防府旅行記(ブログ) 一覧に戻る
今日は、前日の下関市内で回りきれなかった桜山辺りと奇兵隊の故郷、旧吉田宿に防府を回って、二日間の旅は完結です。予定ではあくまで下関が中心のつもりでいたのですが、吉田もいいし防府の街も予想外になかなかいい。またまた充実の旅となりました。<br /><br />高杉晋作の東行庵・東行記念館のある吉田は、下関と言っても、 JR小月駅からバスになるのですが、本数も少ないし、行くのはけっこう大変です。しかし、吉田は奇兵隊の故郷でもあり、東行庵には高杉晋作の墓もある。高杉晋作のファンならずとも、気になる場所でしょう。<br />東行庵は、愛人おうのが出家して、ここで晋作の菩提を弔ったといいますが、大きな池の周辺には菖蒲が植えられ、遊歩道も日本庭園のような風情ある造り。東行記念館の展示を見て、晋作の墓にもお参りまして。やっぱり、訪ねたのは大正解だったと思いました。<br /><br />防府の方も時間が押せ押せとなってしまいましたが、レンタサイクルを活用。周防国の国府があったという名残りがそれなりに残る市街をひととおり回ってみることができたと思います。<br />

下関から防府まで「花燃ゆ」の旅(二日目・完)~幕末の長州藩を経済的に支えたのは下関。しかし、長門に対して周防の国府だった防府も歴史の厚みを感じます~

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2015/04/26 - 2015/04/26

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たびたび

たびたびさん

今日は、前日の下関市内で回りきれなかった桜山辺りと奇兵隊の故郷、旧吉田宿に防府を回って、二日間の旅は完結です。予定ではあくまで下関が中心のつもりでいたのですが、吉田もいいし防府の街も予想外になかなかいい。またまた充実の旅となりました。

高杉晋作の東行庵・東行記念館のある吉田は、下関と言っても、 JR小月駅からバスになるのですが、本数も少ないし、行くのはけっこう大変です。しかし、吉田は奇兵隊の故郷でもあり、東行庵には高杉晋作の墓もある。高杉晋作のファンならずとも、気になる場所でしょう。
東行庵は、愛人おうのが出家して、ここで晋作の菩提を弔ったといいますが、大きな池の周辺には菖蒲が植えられ、遊歩道も日本庭園のような風情ある造り。東行記念館の展示を見て、晋作の墓にもお参りまして。やっぱり、訪ねたのは大正解だったと思いました。

防府の方も時間が押せ押せとなってしまいましたが、レンタサイクルを活用。周防国の国府があったという名残りがそれなりに残る市街をひととおり回ってみることができたと思います。

  • まずは、下関市街で昨日回れなかったエリアを回ります。下関駅から、北へ1〜2キロの範囲なんですが、ここには高杉晋作ゆかりの地が集中しています。<br />まずは、高杉東行療養之地。肺結核で倒れた高杉晋作が空気のよい桜山の高台でという勧めで、1966年7月から療養した場所です。ブロック塀の間にちょっとした石柱がありました。<br />ちなみに、直前の第二次長州征伐で、高杉晋作は、周防大島沖に停泊する幕府艦隊を夜襲したり、小倉藩に撃って出たりの活躍で、幕府の敗北を決定的とするのですが、亡くなったのはその翌年の5月のことでした。

    まずは、下関市街で昨日回れなかったエリアを回ります。下関駅から、北へ1〜2キロの範囲なんですが、ここには高杉晋作ゆかりの地が集中しています。
    まずは、高杉東行療養之地。肺結核で倒れた高杉晋作が空気のよい桜山の高台でという勧めで、1966年7月から療養した場所です。ブロック塀の間にちょっとした石柱がありました。
    ちなみに、直前の第二次長州征伐で、高杉晋作は、周防大島沖に停泊する幕府艦隊を夜襲したり、小倉藩に撃って出たりの活躍で、幕府の敗北を決定的とするのですが、亡くなったのはその翌年の5月のことでした。

  • こちらは、厳島神社。<br />平家一門は壇之浦の戦いの際、安芸の厳島神社の分霊を船中に祀って戦ったのですが、平家は敗れ、その分霊は磯辺に漂着。それを改めて、ここに祀ったのが始まりだそうです。<br />

    こちらは、厳島神社。
    平家一門は壇之浦の戦いの際、安芸の厳島神社の分霊を船中に祀って戦ったのですが、平家は敗れ、その分霊は磯辺に漂着。それを改めて、ここに祀ったのが始まりだそうです。

  • そして、この厳島神社も高杉晋作ゆかりの地。<br />小倉戦争の戦利品として、奇兵隊が小倉城から持ち帰った大太鼓は、今でも誇らしげに境内に保管されています。

    そして、この厳島神社も高杉晋作ゆかりの地。
    小倉戦争の戦利品として、奇兵隊が小倉城から持ち帰った大太鼓は、今でも誇らしげに境内に保管されています。

  • 厳島神社の鳥居の脇にあるのは萩藩新地会所跡。<br />ここは、長州藩の本藩、萩藩の出先機関があったところ。高杉晋作が功山寺で決起した後、最初に襲撃したのがここでした。<br />第一次長州征伐により、長州藩では幕府恭順の俗論派が台頭するのですが、この挙兵が実質的な討幕への出発点となりました。

    厳島神社の鳥居の脇にあるのは萩藩新地会所跡。
    ここは、長州藩の本藩、萩藩の出先機関があったところ。高杉晋作が功山寺で決起した後、最初に襲撃したのがここでした。
    第一次長州征伐により、長州藩では幕府恭順の俗論派が台頭するのですが、この挙兵が実質的な討幕への出発点となりました。

  • 高杉東行終焉之地は、そこから歩いて5分もかからない場所。<br />肺結核の療養をしていた桜山からもわずかです。石柱が建って整備された一角ですが、ここは、大年寄林算九郎宅の離れ屋だったのだとか。亡くなったのは1967年5月のこと。11月には大政奉還が行われ、幕府の崩壊は目前とも言える時期でした。<br />辞世の句、「面白き事もなき世をおもしろく(高杉) 住みなすものは心なりけり(望東尼)」は、あまりにも有名です。<br />

    高杉東行終焉之地は、そこから歩いて5分もかからない場所。
    肺結核の療養をしていた桜山からもわずかです。石柱が建って整備された一角ですが、ここは、大年寄林算九郎宅の離れ屋だったのだとか。亡くなったのは1967年5月のこと。11月には大政奉還が行われ、幕府の崩壊は目前とも言える時期でした。
    辞世の句、「面白き事もなき世をおもしろく(高杉) 住みなすものは心なりけり(望東尼)」は、あまりにも有名です。

  • 妙蓮寺は、高杉東行終焉の地の向かい。浄土真宗本願寺派の寺で、楼門が立派です。この辺りは、高杉晋作ゆかりの地が多く集まっていて、てっきりそうした場所の一つかと思ったのですが、そうでもないよう。お寺の娘さんと話してもそうだったので、間違いないと思います。

