2015/12/28 - 2016/01/03
22位(同エリア597件中)
BTSさん
ご覧いただきありがとうございます。
今日は1月2日、研修(帰省)6日目です。
昨日は路線バスに乗り鹿教湯温泉へ初風呂をしてきました~
今日の研修は、上田と言えば「真田家ゆかりの地」、真田家と言えば「上田城」です。
久々に上田城を散策してみます。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
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今日の研修はゆっくりで昼食から始まります。
お邪魔するのは「相生食堂」です。(上田駅から徒歩10分ほど)
■相生食堂(食べログ)
http://tabelog.com/nagano/A2004/A200401/20007113/ -
懐かしい食品サンプルが陳列されています。
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値段はリーズナブルです。
店には地元のご年配の方々がお酒を飲みに来ています。
飲兵衛用のツマミ類も色々とあり、裏メニューで煮魚などがあります。
湯豆腐で熱燗なんて最高ですね〜
小生もお付き合いしたいところですが、この後のことを考え食事だけにしました。
それにしても地元の方々は美味しそうに飲んでいました〜(笑) -
店内は昔ながらの食堂で、ご夫婦で店を切り盛りしています。
箱根駅伝(往路)を観ながら、皆さんは一杯やっています。 -
小生が注文したのは「生姜焼き定食(750円)」です。
正月ということもあり、ミカンや煮豆(黒豆)なども出してくれました。
生姜焼きは野菜たっぷりで、おふくろの味を思い出すような感じで美味しかったです。(調理されたのはご主人ですけど…)
味噌汁も美味しかったです。(油揚げと大根)
ご馳走さまでした!
これから上田城へ向かいます。 -
昔は上田のメインだった海野町・松尾町・原町がある中央2丁目交差点です。(渋谷のスクランブル交差点には劣りますが…笑)
以前は角地(画像左側)にデパートがあり賑やかでしたが、取り壊しマンションになりました。また、アーケードを撤去し電線を地中に埋め商店街はさっぱりした感じになりました。
下り坂を降りると上田駅に着きます。(徒歩7〜8分ほど) -
上信越自動車道が開通してからはインターチェンジ周辺に大型スーパーや家電販売店などがオープンし、また上田駅周辺にはイオンやアリオのショッピングモールがなどができたために上田駅前の商店街は人通りが少なく寂しくなってしまいました。
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上田城へ向かう前にどうしても寄りたいところがあります。
それは上田藩主居館表門(現:上田高校)です。
■上田藩主居館表門
上田藩主の居館(きょかん)は、真田氏・仙石氏・松平氏の各時代を通して、現在の長野県上田高等学校の敷地になっている場所にあり、「御屋方(おやかた)」と呼ばれていました。(居館の遺構である表門・土塀・濠などに往時の姿をとどめています)
表門は藩主・松平忠済(ただまさ)時代の寛政2年(1790年)にその前年焼失した居館とともに再建されたものです。
前面には、4本の太い角柱が並び、中央間には大板扉を釣り、左右に潜りの扉がつけられ、後部の控柱は16面に削った通し梁でつないでいます。[説明板より] -
上田藩主居館表門の隣には上田高等学校の校舎があります。
上田高校は進学校(偏差値62)です。(小生の頭脳では入学が無理な高校でした) -
土塀は江戸時代末期の構築ですが、濠と土塁は真田氏時代の面影を残し全体として江戸時代の大名屋敷の外廻りを知る良い例です。
ただし、土塀の下部と濠の周囲の石積みは、崩落防止のために最近施工されたものであり、濠の幅も道路の拡張により狭められています。[説明板より] -
大昔、上田は蚕糸業が盛んでした。
この「しだれ桑」は1934年(昭和9)に小県蚕業学校(現:上田東高校)が育苗したものです。(市役所駐車場脇に植えられています)
小生が幼い頃は、おやつ替わりに「桑の実」を食べました。(笑) -
上田市役所です。
上田市は人口156000人で長野市・松本市に次ぐ都市です。 -
市役所から徒歩5分ほどで上田城に着きました。
これから二の丸橋を渡ります。 -
二の丸橋からけやき並木を眺めます。(上田駅方向)
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けやき並木です。
新緑の4月中旬過ぎが綺麗です。 -
上田城跡公園には上田城の他に博物館やスポーツ施設(野球場・陸上競技場など)があります。
広さは168000平方メートルで東京ドームで換算すると3.6個分です。
■上田城跡公園(上田市ホームページ)
http://www.city.ueda.nagano.jp/koen/tanoshimu/koen/uedajoseki/ -
東虎口櫓門が見えてきました。
意外に観光客が大勢います。 -
