2015/11/26 - 2015/11/27
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たびたびさん
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福井は、元の「北ノ庄」。北ノ庄城は、柴田勝家が秀吉に攻め滅ぼされたことで知られますが、つまり北ノ庄は敗北を想起させる縁起の悪い名前ということで、家康の次男である結城秀康が68万石で北ノ庄に入封されると、翌年、福居に、その後、福井に改名されることとなたっといいます。
気が付くと、その福井県の観光ももう何回目でしょうか。最初の頃の認識は、東尋坊に永平寺を見て、丸岡城を加えれば、福井の観光は7割がた終わったものくらいに考えていました。(たぶん、今でも世間の平均的なイメージはそういったところではないかとも思いますが。。)
その後、東尋坊近くだと三国や芦原温泉に、朝倉氏遺跡でちょっと視野が広がり、福井市内だと足羽山周辺まで足を延ばしたりしてかなりてこずりましたが、福井が歴史と文化度が高い街だということがはっきりとしてきました。続いて、敦賀や小浜も散策してみて、やれやれ一服。今回は、もうひと踏ん張りしてみようということで、最後に選んだコースなんです。言ってみれば福井県の卒業旅行のような気持ちだったのですが、内容的にはその期待は裏切られることはなかったように思います。
一日・二日目は、福井市内のそばと大野、勝山の観光スポット。マイナーというには渋すぎるし、恐竜博物館のドキドキ感も想像以上。なんとかうまくお伝えできればと思います。
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福井市駅に到着。
改札を出てすぐにあるのが福井市観光案内所です。
限られたスペースしかありませんが、スタッフは複数いて、市内の街歩きについて尋ねるとテキパキと答えてくれました。ちょっと失礼ですが、福井市内の観光はあまり一般的ではないと思います。それにしては、パンフレットなどもしっかり準備がしてあって、がんばってますね。好感が持てました。 -
駅すぐの商店街を入って。
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福井はそばどころだし、市内にはいくつも老舗や名店があるのですが、遊歩庵はネットの評価があまりにも高いので、まず訪ねてみました。
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イチオシ
簡単な構えのお店なのですが、なるほどこのそばはシャキッとしていて、申し分なし。辛み大根の辛さも絶妙ですね。普段着の気軽なお店ですが、これなら実力十分。どこに出しても恥ずかしくないそばだと思います。ちょっと半信半疑でしたが、これは間違いなく名店でしょう。
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そして、これも近所のレ・プレジュール。天然酵母パンと洋菓子などスイーツのお店です。
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その特徴を活かした「特製クリームバターロールのソフトクリーム載せ」が目当てだったのですが、それは季節限定で冬場はやっていないのだとか。残念。
代わりに、コロネにして、二階の喫茶室で食べました。この喫茶室も屋根裏部屋みたいなスペースですがなかなかいい。気兼ねせず長居ができるのがいいところです。 -
西武福井店は、福井市街のランドマークと言った存在でしょう。大通りに面した入口付近に大きなカラクリ時計が立っていて、今回動くのを初めて見ましたが、近未来的なデザインが面白い。このカラクリ時計も含めて、この一角が福井の賑わいを代表する景観となっています。
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福井市に市電のイメージはないと思いますが、福井駅からは福井鉄道という市電が走っています。以前、福井駅と武生駅を結ぶので沿線の観光を考えたんですが、地元の人に聞いても、これは通勤・通学の電車でしょという答え。ただ、足羽山方面に行くには使えるので、それはお勧め。例えば行きは歩き、帰りはこの電車といったのもありかと思います。
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そばの二軒目は、佐佳枝亭。これも、福井市内を代表するそばの老舗です。
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福井名物のおろしそばをいただきましたが、こちらの期待するおろしそばはこれだなという感じ。店内も風情があって、座っているだけでもちょっと旅気分がしてきます。ただ、丼物や他のメニューも多いので、そばだけに注力しているわけではない。逆に、そこがちょうどいいのかもしれません。
遊歩庵と逆で、雰囲気は老舗なんですが、メニューは普段着。そばも遊歩庵に比べればゆるい感じがあると思います。 -
これは、ブータンミュージアム。
なんで福井でブータンなのかなあという疑問があったのですが、それは福井の福と幸せの国ブータンという福つながりのよう。 -
現在のブータン国王が新婚旅行を兼ねて日本を訪れた際にその記念として開設された施設です。民族衣装や祭りの道具など色鮮やかな展示品もあって、まあまあ楽しめます。
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続いての松平春嶽像は、福井城隣りの福井神社の境内奥。本殿の横に立っています。
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第16代越前福井藩主で、幕末には広く知恵を集める必要があると説いて、宇和島藩第8代藩主伊達宗城、土佐藩第15代藩主山内容堂、薩摩藩第11代藩主島津斉彬と並んで四賢侯と称された人物。尊王攘夷ではなく尊王開国とか、先進的な考え方も持っていたのですが、水戸藩主徳川斉昭と組んで幕府の改革にも意欲を見せましたが、大老井伊直弼の力の前に屈してしまう。
しかし、現在でもその活躍は福井県民の誇り。福井県のアイデンティティとなっているように思います。四賢公だと宇和島でも伊達宗城(だて むねなり)をとても大事にしています。ただ、その気持ちも分からなくはないんですが、それ以降、何もないのかなあといった、この街は時が止まっているかのような気持ちにもなってしまう。行き過ぎるとしがみついているような感じにもなりかねない。実は、私の最初の福井市の第一印象がそうでした。今はそんなことはないのですが、そこは微妙なところかと思います。 -
