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弘治2年(1556年)、大高城主の水野大膳が父和泉守の菩提を祀るため、横須賀長源寺の4世峰庵玄祝(天正15年・1587寂)を開山として開いた古刹です。(ウィキペディア)<br />

2015秋、大高城所縁の春江院:山門、本堂、鐘楼、庫裏、弘法堂

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2015/10/08 - 2015/10/08

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旅行記グループ 2015年、尾張の城巡り

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旅人のくまさん

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弘治2年(1556年)、大高城主の水野大膳が父和泉守の菩提を祀るため、横須賀長源寺の4世峰庵玄祝(天正15年・1587寂)を開山として開いた古刹です。(ウィキペディア)

  • 『大高山・春江院』の文字が刻まれた大きな石碑の光景です。曹洞宗に属し、多宝如来を本尊とするお寺です。大高城址の至近距離に位置します。大高城主だった水野大膳の父の法名、『春江全芳禅定門』に因む名前です。

    『大高山・春江院』の文字が刻まれた大きな石碑の光景です。曹洞宗に属し、多宝如来を本尊とするお寺です。大高城址の至近距離に位置します。大高城主だった水野大膳の父の法名、『春江全芳禅定門』に因む名前です。

  • 『大高山』の文字が認められた扁額です。山門の額だったようです。『大乗月舟書』らしい落款がありました。

    『大高山』の文字が認められた扁額です。山門の額だったようです。『大乗月舟書』らしい落款がありました。

  • 春江院への坂を登って、山門近くから眺めた北方向の光景です。木々が生い茂っている辺りが大高城址です。

    春江院への坂を登って、山門近くから眺めた北方向の光景です。木々が生い茂っている辺りが大高城址です。

  • 山門付近の参道光景です。距離は長くありませんが、勾配が強い山道でした。

    山門付近の参道光景です。距離は長くありませんが、勾配が強い山道でした。

  • 『不許葷酒入山門』の文字が刻まれた石碑です。『禁碑』と呼ばれているようです。

    『不許葷酒入山門』の文字が刻まれた石碑です。『禁碑』と呼ばれているようです。

  • 『不許葷酒入山門』の文字が刻まれた石碑の周りの光景です。路の脇の竹林と雑木林の光景です。

    『不許葷酒入山門』の文字が刻まれた石碑の周りの光景です。路の脇の竹林と雑木林の光景です。

  • 内側から眺めた山門の光景です。春江院の本堂、本玄関及び書院、不老閣、茶室、山門と鐘楼は、平成17年(2005年)に国の登録文化財に指定されています。この山門の形式は、1間1戸薬医門とされます。本堂と同じ、文政13年(1830年)の創建です。

    内側から眺めた山門の光景です。春江院の本堂、本玄関及び書院、不老閣、茶室、山門と鐘楼は、平成17年(2005年)に国の登録文化財に指定されています。この山門の形式は、1間1戸薬医門とされます。本堂と同じ、文政13年(1830年)の創建です。

  • 春江院の境内光景です。赤い幟が林立していました。染め抜かれたのは、『奉納・春江院弁財天』の文字でした。

    春江院の境内光景です。赤い幟が林立していました。染め抜かれたのは、『奉納・春江院弁財天』の文字でした。

  • 春江院の境内にあった池の光景です。この周りにも赤い幟が連なっていました。弁財天は、ヒンドゥ教の女神、サラスヴァティーが、仏教に取り込まれた呼び名とされます。仏教では、守護神の天部の一つです。

    春江院の境内にあった池の光景です。この周りにも赤い幟が連なっていました。弁財天は、ヒンドゥ教の女神、サラスヴァティーが、仏教に取り込まれた呼び名とされます。仏教では、守護神の天部の一つです。

  • 右手前が登録文化財の鐘楼、中央奥が同じく国の登録文化財の庫裏の建物です。

    右手前が登録文化財の鐘楼、中央奥が同じく国の登録文化財の庫裏の建物です。

  • 簡素な造りの手水舎の光景です。概して、神社よりはお寺の方が手水舎は簡素なように見受けます。

    簡素な造りの手水舎の光景です。概して、神社よりはお寺の方が手水舎は簡素なように見受けます。

  • 国の登録文化財の本堂の建物光景です。文政13年(1830年)総研の建物です。北を正面とする入母屋造、正面向拝付、本瓦葺の本堂とされます。

    国の登録文化財の本堂の建物光景です。文政13年(1830年)総研の建物です。北を正面とする入母屋造、正面向拝付、本瓦葺の本堂とされます。

  • 本堂に懸った、『春江院』の扁額です。『孫山大雀書』らしい落款がありました。

    本堂に懸った、『春江院』の扁額です。『孫山大雀書』らしい落款がありました。

  • 本堂の前の庭木越しに眺めた西方向の庫裏の建物光景です。国の登録有形文化財の庫裏は、春江院の中では新しい昭和8年(1933年)の造りです。南北棟の切妻造、桟瓦葺、2階建で、北面に下屋を降ろし、東面北寄に玄関を配した建物です。

    本堂の前の庭木越しに眺めた西方向の庫裏の建物光景です。国の登録有形文化財の庫裏は、春江院の中では新しい昭和8年(1933年)の造りです。南北棟の切妻造、桟瓦葺、2階建で、北面に下屋を降ろし、東面北寄に玄関を配した建物です。

