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携帯で撮った2011年のフエのミンマン帝廟を発見しました。<br />その写真で投稿します。<br /><br /><br />初めて、ベトナムを訪れたのは1996年のゴールデンウィークでした。<br /><br />フエでは、炎天下の中、ひたすら徒歩で歩き回りました。パラパラと点在する阮朝の皇帝廟を徒歩で周りました。<br /><br /><br /><br />

ベトナム、フエのミンマン帝廟、2011年に1996年の雪辱を果たす。

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2011/05/03 - 2011/05/03

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旅行記グループ ベトナム 中部の旅 1996 ~

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pal

palさん

携帯で撮った2011年のフエのミンマン帝廟を発見しました。
その写真で投稿します。


初めて、ベトナムを訪れたのは1996年のゴールデンウィークでした。

フエでは、炎天下の中、ひたすら徒歩で歩き回りました。パラパラと点在する阮朝の皇帝廟を徒歩で周りました。



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  • 2011 1月: 道路は、舗装されていますが写真を見るとボロボロですね。1月のフエは雨期です。曇天の小雨の中、レンタル自転車で回りました。<br /><br />1996 5月: 炎天下の道をノンをかぶってひたすら歩きました。ロンリープラネットの地図だけが頼りで、まったく、よく歩きました。<br />今考えると、かなりクレージーです。<br /><br />ロンリープラネットに載っている地図だけでしたが、迷った記憶がないです。<br />とっても正確な地図でした。<br /><br />

    2011 1月: 道路は、舗装されていますが写真を見るとボロボロですね。1月のフエは雨期です。曇天の小雨の中、レンタル自転車で回りました。

    1996 5月: 炎天下の道をノンをかぶってひたすら歩きました。ロンリープラネットの地図だけが頼りで、まったく、よく歩きました。
    今考えると、かなりクレージーです。

    ロンリープラネットに載っている地図だけでしたが、迷った記憶がないです。
    とっても正確な地図でした。

  • 2011:自転車で通りがかった朽ち果てたお寺で休憩しました。小雨模様で、カッパというか、フエの街で買ったベトナム式ポンチョを羽織ってのケッタ(ケッタは、日本のごく一部で通じます(-_-)チャリンコです)ツーリングでした。<br /><br />1996: 炎天下の中、トコトコと歩いて、地図にも載っていないようなこんなお寺に巡り合っては、しばし、やったぁ、と日陰を見つけて小休憩していたような気がします。<br /><br /><br />2011: この近くで、自転車でとろとろと走っていると、ニコニコおじいちゃんに呼び止められました。<br /><br />何人じゃ? Anh la nuoc nao ?<br />  ベトナム語でした。<br /><br />Toi la ngoui Nhat.<br />日本人ですよ。<br /><br />うちに寄ってかんか?<br />と、おじいちゃんはニコニコでした。<br /><br />いや、ニコニコおじいちゃん。<br /><br />Toi muon di Minh Mang.<br />私はミンマンに行きたいんですよ。<br /><br />そうか、そうか。<br />と、ニコニコおじいちゃんは私を見送ってくれました。<br /><br />ごめん。おじいちゃん。<br />2011のこの旅は、どうしてもミンマン廟が最優先でした。<br /><br />というのは、<br />1996の旅では、てくてくと歩き続けてミンマン廟の近くにたどり着いた時には、薄暗くなった時間でした。<br /><br />ミンマン廟へ行くには、川があって、渡し船で対岸に行かなければなりませんでした。<br /><br />もう薄暗く、この川を渡れば、帰って来れないかもと考えて、ミンマン廟を断念したのです。<br /><br />2011は、先ずは1996に行けなかったミンマン帝廟を訪れたかったのです。<br /><br /><br />1996: 英語と仏語はそこそこ話せたと思うのですが、ベトナム語は全くだめでした。<br />こんにちは、ありがとうぐらいでした。。。<br /><br />2011:ほんの少しだけサバイバル的なベトナム語を話せるようになっていました。<br />

    2011:自転車で通りがかった朽ち果てたお寺で休憩しました。小雨模様で、カッパというか、フエの街で買ったベトナム式ポンチョを羽織ってのケッタ(ケッタは、日本のごく一部で通じます(-_-)チャリンコです)ツーリングでした。

