2007/04/08 - 2007/04/23
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元カニ族さん
2007年4月20日夕刻、いよいよアメリカ大陸横断の最終目的地ニューヨークに着きました。ニューヨーク市は下地図のように5つの行政区に分かれていますが、目指したのはマンハッタン区(マンハッタン島)で、ハドソン川をトンネルでくぐって入りました。
マンハッタンのヨーロッパ人の入植は、オランダ人が1614年に毛皮貿易のために建てた植民地が始まりで、これが後に「ニューアムステルダム」と呼ばれるようになりました。オランダ植民地の総裁は1626年、レナペ族からマンハッタン島を60ギルダー(1000ドル程度)分の物品と交換したといわれています。
しかし、1664年イギリス人がこの町を征服し、イングランド王ジェームズ2世(ヨーク・アルバニー公)の名を取って「ニューヨーク」と名付けました。オランダはイギリスのニューヨークの支配を認める代わりに、ラン島の支配を得ました。
その後、アメリカが独立戦争に勝利し、1783年パリで講和条約が結ばれ、アメリカの独立が正式に認められました。ニューヨーク市はアメリカ合衆国の首都となり、ここで合衆国憲法が批准され、初代大統領ジョージ・ワシントンが1789年就任式を迎えました。第1回連邦議会の初めての会期が開かれ、権利章典が起草されました。しかし首都は翌年1790年にはフィラデルフィアに移され、1800年にワシントンに移りました。
写真ニューヨークに繁華街「五番街」です。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 観光バス
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
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ニューヨーク市の行政区です。マンハッタン区はマンハッタン島にあり、ニューヨークの中心です。
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マンハッタンの中心部の地図です。
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マンハッタンには、ハドソン川の下をくぐるトンネルから入りました。
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マンハッタンに入り、この日宿泊するホテルに向かいました。
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宿泊するホテル「ニューヨークズ ホテル ペンシルバニア 」のある七番街です。
ホテル ペンシルヴァニア ホテル
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この日の夕食はフリーとなり、少数のグループで近くのコリアンタウンにて韓国料理を食べ、その後ガイドなしで、「エンパイア ステート ビル」に登り、ニューヨークの夜景を眺めました。
太平洋戦争の始まる10年前に、このビルは出来ていました。 by 元カニ族さんエンパイア ステート ビル 現代・近代建築
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太平洋戦争の始まる10年前に、このビルは出来ていました。 by 元カニ族さん
エンパイア ステート ビル 現代・近代建築
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翌、2007年4月21日、ホテルで目を覚ますと、窓から日の出前のエンパイア ステート ビルが見えました。
太平洋戦争の始まる10年前に、このビルは出来ていました。 by 元カニ族さんエンパイア ステート ビル 現代・近代建築
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ビルの谷間に朝日が昇ってきました。
太平洋戦争の始まる10年前に、このビルは出来ていました。 by 元カニ族さんエンパイア ステート ビル 現代・近代建築
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朝食の後、ただちに観光開始です。先ずハドソン川沿いの道を「バッテリーパーク」に向かいました。
ハドソン川 滝・河川・湖
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ハドソン川沿いの道をジョギングしている人が居ました。
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バッテリーパークは、自由の女神があるリバティ島に行くフェリーに乗る人々の長い行列が出来ていました。
なお、「バッテリー」とは砲台の名称で、ニューヨークの町を守るために設置されたものです。「バッテリー・パーク」の名称は「バッテリー」という名前の砲台があったことに由来しています。 by 元カニ族さんバッテリー パーク 広場・公園
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バッテリパークには「クリントン城」がありました。クリントン城の建設は1808年に始まり1811年に完成した要塞です。エリス島に移民局ができる以前のアメリカへの移民局として、1855年から1890年の間にアメリカに到着した800万人以上の人々がこの場所から入国しています。
現在では、ビアガーデン、展示場、劇場、水族館があり、アメリカのナショナル・モニュメントとして機能しています。キャッスル クリントン国立記念碑 モニュメント・記念碑
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クリントン城の城壁です。大砲を撃つ小窓(狭間)が見えました。
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3.11の記念碑がありました。
