2014/10/05 - 2014/10/05
2265位(同エリア3724件中)
サンクトさん
端島は長崎港から南西約19kmの沖合に位置する面積約63,000?の小さな海底炭坑の島です。軍艦島として有名ですね。
島全体が岸壁に囲まれ高層アパートが建ち並ぶ外観が軍艦土佐に似ていることから軍艦島と呼ばれるようになりました。
軍艦島では1810年頃に石炭が発見されて小規模な採炭が行われていました。
1890年に三菱の経営になり、本格的な海底炭坑としての操業が始まりました。
出炭量が増えるにつれて人口も増えて、狭い島で多くの人が生活するために1916年には日本初の鉄筋コンクリート造の高層住宅が建設されました。
最盛期には約5,300人の人々が住み、当時の東京都の9倍もの人口密度だったというのが驚きですね。
最初はもっと小さな島だったそうですが、周りを6回にわたって埋め立てて拡張を繰り返し今日の形になりました。もともとは3分の1ほどの大きさだったそうです。
しかしエネルギーの需要が石炭から石油に移ったことで出炭量も人口も徐々に減り、1974年に閉山され無人島になりました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス
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軍艦島への上陸と見学は数社が行っているツアーに入ることになります。
崩壊等の危険もあるため見学エリアは限定されています。
ドルフィン桟橋から上陸して、しばらく歩くと第一見学広場に着きます。 -
ベルトコンベアーの跡を見渡すことができます。
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精選された石炭はこのベルトコンベアーによって貯炭場に蓄えられて運搬船に積み込まれます。
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ベルトコンベアー跡の向こうには端島小中学校が見えます。
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現存の建物は7階建てで、給食を運ぶための島で唯一のエレベーターがありました。
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次に第二見学広場に向かいます。
目の前のレンガ造りの建物が総合事務所でした。
建物はほとんど崩壊しています。
白っぽく見えるのは海水の塩分だそうです。
海が荒れた時はこの建物も海水を浴びるみたいです。 -
隣には第二竪坑坑口桟橋を見ることができます。
ほとんどが崩壊していますが、第二竪坑へ行くための桟橋への階段部分が残っています。
海底炭坑である軍艦島での採掘作業は、ここから海面下1,000m以上まで降りていきます。 -
勾配はきつく湿度95%という悪条件での作業ですし、ガス爆発のような危険と隣り合わせた過酷な仕事でした。
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イチオシ
次に第三見学広場に向かいます。
ここからは鉱員社宅を見ることができます。 -
このアパートは日本最古の鉄筋コンクリート造の高層アパートです。
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売店、共同浴場、郵便局、理髪店も設置されていたそうです。
軍艦島には映画館やパチンコ屋などの娯楽施設もそろっていたそうです。 -
見学できないエリアには、もっと鉱員や職員の社宅が残っています。
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見学エリアは大きくないですが、崩壊が凄いです。
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廃墟という感じが強くて、凄く見応えがあります。
軍艦島の崩壊は自然崩壊だそうです。
人が手を加えないと壊れていくんですね。
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