御廊下橋は、福井城址の西側に架かっている屋根つきの橋。明治初期まであったというこの橋は、歴代の福井藩主が登城する際の専用橋として使われていたということで、福井城の築城400年を記念して復元されたようです。ちょっと浮いた感じは否めませんが、その分、目立っているのも事実です。
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お堀に雨。今日は天気がよくありません。
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そのまま福井県庁の前庭に出て。これは、結城秀康像。
結城秀康は、徳川家康の次男で一時は嫡男という立場にもいたのですが、小牧長久手の戦いの後、実質的には人質として秀吉の養子となる。ただ、秀吉に子が生まれると用がなくなったことから、その後は下野の結城家の婿養子とされるなど運命に翻弄されています。
そして、こちらでは越前松平家宗家初代。松江藩、津山藩もその系譜ですから、子孫はそこそこ繁栄しているので、まあよしということでしょう。
これで、一日目はさくっと終了です。 -
翌朝は今庄そば。福井駅構内の立ち食いそば屋さんです。早朝から次々人がやってきて、賑わっています。
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特別うまいというほどでもないと思うのですが、暖かなそばつゆのほっとする安心感やテキパキとお客をさばくおばちゃんの気持ち良さとかもあって、人気なのかなあと思います。
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さて、ここからえちぜん鉄道で勝山に向かいます。
福井市から恐竜博物館に行くのが目的です。勝山までの往復切符と恐竜博物館の入場券とデマンドバスのセット券がとてもお得。特にデマンドバスの威力は抜群で効率の良い旅ができました。これを買わない手はないですよ〜 -
で、勝山から大野行のバスがあったので、まずは大野市内の散策にしてみました。
大野駅に到着して、駅舎の隣りにあったのは清水広場。駅のそばだし、適当に作ったものだろうくらいに思って、よく見ると、きれいに澄んだ湧水がこんこんと湧きだしていて、これは本格的。湧水が有名な大野の街にさっそく触れることとなりました。 -
地図で、市内を確認して歩き始めます。ここは小さいけど城下町なんですね。
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観光地風の施設があって、これは越前おおの結ステーション。大野城ふもとの多目的広場兼駐車場と周辺の施設群で、販売所の結楽座に休憩所の藩主隠居所に道を挟んで輝(キラリ)センター、大野商工会議所会館、越前おおのまちなか交流センターなど。武家屋敷もここからは近いんです。
手前に建つのは大野市の時鐘。
高さは、約10m。木造建築で、金森長近が後に治めた美濃市にある長良川の上有知湊(こうずちみなと)の川湊灯台をモデルに建てられたようです。イベントで実際に鐘が打ち鳴らされることもある現役です。 -
これが越前おおの結楽座。
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道の駅みたいにお土産物の他、産直の生鮮野菜なども扱っています。
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広い通路というか休憩スペースのような場所もあるので、ごちゃごちゃした感じがない。すっきりした構造です。
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藩主隠居所は、結楽座の隣り。
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その名前の通り、大野藩主土井利忠の隠居所という建物で、時代がかった外観ですが、内部は新しい現代風の玄関があって、上がって休む休憩所。
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係の人もいて、しっかりと管理されています。
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では、城にも登ってみますか。
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天気はイマイチですが、一応、紅葉の季節です。
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ところで、越前大野城は、天正3年(1575年)、織田信長より越前一向一揆を平定した恩賞でこの地を与えられた金森長近が築いたもの。
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今は、ここも天空の城ということで売出し中です。
大野市街からすぐの場所なのですが、ここに霧が出た時はそんな風になるのでしょうね。確かにそんな感じではあります。 -
城は高さ249mの亀山の上。ひょいと上がれる感じでしたが、石段はけっこうありました。
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城内は資料館になっていて、越前松平家や土井氏まで藩主が次々変わったことが説明されていました。
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もともと大野藩は越前藩の支藩としての位置づけでしょうか。結城秀康の三男である松平直政が5万石で入ったことに始まります。
しかし、直政は信濃松本藩へ移封されると、五男の松平直基が交替。直基も出羽山形藩へ移封されると六男の直良が交替。しかし、その子も播磨明石藩へ移封されるということで、秀康の子は幕府の手ごまとして都合よく使われているような気もします。 -
そして、その後、幕府初期の大老土井利勝の四男・土井利房が入封。土井氏の時代が続きます。これも血筋なんでしょうか、名君も輩出して、小藩ながら、財政改革や西洋の先進技術などにも関心を向ける開明的な気風があったとされています。
ただ、それはたぶん例外なのではなくて、こうした藩が幕末、日本ではあちこちにあって、新しい時代を待っていたのではないかとも思います。薩長だけがすべてではないでしょう。 -
