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壬生城の北東に位置する常楽寺(じょうらくじ、栃木県下都賀郡壬生町本丸)は宇都宮氏一族にあたる壬生氏初代の壬生胤業(みぶ・たねなり、1494~1506)によってそれまで密宗の梵宮を七堂伽藍に変えて創建され<br />ます。<br /><br />江戸時代になり幕府命によって阿部氏・三浦氏・大河内松平氏・加藤氏といった譜代大名が入れ替わるなか、近江国水口から3万石を以て入封した鳥居忠英(とりい・ただてる、1665~1716)の篤い庇護のもと鳥居家の菩提寺として明治維新を迎えるまで続きます。<br /><br /><br />境内に配置された常楽寺説明については次の通り記載されています。<br /><br />「壬生城主 壬生家鳥居家 菩提所<br /> 壬生の古刹 向陽山常楽寺<br /><br />当寺は、室町中期寛正3年(西暦1462年)壬生初代城主壬生築後守胤業公が寺領26石を寄進して創建した漕洞宗の寺院です。開山和尚は、道元禅師から数えて十世の法孫一州正伊禅師であり、壬生一門の氏寺として栄えました。1590年に壬生氏が絶えて後も、壬生氏の家臣や歴代の壬生城主に庇護され、1712年城主となった鳥居忠英(ただてる)公の帰依を受けて後は、鳥居家の菩提寺として篤く護持されてまいりました。<br /><br />現在の本堂は、1820年に火災に見舞われて後、1850年に再建されたもので、内部に欅材の多く使われた荘厳な伽藍です。 長い歴史のある寺院に相応しく、「鳥居忠英公」の肖像画や文書類の歴史的資料、壬生家時代の墓地や鳥居家墓地、壬生藩の蘭学医「斎藤玄昌」一門の墓地等の史跡、境内鎮守の三日月尊天と壬生の豪商寺加藤作太夫の逸話など、様々な事物が今に伝わっております。また、1738年、二十世光海本端和尚の時、教の陶工屋方乾山が来寺して作歌作陶致しました。これは京都壬生氏出身の具慶尼の庵を訪ねての事で、一ヶ月半程滞在致しました。<br />                                                                 壬生町観光協会 」

下野壬生 宇都宮氏一族の壬生氏が一門の氏寺として創建し江戸時代に近江水口より入封の鳥居氏が篤く庇護した菩提寺の『常楽寺』散歩

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2015/02/07 - 2015/02/07

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滝山氏照

滝山氏照さん

壬生城の北東に位置する常楽寺(じょうらくじ、栃木県下都賀郡壬生町本丸)は宇都宮氏一族にあたる壬生氏初代の壬生胤業(みぶ・たねなり、1494~1506)によってそれまで密宗の梵宮を七堂伽藍に変えて創建され
ます。

江戸時代になり幕府命によって阿部氏・三浦氏・大河内松平氏・加藤氏といった譜代大名が入れ替わるなか、近江国水口から3万石を以て入封した鳥居忠英(とりい・ただてる、1665~1716)の篤い庇護のもと鳥居家の菩提寺として明治維新を迎えるまで続きます。


境内に配置された常楽寺説明については次の通り記載されています。

「壬生城主 壬生家鳥居家 菩提所
 壬生の古刹 向陽山常楽寺

当寺は、室町中期寛正3年(西暦1462年)壬生初代城主壬生築後守胤業公が寺領26石を寄進して創建した漕洞宗の寺院です。開山和尚は、道元禅師から数えて十世の法孫一州正伊禅師であり、壬生一門の氏寺として栄えました。1590年に壬生氏が絶えて後も、壬生氏の家臣や歴代の壬生城主に庇護され、1712年城主となった鳥居忠英(ただてる)公の帰依を受けて後は、鳥居家の菩提寺として篤く護持されてまいりました。

現在の本堂は、1820年に火災に見舞われて後、1850年に再建されたもので、内部に欅材の多く使われた荘厳な伽藍です。 長い歴史のある寺院に相応しく、「鳥居忠英公」の肖像画や文書類の歴史的資料、壬生家時代の墓地や鳥居家墓地、壬生藩の蘭学医「斎藤玄昌」一門の墓地等の史跡、境内鎮守の三日月尊天と壬生の豪商寺加藤作太夫の逸話など、様々な事物が今に伝わっております。また、1738年、二十世光海本端和尚の時、教の陶工屋方乾山が来寺して作歌作陶致しました。これは京都壬生氏出身の具慶尼の庵を訪ねての事で、一ヶ月半程滞在致しました。
壬生町観光協会 」

