2015/03/30 - 2015/03/30
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滝山氏照さん
大善寺(だいぜんじ、愛知県新城市西入船)は長篠の戦いで軍功あげ、信長より「信」の偏諱を賜った奥平信昌(おくだいら・のぶまさ、1555~1615)の正室となった家康の長女である亀姫(かめひめ、1560~1625)開基の浄土宗寺院です。
亀姫は永禄3年(1560)駿府で生まれ、当時の家康は人質として駿府に送り込まれ、当主である今川義元の傍で成長、元服して元信と名乗り義元の軍の武将の一人として義元の意向に従って戦いに臨んで戦功を認められます。
義元は後見人として元康を今川家に組み込む事で三河国支配を盤石堅固なものにすべく、今川一門で有力重臣の関口親永(せきぐち・ちかなが)の娘・瀬名姫(母親は義元の妹)を養女として弘治3年(1557)元信に嫁がせ、永禄2年(1559)に長男信康、同3年(1560)には亀姫が生まれます。
大善寺の山門近くに配置された説明板には次の内容が記されています。
「 大 善 寺 と 亀 姫
天正3年、長篠の戦いで大功のあった奥平貞昌は、織田信長から信の字を賜って信昌と改め、家康の長女亀姫をめとり、新城城を築き、入城しました。
亀姫は熱心な浄土宗の信者で、当地に大善寺を建立し、後年母築山御前の法要、長篠の戦いの戦死者の供養を行いました。
天正18年信昌は、上州(現在の群馬県)宮崎3万石、さらに岐阜加納10万石に移封され、亀姫は加納御前とよばれ、寛永2年死去されました。
亀姫の没後、四男松平忠明は母の供養のために五輪塔を大善寺に建立し、現在に至っております。
大善寺が江戸時代から葵の紋の使用を許されているのは、亀姫の開基によるからであります。 新城市観光協会 」
- 旅行の満足度
- 4.0
- 交通手段
- JRローカル
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宝乗山・大善寺正面
「浄土宗大善寺」と刻された石柱が認められ、その石柱の右には「大善寺と亀姫」と題された説明板が置かれています。 -
「大善寺と亀姫」説明板
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葵の御紋
当寺院は家康の長女である亀姫開基により徳川家の御紋の使用が許され、寺院の塀には「葵の御紋」が付されています。 -
大善寺山門
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葵の御紋
山門の一部にも徳川家の家紋が付されています。 -
参道
山門を潜り直線の参道を進み本堂に向かいます。 -
大善寺・本堂
正式には「宝乘山大善寺」と称する浄土宗の寺院です。 -
大善寺本堂の扁額
山号である「宝乘山」が掲載されています。 -
境内風景
本堂から境内及び山門を捉えます。 -
イチオシ
亀姫の五輪塔
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亀姫の五輪塔(近景)
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墓石群
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境内風景
本堂と渡り廊下で繋がる建物があります。 -
鐘楼堂
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境内風景
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