2015/04/25 - 2015/04/26
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naoさん
岐阜県恵那市岩村町は、美濃、信州、三河の国境に位置する要所として、鎌倉時代以来800余年の歴史をもつ岩村城の城下町で、城から西に流れる岩村川沿いの約1.3kmに亘って風情豊かな町並みが続いています。
岩村の町並みは、旧城下町時代に作られた岩村城下最大の枡形や高札場のある所から東側の本町と、枡形の西側で、江戸末期より徐々に形作られ、明治39年(1906年)の岩村電気軌道の開通とともに発展した新町に分けることができます。
戦国時代以前、城の北側に開けていた城下町は、織田信長と武田信玄による度重なる戦乱の結果、その殆どが灰塵と化してしまいますが、天正3年(1575年)に岩村城を攻め落とした織田信長は、岩村城主となった家臣に新たな城下町の整備を命じます。
信長の命を受けた岩村城主は、まず城の西側の岩村川左岸に道路を築造し、これを中心に大工、指物師、鍛冶屋、畳屋、織物屋、染物屋などの職人や商人を集めた町づくりに着手します。
以後、歴代城主によって引き継がれた町の整備は、関ヶ原の戦い後の江戸時代初期に旧城下町の町並みが完成しました。
現在の岩村の町並には、切妻屋根の中二階建てに格子やナマコ壁のある、江戸時代以来の伝統的な町家が軒を連ね、かつての城下町の面影が色濃く残っています。
そんな岩村には、悲劇の女城主を主人公とした悲しい物語が残されています。
武田信玄との間で戦に明け暮れていた織田信長は、少しでも戦に有利になるようにと、当時の岩村城主、遠山景任に叔母の修理(しゅり)を嫁がせるとともに、五男の御坊丸を養子として遣わすことで織田方に引き込みます。
天正元年(1573年)、武田信玄の家臣、秋山晴近による岩村城攻めが始まりますが、時すでに城主の遠山景任は病没しており、修理が城主として戦う事となりました。
劣勢に立たされた修理に対し、秋山晴近は自分との婚姻と、御坊丸の家督相続を条件として開城するよう迫ります。
領民を戦に巻き込みたくないとの一念から、修理はこの条件をのんで無血開城、晴近と屈辱的な婚姻を結び、家督相続が条件だった御坊丸はこれに反して人質として甲府へ送られ、遠山家は滅びてしまいます。
これに激怒した織田信長は三万の大軍をもって岩村城を攻撃し、五ケ月間の攻防の末、助命を条件に開城した秋山晴近と修理以下、家臣全員を処刑したうえ、兵士3,000名も全員惨殺してしまいました。
「領民を戦の犠牲にしたくない」との一心から、悲運の生涯を送った修理の悲しい物語が、岩村が「女城主の里」と呼ばれる由縁です。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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岩村へやって来ました。
こちらは最寄駅の明知鉄道岩村駅です。岩村駅 駅
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明知鉄道は、昭和60年に国鉄明知線を引き継いだ第三セクター方式の鉄道会社で、恵那駅と明智駅を結んでいます。
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駅から歩いてすぐの所にあるこちらの町家は道具屋さんのようです。
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恵那市と合併する前の、旧岩村町の汚水枡の蓋。
岩村城と旧岩村町の木、ヒメコマツなどがモチーフになっています。
蓋の下部には「女城主の里」の文字も見えます。 -
さて、ここから岩村の町並みに入ります。
ここから枡形までの間は、江戸末期より徐々に形作られてきた新町になります。 -
先ず、この大きなお店の2階の手すりに目が行きました。
窓はアルミサッシになっているんですが、それに気付かせないような演出効果をあげています。 -
ガス灯のようなデザインの外灯がよくお似合いです。
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こちらの町家は、2階のガラス窓のデザインにこだわりがあるように見受けられます。
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風情のある接骨院さん。
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車の列の向こうに、趣きのある町並みが続いています。
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平成15年にオープンした「いわむら美術の館」。
明治時代の町家を再生されています。 -
こちらの町家が岩村の代表的な建築様式のようで、よく似た外観の町家を見ることが出来ます。
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今まで歩いて来た町並みを振り返ったところです。
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書と画を組み合わせた作品を創っておられる作家さんのギャラリーです。
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2階に格子が付いた町家。
格子があると、全然表情が変わります。 -
町並みの中ほどにある厳邑天満宮。
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菅原道真を祀る厳邑天満宮はこの地域には珍しい天満宮で、地元の方々が学問の神さまとして熱心に信仰されてきたそうです。
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この町家のガレージの扉は、シャッターではなく、町並みの風情を損なわないよう木製扉にされています。
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こちらの町家の背の低い部分もガレージだと思われますが、町並みを大切にする気持がにじみ出ています。
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基本的には岩村の伝統様式なんですが、皆さん個性を発揮されています。
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クーラーの室外機置場にも、景観に対する配慮が行き届いています。
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町並みを振り返ると、岩村城に向かって道が上っているのがよく判ります。
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ほぼ間口部全面がショウウィンドウのお店。
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こちらは、岩村に2軒あるカステラ屋さんの内の1軒です。