上田城は千曲川(千曲川の分流・尼ヶ淵)に接する断崖となっていた南側が最も天然の防御力が強く、当時の情勢から東(徳川氏)からの攻撃を想定した造りになっている[ウィキペディアより]
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東虎口櫓門(ひがしこぐちやぐらもん)です。
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東虎口櫓門の両脇には南櫓(やぐら)と北櫓あり、遠くの敵の様子を窺ったり、射撃のための二階建ての建物(櫓)です。
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東虎口櫓門の右側には北櫓があり、石垣には大きな石(真田石)が埋め込まれています。(詳細は次をご覧ください)
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※参考画像[Yahooニュースより]
■真田石(画像大きい石)
北櫓の石垣には「真田石」と呼ばれるひときわ大きな石が埋められている。
この石には「真田信之が松代に移封を命じられた際に父昌幸の形見としてもっていこうとしたが、微動だにしなかった」という言い伝えがあるが、もちろん史実ではない。
なぜなら関ヶ原の戦いの後、上田城は徳川の手によって徹底的に破却され、真田氏に代わって上田城主となった仙石氏によって復興されているからだ。
つまりこの石垣は仙石氏が組んだものなので、「真田信之が父の形見としてもっていこうとした」わけはないのである。
真田氏に対する民衆の思い入れが非常に強かったことからこのような伝承が生まれたのだろう。これもいかに真田氏が民衆から慕われていたかがわかるエピソードだ。[Yahooニュースより] -
東虎口櫓門を潜ると、すぐ目の前には真田神社の鳥居が目に入ります。
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■真田神社
真田・仙石・松平の歴代上田藩主を祀っており、主神は真田昌幸と長男の信之父子です。
江戸時代に上田を領していた仙石、松平両家の歴代藩主が祭神として奉られています。
開祖の名をとって「真田神社」とされました。第二次上田合戦では38000もの徳川の軍勢を3500の兵力で撃退し、大阪冬・夏の陣で大活躍した真田氏の知略や勝運にあやかろうという人も多く訪れる人気パワースポットです。[ウエダモヨウより]
・真田神社
http://www.sanada-jinja.com/ -
真田神社の参拝が終わりました。
真田井戸の存在は知りませんでした〜早速行ってみます。 -
■真田井戸
現在眞田神社の境内に残る本丸唯一の井戸は、直径2m、深さは16.5mに達します。伝説ではこの井戸には抜け穴があり、城北の太郎山麓の砦や上田藩主居館(上田高校敷地)に通じていたと言われています。[上田市マルチメディア情報センターより] -
上田城には櫓が3か所あり、先ほど通った東虎口櫓門には北櫓と南櫓があり、真田神社奥に西櫓があります。
■西櫓
尼ヶ淵の河岸段丘上に築かれた本丸隅櫓。外壁は下見板張り、その上から軒の部分までを塗籠(ぬりごめ)としています。これは漆喰が風雨にさらされて劣化するのを防ぐためのものでした。
また、格子窓に突き上げ戸がついた「武者窓」や、矢や鉄砲を放つための小窓「矢狭間(やざま)」「鉄砲狭間(てっぽうざま)」も設けられています。[上田市マルチメディア情報センターより] -
真田神社の鳥居脇には「真田赤備え兜」の大きなオブジェがあります。
このオブジェの前で記念写真を撮る観光客が大勢いました。
■真田赤備え兜
二度にわたり徳川の大軍の攻撃を退けた真田の「智勇」は天下に轟き大阪夏の陣において武具を赤で統一した「真田赤備え」部隊を率いた真田幸村公がかぶった朱色で鹿角型の兜が「赤備え兜」です。
幸村公は「愛」と「義」の捨て身の活躍で「日本一(ひのもといち)の兵(つわもの)」と称されました。
自ら信じる道を民とともに歩んだ真田一族の熱き「和」と「仁」の心、真田魂が宿る真田杉の切株を「赤備え兜」がお守りしています。[説明板より] -
本丸の周りを散策したいと思います。
本丸の跡地です。
以前は茶店があったのですが…無くなって広場になっていました。 -
西櫓です。
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堀には1000本ほどの桜の木が植えられています。
毎年4月には上田城千本桜まつりが開催(昨年は4月8日〜19日)され、開催期間中は多くの観光客が訪れます。(昨年は45万人) -
■本丸の堀
上田城(画像右上)の堀は素掘りで、堀を造るために掘りあげた土を、その内側へ堤状に積み上げて土塁としています。
第二次上田合戦後、徳川勢により、上田城は土塁を崩し堀も埋められてしまいましたが、後に入封した仙石氏によって復興されました。[上田市マルチメディア情報センターより] -
堀は薄氷が張って泳ぐことができないので、鴨は日向ぼっこしながら氷が解けるのを待っているのでしょうか?