城を降りたところにあるのが、大野市民俗資料館。
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廃校か何かを利用したような、ちょっと古ぼっけた建物です。
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ただ、展示品は予想外の多さ。
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食器や藁製品に人形といった庶民の生活用品から、
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消防車やお菓子作りの型などと多種多様。
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しかし、きちんと整理されていて美しいので、気持ちよく見ることができました。
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大野市街にはいくつかの武家屋敷が残っているので、ここからはそっちに回ります。
まずは旧内山家。結果として、ここは一番見応えがあったと思います。 -
天保年間、大野藩の改革や財政立て直しのため、殖産興業・人材育成などで活躍。家老職に就きますが、蝦夷地開拓の推進、洋式帆船「大野丸」の建造、蘭学の振興、軍備の刷新など多彩な才能を見せています。
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イチオシ
屋敷は今でも現役のように保存状態がよくて、
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がらんとした中にも何か旧家の威厳が漂います。
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展示品は少しですが、聖書や西洋砲術の書があったりして、ちょっと異色。
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奥の離れ座敷は後に作られたものでしょうが、
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品の良さが感じられて、これも家風なのかもしれません。
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次の旧田村家は、大野市街では内山家と並ぶ大きな構えの武家屋敷。同じ通りにあります。
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越前大野城外堀の三の丸にあった田村又左衛門家の屋敷を解体復元した建物ということですが、
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聞くと農家を移築・改築して、武家住宅としたものだそう。
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イチオシ
間仕切りがほとんどなくて土間から上の間まで遮るものがないようなひと続きの構造。面白い建物です。
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座敷から見えるこの庭も自然な感じは悪くないでしょう。
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初めにも触れましたが、越前大野市は地下水が豊富な街。そのもっとも有名なのがこの御清水です。
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殿様のご用水として使われていたということで、殿様清水とも。御清水というのもそういうニュアンスでしょう。名水百選にも選ばれて、今でも利用する人が多いんでしょうか。たくさんのひしゃくが置いてありました。
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朝倉義景は、大野の地で最期を迎えたのは知りませんでしたが、市内に朝倉義景墓所がありました。
周囲は公園として整備されていて、墓所という雰囲気はありません。朝倉氏の最後の当主となった朝倉義景は、一乗谷からここに落ち延びますが、最後は大野六坊賢松寺で一族、景鏡の裏切りにより自刃したその地だそうです。 -
朝倉義景墓所の周囲は公園のように整備されていまして、その一角にも義景清水という湧水があります。ただ、一見するとちょっとした池のような感じで、湧水には見えないかもしれません。
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大野市歴史博物館は、寄ろうかどうしようか迷っていたのですが、訪ねると予想外に大きな建物でした。
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展示は、縄文時代から近代までの歴史資料ということですが、展示はやや散漫。江戸期の大野藩で地域の風土が育まれていると思うのですが、そうした視点がほとんどない。藩主がコロコロ変わって、焦点が当てにくいということがあるのかもしれません。まとまりのない印象です。
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さて、大野市街中心部に帰ってきて、これは八田屋というお菓子屋さん。
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さつまいも餡の饅頭をいただきましたが、これって上用饅頭じゃないでしょうか。モチっとした皮のおいしさがしっかりあって、なかなか価値あるひと品です。
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大野市の市街のメインストリート、七間朝市通りでは400年以上の歴史を持つという朝市があります。
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朝7時〜11時頃ということで、ちょうど終わってしまった後だったのですが、この通りはきれいな平らな石畳だし、いかにも朝市にはうってつけ。広さも程よいし、賑わいが実感を持って想像できました。
