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坂田城(さかたじょう、千葉県山武市横芝光町坂田)は戦国時代における上総の国衆で武射郡を支配下においていた井田氏の本城として知られています。それまでの井田氏の動きとしては初めは小池城(芝山町)を居城としていた井田氏は大台城(山武市)を築いて移り、更に井田友胤(いだ・ともたね、生誕不詳~1565)の頃三谷氏内紛に乗じて同氏を討ち坂田城を奪取、以降井田氏は坂田城を本拠にしていたようです。<br /><br />井田氏は千葉氏を主家とし永正2年(1505)、井田氏胤(いだ・うじたね)は千葉勝胤(ちば・かつたね)の嫡男昌胤(まさたね)の元服式において千葉氏の直臣衆の有力者として馬と太刀を進上する役割を果たし同氏の信頼を得ています。<br /><br />小田原北条氏が東上総に影響力を強めてきた頃井田氏は千葉氏と共に北条氏に従属する形で自領勢力を保持しますが、同時に北条氏の軍役に駆り出されること度々で岩槻城や牛久城の城番役として動員されています。<br /><br />天正18年(1590)秀吉による小田原征伐では当主井田胤徳(いだ・たねのり、生年不明~1613)は将兵300名を引連れ小田原城に籠城するも降伏・開城、他方留守部隊は追討軍に囲まれ開城するに至り坂田城は廃城に帰します。<br /><br />尚北条氏滅亡後の井田氏は徳川家康五男佐倉藩主となった武田信吉(たけだ・のぶよし)に仕えその後水戸移封に従います。信吉の死後は徳川頼房に仕え井田氏は水戸徳川氏の家臣となります。<br /><br /><br />四郭の中央部に立っている説明板には次の通り記載されています。<br /><br />「 坂 田 城 跡<br /><br />坂田錠は戦国時代に、横芝町周辺を支配していた井田氏が築城したと伝えられる。県内でも屈指の大規模な中世城郭です。一般に文献や絵図など資料の乏しい中世の城郭としては珍しく、井田氏の家臣であった神保氏の残した「神保文書」や、江戸時代に描かれたとされる絵図面等が伝わっており、城跡の遺構の残存状況の良さと合わせて県内でも重要な遺跡とされています。<br /><br />昭和57年には千葉県教育委員会により、重要遺跡を対象とした国庫補助事業として確認調査が実施され、その成果は「千葉県中近世遺跡研究調査報告第3集?大友城跡・坂田城跡発掘調査報告書?」として刊行されました。中世の城郭は、石垣や水堀を多用して主に平地に築かれた近世の城郭と異なり、土を切り盛りして造られた土塁、土橋、腰曲輪そして空堀等を組み合わせ、台地や丘陵など自然地形を巧みに利用して築城されています。しかし、近世の天守閣や石垣などを持つ城郭に比べ地味な印象を受ける中世城郭は、身近にありながらもあまり知られることがありません。<br /><br />このため横芝町ではみなさんに身近な城郭として坂田城とふれあっていただくため遊歩道を整備しました。遊歩道は本丸に当たる主郭から二郭(二の丸)・三郭(三の丸)へまわり、巨大な土塁や幅広い空堀を皆さんの間近かに見ていただく事ができます。<br /><br />坂田城と井田氏<br /><br />坂田城を築城した井田氏は戦国時代の小領主の一つであり小田原の北条氏に仕えていました。井田氏は元々千葉氏の武将でしたが、現在の柴山町にある田向城へ居城を構えてから次第にその勢力圏を拡大、田向城の北東にある大台城にその居城を移しつつ周辺の小領主達を従え始めました。<br /><br />しかしながら当時の井田氏の勢力から見て坂田城は余りにも巨大であり、当時、安房の里見氏と小田原北条氏の対立する状況にあって、井田氏以外の北条氏よりの武士団がいざという時に集結する拠点として作られたのではないかと考えられてています。このように井田氏は小田原の北条氏と同盟関係を結び、豊臣秀吉による小田原攻めに際しても北条方に味方したため、北条氏の滅亡とともに坂田城は廃城となりました。<br />                    平成9年3月 横芝町」<br />          <br />        

上総横芝 千葉氏庶流で重臣三谷氏の内紛に乗じて領域を奪取し大台城から移り後に小田原北条氏に臣従した井田氏居城『坂田城』訪問

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2016/01/03 - 2016/01/03

242位(同エリア388件中)

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滝山氏照

滝山氏照さん

坂田城(さかたじょう、千葉県山武市横芝光町坂田)は戦国時代における上総の国衆で武射郡を支配下においていた井田氏の本城として知られています。それまでの井田氏の動きとしては初めは小池城(芝山町)を居城としていた井田氏は大台城(山武市)を築いて移り、更に井田友胤(いだ・ともたね、生誕不詳~1565)の頃三谷氏内紛に乗じて同氏を討ち坂田城を奪取、以降井田氏は坂田城を本拠にしていたようです。