  • 本堂の前に枯山水の庭に配された庭石の光景です。亀裂や筋、凹凸など、結構景色を持った庭石です。

    本堂の前に枯山水の庭に配された庭石の光景です。亀裂や筋、凹凸など、結構景色を持った庭石です。

  • 国の登録文化財の鐘楼の光景です。慶応元年(1865年)創建の建物です。玉石で築いた基壇上に建つ、禅宗様意匠の均整のとれた方1間の袴腰付鐘楼とされます。

    国の登録文化財の鐘楼の光景です。慶応元年(1865年)創建の建物です。玉石で築いた基壇上に建つ、禅宗様意匠の均整のとれた方1間の袴腰付鐘楼とされます。

  • 本堂の前から眺めた、春江院境内の光景です。周りはたくさんの木々で囲まれていました。

    本堂の前から眺めた、春江院境内の光景です。周りはたくさんの木々で囲まれていました。

  • 弘法堂の建物光景です。四国直伝弘法大師尾張八十八ヶ所霊場会の第8番札所とされます。若い頃、知多四国八十八ヶ所を一回りしたことがありますが、それとは別のようです。

    弘法堂の建物光景です。四国直伝弘法大師尾張八十八ヶ所霊場会の第8番札所とされます。若い頃、知多四国八十八ヶ所を一回りしたことがありますが、それとは別のようです。

  • 一際立派な墓標かと思いましたが、記念碑のようでした。正面に刻まれた文字は、『三界万霊十方至聖法界含識等』の文字のようでした。線香立が置かれ、花が手向けられていました。

    一際立派な墓標かと思いましたが、記念碑のようでした。正面に刻まれた文字は、『三界万霊十方至聖法界含識等』の文字のようでした。線香立が置かれ、花が手向けられていました。

  • 本堂の東側方面の墓所の光景です。幾段にも石垣が積まれた、まだ新しい墓所のようです。先ほどの記念碑もこの場所にありました。

    本堂の東側方面の墓所の光景です。幾段にも石垣が積まれた、まだ新しい墓所のようです。先ほどの記念碑もこの場所にありました。

  • 振り返って眺めた北側方面の光景です。左手に見えるのが本堂です。その東側の坂道を登ってきました。

    振り返って眺めた北側方面の光景です。左手に見えるのが本堂です。その東側の坂道を登ってきました。

  • 更に坂道を登った場所の光景です。こちらに広い墓所がありました。

    更に坂道を登った場所の光景です。こちらに広い墓所がありました。

  • 墓所の先には、民家も見えました。見学はここまでにして、引き返すことにしました。

    墓所の先には、民家も見えました。見学はここまでにして、引き返すことにしました。

  • 本堂の横近くまで戻ってきました。桶狭間の戦いの前哨戦で、今川方の松平元康(後の徳川家康)の兵糧入れは、この春江院が一役買ったとの説もあるようです。当時の大高城は、今川方の最前線基地でした。元康(家康)の実母 於大の方の実家は水野宗家で、その菩提寺です。

    本堂の横近くまで戻ってきました。桶狭間の戦いの前哨戦で、今川方の松平元康(後の徳川家康)の兵糧入れは、この春江院が一役買ったとの説もあるようです。当時の大高城は、今川方の最前線基地でした。元康(家康)の実母 於大の方の実家は水野宗家で、その菩提寺です。

  • 不要になった梵鐘が濡れ縁の上に置かれていました。松平元康(後の徳川家康)の兵糧入れは、一般的には永禄3年(1560年)5月19日、桶狭間の戦いの前哨戦と伝わりますが、異説もあるようです。

    不要になった梵鐘が濡れ縁の上に置かれていました。松平元康(後の徳川家康)の兵糧入れは、一般的には永禄3年(1560年)5月19日、桶狭間の戦いの前哨戦と伝わりますが、異説もあるようです。

  • 優美な姿をした、鐘楼の光景です。『桶狭間の戦い』で今川義元が討ち取られたあと、大高城は戦略的価値がなくなりました。このため廃城となりますが、元和2年(1616年)、尾張藩の家老 志水家がここに館を構へ、代々居住しました。最終的に廃城となったのは、明治3年(1870年)のことです。

    優美な姿をした、鐘楼の光景です。『桶狭間の戦い』で今川義元が討ち取られたあと、大高城は戦略的価値がなくなりました。このため廃城となりますが、元和2年(1616年)、尾張藩の家老 志水家がここに館を構へ、代々居住しました。最終的に廃城となったのは、明治3年(1870年)のことです。

  • これで、大高城に由縁を持つ春江院の見学はおしまいです。最後に振り返って眺めた本堂の光景です。

    これで、大高城に由縁を持つ春江院の見学はおしまいです。最後に振り返って眺めた本堂の光景です。

  • 青々とした、大高山・春江院の周りの樹木の光景です。

    青々とした、大高山・春江院の周りの樹木の光景です。

  • 同じく、大高山・春江院の周りの樹木の光景です。風の強い日でしたから、吹かれて葉裏を見せていました。

    同じく、大高山・春江院の周りの樹木の光景です。風の強い日でしたから、吹かれて葉裏を見せていました。

  • 参道入口の春江院の掲示版ですが、何も掲示されていませんでした。写っているのは周りの景色です。春江院には、大高町に末寺の明忠院、東昌寺、薬師寺、弥陀寺があります。

    参道入口の春江院の掲示版ですが、何も掲示されていませんでした。写っているのは周りの景色です。春江院には、大高町に末寺の明忠院、東昌寺、薬師寺、弥陀寺があります。

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