旅行の満足度
3.5
交通手段
JRローカル 私鉄
  • 常楽寺・石門<br /><br />左右には「向陽山」「常楽寺」と刻された石門が立っています。

    常楽寺・石門

    左右には「向陽山」「常楽寺」と刻された石門が立っています。

  • 常楽寺・山門<br /><br />この寺の山門の前に白色の像が置かれています。

    常楽寺・山門

    この寺の山門の前に白色の像が置かれています。

  • 白象の縁起

    白象の縁起

  • 六地蔵

    六地蔵

  • 座禅石<br /><br />大樹の根元には座禅用の石が配置されています。

    座禅石

    大樹の根元には座禅用の石が配置されています。

  • 鐘楼堂

    鐘楼堂

  • 壬生家・鳥居家菩提寺説明板<br /><br />「 壬生城主 壬生家・鳥居家 墓所<br />      壬生の古刹 向陽山 常楽寺<br /><br />当寺は、室町中期寛正3年(西暦1462年)壬生初代城主壬生筑後守胤業公が、寺領26石を寄進して創建した曹洞宗の寺院です。開山和尚は、道元禅師から数えて十世の法孫一州正伊禅師であり、壬生氏一門の氏寺として栄えました。1590年に壬生氏が絶えた後も、壬生氏の家臣や歴代の壬生城主に庇護され、1712年に壬生城主となった鳥居忠英公の帰依を受けて後は、鳥居家の菩提寺として篤く護持されてまいりました。<br /><br />現在の本堂は、1820年に火災に見舞われて後、1850年に再建されたもので、内部に欅材の多く使われた荘厳な伽藍です。長い歴史のある寺院に相応しく、「鳥居忠英公」の肖像画や文書の歴史的資料、壬生家歴代の墓地や鳥居家墓地、壬生藩の蘭学医「斎藤玄昌」一門の墓地等の史跡、境内鎮守の三日月尊天と壬生の豪商加藤作太夫の逸話など、様々な事物が今に伝わっております。また、1738年、二十世光海本瑞和尚の時、京の陶工尾形乾山が来寺して作歌作陶しました。これは京都壬生氏出身の具慶尼の庵を訪ねての事で、一ヶ月半程滞在致しました。」

    壬生家・鳥居家菩提寺説明板

    「 壬生城主 壬生家・鳥居家 墓所
          壬生の古刹 向陽山 常楽寺

    当寺は、室町中期寛正3年(西暦1462年)壬生初代城主壬生筑後守胤業公が、寺領26石を寄進して創建した曹洞宗の寺院です。開山和尚は、道元禅師から数えて十世の法孫一州正伊禅師であり、壬生氏一門の氏寺として栄えました。1590年に壬生氏が絶えた後も、壬生氏の家臣や歴代の壬生城主に庇護され、1712年に壬生城主となった鳥居忠英公の帰依を受けて後は、鳥居家の菩提寺として篤く護持されてまいりました。

    現在の本堂は、1820年に火災に見舞われて後、1850年に再建されたもので、内部に欅材の多く使われた荘厳な伽藍です。長い歴史のある寺院に相応しく、「鳥居忠英公」の肖像画や文書の歴史的資料、壬生家歴代の墓地や鳥居家墓地、壬生藩の蘭学医「斎藤玄昌」一門の墓地等の史跡、境内鎮守の三日月尊天と壬生の豪商加藤作太夫の逸話など、様々な事物が今に伝わっております。また、1738年、二十世光海本瑞和尚の時、京の陶工尾形乾山が来寺して作歌作陶しました。これは京都壬生氏出身の具慶尼の庵を訪ねての事で、一ヶ月半程滞在致しました。」