ちなみに、岩村のカステラ作りは、岩村藩の御殿医が西洋医学を学ぶために滞在していた長崎で、オランダ人から教わったカステラの製法を町民に伝授したのが始まりと伝えられています。 -
玄関脇の出格子に花を活けておられる町家。
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角地に建っているので妻側も見ることが出来ますが、妻壁は下見板貼りになっています。
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手水鉢を利用した植木鉢では、パンジーが咲き誇っています。
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本通りに面する間口より、奥行の方が遥かに深い敷地のお宅です。
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格子越しに見た町並み。
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こちらの工房とお隣のお宅は、岩村の歴史に関する活動をされているようで・・・
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日本三大山城と云われる、ここ岩村町の美濃岩村城、備中松山城(岡山県高梁市)、大和高取城(奈良県高取町)の3市町で開催している「日本三大山城サミット」に、いわむら歴史掘り起こし委員会として参加されています。
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正面に枡形が見えてきました。
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こちらは、ちりめんや古代布を使った手作りの雑貨を扱うお店です。
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こちらはお餅屋さん。
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風情のある外観からは想像できませんが、こちらはスポーツ用品店さんです。
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路地から見た町並みの光景です。
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スポーツ用品店さんのお隣は、五平餅を食べさせてくれるお休み処です。
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枡形へやって来ました。
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昔ながらの製法にこだわっておられるお漬物屋さん。
すべて無添加、無着色で手作りされています。 -
岩村城下最大の枡形や木戸があった所に、かつての高札場があります。
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この高札場は、岩村歴史資料館に展示されているスケッチを元に復元されたものだそうで、城下町当時の町の様子をうかがい知ることができます。
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枡形の南側にも・・・
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風情ある町並みを見ることが出来ます。
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ここからが旧城下町時代の町並みになります。
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こちらは手作りの和菓子屋さん。
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旧城下町時代に完成した町並みでも・・・
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ガレージを造るにあたっては、もちろん景観に配慮されています。
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こちらは、平成15年にオープンした「江戸城下町の館 勝川家」です。
山林や農地を多く所有していた勝川家は、屋号を「松屋」と云う江戸末期から台頭した商家で、貧窮した岩村藩の財政を支えたそうです。 -
「江戸城下町の館 勝川家」では、お蕎麦屋さんも営業されているようです。
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お屋敷内には、江戸後期に建築された木造2階建ての2棟の建物が建っています。
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建物内には、往時の商家の暮らしぶりを伝える、座敷、書院、茶室などがしつらえられています。
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2階から見下ろしたお庭。
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なまこ壁のこれらの蔵は、岩村城内にあったものを移築したそうです。
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数寄屋風にしつらえられた座敷の濡れ縁。
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2棟の建物をつなぐ渡り廊下。
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勝川家の家紋が染め抜かれた幕。
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勝川家のお隣にある浅見家。
浅見家は幕末期に三代にわたって大庄屋を務めた旧家です。 -
こちらは江戸時代の紺屋を復元し、平成11年にオープンした「工芸の館 土佐屋」です。
館内には当時の藍染めに関する資料などが展示されています。 -
道側に柱を建てて下屋を支えている町家。
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枡形から東側の道は・・・
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相当な上り勾配になっています。
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間口が全て開口部になっている町家のお隣は、岩村町観光協会の建物です。
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こちらはカフェです。