井田氏は千葉氏を主家とし永正2年(1505)、井田氏胤(いだ・うじたね)は千葉勝胤(ちば・かつたね)の嫡男昌胤(まさたね)の元服式において千葉氏の直臣衆の有力者として馬と太刀を進上する役割を果たし同氏の信頼を得ています。

小田原北条氏が東上総に影響力を強めてきた頃井田氏は千葉氏と共に北条氏に従属する形で自領勢力を保持しますが、同時に北条氏の軍役に駆り出されること度々で岩槻城や牛久城の城番役として動員されています。

天正18年(1590)秀吉による小田原征伐では当主井田胤徳(いだ・たねのり、生年不明~1613)は将兵300名を引連れ小田原城に籠城するも降伏・開城、他方留守部隊は追討軍に囲まれ開城するに至り坂田城は廃城に帰します。

尚北条氏滅亡後の井田氏は徳川家康五男佐倉藩主となった武田信吉(たけだ・のぶよし)に仕えその後水戸移封に従います。信吉の死後は徳川頼房に仕え井田氏は水戸徳川氏の家臣となります。


四郭の中央部に立っている説明板には次の通り記載されています。

「 坂 田 城 跡

坂田錠は戦国時代に、横芝町周辺を支配していた井田氏が築城したと伝えられる。県内でも屈指の大規模な中世城郭です。一般に文献や絵図など資料の乏しい中世の城郭としては珍しく、井田氏の家臣であった神保氏の残した「神保文書」や、江戸時代に描かれたとされる絵図面等が伝わっており、城跡の遺構の残存状況の良さと合わせて県内でも重要な遺跡とされています。

昭和57年には千葉県教育委員会により、重要遺跡を対象とした国庫補助事業として確認調査が実施され、その成果は「千葉県中近世遺跡研究調査報告第3集?大友城跡・坂田城跡発掘調査報告書?」として刊行されました。中世の城郭は、石垣や水堀を多用して主に平地に築かれた近世の城郭と異なり、土を切り盛りして造られた土塁、土橋、腰曲輪そして空堀等を組み合わせ、台地や丘陵など自然地形を巧みに利用して築城されています。しかし、近世の天守閣や石垣などを持つ城郭に比べ地味な印象を受ける中世城郭は、身近にありながらもあまり知られることがありません。

このため横芝町ではみなさんに身近な城郭として坂田城とふれあっていただくため遊歩道を整備しました。遊歩道は本丸に当たる主郭から二郭(二の丸)・三郭(三の丸)へまわり、巨大な土塁や幅広い空堀を皆さんの間近かに見ていただく事ができます。

坂田城と井田氏

坂田城を築城した井田氏は戦国時代の小領主の一つであり小田原の北条氏に仕えていました。井田氏は元々千葉氏の武将でしたが、現在の柴山町にある田向城へ居城を構えてから次第にその勢力圏を拡大、田向城の北東にある大台城にその居城を移しつつ周辺の小領主達を従え始めました。

しかしながら当時の井田氏の勢力から見て坂田城は余りにも巨大であり、当時、安房の里見氏と小田原北条氏の対立する状況にあって、井田氏以外の北条氏よりの武士団がいざという時に集結する拠点として作られたのではないかと考えられてています。このように井田氏は小田原の北条氏と同盟関係を結び、豊臣秀吉による小田原攻めに際しても北条方に味方したため、北条氏の滅亡とともに坂田城は廃城となりました。
                    平成9年3月 横芝町」
          
        

旅行の満足度
4.0
交通手段
JRローカル 徒歩
  • JR総武線横芝駅

    JR総武線横芝駅

  • 横芝周辺案内図

    横芝周辺案内図

  • 坂田城物語<br /><br />JR横芝駅から徒歩約30分でようやく「ふれあい坂田池公園」まで辿り着きました。直進の考えもありますが、左折して進行を続けます。

    坂田城物語

    JR横芝駅から徒歩約30分でようやく「ふれあい坂田池公園」まで辿り着きました。直進の考えもありますが、左折して進行を続けます。

  • 坂田城址散策道入口

    坂田城址散策道入口

  • 坂田城跡説明板<br /><br />汚れきって記載文字を読むことができません。(後刻城郭跡地に同類の掲示板が見つかります)

    坂田城跡説明板

    汚れきって記載文字を読むことができません。(後刻城郭跡地に同類の掲示板が見つかります)

  • 散策道<br /><br />散策道にしては急峻な階段を一歩一歩登っていきます。

    散策道

    散策道にしては急峻な階段を一歩一歩登っていきます。

  • 散策階段

    散策階段

  • 平坦地<br /><br />階段を上がり暫く歩くと平坦な場所が視野に入ります。(後刻わかったのですがこの辺りが主郭とのこと)