    妙蓮寺は、高杉東行終焉の地の向かい。浄土真宗本願寺派の寺で、楼門が立派です。この辺りは、高杉晋作ゆかりの地が多く集まっていて、てっきりそうした場所の一つかと思ったのですが、そうでもないよう。お寺の娘さんと話してもそうだったので、間違いないと思います。

  • ここから再び桜山の方へ。<br />この桜山神社は、高杉晋作の発議により創建された招魂場。

    ここから再び桜山の方へ。
    この桜山神社は、高杉晋作の発議により創建された招魂場。

  • 下関戦争の戦死者に加えて、長州征討や戊辰戦争の戦死者。そして維新で命を落とした志士たちを祀ります。

    下関戦争の戦死者に加えて、長州征討や戊辰戦争の戦死者。そして維新で命を落とした志士たちを祀ります。

  • 本殿の裏側にずらりと並んだ石碑にはそれぞれの名前が記されていて。

    本殿の裏側にずらりと並んだ石碑にはそれぞれの名前が記されていて。

  • 前列中央には吉田松陰、その両側には、高杉晋作と久坂玄瑞。近代日本の黎明期において多くの人々が命を落としたことに思いを馳せました。<br />ただ、一方で、鹿児島の南洲墓地に比べればかなり小規模。南洲墓地では西南戦争で戦死した3420名が葬られているのですが、近代兵器が進歩すると犠牲者の数は急速に増えていくということ。恐ろしい事実だと思います。

    イチオシ

    前列中央には吉田松陰、その両側には、高杉晋作と久坂玄瑞。近代日本の黎明期において多くの人々が命を落としたことに思いを馳せました。
    ただ、一方で、鹿児島の南洲墓地に比べればかなり小規模。南洲墓地では西南戦争で戦死した3420名が葬られているのですが、近代兵器が進歩すると犠牲者の数は急速に増えていくということ。恐ろしい事実だと思います。

  • 高杉晋作らが功山寺での挙兵の後、真っ先に襲撃したのは萩藩新地会所でしたが、その際、一時的に屯所としたのがこの了圓寺。萩藩新地会所とは数百メートルの距離しかない高台の寺です。

    高杉晋作らが功山寺での挙兵の後、真っ先に襲撃したのは萩藩新地会所でしたが、その際、一時的に屯所としたのがこの了圓寺。萩藩新地会所とは数百メートルの距離しかない高台の寺です。

  • 本堂には、その際に興奮した隊士が付けたという刀痕があるようですが、残念ながらそこはよくわかりませんでした。

    本堂には、その際に興奮した隊士が付けたという刀痕があるようですが、残念ながらそこはよくわかりませんでした。

  • こちらも高杉晋作ゆかりの地。ひょうたん井戸は、伊崎町の路地裏です。住宅地の中なので、地元の人に案内されてやっと見つけることができました。<br />高杉晋作は、下関戦争の講和条件の一つとして下関開港を進めるのですが、それに反対する攘夷派の刺客から身を隠すため、この井戸の中に1日潜んでいたという井戸です。

    こちらも高杉晋作ゆかりの地。ひょうたん井戸は、伊崎町の路地裏です。住宅地の中なので、地元の人に案内されてやっと見つけることができました。
    高杉晋作は、下関戦争の講和条件の一つとして下関開港を進めるのですが、それに反対する攘夷派の刺客から身を隠すため、この井戸の中に1日潜んでいたという井戸です。

  • 下関市内にはさっきの厳島神社のほかにもう一つ厳島神社があって、これは伊崎町にある山の上の神社。ひょうたん井戸の方から回りましたが、けっこうな石段を登った先。隣りにある稲荷社は末社です。<br />

    下関市内にはさっきの厳島神社のほかにもう一つ厳島神社があって、これは伊崎町にある山の上の神社。ひょうたん井戸の方から回りましたが、けっこうな石段を登った先。隣りにある稲荷社は末社です。

  • 眺めとしてはそこそこですが、観光スポットとしては、上新地町の方が当然メジャーです。<br />

    眺めとしてはそこそこですが、観光スポットとしては、上新地町の方が当然メジャーです。

  • ここまで来たら、せっかくなので、ここから御旅所に向かいます。

    ここまで来たら、せっかくなので、ここから御旅所に向かいます。

  • あ〜。あの先ですね。

    あ〜。あの先ですね。

  • この御旅所というのは、壇之浦の戦いで入水してお亡くなりになった安徳天皇のご遺体を一時安置したところ。囲いがあって中には入れませんが、それらしく整備されていました。なお、ご遺体は壇之浦の戦いの翌日に中島組という漁業団が漁をしていた際に、網にかかったということ。<br /><br />安徳天皇の御霊を弔う先帝祭でも、行列の出発地点は、下関市街からこの御旅所方面に近い側とされています。

    この御旅所というのは、壇之浦の戦いで入水してお亡くなりになった安徳天皇のご遺体を一時安置したところ。囲いがあって中には入れませんが、それらしく整備されていました。なお、ご遺体は壇之浦の戦いの翌日に中島組という漁業団が漁をしていた際に、網にかかったということ。

    安徳天皇の御霊を弔う先帝祭でも、行列の出発地点は、下関市街からこの御旅所方面に近い側とされています。

  • 下関漁港は、下関駅から歩いては行けるのですが、ちょっと距離があります。朝市をやっていないかと思って訪ねたのですが、やっていない。一般の人が入ってもいい日は月に一度だそう。そうですか。それにしても、けっこう歩いて訪ねたので、がっくりきました。<br />さすがにこれで、下関市街は終了。旧吉田宿に向かいます。

    下関漁港は、下関駅から歩いては行けるのですが、ちょっと距離があります。朝市をやっていないかと思って訪ねたのですが、やっていない。一般の人が入ってもいい日は月に一度だそう。そうですか。それにしても、けっこう歩いて訪ねたので、がっくりきました。
    さすがにこれで、下関市街は終了。旧吉田宿に向かいます。

  • 旧吉田宿はJR小月駅からバスで。バス停は東行庵入口です。<br />ここは山陽道の要地であり、奇兵隊の故郷でもある。いくつかの観光スポットが点在していて、この吉田宰判勘場 御茶屋跡もその一つ。<br />ちなみに、吉田宰判勘場は、この辺りの12村を収めていた代官がいた役所。 御茶屋は参勤交代時代の大名の宿泊所。ボロボロに崩れかけた土塀が残るだけですが、往時を偲べる遺構としては貴重なものです。

    旧吉田宿はJR小月駅からバスで。バス停は東行庵入口です。
    ここは山陽道の要地であり、奇兵隊の故郷でもある。いくつかの観光スポットが点在していて、この吉田宰判勘場 御茶屋跡もその一つ。
    ちなみに、吉田宰判勘場は、この辺りの12村を収めていた代官がいた役所。 御茶屋は参勤交代時代の大名の宿泊所。ボロボロに崩れかけた土塀が残るだけですが、往時を偲べる遺構としては貴重なものです。