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岩村藩家老の次男として生まれた、江戸時代の儒学者、佐藤一斎に関する本や名言録集などを取り扱っているお店です。
佐藤一斎の教えは、彼の門下生だった佐久間象山や渡辺崋山などを通じて、明治維新に活躍した西郷隆盛などの指導者たちに大きな影響を与えたと云われています。 -
こちらは木村邸です。
木村邸 名所・史跡
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木村家は、江戸時代中期から末期にかけて問屋職や御用達職に任じられて苗字帯刀を許された家柄で、藩財政の困窮に際し御用金を調達して危機を救ったと云われています。
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店の間に設けられた帳場。
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こちらは脇玄関です。
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座敷の欄間に彫られた鳥の図。
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庭に掘られた井戸。
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井戸水をくみ上げる釣瓶。
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土蔵の床の装飾用に埋め込まれた瓦片。
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苔生した石灯籠。
では、木村邸はこのくらいにして・・・。 -
木村邸を出た後に遭遇した壁。
下見板張りの壁が、見る者に強烈なインパクトで迫って来ます。 -
看板の名前のとおり、塩を商うお店です。
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町並みで唯一信号のある本町交差点。
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交差点からすぐの所にある薬局です。
この看板がお店の歴史を物語っているようです。 -
この町家は、庵看板に書いてあるとおり「眼鏡所」なんですね。
もちろん時計も扱っておられますが・・・。 -
この町家は、1階のガラス張りの出窓と、2階の千本格子が特徴です。
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こちらは180年の歴史を誇る岩村酒造さん。
悲劇の主人公に因んだ銘柄の地酒を醸造されています。 -
店先に置かれた巨大な壺を透かして杉玉を見たところです。
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岩村に2軒あるカステラ屋さんの内の、もう1軒のお店です。
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こちらのショウウィンドウには武者人形が飾ってあります。
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建物の角を切って、手すりを回した町家。
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もう少しでこの町並みも終わりそうです。
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玄関先に吊られた藁製の花入れ。
ご主人のお手製でしょうか・・・。 -
こちらの町家は、玄関を挟んだ左右の壁や建具に段差を付けて、道の勾配を解消しています。
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この町家の太い格子には力強さを感じます。
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1軒のお宅だと思うんですが、町並みに面していろんな表情を持った開口部をしつらえておられます。
では、この辺りで引き返します。 -
だらだらと下っている町並みを引き返していると・・・
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上って来る時には全然気付かなかったんですが、三叉路の角に大きな常夜灯が立っていました。
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城下町が度々大火に見舞われたことから、この常夜灯は火伏せを祈願して建立されたと伝えられたとのことです。
元々は別の場所に立っていたそうですが、昭和62年の岩村城築城800年を機にここに移設されたそうです。 -
では、町並みへ戻ります。
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窓がいっぱいのこの町家は、築100年の町家を再生した「上町まちなか交流館」です。
多くの職人さんが暮らしてきた岩村に継承された、木工、竹細工、わら細工などの技を次代に伝える拠点として建てられたそうです。 -
郵便ポストの左向かいにある・・・
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武者人形が飾ってある町家まで戻って来ました。
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左手に塩屋さんが見えてきました。
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漬物屋のおよねさん。
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正面に枡形が見えてきました。
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この、格子が印象的な町家は枡形の角に建っています。
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この枡形は、旧城下町の本町と明治以降に発展した新町の境界にあたります。
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かわいい鯉のぼりが風を受けて揺れています。
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道にこんなものが埋め込んであります。
ここは標高510mだそうです。 -
そろそろ町並みの入口です。
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岩村は思っていた以上に素晴らしい町並みで、再訪したい町がまた一つ増えました。
では、岩村の町並みに別れを告げて、今宵の宿へ向かいます。
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