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JR飯田線新城駅から徒歩約10分にある新城小学校の運動場がかつての新城城(しんしろじょう、愛知県新城市西入船)の本丸で長篠の戦いで軍功あった奥平信昌(おくだいら・のぶまさ、1555~1615)によって天正4年(1576)9月築かれ、信昌は長篠城からこの新城城に移り住み、同年12月に家康長女亀姫を正室に迎えます。<br /><br />新城小学校の運動場から豊川に接する土塁はかつては二の丸櫓跡と言われ、そこには「新城城址」と刻された石碑と共に説明板置かれ、次のように記載されています。<br /><br />《史跡》新城城跡<br /><br />「新城城は、長篠の戦で戦功のあった奥平信昌によって天正4年(1576)に建てられまた。この城は、「しんしろ」という市名の由来になったとされる城跡です。ここが「新城城(しんしろじょう)」と名付けられたのは、長篠城に対しての新城(しんじょう)であったが、すでに天文元年(1532)に菅沼定継が石田の崖上(幽玄川河口)に築いた城が「新城(しんじょう)」と呼ばれており、それと区別するために「新城城」となったとも言われています。<br /><br />この城の中心地(本丸)は、堀と土塁(土を盛って造られた防御のための施設)で囲まれていた部分、現在の新城小学校の運動場一帯があたります。現在、その堀と土塁の一部が残っています。<br /><br />初代城主であった奥平信昌は、天正18年(1590)に徳川家康が関東に移り住むようになると、あわせて上野国宮崎(現 群馬県富岡市)に移住しました。その後、何人かの城主の交代を経て、正保2年(1645)に新城城は廃城となりました。しかし、慶安元年(1648)に旗本の菅沼定実(野田城主の菅沼定盈が祖父にあたり、桜渕公園に桜の木を植え始めた人物)が陣屋(屋敷)をこの地に構えて以来、明治2年(1869)の廃藩置県までこの地を生活の場としていました。」   新城市教育委員会<br /><br /><br />尚家康の関東入府に伴い奥平信昌の移封後は豊橋吉田城藩主である池田輝政(いけだ・てるまさ)が支配する地となり家臣の片桐氏を城代とし、慶長5年(1600)に輝政の姫路城主となったため暫く天領となり代官が支配、慶長11年(1606)水野分長(みずの・わけなが)が入封し二代続くも正保2年(1645)、元綱(もとつな)が安中城への移封により再度天領となりますが慶安元年(1648)丹波亀山から菅沼定実(すがぬま・さだざね、1629~1691)が交代寄合として陣屋を置きます。

三河新城 東三河を歩く 長篠戦いでの活躍により加増され約束の家康長女を正室に迎えた奥平信昌の『新城城』訪問

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2015/03/30 - 2015/03/30

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滝山氏照

滝山氏照さん

JR飯田線新城駅から徒歩約10分にある新城小学校の運動場がかつての新城城(しんしろじょう、愛知県新城市西入船)の本丸で長篠の戦いで軍功あった奥平信昌(おくだいら・のぶまさ、1555~1615)によって天正4年(1576)9月築かれ、信昌は長篠城からこの新城城に移り住み、同年12月に家康長女亀姫を正室に迎えます。

新城小学校の運動場から豊川に接する土塁はかつては二の丸櫓跡と言われ、そこには「新城城址」と刻された石碑と共に説明板置かれ、次のように記載されています。

《史跡》新城城跡

「新城城は、長篠の戦で戦功のあった奥平信昌によって天正4年(1576)に建てられまた。この城は、「しんしろ」という市名の由来になったとされる城跡です。ここが「新城城(しんしろじょう)」と名付けられたのは、長篠城に対しての新城(しんじょう)であったが、すでに天文元年(1532)に菅沼定継が石田の崖上(幽玄川河口)に築いた城が「新城(しんじょう)」と呼ばれており、それと区別するために「新城城」となったとも言われています。

この城の中心地(本丸)は、堀と土塁(土を盛って造られた防御のための施設)で囲まれていた部分、現在の新城小学校の運動場一帯があたります。現在、その堀と土塁の一部が残っています。

初代城主であった奥平信昌は、天正18年(1590)に徳川家康が関東に移り住むようになると、あわせて上野国宮崎(現 群馬県富岡市)に移住しました。その後、何人かの城主の交代を経て、正保2年(1645)に新城城は廃城となりました。しかし、慶安元年(1648)に旗本の菅沼定実(野田城主の菅沼定盈が祖父にあたり、桜渕公園に桜の木を植え始めた人物)が陣屋(屋敷)をこの地に構えて以来、明治2年(1869)の廃藩置県までこの地を生活の場としていました。」   新城市教育委員会


尚家康の関東入府に伴い奥平信昌の移封後は豊橋吉田城藩主である池田輝政(いけだ・てるまさ)が支配する地となり家臣の片桐氏を城代とし、慶長5年(1600)に輝政の姫路城主となったため暫く天領となり代官が支配、慶長11年(1606)水野分長(みずの・わけなが)が入封し二代続くも正保2年(1645)、元綱(もとつな)が安中城への移封により再度天領となりますが慶安元年(1648)丹波亀山から菅沼定実(すがぬま・さだざね、1629~1691)が交代寄合として陣屋を置きます。

