2016/02/11 - 2016/02/11
982位(同エリア1416件中)
滝山氏照さん
光明山・胤重寺(いんじゅうじ、千葉県千葉市中央区市場町)は鎌倉幕府創設に多大な貢献を果たし、頼朝の絶大な信頼を得た千葉常胤(ちば・つねたね、1118~1201)の孫にあたる武石胤重(たけいし・たねしげ)の後裔で僧となった雲厳上人が祖先胤重の霊を弔うため永禄年間(1558~1570)に創建の浄土宗の寺院と伝えられています。
即ち常胤の六人の息子(太郎胤正・次郎師胤・三郎胤盛・四郎胤信・五郎胤通・六郎胤頼)は治めた領地名からそれぞれ千葉氏・相馬氏・武石氏・大須賀氏・国分氏・東氏を称し、その中で三男武石胤盛(たけいし・たねもり、1146~1215)は下総千葉郡武石郷(現千葉市花見川区武石町)を領したことから武石氏を名乗ります。
胤盛の父千葉介常胤は頼朝が石橋山合戦で敗れ安房にて再起する際いち早く支持を表明、幕府創設に至る苦難の時期を支えた御家人として信頼厚く、文治5年(1189)頼朝の奥州藤原氏征伐には東海道軍大将で参陣して戦功を挙げ奥州における新領地を得ますが、胤盛も他の兄弟と共に参戦、常胤は頼朝から賜った所領の内伊具・亘理・宇多郡を胤盛に分与されます。
胤盛の嫡男である武石胤重(たけいし・たねしげ)は実朝の近侍として仕え、三男の朝胤は幕府に仕え、その子武石長胤(たけいし・ながたね)は九条頼経から宗尊親王までの三代に亘る将軍の側近として仕え長胤の子孫が下総武石氏となります。
他方胤重の四男である胤氏の息子宗胤(むねたね)は曾祖父胤盛が得た奥州三郡(伊具・亘理・宇多)に下り、亘理城を本拠とする亘理(わたり)氏と称しますが16世紀初めに勢力拡大してきた伊達稙宗(だて・たねむね)の傘下に組み込まれるなか婚姻関係を背景に涌谷伊達氏として戦国時代以降を生き延びます。
- 旅行の満足度
- 3.5
- 交通手段
- JRローカル
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