰めるために建立したと伝えられています。<br /><br />文永5年(1268)蒙古皇帝の国書と高麗国王の国書を携えた高麗の使者が九州大宰府に到着し日本に入貢を求めてきます。その国書は筑前守護を経て鎌倉に届けられます。受領した幕府はその後朝廷に奏上され、朝廷は連日評議を重ね結局国書に対しては返書を送らずと決定します。<br /><br />返書を送らないという決定に対し蒙古は日本に出兵してくることが懸念され、幕府は西国の守護及び御家人に対し警戒を命ずると共に幕府の執権と執権を補佐する連署の人事異動を発します。<br /><br />即ちそれまでの北条政村(ほうじょう・まさむら、1205~1273)の執権、得宗の北条時宗(ほうじょう・ときむね、1251~1284)の連署を、北条時宗の執権、北条政村の連署とし、来るであろう事態の難局を乗り越える体制を敷くことになります。<br /><br />本来は得宗(北条氏嫡流の当主)の時宗が執権の座に就くはずでしたが父である執権時頼(ときより)が死去した時、時宗はまだ13歳の若輩で、次いで執権となった長時(ながとき)も急逝したため、時宗が成人に達するまでの暫定的な措置として宿老の政村が執権となっていた事情があります。<br /><br />上記により得宗北条時宗は第八代執権に就任、以降数回に亘る蒙古の国書に対しても返書を送らず黙殺の姿勢を貫きます。<br /><br />文永8年(1271)に異国警固番役を設置、九州の御家人及び九州に所領を有する東国在住の御家人に対し下向を命じ、蒙古の襲来に備えて北九州沿岸の警固に当たらせます。<br /><br />頼朝以来肥前小城郡に所領を有する千葉介頼胤もこの幕命に従い自ら九州に下向、既に幕府により九州全土の御家人の筑前への参陣と到着した御家人への指揮を執っていた少弐氏及び大友氏の下で警備の任務につくことになります。<br /><br />千葉氏は頼胤亡き後嫡男宗胤が肥前に下向し異国警固役や石築地役などを勤めますが弘安の役の後に本国に一時帰国して(あるいは北条一門が鎮西に下向するほどの重大事件につき代官を派遣して)千葉城下に宗胤寺を創建したものと思われます。<br /><br />宗胤は弘安6年(1283)頃から正応4年(1291)頃にかけて九州大隅国守護職となり九州御家人に課せられた番役勤務や石築地役などの指揮に従事します。<br /><br />正応6年(1293)、幕府は九州の軍事・行政を統括する鎮西探題を新設、宗胤はその任に就任、これによって下総への帰国が閉ざされ永仁3年(1295)30歳で没し、以後宗胤の子孫は肥前千葉氏となり、宗家は宗胤の弟である胤宗の子孫が継承する事になります。<br /><br /><br /><br />千葉宗胤五輪塔が建っている廟の傍らにある説明板は次のように記されています。<br /><br />「宗胤寺と伝千葉宗胤五輪塔<br /><br />宗胤寺は、室町時代に千葉宗胤により開基されたと伝えられる漕洞宗の名刹です。もとは千葉氏の中心部、建長から都川をはさんだ対岸にありましたが、昭和20年の戦災で焼失し、現在の地に移りました。本尊は、木造十一面観音坐像で、光背裏面に貞享5年(1688)の造立銘があり、江戸時代の作とみられています。<br /><br />境内には千葉宗胤の墓碑として伝わる五輪塔があります。五輪塔は密教思想の中から生まれた日本独自の石造物で、上から宝珠形の空輪・風輪は江戸時代に補修されたもので、石材の質が火輪・水輪・地輪とは異なっています。<br /><br />                    千葉市教育委員会」<br />

下総稲毛 元寇襲来に備え九州に下向して肥前千葉氏の祖となった千葉介宗胤が父頼胤と一族の霊を供養するために創建した『宗胤寺』散歩

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2016/02/11 - 2016/02/11

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滝山氏照

滝山氏照さん

本光山・宗胤寺(そういんじ、千葉県千葉市稲毛区弁天)は千葉介である千葉宗胤(ちば・むねたね、1265~1294)が弘安10年(1287)元寇の際蒙古軍と戦いで傷をうけその傷がもとで37歳で死亡した父頼胤(よりたね、1239~1275)ら一族や将兵の霊を慰めるために建立したと伝えられています。

文永5年(1268)蒙古皇帝の国書と高麗国王の国書を携えた高麗の使者が九州大宰府に到着し日本に入貢を求めてきます。その国書は筑前守護を経て鎌倉に届けられます。受領した幕府はその後朝廷に奏上され、朝廷は連日評議を重ね結局国書に対しては返書を送らずと決定します。

返書を送らないという決定に対し蒙古は日本に出兵してくることが懸念され、幕府は西国の守護及び御家人に対し警戒を命ずると共に幕府の執権と執権を補佐する連署の人事異動を発します。

即ちそれまでの北条政村(ほうじょう・まさむら、1205~1273)の執権、得宗の北条時宗(ほうじょう・ときむね、1251~1284)の連署を、北条時宗の執権、北条政村の連署とし、来るであろう事態の難局を乗り越える体制を敷くことになります。

本来は得宗(北条氏嫡流の当主)の時宗が執権の座に就くはずでしたが父である執権時頼(ときより)が死去した時、時宗はまだ13歳の若輩で、次いで執権となった長時(ながとき)も急逝したため、時宗が成人に達するまでの暫定的な措置として宿老の政村が執権となっていた事情があります。

