2015/10/09 - 2015/10/09
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現在は成海神社の境外末社になっていた場所と、鳴海城跡公園となっていた場所の、二箇所の『鳴海城跡』の比定地の紹介です。
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- 私鉄
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成海神社の社殿の光景です。近くの乙子山に鳴海神社の本社がありますから、その境外末社の『神明社』のようです。
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イチオシ
成海神社の境外末社の『神明社』の社殿のズームアップ光景です。成海神社本社のHPには、境内外末社が21柱紹介されていました。神明社は、境内末社もありました。
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イチオシ
成海神社の境内にあったご神木の切り株とその周りの光景です。この場所が、由緒あることを証明するために残されているようにも見えました。
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『成海神社・御旅所竣工記念碑』の文字が刻まれた、まだ新しい石碑の光景です。『御旅所」とは、『成海神社の祭神が故地(ふるさと)を訪ねられる際に、お寛ぎになられるようにと願って造営されたもの』とのネット解説がありました。
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『成海神社』の境内光景です。この後は、『成海神社』の境外末社の『神明社』のことを、『成海神社』と略称することにします。
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『成海神社』の周りの光景です。高低差がない場所に住宅が立ち並んでいました。こちらは、神社の東側です。
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『成海神社』の北側から眺めた、西側方面の光景です。確かに高台にはなっていましたが、古文書が伝える、東西75間半(13メートル)、南北34間(61メートル)の規模とは、少しかけ離れているようです、
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『成海神社』の東側の光景です。一般道路との高低差はほとんどありません。鳴海城があったとすれば、土塁や濠など、その工作は大変だったと思える地形です。
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南東方面から眺めた、『成海神社』の光景です。『成海神社』の故地がこの場所であったことは疑問に思えませんが、戦国時代のお城址のイメージはどうしても湧きません。
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芭蕉の句碑です。ほとんど四角の石碑でした。刻まれている文字は、『杜若 われに発句の おもひあり』でした。『野ざらし紀行』で立ち寄った、鳴海の知足亭の歌仙興行(知足・桐葉・叩端との4人)で詠んだ1句のようです。業平『伊勢物語』の中の『唐衣着つつなれにしつましあればはるばる来ぬる旅をしぞおもふ』の和歌を意識したようです。
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三角形に近い形をしていた石碑の光景です。今川家に仕えた戦国武将の岡部氏の末裔、時の文部大臣・岡部長景撰の石碑です。昭和18年(1943年)に建てられた、『鳴海城址之碑』です。
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もう一度紹介する、御神木の切り株光景です。御神木とは、日本古来の古神道における神籬(ひもろぎ)としての木や森をさし、神体を意味します。
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ご神木の切り株光景です。立札には、『これはご神木でした。造成のため止むなきことになりました。形あるかぎり残したいと思います。平成2年(1990年)11月、成海神社』と記されていました。
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『鳴海城跡』のタイトルがあった、名古屋市教育委員会名の立看板です。末尾に、『尾張志』に『東西七五間、南北三四間で四面に堀跡、本丸とニ・三之丸にも堀を残す』と記していることを紹介しています。東西が約135メートル、南北が62メートルの大きさです。因みに標高は20メートルです。
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鳥居の内側から眺めた南側方面の光景です。南側に向かって低地になる地形でした。
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斜め前から見上げた、成海神社の社殿光景です。普通見かける境内摂社か、末社のような大きさの社殿でした。
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芭蕉句碑です。『京まではまだ半空(なかぞら)や雪の雲』の句です。貞享4年(1687年)、この地で詠まれたものです。
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句碑の裏面の光景です。『貞享4年卯11月5日』の日付がありましたから、『京まではまだ半空(なかぞら)や雪の雲』の句碑に間違いありません。『笈の小文』に収められた1句です。貞享4年(1687年)、芭蕉が深川を出発し、伊良湖崎、伊勢、故郷の伊賀上野を経て大和、吉野、須磨、明石へと旅した紀行文です。
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石碑の光景です。裏面だったのか、『貞享5年(1688年)7月8日・知立斎日記』らしい文字が読み取れました。
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句碑でしたが、所々の文字が拾い読みできるだけでした。その『家、雀、背戸』で検索しましたら、芭蕉の『よき家や 雀よろこぶ 背戸の粟』の句がヒットしました。貞亨元年(1684年)7月8日、鳴海の知足の弟・下里三郎右衛門の新築祝いに詠んだ句でした。背戸(せど)は、家の裏手・裏口のことです。
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少し離れた場所から眺めた、成海神社の鳥居と社殿光景です。北側方面の光景になります。
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南北の道路を西に渡って、西側から眺めた成海神社の光景です。これで、1箇所目の『鳴海城跡』の比定地の紹介はお仕舞です。
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南北の道路を渡って、二番目の鳴海城跡の比定地、『鳴海城跡公園』に向かう途中の光景です。
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南北の道路を渡って、二番目の鳴海城跡、『鳴海城跡公園』に向かう途中の光景です。地元のコミュニティセンターの光景です。
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2か所目の鳴海城跡の比定地の見学です。至近距離にありました。『鳴海城跡公園』の標識です。
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下から見上げた、『鳴海城跡公園』の周りの光景です。こんもりと木々が茂った場所は、土塁跡ともいわれています。
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『鳴海城跡公園』の光景です。先に見学した『成海神社』は少し世界感じがしましたが、こちらの方は十分な広さがありました。あるいは後代に、道路で分割された結果かもしれません。
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イチオシ
都市公園として整備された、『鳴海城跡公園』の光景です。中々城址公園のイメージが湧かない都市公園でした。
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同じく、都市公園として整備された、『鳴海城跡公園』の光景です。戦国時代の城跡としての広さと地形を備えた場所に見えました。
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都市公園として整備された、『鳴海城跡公園』の光景が続きます。駆け上りの遊戯施設らしい、コンクリート製の富士山です。
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