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伊藤順和堂は、その通りの中心部。いもきんつばが大人気のお店で、観光客風のお客さんが次々やってきます。
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きめ細かくて滑らかな芋の塊りを優しくきんつばの皮が包んでいて、整った形も素晴らしい。芋と皮の味わいが優雅にコラボして、これは銘菓だと思います。
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元町会館も、同じ七間通りに建つ大野市観光協会が入った建物。地図で見ると大野の市街は碁盤の目のように通りがあって、どこがメインストリートなのかよく分かりませんが、観光客にとってはこの七間通りがそれ。元町会館は、まさに観光のスタート地点となっています。
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寺町通りは通りは七間通りとクロスする通り。小川が流れる少し細い通り沿いには、大小の寺が軒を並べています。大野藩は石高4万石の小さな藩なのですが、それにしてはこれだけの寺町を整備したというのはそれなりに力を入れたということ。しかし、そのことによって、街の風格が備わったとみることができると思います。
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亀寿堂は、越前大野城にもほど近い大通り沿い。
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「けんけら」という地元のかわいらしいお菓子をいただきました。
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小麦を薄く延ばして、少しねじりを加えて焼いたお菓子。駄菓子風ですが、甘いさと小麦粉の素朴な味わいが備わっていて、飽きないおいしさがあると思いました。
ということで、以上、大野市街の散策はおしまい。再び、バスで勝山駅に戻ります。 -
勝山駅からは例のデマンドバスで恐竜博物館へ。デマンドバスは、二時間前までに予約すれば、決められた観光スポットに送り迎えしてくれる。今回は、この後も含めて、大変お世話になりました。
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福井県立恐竜博物館は、いつの間にか福井を代表する観光スポットになっていまして、気が付くと永平寺や東尋坊、朝倉氏遺跡を見たら、次はここというくらいになっています。ただ、交通の便がイマイチなので、今回が初訪問。
近づくにつれて、巨大な恐竜の卵のような施設が見えてきた時はちょっとテンションが上がってしまいました。 -
内部は近未来を思わせる斬新なデザイン。ここから地下に降りて行くエスカレーターが順路です。
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恐竜の発掘現場の再現ですか。なるほど現場は、こういう感じなんでしょうね。
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いきなりですが、動くティラノサウルスは博物館のスターです。敏捷そうな動きはとってもリアル。
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大きさもあるし、子供が本当にビビりまくっていました。お母さんは笑っていましたが、お母さんももしかしたらちょっとビビっていたかもしれませんけどね〜
しばらく見ていましたが、これを見るだけでも価値はあるでしょう。胸のあたりの筋肉隆々といったところとか、それくらいよくできていると思いますね。 -
恐竜はいろんな種類があって、
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解説もされているんですが、
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イチオシ
まあ、全体的な雰囲気でしょう。
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人間なんかまだネズミのような姿だった時代。ちょろちょろと逃げ回るしかないか弱い存在でした。
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恐竜同士の生存競争はあったにせよ、王者は恐竜。
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地球上をわがもの顔に支配していたわけです。
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マンモスだって普通、普通。
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地球は豊かな生態系に覆われて、それだけ見れば、今の地球とどっちが豊かなのか分かりませんね。
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二階に上がって、下の展示場を見下ろします。円形の順路で、ゆったりと眺められるのがお分かりいただけると思います。
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イチオシ
いずれにしても、豊富な展示ですが、一つ一つがしっかりした標本だし、解説もちゃんと読むんだったら、一日十分過ごせる施設。桁違いの博物館であることがよく分かりました。
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ただ、朝早くから街歩きをしてきた私です。ここらで休憩も兼ねて、恐竜博物館に併設されたレストランへ行きましょう。
恐竜のコンセプトはここにも行きわたっていて、面白そうだった恐竜の巣のカレーにしてみました。恐竜の巣なんかあるのかないのか知りませんが、見ればなんとなくそんな感じがしなくはない。恐竜に浸って楽しんできて、ここでもその夢見心地を壊さないのはさすがですね。 -
恐竜博物館の後は平泉寺へ。これもデマンドバスですから楽ちんです。
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こちらは、その昔、白山信仰の拠点だったというすごい場所。