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上田城跡公園には、上田市民の時計「愛の鐘」が設置されています。
■愛の鐘
上田城跡公園では朝、昼、夕(以前は4回)に音楽を放送しています。
その放送設備が「愛の鐘」です。昭和36年に建設されました。
今、流れている曲は
(朝):ペールギュント組曲「朝」
(昼):エンジェル キス
(夕):夕焼け小焼け
夕刻になると愛の鐘からは、おなじみ「夕焼け小焼け」のメロディーが流れます。
「夕焼け小焼け」は公園で元気に遊ぶ子どもたちに家に帰る時刻を教えてくれます。(季節によって流れる時間が変わります)
愛の鐘は建設から半世紀以上経った今日も子どもたちを見守り続けているのです。[上田市ホームページより]
幼い頃は時計を持っていませんでしたので「愛の鐘(季節により流れる時間が変わる」が時計代わりでした。
山間部を除き「愛の鐘」から流れるメロディーが聞こえました。 -
愛の鐘には建設時に設置された「愛の鐘の願い」を記した銅版が残されています。
■愛の鐘の願い
一、青少年をすべての事故から守りましょう。
一、お老人を大切にいたしましょう。
一、家庭を楽しく明るくいたしましょう。
ねがいをこめて美しい曲を豊かに
一日四回お送りいたします。
・朝の曲
今日も朝がやって来ました。学校へ職場へ明るく元気よく出発いたしましょう。
・昼の曲
今日も昼の楽しい憩いのひとときがやって来ました。
大空を仰いで精気を胸いっぱいに吸い込みましょう。
・夕べの曲
今日も夕暮れがやって来ました。
学校から、仕事から、楽しい家庭へ帰りましょう。
・夜の曲
今日も夜がやって来ました。
それぞれ持場から家庭の人になりました。
安らかに朝まで休みましょう。
みんなで建てた愛の鐘、心で聞いて愛しましょう。[上田市ホームページより] -
■本丸土塁の隅おとし
上田城本丸の北東(丑寅)の方角は鬼門にあたることから、土塁の隅を切りこみ「鬼門よけ」としました。これを「隅おとし」と言い、上田城の大きな特徴のひとつです。
また築城の際、城下の北東にも海禅寺と八幡社を鬼門よけとして配置しています。[上田市マルチメディア情報センターより] -
東虎口櫓門(中央)と南櫓(画像左の櫓)・北櫓(画像右の櫓)です。
桜が咲く頃が一番の見どころかと思います。 -
以前は塔の中からラジオ放送が流れていました。
■ラジオ塔
市立博物館前の園地の一角には、SBC信越放送のラジオ塔があります。
かつては全国の公園などにこのようなラジオ塔が建てられ、時報や緊急放送を伝える役目を果たしていました。
現在では放送が流れることはありませんが、古くなりその役割を終えた今も、上田城跡にその姿を留め歴史を物語っています。[上田市ホームページより] -
ベンチには松ぼっくりが並べてあります。(子供たちが置いたのでしょうか?)