    1996: 炎天下の中、トコトコと歩いて、地図にも載っていないようなこんなお寺に巡り合っては、しばし、やったぁ、と日陰を見つけて小休憩していたような気がします。


    2011: この近くで、自転車でとろとろと走っていると、ニコニコおじいちゃんに呼び止められました。

    何人じゃ? Anh la nuoc nao ?
    ベトナム語でした。

    Toi la ngoui Nhat.
    日本人ですよ。

    うちに寄ってかんか?
    と、おじいちゃんはニコニコでした。

    いや、ニコニコおじいちゃん。

    Toi muon di Minh Mang.
    私はミンマンに行きたいんですよ。

    そうか、そうか。
    と、ニコニコおじいちゃんは私を見送ってくれました。

    ごめん。おじいちゃん。
    2011のこの旅は、どうしてもミンマン廟が最優先でした。

    というのは、
    1996の旅では、てくてくと歩き続けてミンマン廟の近くにたどり着いた時には、薄暗くなった時間でした。

    ミンマン廟へ行くには、川があって、渡し船で対岸に行かなければなりませんでした。

    もう薄暗く、この川を渡れば、帰って来れないかもと考えて、ミンマン廟を断念したのです。

    2011は、先ずは1996に行けなかったミンマン帝廟を訪れたかったのです。


    1996: 英語と仏語はそこそこ話せたと思うのですが、ベトナム語は全くだめでした。
    こんにちは、ありがとうぐらいでした。。。

    2011:ほんの少しだけサバイバル的なベトナム語を話せるようになっていました。

  • これがミンマン帝廟への道を阻む川です。<br /><br />1996: この川に徒歩でたどり着いたのは、暗くなり始めた夕暮れ時でした。<br />渡し船に乗って対岸に行くのは、帰ってこられない危険があると判断して、ミンマン帝廟をあきらめました。<br /><br />あれから15年、<br /><br />2011: ななななんと立派な橋が架かっていた!!! 写真を撮るのを忘れましたが、橋があって、自転車で楽々と川を渡れました。。。<br />橋から川を撮りました。<br /><br />感動というか、でも味気ない。<br />渡し船で渡りたかったなぁ。。。<br /><br />ああ、15年前にあきらめたミンマン廟に、もうすぐです。<br /><br />川を渡ってミンマン廟方向に向かうと、女の子に呼び止められました。<br /><br />こっちだよ。ついて来て、とジェスチャーで言います。<br />そこは、舗装されたミンマン廟への道ではなく、そこから左に入った田圃道でした。<br /><br /> へっ? その道?<br /><br />まあ、信じていいものやら迷うところではありました。<br />女の子ですが、山賊がいたら恐いです。<br /><br />コンパスで確認すると、ミンマン廟はその方向でした。<br /><br />きっとお小遣い稼ぎであろう少女の案内を任せて後に続いきました。<br /><br />田圃道から木々の生い茂った小道に入って、村を抜けました。<br /><br /><br />ミンマン帝廟の入口でした。<br />慎ましいお土産さんが連なっていました。<br /><br />お嬢ちゃん。近道教えてくれてありがとう。<br />大盤振る舞い20000ドン、お嬢ちゃんに案内料をあげました。<br />お嬢ちゃんは、もっともっと、とせがみましたが、いいえ、ダメですダメ。<br />ははは。<br />お嬢ちゃんは、ニコニコ去って行きました。<br /><br />お嬢ちゃん、ラッキーデーです。<br />私もミンマン帝廟にたどり着いて、ラッキーデーでした。<br /><br />ミンマン帝廟の入り口の屋台のお店で、果物で水分補給しました。<br />自転車は、屋台で預かってくれました。<br /><br />いよいよ、ミンマン帝廟です。<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />

    これがミンマン帝廟への道を阻む川です。

    1996: この川に徒歩でたどり着いたのは、暗くなり始めた夕暮れ時でした。
    渡し船に乗って対岸に行くのは、帰ってこられない危険があると判断して、ミンマン帝廟をあきらめました。

    あれから15年、

    2011: ななななんと立派な橋が架かっていた!!! 写真を撮るのを忘れましたが、橋があって、自転車で楽々と川を渡れました。。。
    橋から川を撮りました。

    感動というか、でも味気ない。
    渡し船で渡りたかったなぁ。。。

    ああ、15年前にあきらめたミンマン廟に、もうすぐです。

    川を渡ってミンマン廟方向に向かうと、女の子に呼び止められました。

    こっちだよ。ついて来て、とジェスチャーで言います。
    そこは、舗装されたミンマン廟への道ではなく、そこから左に入った田圃道でした。

     へっ? その道?