  • 東行庵に向かう途中にあるのは、晋作の湯。まだ昼前なんですが、お客さんがけっこう入っていますね。

    東行庵に向かう途中にあるのは、晋作の湯。まだ昼前なんですが、お客さんがけっこう入っていますね。

  • さて、東行庵です。<br />東行庵の東行は、高杉晋作が自分で付けた名前。和歌で有名な西行を頭に置いたようですが、打倒幕府の意味合いもあったものと言われます。<br />

    さて、東行庵です。
    東行庵の東行は、高杉晋作が自分で付けた名前。和歌で有名な西行を頭に置いたようですが、打倒幕府の意味合いもあったものと言われます。

  • ここは晋作の墓もあるんですが、全体としては公園のような施設ですね。

    ここは晋作の墓もあるんですが、全体としては公園のような施設ですね。

  • 大きな池の周囲には、緑が豊かで、散策道も整備されています。なお、晋作の愛人おうのが出家し、ここで晋作の菩提を弔っています。<br />

    大きな池の周囲には、緑が豊かで、散策道も整備されています。なお、晋作の愛人おうのが出家し、ここで晋作の菩提を弔っています。

  • 晋作の像を拝んで、

    晋作の像を拝んで、

  • これが下関市立東行記念館。東行庵の中心といった施設で、この二階部分が有料スペースとなっています。<br />

    これが下関市立東行記念館。東行庵の中心といった施設で、この二階部分が有料スペースとなっています。

  • 館内はゆったり。高杉晋作所用道中三味線や瓢など、粋な趣味を感じさせる高杉晋作の遺品を展示するほか、その足跡を解説しています。ただ、幕末から維新までの長州は激動の時代。かなり頭の整理をしていないと、細かいところまで理解するのは難しいかもしれません。<br /><br />ところで、晋作は結核で死ぬので、体が弱かった人物なのかと想像してしまうのですが、実態はその逆。とても元気な人だったのですが、それ以上に無理をしたり遊び過ぎたりしたというのが本当のところだったようです。<br />

    館内はゆったり。高杉晋作所用道中三味線や瓢など、粋な趣味を感じさせる高杉晋作の遺品を展示するほか、その足跡を解説しています。ただ、幕末から維新までの長州は激動の時代。かなり頭の整理をしていないと、細かいところまで理解するのは難しいかもしれません。

    ところで、晋作は結核で死ぬので、体が弱かった人物なのかと想像してしまうのですが、実態はその逆。とても元気な人だったのですが、それ以上に無理をしたり遊び過ぎたりしたというのが本当のところだったようです。

  • ここから晋作の墓の方に回ります。

    ここから晋作の墓の方に回ります。

  • ここにも晋作の銅像があって、

    ここにも晋作の銅像があって、

  • これが高杉晋作の墓です。山の中腹一帯をきれいに整備した場所で、ここも公園のように気持ちのいいところですね。<br />いずれにしても、吉田は高杉晋作の創設した奇兵隊の故郷。高杉晋作の最期の言葉は「吉田へ・・」だったとも聞きますが、それだけ縁の深い場所で安らかに眠る晋作です。

    これが高杉晋作の墓です。山の中腹一帯をきれいに整備した場所で、ここも公園のように気持ちのいいところですね。
    いずれにしても、吉田は高杉晋作の創設した奇兵隊の故郷。高杉晋作の最期の言葉は「吉田へ・・」だったとも聞きますが、それだけ縁の深い場所で安らかに眠る晋作です。

  • 東行庵には晋作饅頭という名物があって、東行庵の向かいに二軒のお店が並んでいます。清風亭はそのうちの一軒。

    東行庵には晋作饅頭という名物があって、東行庵の向かいに二軒のお店が並んでいます。清風亭はそのうちの一軒。

  • 覗いて見ると、焼き色がとってもきれいな饅頭なんですが、饅頭というより、餡子の入った、いわゆる焼きもちですね。お餅はちょっと柔らかめ。口で溶けてしまう感じなのを焼きの香ばしさが抑えています。バランスのいい仕上がりです。

    イチオシ

    覗いて見ると、焼き色がとってもきれいな饅頭なんですが、饅頭というより、餡子の入った、いわゆる焼きもちですね。お餅はちょっと柔らかめ。口で溶けてしまう感じなのを焼きの香ばしさが抑えています。バランスのいい仕上がりです。

  • 本田菓秀庵は、その隣り。駐車場の一角にある、そんなお店ですけど、ここの晋作饅頭はとっても美味。

    本田菓秀庵は、その隣り。駐車場の一角にある、そんなお店ですけど、ここの晋作饅頭はとっても美味。

  • 基本は焼き餅なんですが、お餅がしっかりしていて、餡子とのコラボがいい感じ。私としては、けっこうな高得点ですね。なお、紫蘇の葉でくるんだタイプとくるまないタイプがありますが、どっちもうまいです。

    基本は焼き餅なんですが、お餅がしっかりしていて、餡子とのコラボがいい感じ。私としては、けっこうな高得点ですね。なお、紫蘇の葉でくるんだタイプとくるまないタイプがありますが、どっちもうまいです。

  • 東行庵から歩いて行きましたが、緩やかな峠を越えて20分くらいかかりました。この寺は、陣屋ができる前には、奇兵隊の屯所の一つが置かれたということです。

    東行庵から歩いて行きましたが、緩やかな峠を越えて20分くらいかかりました。この寺は、陣屋ができる前には、奇兵隊の屯所の一つが置かれたということです。

  • 境内には、血気にはやる隊士が首を斬ったと伝えられる六地蔵石仏があって、これがそうですね。

    境内には、血気にはやる隊士が首を斬ったと伝えられる六地蔵石仏があって、これがそうですね。

  • 見ると確かに切られた首をくっつけたような跡があります。

    見ると確かに切られた首をくっつけたような跡があります。

  • 裏山の墓地には奇兵隊士の墓もあるというのですが、それなりに広いし、どれがどうなんだか自分で探すのは難しいのではないかと思います。私も途中で断念しました。

    裏山の墓地には奇兵隊士の墓もあるというのですが、それなりに広いし、どれがどうなんだか自分で探すのは難しいのではないかと思います。私も途中で断念しました。

  • 吉田の市街地に帰ってきました。通りの感じとか街並みは、どこか宿場町だったような匂いがしなくはないですね。

    吉田の市街地に帰ってきました。通りの感じとか街並みは、どこか宿場町だったような匂いがしなくはないですね。

  • こちらの長慶寺は三好長慶の子、 信之が廃寺を再興して建てた寺のよう。吉田は寺がいくつかありますが、市街地の中心部にあるのはここだけです。境内に説明版があって、奇兵隊の屯所や病院としても利用されたということでした。

    こちらの長慶寺は三好長慶の子、 信之が廃寺を再興して建てた寺のよう。吉田は寺がいくつかありますが、市街地の中心部にあるのはここだけです。境内に説明版があって、奇兵隊の屯所や病院としても利用されたということでした。

