2013/10/26 - 2013/10/26
227位(同エリア4063件中)
sio爺さん
グラバー邸周辺を訪問した当日、夕方にホテルにチェックインし、部屋に荷物を置いてグラバー園を目指した。
坂を登っていくと、とてもオシャレな庭と建物の長崎絵本美術館や大浦天主堂があり、グラバー園に行く前からいろいろと見学できた。
エスカレーターに乗って坂を登り、港が見えると何か異国情緒という雰囲気を感じた。グラバー園はやはり見どころ満載だった。グラバー園を見終わった後は長崎伝統芸能館を見ることもできた。
- 旅行の満足度
- 4.5
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ホテルの出入り口を出ると、お土産屋の並ぶ坂道に出て、この坂道はグラバー邸に続いていた。
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山の手の坂道を上っていくと右手にすてきな庭園があって、その中にはおしゃれな洋風建築があった。
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それが祈りの丘絵本美術館だった。
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事前の下調べでは全くノーマークだったので「ここにこんな素敵な所があったのか」と驚いた。
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絵本に特別興味はなかったが、同行の妻と共に思わず引き込まれてしまった。グラバー邸に向かう途中で、うれしい寄り道ができた。
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大浦天主堂が見えてきた。
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江戸末期の1864年に完成、現存する日本最古の木造教会だったが、1879年に改築され、外壁がレンガ構造になった。
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1953年に現行法で国宝に指定されている。大浦天主堂は、この坂でグラバー邸とつながっているという位置関係にあることがわかった。
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坂から天主堂に向かう両サイドには垣根などが生い茂り、周囲の景観ともども異国情緒を醸し出している。
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グラバー邸のゲートが見えてきた。
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右のエスカレーターに乗って、登っていく
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港が見えてきた
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最初に入ったのは、旧三菱第二ドック
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ドックハウスとは、船が修理などのためにドックに停泊している間、船員たちが宿泊するための施設だ。
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この洋風建築は、1896年(明治29年)に三菱造船所第二船渠の建造にともない、船渠の傍らに建築された。
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明治初期の典型的な洋風建築であるこの建物は、1972年(昭和47年)に三菱造船株式会社(当時)より長崎市が寄贈を受けて現在地に移築復元されたもの。
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三菱の創始者、岩崎彌太郎の弟である彌之助は、三菱の二代目社長として三菱財閥をつくり上げた人物で、兄の彌太郎とグラバーは長崎で深く関わっており、
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彌太郎亡きあとも、彌之助は終生グラバーと交友を続け、グラバーを三菱の相談役として招いている。
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2階バルコニーから長崎港や長崎市街を一望でき、
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とても良い眺めだ。
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旧ウオーカー邸はグラバー園内の邸宅の中ではこぢんまりとしているが、
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港が見えるバルコニーもあり、オシャレな造りだ。
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この家の旧主は、イングランド出身の実業家の次男、ロバート・ウォーカー・ジュニア。
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屋根から突き出した日本風の庇(ひさし)など、細部に日本趣味が反映されている。
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この家にはイギリス人フレデリック・リンガー(1838〜1907)一家が明治時代から昭和時代にかけて住んでいた。
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わが国に例の少ない石造りの洋風住宅で重厚な中に優美さが漂っているのが特色。
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明治初期の居留地建築の代表的な姿がここに見られる。
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フレデリック・リンガーはイングランド出身で、1864年頃に来日しグラバー商会に勤めた後、1868年英国人のホーム氏と共にホーム・リンガー商会を設立。
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居留地の外国人と市民の交流の場、内外倶楽部を設立し、長崎の上水道建設・外国貿易・代理店・製茶・製粉・発電など幅広い事業を行った。
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昭和40年長崎市が買収、41年には国の重要文化財に指定され、一般に公開された。現在はグラバー邸、オルト邸と共にグラバー園の3大建物として一般に公開されている。
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オルト邸の旧主ウィリアム・オルトはイングランド出身で、日本の開国とともにいち早く長崎に渡りオルト商会を設立。
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長崎の大浦慶と提携して、九州一円から茶を買い求め輸出を行い、製茶業で巨額の利益を得て建てたのがオルト邸。
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邸内では、応接間、食堂、寝室などが公開され、
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当時の裕福な階級の生活ぶりが偲ばれる。
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この建物は、1887年(明治20年)に東山手9番地の旧英国領事館跡に建てられたスチイル記念学校の校舎だ。
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スチイル記念学校は、当時アメリカのダッチ・レフォームド教会の外国伝道局長であったスチイル博士が、18歳で亡くなった息子のウィリアム・ヘンリーを記念するために寄贈した資金により開設された学校で、
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その後、東京の明治学院と合併した東山学院など、様々な学校の校舎として使われた。
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最後は1972(昭和47年)に海星学園より保存のため長崎市が寄贈を受け、翌年現在地に移築し復元した。
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建物内部には船の模型が多数展示されていた。
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こういう眺めもいいねえ
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三浦環の像や
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プッチーニの像があった
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グラバー邸の屋根が見えてきた。
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貿易商であり、グラバー商会を設立したトーマス・グラバーが住んでいた日本最古の木造洋風建築で、昭和26年に国の重要文化財に指定されている。
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スコットランド出身のグラバーは1859年、21歳の時に長崎開港と同時に来日し、グラバー商会を設立した。
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トーマス・グラバーの息子、倉場富三郎とその妻ワカが、1939年(昭和14年)に三菱重工業株式会社長崎造船所(当時)に売却するまで、
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この家を自宅として利用していた。
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幕末の激動の中、志士たちを陰で支え、伊藤博文らの英国留学を手伝うなど、多大な援助を惜しまなかった。
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グラバーの妻ツルが使っていた婦人部屋の廊下の天井に、窓のない隠し部屋がある。グラバーは、長州藩の5人「長州ファイブ」と、薩摩藩の19人「薩摩スチューデント」など、密航留学生の海外渡航(国禁)に全面協力して派遣を助け、出入りしていた志士たちの密談にこの部屋は使用されたようだ。
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グラバー邸を出ると、長崎港の美しい夕景が見えた。
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グラバー園を見学した後、少し歩くと長崎伝統芸能館に出る。
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長崎のお祭り「長崎くんち」に奉納される龍踊りの白龍、青龍、
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各町の奉納踊りを先導する「傘鉾(かさぼこ)」と呼ばれる豪華な飾りなどが展示されている。
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「長崎くんち」は370年以上の歴史と伝統を持つ、秋の大祭。旧暦9月9日に行っていたことから、9日すなわち「くんち」と呼ばれるようになったらしい。
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グラバー園周辺の見学を終えて坂道を下っていくと、道路沿いのお店に灯りがともり、これまた良い雰囲気だった。
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