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二の丸橋とけやき並木です。
けやき並木を歩きながら上田駅へ向かいます。 -
お堀の跡地に1927年(昭和2)上田温泉電軌(現上田電鉄)・北東線が開業し、同時に公会堂下駅(1948年に公園前に改名)が開業しました。(画像右側が当時のホーム)
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※参考画像[上田市ホームページより]
当時の公園前駅です。
モータリーゼーションの波にのまれ、1972年(昭和47)に北東線(真田傍陽線)は全線廃止になりました。 -
二の丸橋には当時北東線の送電線碍子(がいし)が残っています。
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北東線の電柱跡です。
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けやき並木遊歩道はこの場所で終わります。
この後、泥ヶ淵散策道を通り櫓下広場へ出ます。
旧北東線の線路は、この地点からカーブしながら上田駅へ向かっていました。 -
■南櫓下の石垣
南櫓下の石垣は、上田城の南面を護る天然の要害「尼ヶ淵」より切り立つ断崖に築かれています。
中段石垣は、長雨により一部崩落したことから修復工事を実施しました。
中央部の崖面露出部分は、崖が張り出しており石垣が無かった部分であることから、原形に基づきモルタルで修復しました。 [説明板より] -
櫓下広場に着きました。
現在は綺麗に整備され、大型バスはこの場所に停め観光客は歩いて上田城へ向かいます。
タイトル画像にもなっていますが、右側の櫓(やぐら)は東虎口櫓門がある「南櫓」、左側の櫓は「西櫓」です。
上田城の散策が終わり上田駅に向かいます。 -
櫓下広場から徒歩15分ほどで上田駅に着きました。
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しなの鉄道のりばです。
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改札口と出札窓口です。
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ホームへ降りる階段にも暖簾が掛っています。
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2016年、乗り鉄始めです。(近場ですけど…)
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これから日帰り温泉に行きます。
先ほど、出札窓口でしなの鉄道往復乗車券(途中下車は不可)と入浴券がセットになった「ゆうふるtanaka往復割引きっぷ」を買いました。(上田駅から840円です)
正規運賃・料金は
しなの鉄道・上田駅〜田中駅 往復で480円
ゆうふるtanaka入浴料 500円
140円のお得です。
■ゆうふるtanaka往復割引きっぷ
http://www.shinanorailway.co.jp/tour-info/2014/03/292.php -
3両編成のワンマンカー小諸行きが到着しました。
2016年、乗り始めで〜す!
先頭車両に乗ります。 -
上田駅を発車すると暫くは北陸新幹線(画像左高架橋)と並行します。
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上田駅から10分で田中駅に着きました。
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田中駅は友人宅へ遊びに行く時に利用した駅です。(懐かしいですね〜)
田中駅 駅
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以前は駅舎内にキオスクがありましたが、今は無く淋しい限りです。
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日帰り温泉は、田中駅の駅舎を出ると右手側にあります。(徒歩1分)
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今日、入浴するのは「ゆうふるtanaka」です。
この施設は、東御市(とうみ)が出資する信州東御市振興公社が運営しています。
ゆうふるtanakaの他に上信越自動車道・東部湯の丸ICから10分ほどにある日帰り温泉「湯楽里館(ゆらりかん)」も運営しています。
余談ですが湯楽里館はBTS家でも行きます。露天風呂からの眺めは最高で地ビールもあります。
■ゆふるtanaka
http://www.tomi-kosya.com/tanaka/
■湯楽里館
http://www.tomi-kosya.com/yurarikan/yurarikan.html千曲川温泉 ゆうふるtanaka グルメ・レストラン
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フロントです。
入口には東御市の特産物が売られています。
温泉は内湯・露天風呂・サウナがあり、地元の方で賑わっていました。 -
温泉施設からは田中駅が一望できます。
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時間がありますので、田中の街中を散策します。
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田中は北国街道の宿場で、上田寄り(1.7km先)にある海野宿と合わせて1つの宿場として扱われていました。
田中宿は本宿として本陣・脇本陣がおかれていましたが、海野宿は間の宿として半月交代で伝馬役のみを行い本陣はありませんでした。
寛保2年(1742年)大洪水により田中宿は壊滅状態となり、比較的被害の少なかった海野宿に宿場の機能の全てを譲り海野宿が本宿となりました。[ウィキペディアより] -
30年も過ぎると街並みが変わりますね。
田中駅 駅
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田中宿や海野宿をモチーフに設置されたのでしょうか?