  • 市街の中には末富家。こんな案内もありました。奇兵隊は新しい時代の象徴。本来は長州藩の組織だったはずなんですが、草の根の支援を受けていたということでしょうか。身分を問わず隊士になれたわけで、現代のわれわれが想像する以上に、かなりの親近感もあったのではないかと思います。

    市街の中には末富家。こんな案内もありました。奇兵隊は新しい時代の象徴。本来は長州藩の組織だったはずなんですが、草の根の支援を受けていたということでしょうか。身分を問わず隊士になれたわけで、現代のわれわれが想像する以上に、かなりの親近感もあったのではないかと思います。

  • 最後に奇兵隊陣屋跡へ。だらだらと坂を上って行きました。

    最後に奇兵隊陣屋跡へ。だらだらと坂を上って行きました。

  • ここは、奇兵隊が、1867年から明治2年の解散まで本陣を置いたところ。

    ここは、奇兵隊が、1867年から明治2年の解散まで本陣を置いたところ。

  • 400人あまりの隊員が暮らしたようで、竹藪の中には当時使われた井戸なども残っていました。<br />以上で、旧吉田宿はおしまい。またバスで小月駅まで戻って、防府に向かいます。

    400人あまりの隊員が暮らしたようで、竹藪の中には当時使われた井戸なども残っていました。
    以上で、旧吉田宿はおしまい。またバスで小月駅まで戻って、防府に向かいます。

  • 今日の最終目的地である防府に到着です。<br />防府は「花燃ゆ」の大河ドラマ館が開設されたりして、防府駅内の観光案内所も活気づいていました。一方で、防府駅からすぐのルルサス防府には、うめてらすという観光案内所もあるし、防府天満宮の門前にもある。防府市はかなり手厚い体制を組んでいると思います。

    今日の最終目的地である防府に到着です。
    防府は「花燃ゆ」の大河ドラマ館が開設されたりして、防府駅内の観光案内所も活気づいていました。一方で、防府駅からすぐのルルサス防府には、うめてらすという観光案内所もあるし、防府天満宮の門前にもある。防府市はかなり手厚い体制を組んでいると思います。

  • アスピラートは、防府駅を出てすぐにある防府市の公共施設。これを抜けると、商業施設ルルサス防府だし、その先が銀座商店街。この施設を通る人の流れができています。

    アスピラートは、防府駅を出てすぐにある防府市の公共施設。これを抜けると、商業施設ルルサス防府だし、その先が銀座商店街。この施設を通る人の流れができています。

  • 一階のホールは何かのイベントで混雑していましたが、私は、俳人種田山頭火の部屋を見学します。<br />それにしても、山頭火って、防府市の出身だったんですね。山頭火の部屋では、山頭火の足跡や作品を展示・紹介されていまして。全国津々浦々を巡ったような印象だったのですが、思ったほどでもないような。感動を見つけに彷徨ったとしても、あちこち行くこと自体が目的ではなかったということですね。確かに、それはそうでしょう

    一階のホールは何かのイベントで混雑していましたが、私は、俳人種田山頭火の部屋を見学します。
    それにしても、山頭火って、防府市の出身だったんですね。山頭火の部屋では、山頭火の足跡や作品を展示・紹介されていまして。全国津々浦々を巡ったような印象だったのですが、思ったほどでもないような。感動を見つけに彷徨ったとしても、あちこち行くこと自体が目的ではなかったということですね。確かに、それはそうでしょう

  • うめてらすは、防府市内に二か所あって、こちらはルルサス防府の中にある店。レンタサイクルを利用しました。ただ、時間は午後4時半まで。ルルサス防府の営業時間が5時までなので、こんなに早い時間で終わるんだそう。防府天満宮前のうめてらすは、もう30分遅くまでやっているということでしたが、どっちにしてももうちょっとならないかなあという感じです。

    うめてらすは、防府市内に二か所あって、こちらはルルサス防府の中にある店。レンタサイクルを利用しました。ただ、時間は午後4時半まで。ルルサス防府の営業時間が5時までなので、こんなに早い時間で終わるんだそう。防府天満宮前のうめてらすは、もう30分遅くまでやっているということでしたが、どっちにしてももうちょっとならないかなあという感じです。

  • この自転車で回ります。

    この自転車で回ります。

  • これは、ルルサス 防府のステージ広場。スペースが十分あるので、市をあげたいろんなイベントにも積極的に使われているような感じ。屋外の回廊は日陰もあるし、ゴールデンウイークのイベントは大勢の人で賑わっていました。

    これは、ルルサス 防府のステージ広場。スペースが十分あるので、市をあげたいろんなイベントにも積極的に使われているような感じ。屋外の回廊は日陰もあるし、ゴールデンウイークのイベントは大勢の人で賑わっていました。

  • ただ、時間もないので、先を急ぎます。<br />防府駅から防府天満宮に向かうには、この天神町銀座商店街を抜けて行くのが一番いいはず。地方都市の商店街はどこもさびれていく一方なのですが、ここはけっこう活気がありますね。

    ただ、時間もないので、先を急ぎます。
    防府駅から防府天満宮に向かうには、この天神町銀座商店街を抜けて行くのが一番いいはず。地方都市の商店街はどこもさびれていく一方なのですが、ここはけっこう活気がありますね。

  • この日は、G級グルメin防府のイベントが行われていて、大勢の人が繰り出していました。<br />ちなみに、G級グルメin防府は、4/25(土)26(日)の二日間のイベント。

    イチオシ

    この日は、G級グルメin防府のイベントが行われていて、大勢の人が繰り出していました。
    ちなみに、G級グルメin防府は、4/25(土)26(日)の二日間のイベント。

  • 銀座商店街を会場にして、20以上の出店でごった返していました。

    銀座商店街を会場にして、20以上の出店でごった返していました。

  • 私は商店街のテーブルに席を取って蓬莱あさり汁をいただきましたが、ちょっとしたお祭り気分。

    私は商店街のテーブルに席を取って蓬莱あさり汁をいただきましたが、ちょっとしたお祭り気分。

  • 取りあえず、これで昼の代わりにします。

    取りあえず、これで昼の代わりにします。

  • ほうふ昭和館は、銀座商店街の中ほど。地方の街で昭和レトロをテーマにした施設は時々見かけます。入ると、薬屋さんや駄菓子屋さんに一般家庭の茶の間を再現したものまで。限られた空間にぎっしりと昭和が詰め込まれているといった感じ。

    ほうふ昭和館は、銀座商店街の中ほど。地方の街で昭和レトロをテーマにした施設は時々見かけます。入ると、薬屋さんや駄菓子屋さんに一般家庭の茶の間を再現したものまで。限られた空間にぎっしりと昭和が詰め込まれているといった感じ。