    まあ、信じていいものやら迷うところではありました。
    女の子ですが、山賊がいたら恐いです。

    コンパスで確認すると、ミンマン廟はその方向でした。

    きっとお小遣い稼ぎであろう少女の案内を任せて後に続いきました。

    田圃道から木々の生い茂った小道に入って、村を抜けました。


    ミンマン帝廟の入口でした。
    慎ましいお土産さんが連なっていました。

    お嬢ちゃん。近道教えてくれてありがとう。
    大盤振る舞い20000ドン、お嬢ちゃんに案内料をあげました。
    お嬢ちゃんは、もっともっと、とせがみましたが、いいえ、ダメですダメ。
    ははは。
    お嬢ちゃんは、ニコニコ去って行きました。

    お嬢ちゃん、ラッキーデーです。
    私もミンマン帝廟にたどり着いて、ラッキーデーでした。

    ミンマン帝廟の入り口の屋台のお店で、果物で水分補給しました。
    自転車は、屋台で預かってくれました。

    いよいよ、ミンマン帝廟です。














  • ミンマン帝廟に入りました。

    ミンマン帝廟に入りました。

  • 1996年にいろいろと阮朝の皇帝廟などを徒歩で回りましたが、ミンマン帝廟はそのどれよりも広大でした。

    1996年にいろいろと阮朝の皇帝廟などを徒歩で回りましたが、ミンマン帝廟はそのどれよりも広大でした。

  • 残念ながら、曇天でした。<br /><br />小雨が降っているような、いないような。

    残念ながら、曇天でした。

    小雨が降っているような、いないような。

  • これから門をくぐります。

    これから門をくぐります。

  • この建物、琉球っぽいです。<br /><br />それとも守礼門がベトナム的なのでしょうか?<br /><br />

    この建物、琉球っぽいです。

    それとも守礼門がベトナム的なのでしょうか?

  • 庭は素晴らしい。<br /><br />でっかい盆栽でいっぱいです。

    庭は素晴らしい。

    でっかい盆栽でいっぱいです。

  • 更に、門をくぐります。

    更に、門をくぐります。

  • 門の先に門が見えます。<br /><br />中国、瀋陽(奉天)の清朝の古宮(グーゴン)と似た様式でした。<br /><br />

    門の先に門が見えます。

    中国、瀋陽(奉天)の清朝の古宮(グーゴン)と似た様式でした。

  • 広大な池、或いは堀もがあります。<br /><br />地元民は、釣りを楽しんでいました。<br /><br />訪れた時間は、人は少なく、のどかでした。

    広大な池、或いは堀もがあります。

    地元民は、釣りを楽しんでいました。

    訪れた時間は、人は少なく、のどかでした。

  • ミンマン帝廟の周りは、こんな感じの茂みに囲まれています。<br /><br />静寂でした。

    ミンマン帝廟の周りは、こんな感じの茂みに囲まれています。

    静寂でした。

  • 何かの石碑か何だったのか覚えていませんが、何かありました。<br /><br />そこで、2人の若い女性がひざまずき、神妙にお祈りしていました。<br /><br />阮朝のゆかりの人なのかなあ、<br />なんて後ろからそっと眺めてました。<br /><br /><br />お墓は、門の奥の奥。入れません。<br />彼女たちが祈っていたのは、全然別の場所でした。<br /><br />彼女たちは、いたるところでひざまづき、お祈りしていました。<br /><br /><br />ーーーーーーーーーーーーー<br /><br />ミンマン帝<br /><br />明命帝、Minh Mạng、阮朝の第2代皇帝、在位:1820年-1841年。<br /><br />このころは、フランスの侵入が始まった時期です。<br /><br />ミンマン帝は、キリスト教徒を弾圧。<br /><br />フランスとの対立を高めていきます。。。<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />

    何かの石碑か何だったのか覚えていませんが、何かありました。

    そこで、2人の若い女性がひざまずき、神妙にお祈りしていました。

    阮朝のゆかりの人なのかなあ、
    なんて後ろからそっと眺めてました。


    お墓は、門の奥の奥。入れません。
    彼女たちが祈っていたのは、全然別の場所でした。

    彼女たちは、いたるところでひざまづき、お祈りしていました。


    ーーーーーーーーーーーーー

    ミンマン帝

    明命帝、Minh Mạng、阮朝の第2代皇帝、在位:1820年-1841年。

    このころは、フランスの侵入が始まった時期です。

    ミンマン帝は、キリスト教徒を弾圧。

    フランスとの対立を高めていきます。。。









  • 緑が綺麗な素晴らしい廟です。

    緑が綺麗な素晴らしい廟です。

  • 小さな門が木に覆われていました。

    小さな門が木に覆われていました。

  • 小さな花も咲いてました。

    小さな花も咲いてました。

  • 小雨の中のミンマン帝廟のお庭です。

    小雨の中のミンマン帝廟のお庭です。

  • 機会あらば、灼熱の暑い青空の季節にまた訪れたいですね。

    機会あらば、灼熱の暑い青空の季節にまた訪れたいですね。

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ベトナム 中部の旅 1996 ~

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