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海野宿は田中駅から徒歩20分ほどのところにあります。
■海野宿
海野宿には、約6町(約 650 m)にわたり街並みが続き、本陣1軒と脇本陣2軒が設けられ、佐渡の金の江戸までの輸送、善光寺までの参拝客や、北陸諸大名の参勤交代などで利用され、非常に賑わいをみせていた。
明治時代には鉄道網の発達により宿場町の利用客が減ったため、養蚕業を主に行っていた。
現在でも本陣、脇本陣、問屋、旅籠などの跡が残っており、明治時代の養蚕業に用いられた伝統的建造物も残っている。
1986年(昭和61年)には「北国街道」が日本の道100選に選ばれ、1987年(昭和62年)には海野宿が種別「宿場町・養蚕町」で重要伝統的建造物群保存地区として選定されている。[ウィキペディアより]
・東御市観光協会
http://www.tomikan.jp/unno/ -
以前は駅南側にコスモ石油の油槽所へ至る専用線があり、三重県四日市駅から石油が運ばれていました。[ウィキペディアより]
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2両編成のワンマンカーが到着しました。
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車内は空いています。
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上田駅ひとつ手前の信濃国分寺駅で降りて家に向かいます。
信濃国分寺駅 駅
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列車を見送ります。
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改札口へ向かう途中、跨線橋(こせんきょう)からは上田ハープ橋(正式名は第2千曲川橋梁)」を渡る北陸新幹線の車両を見ることができました。
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家に着き、親父と酒盛りです。
今日は三十数年ぶりに上田城跡公園を散策(一周)しました。
年が明けて2日目ですが、大勢のツアー客が見学をしていました。(外国人も数名いました)
上田の街はNHK大河ドラマ「真田丸」一色で、放送開始後には相当な観光客が上田に来ることでしょう。
いよいよ明日は研修が終わり横浜へ帰ります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
続きは『[年末年始特別企画] 信州の濃い〜7日間 「乗る・観る・食べる・飲む・入る」 を堪能する旅 (終)』でご紹介いたします。
ご覧いただきありがとうございました。
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この旅行記へのコメント (4)
-
- フロンティアさん 2016/02/12 21:05:07
- 上田市について
- こんばんは。
まずは遅くなりましたが、無事ご自宅の買い手が決まり、良かったですね。これで4月には東海道本線・山陽本線の快速・普通列車を利用しての中国地方の旅が出来ますね(笑、誰も行くとは言ってないですね…(苦笑))
冗談はともかく引っ越しはこれからが本番となり、片付けが特に大変かと思いますが、頑張ってください。
上田といえば、以前松茸を食べに立ち寄ったことがあるのですが、BTSさんの言われる通り、長野県で第3の都市になるんですね…
私の記憶が確かなら…(かつて放送された「料理の鉄人」じゃあるまいし…)、長野市と松本市は犬猿の仲だそうですが、上田市はその辺りどうですか?また上田駅前には西武百貨店があったはずですが、かつて百貨店があったというのは西武のことですか?
それにしても正月から連日旅行しまくりで凄いバイタリティーですね。
なお昨日訳あってスマホが故障し(電源ボタンの故障)、電源を切ることが出来ず、不便な日を過ごしています。
- BTSさん からの返信 2016/02/12 22:14:29
- RE: 上田市について
フロンティアさまへ
こんばんは〜
早速ご覧いただきありがとうございます。
携帯を忘れたり壊れたりすると一日が長く気持ち的にはブルーですよね〜
そろそろ買い替えの時期ではないでしょうか?