  • 有料なのですが、若い人たちがけっこう入っていて、若い人たちにとっても昭和は捨てたものではないようです。 ちょっとうれしく思いました。

    有料なのですが、若い人たちがけっこう入っていて、若い人たちにとっても昭和は捨てたものではないようです。 ちょっとうれしく思いました。

  • らんかん橋は、防府駅から防府天満宮に向かう途中。赤い欄干の橋です。正確に言えば、かつての塩田に架かる枡築らんかん橋のことではないのですが、参道の途中でけっこう目立つし、周囲がちょっとした公園のように整備されているので、まあ街歩きの目印にはなっていると思います。

    らんかん橋は、防府駅から防府天満宮に向かう途中。赤い欄干の橋です。正確に言えば、かつての塩田に架かる枡築らんかん橋のことではないのですが、参道の途中でけっこう目立つし、周囲がちょっとした公園のように整備されているので、まあ街歩きの目印にはなっていると思います。

  • その先が防府天満宮。<br />防府って、どんな街なのかと思ったら、この防府天満宮を中心にして賑わってきた街でもあるんですね。<br />防府天満宮は、道真が亡くなった翌年に創建されたので、日本最初に創建された天神様。京都の北野天満宮、福岡の太宰府天満宮と並んで、日本三大天神とされているようです。防府駅から街の中心を突っ切って、その奥にある天満宮に参道が続いていて、この配置だけを考えても街の中心であることがよく分かると思います。<br />

    イチオシ

    その先が防府天満宮。
    防府って、どんな街なのかと思ったら、この防府天満宮を中心にして賑わってきた街でもあるんですね。
    防府天満宮は、道真が亡くなった翌年に創建されたので、日本最初に創建された天神様。京都の北野天満宮、福岡の太宰府天満宮と並んで、日本三大天神とされているようです。防府駅から街の中心を突っ切って、その奥にある天満宮に参道が続いていて、この配置だけを考えても街の中心であることがよく分かると思います。

  • 防府天満宮の参道左手にあるのは、うめてらす。お土産物ショップと休憩所を兼ねた施設ですね。休憩スペースの方はそれなりにあるので、買い物の用のない人も気軽に立ち寄ればいいと思います。施設もまだ新しい感じで気持ちいいです。

    防府天満宮の参道左手にあるのは、うめてらす。お土産物ショップと休憩所を兼ねた施設ですね。休憩スペースの方はそれなりにあるので、買い物の用のない人も気軽に立ち寄ればいいと思います。施設もまだ新しい感じで気持ちいいです。

  • うめてらすの並びにあるのは天神餅。

    うめてらすの並びにあるのは天神餅。

  • 見た感じなんかは、餡子入りの焼餅ですから、大宰府の梅が枝餅とほとんど同じかなあ。ラップに包んであって、ほかほか湯気で蒸されているところが余計うまそうです。お参りの前に、食べると落ち着きます。

    見た感じなんかは、餡子入りの焼餅ですから、大宰府の梅が枝餅とほとんど同じかなあ。ラップに包んであって、ほかほか湯気で蒸されているところが余計うまそうです。お参りの前に、食べると落ち着きます。

  • 防府天満宮の大石段が花で飾られて、よく見ると「幸せます」の花文字になってました。「幸せます」っていうのは、日本語の使い方としてはちょっと違和感もないことはないのですが、まあ、言葉に込めた思いのようなものは伝わってきます。幸せさん、こんぴらさんというのもありますけど、長く続けることが大事だと思います。<br />

    防府天満宮の大石段が花で飾られて、よく見ると「幸せます」の花文字になってました。「幸せます」っていうのは、日本語の使い方としてはちょっと違和感もないことはないのですが、まあ、言葉に込めた思いのようなものは伝わってきます。幸せさん、こんぴらさんというのもありますけど、長く続けることが大事だと思います。

  • 道真の亡くなった年に合わせた57段の石段を上がった先にあるのがこの桜門。端正な姿は気品もあるし、とても美しいですね。これなら大宰府や北野天満宮と並ぶ位置づけに恥ずかしくない構えだと思います。

    道真の亡くなった年に合わせた57段の石段を上がった先にあるのがこの桜門。端正な姿は気品もあるし、とても美しいですね。これなら大宰府や北野天満宮と並ぶ位置づけに恥ずかしくない構えだと思います。

  • 佐波神社は、周防天満宮から国分寺に向かう途中。小高い山の上にある神社です。<br />明治の後期にいくつかの神社が統合されて佐波神社となったようですが、そのうちの一つ金切神社は周防國総社。

    佐波神社は、周防天満宮から国分寺に向かう途中。小高い山の上にある神社です。
    明治の後期にいくつかの神社が統合されて佐波神社となったようですが、そのうちの一つ金切神社は周防國総社。

  • 仲哀天皇が熊襲親征のため筑紫へ向かう途中、ここに立ち寄ったのが起源だという古い歴史を持っています。<br />

    仲哀天皇が熊襲親征のため筑紫へ向かう途中、ここに立ち寄ったのが起源だという古い歴史を持っています。

  • 次に訪ねたのは周防国分寺。入口の楠木でしょうか。大きく枝を張った木の緑がめちゃめちゃきれいですね。

    イチオシ

    次に訪ねたのは周防国分寺。入口の楠木でしょうか。大きく枝を張った木の緑がめちゃめちゃきれいですね。

  • この国分寺も、聖武天皇の勅願で全国に建てられた国分寺の一つなんですが、創建当時の境内に今も伽藍を残しているという珍しい例。

    この国分寺も、聖武天皇の勅願で全国に建てられた国分寺の一つなんですが、創建当時の境内に今も伽藍を残しているという珍しい例。

  • 現在の金堂は、安永8年(1779年)に毛利重就によって再建された国の重要文化財です。

    現在の金堂は、安永8年(1779年)に毛利重就によって再建された国の重要文化財です。

  • 内部の拝観ができまして、藤原時代初期の木造薬師如来坐像、木造日光菩薩・月光菩薩立像、木造阿弥陀如来坐像、木造四天王立像などが立ち並んださまはまさに壮観。仏像がいいのは高山の国分寺もありますけど、こんな国分寺はたぶん全国でもここだけ。びっくり仰天の国分寺だと思います。<br />私は、防府天満宮と国分寺で、すっかり舞い上がってしまいました。防府、いいですねえ。

    内部の拝観ができまして、藤原時代初期の木造薬師如来坐像、木造日光菩薩・月光菩薩立像、木造阿弥陀如来坐像、木造四天王立像などが立ち並んださまはまさに壮観。仏像がいいのは高山の国分寺もありますけど、こんな国分寺はたぶん全国でもここだけ。びっくり仰天の国分寺だと思います。
    私は、防府天満宮と国分寺で、すっかり舞い上がってしまいました。防府、いいですねえ。