  • 鐘楼堂

    鐘楼堂

  • 常楽寺・本堂<br /><br />正式には向陽山常楽寺と称する漕洞宗の寺院で、ご本尊は釈迦三尊及び三日月尊天都なっています。

    イチオシ

    常楽寺・本堂

    正式には向陽山常楽寺と称する漕洞宗の寺院で、ご本尊は釈迦三尊及び三日月尊天都なっています。

  • 三日月尊天額<br /><br />本堂左端には三日月尊天を祀る堂が設置されています。

    三日月尊天額

    本堂左端には三日月尊天を祀る堂が設置されています。

  • 常楽寺本堂・扁額<br /><br />本堂上部に掲載されている扁額「向陽山」が見えます。

    常楽寺本堂・扁額

    本堂上部に掲載されている扁額「向陽山」が見えます。

  • 境内風景

    境内風景

  • 壬生家累代墓所近景

    壬生家累代墓所近景

  • 壬生家歴代の墓・標柱<br />

    壬生家歴代の墓・標柱

  • 石塔<br /><br />残念ながら内部は施錠されて全体を見ることはできませんが素朴な石塔で時代の変遷が判ります。

    石塔

    残念ながら内部は施錠されて全体を見ることはできませんが素朴な石塔で時代の変遷が判ります。

  • 鳥居家累代墓所石門

    鳥居家累代墓所石門

  • 鳥居家歴代の墓・標柱

    鳥居家歴代の墓・標柱

  • 「鳥居家累代之墓」<br /><br />初代忠英(ただてる)は正徳元年(1711)6月に若年寄に任じられ、翌年2月に1万石加増されて3万石を以て壬生に入封、忠英は干瓢(かんぴょう)栽培を中心とする殖産政策を奨励、併せて藩校である学習館を創設し藩政に尽くしています。尚忠英を初代として忠史(ただふみ)の八代まで続きます。

    「鳥居家累代之墓」

    初代忠英(ただてる)は正徳元年(1711)6月に若年寄に任じられ、翌年2月に1万石加増されて3万石を以て壬生に入封、忠英は干瓢(かんぴょう)栽培を中心とする殖産政策を奨励、併せて藩校である学習館を創設し藩政に尽くしています。尚忠英を初代として忠史(ただふみ)の八代まで続きます。

  • 鳥居家累代墓所<br /><br />中央の墓から振り返って内部風景を捉えます。

    鳥居家累代墓所

    中央の墓から振り返って内部風景を捉えます。

  • (続いて近接の興光寺を訪ねます)<br /><br />興光寺石門<br /><br />石門を過ぎると石板の参道が直線に走ります。

    (続いて近接の興光寺を訪ねます)

    興光寺石門

    石門を過ぎると石板の参道が直線に走ります。

  • 特殊な屋根を有する山門<br /><br />大小三枚の屋根によって構成される珍しい門となっています。そして家光遺骸を日光の廟に葬送する際に仮通夜の場所となった関係で屋根の上部には徳川家の葵紋が設置されています。<br />

    特殊な屋根を有する山門

    大小三枚の屋根によって構成される珍しい門となっています。そして家光遺骸を日光の廟に葬送する際に仮通夜の場所となった関係で屋根の上部には徳川家の葵紋が設置されています。

  • 興光寺説明板<br /><br />石門付近に由緒説明板が立っています。

    興光寺説明板

    石門付近に由緒説明板が立っています。

  • 本堂<br /><br />正式には「深渡山照泉院興光寺」と称する浄土宗の寺院です。由緒によれば将軍家光が死去し、遺骸を日光東照宮の廟へ葬送する際、徳川家の宗旨が浄土宗であることから隣村から移転させて当寺で家光の仮通夜が行われたとのことです。

    本堂

    正式には「深渡山照泉院興光寺」と称する浄土宗の寺院です。由緒によれば将軍家光が死去し、遺骸を日光東照宮の廟へ葬送する際、徳川家の宗旨が浄土宗であることから隣村から移転させて当寺で家光の仮通夜が行われたとのことです。

  • 扁額<br /><br />「呑龍上人」と揮毫された扁額が掲げられています。

    扁額

    「呑龍上人」と揮毫された扁額が掲げられています。

  • 境内風景<br /><br />本堂から山門方向を見渡します。

    境内風景

    本堂から山門方向を見渡します。

  • 境内風景<br /><br />右側の建物が併営の保育園になります。

    境内風景

    右側の建物が併営の保育園になります。

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