    平坦地

    階段を上がり暫く歩くと平坦な場所が視野に入ります。(後刻わかったのですがこの辺りが主郭とのこと)

  • 主郭跡<br /><br />いきなり主郭ということでいささか驚いています。(画面右手の白い部分が主郭であると知らしめる案内板です)

    主郭跡

    いきなり主郭ということでいささか驚いています。(画面右手の白い部分が主郭であると知らしめる案内板です)

  • 主郭跡説明

    主郭跡説明

  • 二郭・三郭方向

    二郭・三郭方向

  • 二郭方向

    二郭方向

  • 土塁(左側)

    土塁(左側)

  • 土塁(右側)

    土塁(右側)

  • 土橋<br /><br />主郭と二郭を繋ぐ土橋が現れます。

    土橋

    主郭と二郭を繋ぐ土橋が現れます。

  • 空堀

    空堀

  • 空堀

    空堀

  • 二郭方向

    二郭方向

  • 二郭跡

    二郭跡

  • 土橋<br /><br />二郭と三郭とを繋ぐ土橋で、左右は土橋によって侵入を阻止しています。

    土橋

    二郭と三郭とを繋ぐ土橋で、左右は土橋によって侵入を阻止しています。

  • 空堀(右側)

    空堀(右側)

  • 空堀(左側)

    空堀(左側)

  • 三郭風景

    三郭風景

  • 三郭風景

    三郭風景

  • 三郭(三の丸)路

    三郭(三の丸)路

  • 三郭<br /><br />だだっ広い農地に梅林・ミカン畑が碁盤の目の如く展開されています。

    三郭

    だだっ広い農地に梅林・ミカン畑が碁盤の目の如く展開されています。

  • 土塁<br /><br />三郭突き当りは土塁で侵入を阻止する仕組みとなっていますが樹木や竹林が生い茂って土塁は隠れています。

    土塁

    三郭突き当りは土塁で侵入を阻止する仕組みとなっていますが樹木や竹林が生い茂って土塁は隠れています。

  • 土塁<br /><br />左折して土塁に沿って暫く歩くと露出した土塁を見ることができます。

    土塁

    左折して土塁に沿って暫く歩くと露出した土塁を見ることができます。

  • 掲示板<br /><br />今度は碁盤の目のT字に入って左側を見ると掲示板らしき物が見えます。

    掲示板

    今度は碁盤の目のT字に入って左側を見ると掲示板らしき物が見えます。

  • 坂田城跡・井田氏説明

    坂田城跡・井田氏説明

  • 櫓門跡<br /><br />三郭から四郭へ進む虎口が右手にあります。

    櫓門跡

    三郭から四郭へ進む虎口が右手にあります。

  • 土橋<br /><br />三郭から四郭を結ぶ土橋が確認できます。

    土橋

    三郭から四郭を結ぶ土橋が確認できます。

  • 堀切(右側)<br /><br />深い空堀が認められます。

    堀切(右側)

    深い空堀が認められます。

  • 堀切(左側)

    堀切(左側)

  • 四郭

    四郭

  • 坂田城跡説明<br /><br />横芝町の説明の他横芝町教育委員会のものもあります。

    坂田城跡説明

    横芝町の説明の他横芝町教育委員会のものもあります。

  • 四郭

    四郭

  • 四郭

    四郭

  • 虎口<br /><br />左右の土塁に挟まれて虎口が作られ、その入口は土橋となって侵入を食い止めるよう施されています。

    虎口

    左右の土塁に挟まれて虎口が作られ、その入口は土橋となって侵入を食い止めるよう施されています。

  • 堀切<br /><br />虎口には土橋が設けられ左右は堀切となって侵入を食い止めています。

    堀切

    虎口には土橋が設けられ左右は堀切となって侵入を食い止めています。

  • 堀切

    堀切

  • 土橋

    土橋

  • 空堀

    空堀

  • 空堀

    空堀

  • 土橋<br /><br />暫く進んだあと振り返って土橋を捉えます。

    土橋

    暫く進んだあと振り返って土橋を捉えます。

  • 枡形<br /><br />

    枡形

  • 帰路<br /><br />四郭にあった説明板設置の通りを東に移動し下り坂を歩きます。

    帰路

    四郭にあった説明板設置の通りを東に移動し下り坂を歩きます。

  • 坂田城跡入口<br /><br />県道79号側に面した入口から出てきます。

    坂田城跡入口

    県道79号側に面した入口から出てきます。

  • 坂田城跡入口案内板<br /><br />竹に隠れるように立っています。これではすぐにわかりません。

    坂田城跡入口案内板

    竹に隠れるように立っています。これではすぐにわかりません。

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