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禅定道という白山につながる越前側の道のスタート地点にあって、最盛期には48社36堂6千坊、僧兵8千人の巨大な宗教都市だったというのです。しかし、今は境内の一面を覆い尽くす苔が主役のひなびた姿。ひと気もなくて、往時の繁栄は微かにしか感じることはできません。
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平泉寺の入口にある本坊脇を入った場所にある旧玄成院庭園。
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一応有料ですが、奥の境内ほどではありませんが、ここもあまり手は入っていない感じ。
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室町幕府管領の細川高国が作庭したと伝えられ、国の名勝にも指定されているのですが、どこがすごいのかよく分からない。
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敢えて言えば、見どころはちょっとした飛び石と巨大な舞台石くらいかなあと思います。
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改めて、平泉寺白山神社は、717年に泰澄大師が開いたとされる、白山を霊峰として信仰する山岳 信仰の神社。
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平泉寺と白山神社の関係は神仏習合なのだと思いますが、
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いずれにしても、境内は一面絨毯を敷きつめたような苔だらけ。
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一方の建物は正直朽ちかかった姿なので、人の手があまり入っていないようなので、ちょっと心配になりますね。
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まあ、その朽ちた感じをウリにしているんですが、それでよしというだけでは済まないような気もします。
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保存というのはどうするのが一番いいのか。どこでもけっこう難しい問題があるようですが、ここもちゃんと考えた方がいいと思いますね。
デマンドバスの迎えを利用して、今度は越前大仏に向かいます。 -
これはその途中にある勝山城。
勝山城は、柴田勝家の一族である柴田勝安によって築城されたらしいのですが、この勝山城博物館はそれとは何の関係もなく、勝山出身の実業家、相互タクシーの創業者である多田清が郷土のためにと建築したものだそうで、歴史的なものではありません。
聞けば、内部は博物館になっているようです。遠くから眺めて、そんな話をしたり聞いただけですが、それでもたぶんそうした話題になるだけでも、多田清氏の目的には十分適っているのかもしれません。 -
さて、越前大仏に到着です。
これは大門。東大寺南大門を模して造られたもので、大きさも同程度ということですが、 -
こちらは視界が限られた境内に建っているので、より大きく感じるような気がします。
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ぎろりとにらんだ、
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躍動感ある仁王像が参詣者を迎えてくれます。
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越前大仏の中門は本殿に向かう途中の門。南大門よりは小さいのかもしれませんが、これもやはり巨大な建築物。五間の柱の間から、これまた巨大な本殿が見えてきて、いよいよ聖域に入るんだなあという気持ちが湧いてきます。
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越前大仏は、勝山城と同じく、地元出身の実業家で、相互タクシーの創業者の多田清氏が建立したもの。
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イチオシ
地元振興のための目的ではあるのですが、テープで読経の声がする本堂の中に鎮座する大仏はなかなかのもの。見上げると実に巨大だし、マジで荘厳な姿ですよ〜
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両脇の立像は観音や菩薩ですが、
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この途方もない大きさは、奈良でも比較するものはないでしょう。ここまでやってくれましたか。あっぱれです。
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イチオシ
周囲の千体仏も途方もないスケール。越前大仏の大仏殿は、東大寺大仏殿を模して造られたということですが、この構想はもしかしたら、それを凌いでいるかもしれません。
鉄筋コンクリート造りなので、技術的には容易にできるといっても、構想は別。しっかりした基本がないと金だけかけてもこうはならない。多田清氏という人物は、単なる成金ではないような気がします。 -
北京にはいくつかの九龍壁というのがあって、北京でも観光の目玉。その九龍壁を模した九龍殿というのもありました。
陶器で作られて、ピカピカというか艶々というか光沢があるきれいな仕上がりでした。北京の九龍壁を思い出しますね。 -
順路に従って、その奥が五重塔。これも、鉄筋コンクリート造り。遠くから見ると優美ですが、近くから見ると、これもそんじょそこらのビルより頑丈そうです。
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エレベーターで最上階に上がると、眼下には本堂や参道が見えて、越前大仏の全景が確認できます。内部には三尊像とかが安置されています。
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順路の最後は、日本庭園。境内でもここは一番高い場所になると思います。広い池を中心とした庭園が整備されていまして、パンフレットだと優雅な錦鯉がたくさん泳いでいるはずだったんですが、冬だったこともあって、それはいないようでした。