  • そして、今度は、毛利氏庭園。ここは、明治維新後に公爵となっていた旧長州藩主、毛利元昭が建てた邸宅と庭園です。進入路を進んで、

    そして、今度は、毛利氏庭園。ここは、明治維新後に公爵となっていた旧長州藩主、毛利元昭が建てた邸宅と庭園です。進入路を進んで、

  • 大きな門。<br />ここに自転車を停めて、ここからは歩きです。

    大きな門。
    ここに自転車を停めて、ここからは歩きです。

  • さらに進入路が続いて、

    イチオシ

    さらに進入路が続いて、

  • やっと邸宅前に到着。

    イチオシ

    やっと邸宅前に到着。

  • まずは、こちらの庭の方に回りましょう。

    まずは、こちらの庭の方に回りましょう。

  • ほー、これは予想以上に開けた場所のようですね。

    ほー、これは予想以上に開けた場所のようですね。

  • 邸宅もかなりの規模でしょうが、庭園が大きいのでその大きさを感じさせません。

    邸宅もかなりの規模でしょうが、庭園が大きいのでその大きさを感じさせません。

  • 植え込みの中を進んで、

    植え込みの中を進んで、

  • だんだん視界が開けてきます。

    イチオシ

    だんだん視界が開けてきます。

  • 一旦、渓谷のような地形があって、

    一旦、渓谷のような地形があって、

  • その先には広々とした溜池です。

    その先には広々とした溜池です。

  • 渓谷にかかる橋を渡って、そこから池を回るのが順路のようですね。

    渓谷にかかる橋を渡って、そこから池を回るのが順路のようですね。

  • なるほど。

    なるほど。

  • なるほど。

    なるほど。

  • 対岸からは、背後の山懐に抱かれた庭園と邸宅の全景が見渡せます。素晴らしいですね。<br /><br />ところで、長州は伊藤博文をはじめとして、実務能力の高い人物を輩出した土地柄。これまで、萩や山口市、下関を見ても、ややそういった感じがしていなくはなくて、大内氏の時代は別として、毛利氏は文化的なことにはちょっと疎いのではないかというイメージを持っていましたが、この庭園を見て、ガラリと印象が変わりました。やるじゃないですかあ。ひょうたん池を配する庭園全体は、竜安寺の鏡容池や修学院離宮を彷彿とさせる雄大さと豪快さを併せ持っていて、建物や背景の山並みとのバランスも決して崩れていない。誰の作ということは言われていないようですが、これは傑作です。

    イチオシ

    対岸からは、背後の山懐に抱かれた庭園と邸宅の全景が見渡せます。素晴らしいですね。

    ところで、長州は伊藤博文をはじめとして、実務能力の高い人物を輩出した土地柄。これまで、萩や山口市、下関を見ても、ややそういった感じがしていなくはなくて、大内氏の時代は別として、毛利氏は文化的なことにはちょっと疎いのではないかというイメージを持っていましたが、この庭園を見て、ガラリと印象が変わりました。やるじゃないですかあ。ひょうたん池を配する庭園全体は、竜安寺の鏡容池や修学院離宮を彷彿とさせる雄大さと豪快さを併せ持っていて、建物や背景の山並みとのバランスも決して崩れていない。誰の作ということは言われていないようですが、これは傑作です。

  • いや、いいものを見せてもらいました。

    いや、いいものを見せてもらいました。

  • 防府天満宮からテンションあがりっぱなしですね。

    防府天満宮からテンションあがりっぱなしですね。

  • では、毛利博物館の方へ。<br />

    では、毛利博物館の方へ。

  • 建物は、大正5年に建てられたもの。

    イチオシ

    建物は、大正5年に建てられたもの。

  • 悠々とした内部のスペースをぜいたくに使って、

    悠々とした内部のスペースをぜいたくに使って、

  • この奥が博物館となっています。

    この奥が博物館となっています。

  • 毛利元就ゆかりの品から始まって、幕末の志士たちの遺品まで。尊王や攘夷に向かって、藩主以下がむしろ率先してひた走るという藩はほかには見られなかったもの。それを思って展示品を見ていると、ちょっとひりひりするような気持ちになりました。

    毛利元就ゆかりの品から始まって、幕末の志士たちの遺品まで。尊王や攘夷に向かって、藩主以下がむしろ率先してひた走るという藩はほかには見られなかったもの。それを思って展示品を見ていると、ちょっとひりひりするような気持ちになりました。

  • 源平の争乱で焼失した東大寺の復興には、周防国の税収が当てられるという関係があったようですが、その再建に力を尽くした重源が防府を奈良に見立て造らせたという仏像が、多々良大仏です。

    源平の争乱で焼失した東大寺の復興には、周防国の税収が当てられるという関係があったようですが、その再建に力を尽くした重源が防府を奈良に見立て造らせたという仏像が、多々良大仏です。

  • しかし、地方の職人に作らせたので、出来はあまり良くない。お堂に鎮座していますが、けっこうボロボロ。ただ、それも歴史ということかもしれません。

    しかし、地方の職人に作らせたので、出来はあまり良くない。お堂に鎮座していますが、けっこうボロボロ。ただ、それも歴史ということかもしれません。

  • 続いての周防国衙跡は、律令制度の時代に行政関連施設があった場所。

    続いての周防国衙跡は、律令制度の時代に行政関連施設があった場所。

  • 防府平野のほぼ中央にあたるということですが、防府市の市街にあって、かなりの広大な平地として残っていました。周防の国府は、平安末期に東大寺造営料国となったこともあって、他国と違って良好に維持されたという背景もあったようです。<br />

    防府平野のほぼ中央にあたるということですが、防府市の市街にあって、かなりの広大な平地として残っていました。周防の国府は、平安末期に東大寺造営料国となったこともあって、他国と違って良好に維持されたという背景もあったようです。

  • 馬神様は、周防国衛跡から少し西に行った場所。川端に建つ小さな神社です。<br />祭神は、少名彦名命。国造・万物造成、増産、生殖子孫 繁栄の神様であり、男性が強くなるのだとか。パワースポットとして、見直されているようです。

    馬神様は、周防国衛跡から少し西に行った場所。川端に建つ小さな神社です。
    祭神は、少名彦名命。国造・万物造成、増産、生殖子孫 繁栄の神様であり、男性が強くなるのだとか。パワースポットとして、見直されているようです。

  • 宮市本陣兄部家は、防府天満宮まで戻って。<br />道路脇に、説明板と門がありましたが、内部は工事中のようにちょっと荒れた感じです。<br />こちらは、萩往還の関連遺跡。兄部家は江戸時代初めに防府宿の本陣に定められ、明治維新まで本陣を勤めていたということです。

    宮市本陣兄部家は、防府天満宮まで戻って。
    道路脇に、説明板と門がありましたが、内部は工事中のようにちょっと荒れた感じです。
    こちらは、萩往還の関連遺跡。兄部家は江戸時代初めに防府宿の本陣に定められ、明治維新まで本陣を勤めていたということです。

  • 山頭火の小径は、防府天満宮前から西に向かう裏通り。<br />種田山頭火は、防府の生んだ漂白の自由律俳人ですが、この道は、彼が生家から小学校まで通った道です。細くて曲がり角もある路地には山頭火の句もあったりして、ちょっと雰囲気がある小径です。