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1時間半ほど並んで、ようやくフィエリーに乗ることが出来ました。自由の女神はすぐ近くに見えました。
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フェリーも「乱射事件」を悼み半旗を掲げていました。
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フェリーから見た、マンハッタンです。
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「自由の女神」は、ニューヨークから船で45分のリバティ島にあります。
女神像はたいまつまでの高さ46.5m、台座の高さが47m、合計93.5mです。女神の冠にある展望台まで階段で登れます。また台座の上までエレベータがあります。
この巨大な女神像はアメリカの独立から約1世紀後に建てられ、アメリカのシンボルとして愛されていますが、その建設にはさまざまな人の思いがこめられています
1865年フランスにおいて、アメリカ合衆国の独立100周年を祝い、フランスの法学者で政治家のエドゥアール・ド・ラブライエが南北戦争後の混乱に苦しんでいたアメリカに対し両国の深い友情の証となりうるモニュメントの寄贈を提案し、寄付の募集を呼びかけました。
この計画を受けて、バルトディという彫刻家が、アメリカに渡り、アメリカの玄関口となるニューヨーク港に巨大な女神像を造ろうと決めました。女神像は鉄骨の骨組みを造り、銅版で覆う仕組みで、この骨組みの設計は後にパリのエッフェル塔を制作した技師エッフェルが担当しました。1884年フランスで仮組み完成した女神像は214個に分解されてアメリカに運ばれました。
寄贈に際しては、最初から台座はアメリカで造るように、とのことだったようですが、両国のすり合わせは充分でなかったようです。アメリカはこの計画に無関心で、これらの部品を受け取っても放置されたままになっていました。この状況を嘆いた新聞王といわれる「ニューヨーク・ワールド」紙社主ジョセフ・ピューリッツァは台座部分の建設資金集めのキャンペーンを行い、アメリカ国民に寄付を呼び掛けました。そして集めた資金でようやく女神像を置くリバティ島に庭園と台座が造られました。
そして、1886年10月28日に除幕式が行われました。大統領をはじめ100万人以上の観衆が集まり、顔にかけられたフランス国旗を製作者のバルトルディが除幕しました。計画から完成まで12年もの長い年月ががかかりました。アメリカのシンボルとして愛されていますが、その建設にはさまざまな人の思いがこめられています。 by 元カニ族さん自由の女神像 モニュメント・記念碑
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出航して、約45分で、リバティ島に着き、自由の女神の面会しました。
アメリカのシンボルとして愛されていますが、その建設にはさまざまな人の思いがこめられています。 by 元カニ族さん自由の女神像 モニュメント・記念碑
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女神像はたいまつまでの高さ46.5m、台座の高さが47m、合計93.5mです。女神の冠にある展望台まで階段で登れます。また台座の上までエレベータがあります。
しかし私たちは、見るだけでした。 -
台座の写真です。これだけで47mあります。人と比べると大きさがわかります。
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海を隔てたマンハッタンを背景に、リバティ島で記念撮影。
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45分間ほど、リバティ島にいて、帰路に着きました。
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自由の女神の後ろ姿。
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船上は混み合っていました。
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リバティ島からの帰りの途中、船はエリス島に寄港しました。
ここにはかつてヨーロッパなどからアメリカへ移住を希望する移民のための移民管理局ありましたが、現在はその建物が博物館として残っています。エリスアイランド移民博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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マンハッタンに近づいてきました。
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船が出発した同じ、マンハッタンのバッテリーパークに着きました。
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マンハッタンに上陸し、チャイナタウンで、昼食です。
チャイナタウン&リトルイタリー 散歩・街歩き
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昼食の後は市内観光です。バスはまず、世界経済の中心ウオール街を走りました。通りは意外に短かくて、あっという間に通りすぎてしまいました。
ウォール街 散歩・街歩き
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マンハッタンのど真ん中にお墓をがあったのに驚きました。
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墓地には桜が咲いていました。
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墓地の隣りにはトリニティ教会がありました。
トリニティ教会 寺院・教会
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2001年9月11日の同時多発テロ事件の現場、グランドゼロでバスを降りました。ここでは工事が盛んに行われていました。
