2016/01/03 - 2016/01/03
242位(同エリア360件中)
滝山氏照さん
東金城(とうがねじょう、千葉県東金市東金)は隣接する土気城を本拠とする土気酒井氏の庶流である東金酒井氏の居城で、JR東金線東金駅から徒歩で北西に約15分、八鶴湖を臨む西方の丘陵先端部に築かれた平山城です。
享徳3年(1455)、五代鎌倉公方となった足利成氏(あしかが・しげうじ、1438~1497)は亡父を切腹に追い込んだ関東管領上杉憲実(うえすぎ・のりざね、1410~1466)の息子で同職の上杉憲忠(うえすぎ・のりただ、1433~1455)を謀殺したことで関東の諸勢力は公方側と管領側に分かれて争う事態となります。(享徳の乱)
上述の大波乱を受けて、有力豪族の下総千葉氏内部でも同族間の争いが起こり、結果として庶流の馬加康胤(まくわり・やすたね、1374?~1456)が本家の千葉胤直(ちば・たねなお、1419~1455)を倒し本家を奪取する事になります。
千葉氏の内訌の結果に懸念を抱いた将軍義満は千葉本家を支援するため同じ千葉一族で美濃郡上郡篠脇城主東常縁(とう・つねより、1401~1484)を下総に下向させ、本家支援をして内訌の鎮圧にあたらせます。
永正6年(1509)土気城主の酒井定隆(さかい・さだたか、1435~1522)は長男定治(さだはる)に家督を譲り田間城(東金市)に新城を造り二男隆敏(たかとし)と共に移りますが手狭のため東金城に移り居城をしたとされます。
これを機に酒井氏は土気と東金の二派に分かれる事になり、時には反目し合いまたある時は連携するなどして戦国時代における里見氏と小田原北条氏の勢力拮抗するなかしたたかに生き延びます。
天正4年(1576)には小田原北条氏の猛攻に耐えかね、頼みとする里見氏の援軍もなく、東金酒井氏は土気酒井氏ともども北条氏の軍門に降ることになり、天正18年(1590)のいわゆる秀吉の小田原征伐に際しては当主政辰(まさたつ)は小田原城に詰めており当主留守の東金城は秀吉派遣の浅野長吉らの攻撃によってあっけなく落城します。
その後徳川家康の命により佐倉藩主土井利勝(どい・としかつ、1573~1644)は御成街道を新設、そして家康は鷹狩と称して東金に来訪、その宿泊設備として東金城麓に「東金御殿」が設営されます。
東金高校と東漸寺との間に建てられた東金城跡の説明板には次の内容が記されています。
「 東 金 城 址
東西約700メートル、南北約500メートルの規模をもつ、半独立丘陵の山城、東金酒井氏の本城として、天正18年(1590)まで機能していたことが確実である。(「関八州諸城之覚書」『毛利家文書』、「豊臣秀吉朱印状」『難波創業録所収文書』)。本城の初見は、「鎌倉大草紙」によると、享徳の乱(1454?82)の初期、美濃より下向した東常緑の家臣浜春利が拠ったとされることである。昭和63年(1988)に行なわれた発掘では、十五世紀末?十六世紀前半頃とされる瀬戸美濃系の擂鉢の断片が出土している。標高74メートルの最頂部に主郭を置き、西側に一段低い細長い第二郭を配する。比較的緩傾斜の北側斜面には、腰曲輪や支尾根の堀切、段差などを設け、防御している、また、西端の尾根に大堀切・竪堀(消滅)を入れ、西尾根続きからの進入を防いでいる。
遺構もよく残り、本城に関する一級資料もあることから、東金市の歴史を語るうえで、貴重な文化財であると言える。
東金市教育委員会指定第五十号
平成七年六月七日指定」
- 旅行の満足度
- 4.0
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
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JR東金駅
外房線の大網駅と総武線の成東駅を繋ぐ13.8Kmの営業距離を有する単線で大網と成東を除く東金線内の駅は福俵・東金・求名(ぐみょう)の3駅だけです。因みに千葉駅から大網経由の成東行の直通が頻繁に走ります。 -
東金駅周辺案内地図
その中で八鶴湖(はっかくこ)は江戸時代初期(1614)に徳川家康が鷹狩に当地に訪れるにあたり、それまで小さな溜池を整備したもので周囲は約800mにもなります。 -
八鶴湖説明板
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東金城跡遠景
八鶴湖を隔てて東金高校が控えており、その背景には東金城跡を構成する山岳が見られます。 -
八鶴亭(はっかくてい)
明治期創業の老舗旅館で北原白秋や伊藤佐千夫らがたびたび利用したと伝えられています。 -
八鶴亭説明板
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東金御殿跡(東金高校正門)
かつての東金御殿は現在の東金高校敷地にあったそうです。 -
東金城入口に立つ案内板
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東金城跡説明板(近景)
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東金城跡地形測量図
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東金御殿跡説明板
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東金御殿古絵図
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東金城跡入口
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東金城跡石碑
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東漸寺
登城道から見える東漸寺墓地を右にして進みます。 -
東金城跡石柱
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石標
石門の右側には「史蹟御殿山」の文言が刻されています。 -
東金城跡登城道
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防空壕跡
登城途中に防空壕なるものがあります。 -
東金城跡登城道
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登城途中
石段を登っていきます。 -
四郭
テーブルと椅子が設置されて休憩と展望ができるようになっています。 -
四郭に在る石標
郭の中央部に「御殿山神社奥印」と刻された石標が立っています。 -
展望
樹木がなく市街展望ができます。 -
市街展望
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堀切
四郭を過ぎると堀切に出くわします。 -
堀切(右側)
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堀切(左側)
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倒木
進路を阻む倒木が見えます。 -
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トーチカ?
更に進むとコンクリートに覆われたトーチカのようなものが現れます。戦時中に造られたようです。 -
トーチカ?
左に廻ってみますが幅が狭い回廊となっています。 -
トーチカ?
更に進みますが回廊の先は行き止まりのため引き返します。 -
トーチカの先
トーチカを左に見て前進する事にします。 -
コンクリート貯水?
よくわかりませんが雨水をためる場所でしょうか。
この先は樹木と茂みがあって道も見つからず進行不能と判断して引き返すことにします。 -
樹木と茂み
帰路に撮った写真ですが城郭の確認ができません。 -
御殿山神社通路
帰路に御殿山神社に立ち寄ります。 -
御殿山神社鳥居
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御殿山神社社殿
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出丸方向
御殿山神社から南東方向に進み、木更津高校運動場の背後にまわる路を進みます。 -
石柱
先の戦争で九十九里浜上陸に備えた態勢をする中で戦いがないことを願う「不戦古戦場」と刻された石柱があります。 -
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出丸
行き止まりの空間が現れ、狭いながらも城郭の出丸として造られているようです。 -
土塁
辺りは土塁で囲まれたいます。 -
出丸風景
突端から今来た路を捉えます。右側には東金高校の校庭が眼下に広がっています。 -
東漸寺山門
東金城跡から戻り隣接する「東漸寺」山門を見据えます。当寺は酒井氏の菩提寺で境内には東金城主酒井一族の宝篋印塔や供養塔があります。 -
東漸寺石燈籠
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