    山頭火の小径は、防府天満宮前から西に向かう裏通り。
    種田山頭火は、防府の生んだ漂白の自由律俳人ですが、この道は、彼が生家から小学校まで通った道です。細くて曲がり角もある路地には山頭火の句もあったりして、ちょっと雰囲気がある小径です。

  • 防府天満宮前から山頭火の小径を1キロほど行って、これが種田山頭火生家跡。生家跡と言っても、しっかりした休憩所のような建物が建っているだけで、人が住んでいたような面影はありません。山頭火は、明治15年、大地主の子として生まれたということですが、これではかなり想像力を働かせる必要があるでしょう。

    防府天満宮前から山頭火の小径を1キロほど行って、これが種田山頭火生家跡。生家跡と言っても、しっかりした休憩所のような建物が建っているだけで、人が住んでいたような面影はありません。山頭火は、明治15年、大地主の子として生まれたということですが、これではかなり想像力を働かせる必要があるでしょう。

  • ここから防府天満宮に戻る途中。<br /><br />数井製菓は、外郎の専門店。作業をする工場の横に、ちょこっと売り場が付いているといった感じです。今出来ましたといった外郎をそのままお土産に包んでもらいました。<br />

    ここから防府天満宮に戻る途中。

    数井製菓は、外郎の専門店。作業をする工場の横に、ちょこっと売り場が付いているといった感じです。今出来ましたといった外郎をそのままお土産に包んでもらいました。

  • 経木に包んだだけの包装で、これがけっこう家族には受けが良くて、外郎の新鮮な味わいも楽しめました。ちょっと人通りからは外れているんですが、これは防府ではお勧めのお店だと思います。

    経木に包んだだけの包装で、これがけっこう家族には受けが良くて、外郎の新鮮な味わいも楽しめました。ちょっと人通りからは外れているんですが、これは防府ではお勧めのお店だと思います。

  • たなか遊花堂は、少し脇道に入った場所なんですが、看板があったので寄ってみました。

    たなか遊花堂は、少し脇道に入った場所なんですが、看板があったので寄ってみました。

  • いかにも地元の和菓子屋さんという感じの小さなお店なんですが、お店に並んだお饅頭は色艶が良くて見た目がとてもきれいです。破れ饅頭をいただきましたが、落ち着いた甘さが老舗の味わいのように感じられました。

    いかにも地元の和菓子屋さんという感じの小さなお店なんですが、お店に並んだお饅頭は色艶が良くて見た目がとてもきれいです。破れ饅頭をいただきましたが、落ち着いた甘さが老舗の味わいのように感じられました。

  • 定念寺は、防府天満宮の並びにある、ちょっと立派な構えのお寺。<br />この辺りは、宮市宿本陣を務めた兄部家、脇本陣を務めた中村家もあった萩往還の中心部だったエリア。定念寺の門前には遊行上人ゆかりの宮市観音も立っていて、往時の賑わいを感じさせてくれます。<br />

    定念寺は、防府天満宮の並びにある、ちょっと立派な構えのお寺。
    この辺りは、宮市宿本陣を務めた兄部家、脇本陣を務めた中村家もあった萩往還の中心部だったエリア。定念寺の門前には遊行上人ゆかりの宮市観音も立っていて、往時の賑わいを感じさせてくれます。

  • 天満屋は、もう防府天満宮前に戻ったところ。大きなビルでとても目立ちます。酒垂岩(さかたりやま)おこしの看板が大きくあって、それをお土産に買いました。このおこしは、菅原道真が酒垂山の酒垂岩に腰をかけて食べた「オコシゴメ」が由来だとか。ただ、味は特に変わったものではありません。<br />さて、ここからうめてらすまで戻って、なんとか時間内に自転車を返しました。<br />

    天満屋は、もう防府天満宮前に戻ったところ。大きなビルでとても目立ちます。酒垂岩(さかたりやま)おこしの看板が大きくあって、それをお土産に買いました。このおこしは、菅原道真が酒垂山の酒垂岩に腰をかけて食べた「オコシゴメ」が由来だとか。ただ、味は特に変わったものではありません。
    さて、ここからうめてらすまで戻って、なんとか時間内に自転車を返しました。

  • ここで時間に余裕ができたので、晩飯を食べます。<br />防府は実は海が近くて、せっかくならこういうところで瀬戸内の魚を食べたいと思って探したのが、この和加栄です。カウンターに座って、定食を注文。出てきたお造りはちょっと乾いていて、これは注文を受けて作ったものではないと一目で分かりましたが、そこは心に抑えていただきます。いや、味的には全く問題なし。逆に、それがちゃんと分かって出しているところに老舗の自信が隠れているような気さえしてしまいました。また、厨房には何人か若い板前さんがいるような大きなお店ですが、大将がきさくなのも人気店の理由かと思います。 <br />昼を抜きみたいな感じだったので、これでやっと落ち着きました。日暮れまでまだ時間があるし、駅の南のエリアをもうひとふんばり回ってみます。

    ここで時間に余裕ができたので、晩飯を食べます。
    防府は実は海が近くて、せっかくならこういうところで瀬戸内の魚を食べたいと思って探したのが、この和加栄です。カウンターに座って、定食を注文。出てきたお造りはちょっと乾いていて、これは注文を受けて作ったものではないと一目で分かりましたが、そこは心に抑えていただきます。いや、味的には全く問題なし。逆に、それがちゃんと分かって出しているところに老舗の自信が隠れているような気さえしてしまいました。また、厨房には何人か若い板前さんがいるような大きなお店ですが、大将がきさくなのも人気店の理由かと思います。
    昼を抜きみたいな感じだったので、これでやっと落ち着きました。日暮れまでまだ時間があるし、駅の南のエリアをもうひとふんばり回ってみます。

  • 車塚古墳は、6世紀半ば頃に造られたと思われる前方後円墳。神社の裏山のような感じでありました。傍らに立派な説明板があって、古墳の開いた入口も見えて入るんですが、ただ、周囲はフェンスに覆われていて、近づくことはできません。

    車塚古墳は、6世紀半ば頃に造られたと思われる前方後円墳。神社の裏山のような感じでありました。傍らに立派な説明板があって、古墳の開いた入口も見えて入るんですが、ただ、周囲はフェンスに覆われていて、近づくことはできません。

  • 鋳物師大師塚というのは、鋳物師会館裏にある小さな古墳。県内でも有数の大型石室というのですが、その石室の奥には弘法大師像。ちゃんと入口があって、規模はそうでもないですが、石室に入ってみることができます。墓地の中だし、そんなにたいしたことはないだろうと思ったら、そうでもなくて、これは意外に見応えがありました。

    鋳物師大師塚というのは、鋳物師会館裏にある小さな古墳。県内でも有数の大型石室というのですが、その石室の奥には弘法大師像。ちゃんと入口があって、規模はそうでもないですが、石室に入ってみることができます。墓地の中だし、そんなにたいしたことはないだろうと思ったら、そうでもなくて、これは意外に見応えがありました。