グラウンドゼロ 9/11メモリアル モニュメント・記念碑
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工事区域は、カバーで張り巡らされていました。
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工事のカバーの隙間から、中をのぞきましたが、何を造っているのかわかりませんでした。
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地下鉄の「ワールド・トレード・センター駅」の入口です。
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グランドゼロの向かい側に「セント・パウルズ・チャペル」がありました。
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「セント・パウルズ・チャペル」です。
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再びバスに乗り、バスの窓からソーホー地区を眺めました。ソーホーの語源は、ハウストン通りの南(South of Houston Street)という意味で、有名なロンドンのソーホーを意識しているようです。芸術家やデザイナーが多く住んでおり、近年は高感度な高級ブティック・レストラン街となっています。
ソーホー 観光名所
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国連本部の前を通りました。まわり写真で見慣れたに国旗掲揚のポールが並んでいましたが、この日は国旗が掲揚されていませんでした。
国連本部 建造物
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ロックフェラーセンターの前でバスを降りました。
ロックフェラー センター 建造物
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ロックフェラーセンターから五番街を散策しました。
5番街 散歩・街歩き
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五番街では、私は大きな書店の地図コーナーめぐりをました。そこで日本では当たり前の、山川などの自然、鉄道、道路などがまとめられてアメリカ全土が一枚になった学習地図を探し回りました。しかしどこの書店でも詳しいロードマップはありましたが、私の求める地図に出会うことは出来ませんでした。
やはり、文化の違いでしょうか・・・・ -
五番街からエンパイア ステート ビル が見えました。
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再びバスに乗車して「「ブロード・ウエイ」を走りました。
「ブロード・ウエイ」はもともとマンハッタンを南北に走る長いメインの道路で。しかし「フラットアイアン」から「ミッドタウン」の間が、繁華街でその周辺に劇場街が広がっているため、ここが「ブロード・ウェイ」として有名で、「ミュージカル」の代名詞となっています。ブロードウェイ 劇場・ホール・ショー
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たくさんの人々で賑わっていました。
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そして、一度ホテルに戻り、最後の夕食に出かけました。今度はマンハッタンからイーストリバーにかかる「ウイリアムズバーグ・ブリッジ」(写真)を渡り、最初の地図のブルックリン区に行きました。橋の下にはマンハッタンが見えエンパイアーステイトビルも見えます
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橋を渡る時に撮った、イースト川沿いのマンハッタン島です。
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川下には、マンハッタンとブルックリンを結ぶ2本の橋が見えました。
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「ウイリアムズバーグ・ブリッジ」下のレストランの庭でイーストリバーとマンハッタンを撮った写真です。
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マンハッタンとブルックリンを結ぶ2本の橋。手前がマンハッタン・ブリッジ、奥がブルックリン・ブリッジです。
ブルックリン橋 建造物
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太陽が沈みかけてきました。マンハッタンのビル群と2本の橋「マンハッタン・ブリッジ」、「ブルックリン・ブリッジ」も良く見えました。
マンハッタンブリッジ 建造物
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マンハッタンのビルの影に太陽が沈みました。
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夕食の後、再びレストランの庭からマンハッタンで撮った写真です。橋にはイルミネーションが付いています。
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レストランの庭で、最後にツアー参加者全員で記念撮影。
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そして、ツアーの添乗員高瀬さんと記念撮影。
翌日2007年4月15日、再びイースト・リバーを渡り、ブルックリンにあるジョン・F・ケネディ空港から日本に帰国しました。
長い旅でしたが、広いアメリカのほんの一部を見たに過ぎません。しかし初めてのアメリカ旅行は有益で、帰国後はアメリカのニュースや出来事が身近に感じられようになりました。
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