旅行の満足度
4.0
交通手段
JRローカル
  • JR新城(しんしろ)駅舎<br /><br />開業は明治31年(1898)で当時は豊川鉄道(豊橋~大海)という私鉄が運営、昭和18年(1943)に国有化され国鉄の駅となります。当駅の周辺は新城市の中心市街地にあたるため単線でありながら朝夕のラッシュ時は豊橋との起終駅となっています。

    JR新城(しんしろ)駅舎

    開業は明治31年(1898)で当時は豊川鉄道(豊橋~大海)という私鉄が運営、昭和18年(1943)に国有化され国鉄の駅となります。当駅の周辺は新城市の中心市街地にあたるため単線でありながら朝夕のラッシュ時は豊橋との起終駅となっています。

  • 大手門通り

    大手門通り

  • 「大手門通り」説明板<br /><br />天正4年(1576)に奥平信昌築城の新城城の大手門が江戸時代中期にこの地に移築され、昭和60年の道路整備にあたり市民の公募により「大手門通り」となったそうです。

    「大手門通り」説明板

    天正4年(1576)に奥平信昌築城の新城城の大手門が江戸時代中期にこの地に移築され、昭和60年の道路整備にあたり市民の公募により「大手門通り」となったそうです。

  • 新城小学校石門

    新城小学校石門

  • 新城小学校入口<br /><br />校門は城郭で言う「大手門」と思わせえるような校門で新城城を意識した造りとなっています。<br /><br />

    新城小学校入口

    校門は城郭で言う「大手門」と思わせえるような校門で新城城を意識した造りとなっています。

  • 新城小学校内部風景<br /><br />校門を含むこの棟は相当の年月が経過していると思われます。

    新城小学校内部風景

    校門を含むこの棟は相当の年月が経過していると思われます。

  • 新城小学校内部風景

    新城小学校内部風景

  • 新城小学校校門

    新城小学校校門

  • 新城城本丸跡<br /><br />構内には城跡を思わせるような姿が見えません。ここまで来たのでせめて学校を一周することにします。<br /><br />

    新城城本丸跡

    構内には城跡を思わせるような姿が見えません。ここまで来たのでせめて学校を一周することにします。

  • 空堀<br /><br />薮に覆われてその先が何であるか確認できない状況です。その先は恐らく豊川に出会うようです。

    空堀

    薮に覆われてその先が何であるか確認できない状況です。その先は恐らく豊川に出会うようです。

  • 空堀<br /><br />その先は急崖かも知れず安全を確保するため引き返します。

    空堀

    その先は急崖かも知れず安全を確保するため引き返します。

  • 新城城背後

    新城城背後

  • 新城城背後<br /><br />竹林の向こうは豊川に落ち込む「溺れ谷」と思われます。

    新城城背後

    竹林の向こうは豊川に落ち込む「溺れ谷」と思われます。

  • 新城城背後<br /><br />先にはなにやら土塁らしき姿が見えます。

    新城城背後

    先にはなにやら土塁らしき姿が見えます。

  • 二の丸土塁跡<br /><br />金網との間に小路がありやっと校庭に入ることができます。校庭のすぐ左には櫓台ほどの高さの土盛が見えます。

    二の丸土塁跡

    金網との間に小路がありやっと校庭に入ることができます。校庭のすぐ左には櫓台ほどの高さの土盛が見えます。

  • 二の丸土塁跡<br /><br />僅かですが新城城の遺跡を捉えることができます。櫓台跡とも思える高台には石碑と説明板らしきものが建っているのが見えます。

    二の丸土塁跡

    僅かですが新城城の遺跡を捉えることができます。櫓台跡とも思える高台には石碑と説明板らしきものが建っているのが見えます。

  • 新城城址石碑

    イチオシ

    新城城址石碑

  • 新城城説明板

    新城城説明板

  • 新城城本丸跡<br /><br />新城城石碑が建つ土塁から新城小学校の校庭を一望します。城郭の遺跡は全く残っていません。

    新城城本丸跡

    新城城石碑が建つ土塁から新城小学校の校庭を一望します。城郭の遺跡は全く残っていません。

  • 新城城土塁

    新城城土塁

  • 土塁<br /><br />土塁の先は小路となっているようですが綱が引かれて立入禁止となっています。

    土塁

    土塁の先は小路となっているようですが綱が引かれて立入禁止となっています。

  • 開校120周年記念碑<br /><br />「新城の地名発祥の地」として石碑が建てられています。

    開校120周年記念碑

    「新城の地名発祥の地」として石碑が建てられています。

  • 旧木造校舎<br /><br />木造の旧校舎が校庭の隅に保存されているようです。

    旧木造校舎

    木造の旧校舎が校庭の隅に保存されているようです。

  • 土塁<br /><br />比較的高い土塁を見上げます。

    土塁

    比較的高い土塁を見上げます。

  • 「新城城址整備について」説明板

    「新城城址整備について」説明板

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