そうなうなんです〜上田市は長野県で3番目の都市です。
ちなみに長野市は37.6万人、松本市は24.1万人、上田市は15.6万人です。
現在の長野県は、長野市に県庁がある長野県と松本市に県庁があった筑摩県
(ちくまけん)が合併しました。(正確には長野県が筑摩県を吸収)
合併後は「南北戦争」「南北格差」とまで呼ばれる激しい地域対立が続いた
そうで、南北を仲良くさせるために県歌「信濃の国」が誕生しました。
おじさんが知っている限りでは、上田市と松本市、上田市と長野市の関係は
仲が良いですよ〜
上田駅近くに「西武」がありました。(現在はマンションになっています)
西武は西武でも西武百貨店ではなく西友系列の西武でした。
後に「リヴィン」と改名しています。
現在の西友は米に本社があるウォルマートの子会社ですが、以前は西武百貨
店の系列(セゾングループ)でした。
今回は実家に7日間滞在しましたが、帰省は口実で実家で寝泊まりして上田
周辺を日帰り旅をした格好になってしまいました。
早く引越しを終わらせたいですね〜
山陽・山陰を攻めたいです。(でも途中までは新幹線ですけど…)
ダイヤ改正の時刻表は発売が遅いんですよね〜計画が出来なくて困っています。
フロンティアさんは、次どこへ行くのかな〜
それでは〜
BTS
-
- とのっちさん 2016/02/11 19:26:58
- 今年も順調に乗り鉄を始められたようですね。
- BTSさま
こんばんは。私の旅行記に毎回コメントありがとうございます。
先日家族の集まりで真田丸が少し話題になっていたのですが、船の名前だと思っていた者、そもそも真田幸村の名前を聞いたことがない者…私自身も「大阪夏の陣で活躍した人」くらいしか知りませんので、週末パスか何かで現地研修に行かねばなりませんね。上田は湘南色に戻った169系に乗るために乗り換えたくらいで、下車したことはありません。
食堂は1月2日から開いているのですね!見てると生姜焼きをとても食べたくなりました。正月だとサービスが増えるのでしょうか。
列車に乗って温泉とはタイトルどおりでとても惹かれます(おそらくちょうど同じころ磐梯熱海の足湯に浸かって485系に乗って帰ってきました)。私も今からマネしようか…と血迷ってしまいそうです。
続編はおそらく横浜までの移動機関が出てくるでしょうから期待しています。
とのっち
- BTSさん からの返信 2016/02/12 08:58:32
- RE: 今年も順調に乗り鉄を始められたようですね。
- とのっちさまへ
おはようございます。
早速ご覧いただきありがとうございます。
>先日家族の集まりで真田丸が少し話題になっていたのですが、船の名前
>だと思っていた者、そもそも真田幸村の名前を聞いたことがない者…
>私自身も「大阪夏の陣で活躍した人」
正直、その地区に住んでいないと真田氏のことは知らない人が多いと思い
ます。
真田丸について同僚や部下に聞いたことがありますが、船名だと思っている
人が多かったですね〜でも、歴史やお城が好きな人は真田一族について詳し
く語ってくれた人もいました。
ぜひとも現地上田で研修してくだい。(心よりお待ち申し上げております)
>上田は湘南色に戻った169系に乗るために乗り換えたくらいで、下車
>したことはありません。
懐かしいですね〜小生も169系は乗りました。
急行信州は一部長野駅〜軽井沢駅間が各駅停車で軽井沢駅から急行列車に
なり所要時間が3時間30分位で乗り鉄するには丁度良い時間でした。
現在169系は走っていませんが、しなの鉄道・軽井沢駅構内と坂城駅構内に
展示されています。
>食堂は1月2日から開いているのですね!見てると生姜焼きをとても食べ
>たくなりました。正月だとサービスが増えるのでしょうか。
小生は初めて入った店ですが、食べログで見る限りはミカンと煮豆は正月
だけのようです。
旅行記には書きませんでしたが、この店は以前ご紹介した日昌亭の焼きそば
の店から近いところにあります。(徒歩2〜3分)
食堂ではありますが、地元の飲兵衛に愛されている店のようです。
小生が店を出るころには、地元のご年配の方が5名いました。
皆さん、思い思いに飲んでいました。(小生好みの店です)
>列車に乗って温泉とはタイトルどおりでとても惹かれます(おそらく
>ちょうど同じころ磐梯熱海の足湯に浸かって485系に乗って帰って
>きました)。私も今からマネしようか…と血迷ってしまいそうです。
どうぞ、真似してください。(笑)
旅には色々なパターンがあります。
乗り鉄 + 温泉
乗り鉄 + グルメ
乗り鉄 + 観光
乗り鉄 + 飲む
乗り鉄 + 体験
これらを組み合わせることによってオリジナルの乗り鉄旅が完成する
のではないでしょうか?
実現できるかは分かりませんが、新幹線に乗って一日で静岡県浜松市と
栃木県宇都宮市の餃子を食べ比べる旅とか、新幹線で日本横断旅とか
してみたいです。
>続編はおそらく横浜までの移動機関が出てくるでしょうから期待して
>います。
とのっちさん『正解』です。
今回は変化球はなくストレートです。
それでは〜
BTS
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