  • 三田尻御舟倉跡は、毛利水軍の本拠地であった場所。毛利水軍と言えば、石山本願寺を守るために信長に囲まれた本願寺に救援の物資を運びこんだり、大活躍したことなどの強烈なイメージがあります。当初は下松にあったようですが、関ヶ原の戦い後、ここに移したようです。ちょっとしたお堀のような池ですが、歴史はそれなりに重いのではないかと思います。

    三田尻御舟倉跡は、毛利水軍の本拠地であった場所。毛利水軍と言えば、石山本願寺を守るために信長に囲まれた本願寺に救援の物資を運びこんだり、大活躍したことなどの強烈なイメージがあります。当初は下松にあったようですが、関ヶ原の戦い後、ここに移したようです。ちょっとしたお堀のような池ですが、歴史はそれなりに重いのではないかと思います。

  • 住吉神社の石造燈台は、三田尻地区。住宅地のような中に、これだけがどうかすると場違いな感じで立っていました。ただ、かつては長州藩の水軍の本拠地であった御舟倉へ続く入川の河口。海上交通の安全を祈願したもので、萩往還関連遺跡の一つです。

    住吉神社の石造燈台は、三田尻地区。住宅地のような中に、これだけがどうかすると場違いな感じで立っていました。ただ、かつては長州藩の水軍の本拠地であった御舟倉へ続く入川の河口。海上交通の安全を祈願したもので、萩往還関連遺跡の一つです。

  • 三田尻御茶屋は、英雲荘と名付けられた長州藩の公館。江戸時代の初めに、2代藩主毛利綱広によって、萩城から続く萩往還の終点であり、瀬戸内海側における長州藩の玄関口であった三田尻に設置されました。<br />また、幕末には三条実美ら長州へ逃れてきた七卿は、ここで約2ヶ月滞在。毛利敬親や高杉晋作らと面会した場所としても知られます。内部の拝観は4時半までで間に合わなかったのですが、塀越しに内部の庭や建物が見れまして、もったいのある屋敷であることは確かに感じられました。

    三田尻御茶屋は、英雲荘と名付けられた長州藩の公館。江戸時代の初めに、2代藩主毛利綱広によって、萩城から続く萩往還の終点であり、瀬戸内海側における長州藩の玄関口であった三田尻に設置されました。
    また、幕末には三条実美ら長州へ逃れてきた七卿は、ここで約2ヶ月滞在。毛利敬親や高杉晋作らと面会した場所としても知られます。内部の拝観は4時半までで間に合わなかったのですが、塀越しに内部の庭や建物が見れまして、もったいのある屋敷であることは確かに感じられました。

  • 老松神社は、英雲荘から回りました。防府は、周防国の国府があった場所なので、古い歴史を持つ神社がポツポツあって、ここも652年の創建と伝えられ、時代は飛鳥時代に当たります。境内には県指定記念物の巨大なクスノキも。歴史ある神社らしい清々しい雰囲気がありました。

    老松神社は、英雲荘から回りました。防府は、周防国の国府があった場所なので、古い歴史を持つ神社がポツポツあって、ここも652年の創建と伝えられ、時代は飛鳥時代に当たります。境内には県指定記念物の巨大なクスノキも。歴史ある神社らしい清々しい雰囲気がありました。

  • 野村望東尼終焉の地の方は、それを示す石柱がひっそりと建っているだけ。近くには、墓があったのですが、そちらは少し距離があって、今回は断念しました。<br />ちなみに、野村望東尼は、福岡県黒田藩の出身。幕末において、高杉晋作を一時かくまったり、薩長連合の討幕軍の戦勝祈願を防府天満宮で行ったりと、勤王の志士との関係が深い人物ということです。<br />

    野村望東尼終焉の地の方は、それを示す石柱がひっそりと建っているだけ。近くには、墓があったのですが、そちらは少し距離があって、今回は断念しました。
    ちなみに、野村望東尼は、福岡県黒田藩の出身。幕末において、高杉晋作を一時かくまったり、薩長連合の討幕軍の戦勝祈願を防府天満宮で行ったりと、勤王の志士との関係が深い人物ということです。

  • 大楽寺は、防府の中心部からは外れですが、「花燃ゆ」文の墓と夏目雅子の墓があると聞いて訪ねてみました。

    大楽寺は、防府の中心部からは外れですが、「花燃ゆ」文の墓と夏目雅子の墓があると聞いて訪ねてみました。

  • 本堂脇の墓地には「西山家之墓」という墓があって、これが夏目雅子の墓。

    本堂脇の墓地には「西山家之墓」という墓があって、これが夏目雅子の墓。

  • 文の墓は、少し離れた飛び地にあって、久坂玄瑞夫を亡くした後に再婚した男爵、楫取素彦と並んでありました。

    文の墓は、少し離れた飛び地にあって、久坂玄瑞夫を亡くした後に再婚した男爵、楫取素彦と並んでありました。

  • 桑山公園は、大楽寺の方から回りました。だらだらと長い坂を上るにしたがって、夕暮れ時の防府の街が眼下に見えてきて、それはそれでよかったのですが、公園全体は山を一つまるまる使ったけっこう大規模なもの。頂上の桜の植わった広場くらいは確認できましたが、後は奥が深くてとても無理。ちょこっと見るという公園ではありません。

    桑山公園は、大楽寺の方から回りました。だらだらと長い坂を上るにしたがって、夕暮れ時の防府の街が眼下に見えてきて、それはそれでよかったのですが、公園全体は山を一つまるまる使ったけっこう大規模なもの。頂上の桜の植わった広場くらいは確認できましたが、後は奥が深くてとても無理。ちょこっと見るという公園ではありません。

  • ふたばやは、防府駅まで戻ったところ。駅からは近くなんですが、表口と反対方向なので観光客には縁遠い場所かもしれません。<br />しかし、大きな店構えの立派なビルだったので寄ってみました。ここはパンと洋菓子のお店。

    ふたばやは、防府駅まで戻ったところ。駅からは近くなんですが、表口と反対方向なので観光客には縁遠い場所かもしれません。
    しかし、大きな店構えの立派なビルだったので寄ってみました。ここはパンと洋菓子のお店。

  • 列車の中で食べようと目についたクリームパンを買いました。すると、このクリームパンのクリームがとってもうまい。パンなのにシュークリームみたいなおいしさ。これは見ただけでは気が付かないですが、地元でこれに気付いている人はどれくらいいるんでしょうか。隠れた名物と言ってもいいかと思います。 <br /><br />さて、これで二日間の旅はおしまい。ここから広島に向かいます。お疲れ様でした。

    列車の中で食べようと目についたクリームパンを買いました。すると、このクリームパンのクリームがとってもうまい。パンなのにシュークリームみたいなおいしさ。これは見ただけでは気が付かないですが、地元でこれに気付いている人はどれくらいいるんでしょうか。隠れた名物と言ってもいいかと思います。

    さて、これで二日間の旅はおしまい。ここから広島に向かいます。お疲れ様でした。

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