上記により得宗北条時宗は第八代執権に就任、以降数回に亘る蒙古の国書に対しても返書を送らず黙殺の姿勢を貫きます。

文永8年(1271)に異国警固番役を設置、九州の御家人及び九州に所領を有する東国在住の御家人に対し下向を命じ、蒙古の襲来に備えて北九州沿岸の警固に当たらせます。

頼朝以来肥前小城郡に所領を有する千葉介頼胤もこの幕命に従い自ら九州に下向、既に幕府により九州全土の御家人の筑前への参陣と到着した御家人への指揮を執っていた少弐氏及び大友氏の下で警備の任務につくことになります。

千葉氏は頼胤亡き後嫡男宗胤が肥前に下向し異国警固役や石築地役などを勤めますが弘安の役の後に本国に一時帰国して(あるいは北条一門が鎮西に下向するほどの重大事件につき代官を派遣して)千葉城下に宗胤寺を創建したものと思われます。

宗胤は弘安6年(1283)頃から正応4年(1291)頃にかけて九州大隅国守護職となり九州御家人に課せられた番役勤務や石築地役などの指揮に従事します。

正応6年(1293)、幕府は九州の軍事・行政を統括する鎮西探題を新設、宗胤はその任に就任、これによって下総への帰国が閉ざされ永仁3年(1295)30歳で没し、以後宗胤の子孫は肥前千葉氏となり、宗家は宗胤の弟である胤宗の子孫が継承する事になります。



千葉宗胤五輪塔が建っている廟の傍らにある説明板は次のように記されています。

「宗胤寺と伝千葉宗胤五輪塔

宗胤寺は、室町時代に千葉宗胤により開基されたと伝えられる漕洞宗の名刹です。もとは千葉氏の中心部、建長から都川をはさんだ対岸にありましたが、昭和20年の戦災で焼失し、現在の地に移りました。本尊は、木造十一面観音坐像で、光背裏面に貞享5年(1688)の造立銘があり、江戸時代の作とみられています。

境内には千葉宗胤の墓碑として伝わる五輪塔があります。五輪塔は密教思想の中から生まれた日本独自の石造物で、上から宝珠形の空輪・風輪は江戸時代に補修されたもので、石材の質が火輪・水輪・地輪とは異なっています。

                    千葉市教育委員会」

旅行の満足度
4.0
交通手段
JRローカル 徒歩
  • 宗胤寺・通用門

    宗胤寺・通用門

  • 宗胤寺・石標

    宗胤寺・石標

  • 宗胤寺・納骨堂建設案内板

    宗胤寺・納骨堂建設案内板

  • 宗胤寺・表札<br /><br />

    宗胤寺・表札

  • 宗胤寺・本堂

    宗胤寺・本堂

  • 宗胤寺・扁額<br /><br />「宗胤禅寺」と書かれた寺額が認められます。

    宗胤寺・扁額

    「宗胤禅寺」と書かれた寺額が認められます。

  • 千葉氏家紋<br /><br />本堂前に配された賽銭箱には千葉氏の家紋である「月星紋(定紋)」が描かれており、まぎれもなく千葉氏に縁ある寺院であることがわかります。

    千葉氏家紋

    本堂前に配された賽銭箱には千葉氏の家紋である「月星紋(定紋)」が描かれており、まぎれもなく千葉氏に縁ある寺院であることがわかります。

  • 宗胤寺・境内

    宗胤寺・境内

  • 宗胤寺・社務所客殿<br /><br />本殿の左側には本殿を凌ぐほどの大規模建物が見られます。

    宗胤寺・社務所客殿

    本殿の左側には本殿を凌ぐほどの大規模建物が見られます。

  • 宗胤寺入口<br /><br />入口の左側は「さんぽみちギャラリー」と書かれた看板が見えてその奥がギャラリーと思われます。尚この入口が宗胤寺の正面玄関と思われここから改めて入ります。

    宗胤寺入口

    入口の左側は「さんぽみちギャラリー」と書かれた看板が見えてその奥がギャラリーと思われます。尚この入口が宗胤寺の正面玄関と思われここから改めて入ります。

  • 宗胤寺(全景)<br /><br />玄関を入ると開けた敷地が視野に入り、駐車場として使用されているようです。

    宗胤寺(全景)

    玄関を入ると開けた敷地が視野に入り、駐車場として使用されているようです。

  • 千葉宗胤・廟所

    イチオシ

    千葉宗胤・廟所

  • 千葉宗胤・五輪塔(全景)<br /><br />廟の中央部には宗胤の五輪塔が建っています。

    イチオシ

    千葉宗胤・五輪塔(全景)

    廟の中央部には宗胤の五輪塔が建っています。

  • 千葉宗胤・五輪塔(近景)

    千葉宗胤・五輪塔(近景)

  • 千葉宗胤五輪塔・説明板

    千葉宗胤五輪塔・説明板

  • 宗胤寺・本堂<br /><br />千葉宗胤五輪塔から本堂を窺います。

    宗胤寺・本堂

    千葉宗胤五輪塔から本堂を窺います。

  • 千葉宗胤廟<br /><br />反対に本堂に向かう途中から振り返って千葉宗胤廟を捉えます。

    千葉宗胤廟

    反対に本堂に向かう途中から振り返って千葉宗胤廟を捉えます。

  • 千葉氏家紋<br /><br />本堂屋根瓦の上にも千葉氏の家紋である「月星紋」が取り付けられています。

    千葉氏家紋

    本堂屋根瓦の上にも千葉氏の家紋である「月星紋」が取り付けられています。

  • 墓地風景

    墓地風景

  • 墓地風景

    墓地風景

  • 無縁仏

    無縁仏

  • 境内風景

    境内風景

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