これで、越前大仏終了です。 -
再び、デマンドバスを利用して、ゆめおーれ勝山へ。
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こちらの見どころは、二階の製糸機械のデモンストレーション。
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イチオシ
機械がガチャガチャ動いていて、実際に繭を使って、糸繰りをしている光景なんて初めて見ましたね。
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係の方もおっしゃっていましたが、
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日本でもほかにはないようです。
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また、地元の技術者が作った機械類もいくつかあって、生糸産業は日本人の器用さが支えた産業だったことがよくわかりました。
ちなみに、トヨタとか日産などの自動車産業も生糸産業の流れを汲んでいる。今でも日本の屋台骨を支えてくれていると理解することもできるでしょう。 -
ゆめおーれ勝山から勝山駅は、街歩きをしながら戻ります。
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この辺りは、勝山市本町。意外にレトロな街並みが残っていて、この松屋醤油味噌醸造場も表通りに面した趣ある老舗の店構え。
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金沢の木虫籠 (きむすこ)ほど細かくはありませんが、細かな格子が特徴的な外観となっていい感じ。通りから覗けるひっそりした店内もつい見入ってしまう。一見の価値があると思います。
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同じ並びの丸屋松月堂は、小さいですが渋い構えのお菓子屋さん。
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品数は限られますが、名物はくるみ最中。
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中はネチョっとした、餡じゃないですよね。もしかして、これは、もう一つの名物、クルミ羊羹かもしれません。甘さが強烈な最中でした。
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大野と同じで勝山も水が豊かな街。勝山の市街地にはいくつかの湧き水がありますが、この大清水が一番でしょう。
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市街地に小川が流れているなあと思ったら、その始まりがこの大清水。どんどん水が湧いていて、いきなり、この小さな公園からけっこうな小川になる。意外に見応えがあると思います。
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えちぜん鉄道勝山駅に到着。
隣りに、かつての勝山駅のホームと待合所が保存されていました。 -
大正3年に建てられたもの。線路には、これも当時のものでしょうか。貨物列車も展示されていて、かつての風景が蘇るような一角となっています。
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えちぜん鉄道勝山駅本屋は、京都電灯株式会社越前電気鉄道の駅舎として、隣りに保存された待合所と同じ大正3年に建てられたもの。平成16年に国の登録有形文化財となったそうです。駅の待合所でしばらく列車を待ちましたが、木材をふんだんに使っていても傷みもそんなには感じない。今でもいい感じのレトロ調です。
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勝山から福井駅経由で、今夜の宿の鯖江に向かいます。しかし、ここまで来たら、やっぱりけんぞう蕎麦に寄って行くしかないでしょう。
辛味そばで有名な福井を代表するといってもいい人気店です。松岡駅から歩きましたが、ちょっと道は分かりにくいですね。 -
もう閉店まじかでしたが、事前に電話をして訪問。看板は下ろしていましたが、声を掛けると待っていましたよとそばを出してくれました。
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イチオシ
そば粉を100%使っているというそばですが、意外にモチッとしていて存在感あり。辛味の方は心配していましたが、私でもギリギリOKでしょう。
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評判の理由は分からないことはないのですが、ただ、このアクセスの悪さが気にならないほどかと言えば、そこまでではないような気もします。
ただ、それは遊歩庵を知ってしまったからかなあ。味とアクセスを総合すれば、やはり遊歩庵に軍配があがるしかないでしょう。 -
ちなみに、松岡駅は国の登録有形文化財。外観からしても、ちょっとメルヘンチック。
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内部も白いペンキで一様に塗られていて、独特の雰囲気がありました。
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で、福井駅に到着。
ところで、福井県人は、冬でもこたつに入って水ようかんを食べるというのですが、その水ようかんの代表格が、この「えがわ」さん。プリズム福井の一角にお店があって、水ようかん一本でやっています。手ごろなサイズがあって、これならホテルで一人でも食べられるなと思って、買ってみました。 -
よくあるトロトロの水ようかんではなく、ちょっと固めなので食べやすい。味は、甘さも中くらい。奇をてらったようなところはありません。鯖江の宿で普通においしくいただきました。
さて、明日は鯖江と武生の散策です。ちょっと天気街になりますね〜
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