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東武鉄道宇都宮線壬生駅から徒歩15分の公園化された壬生城(みぶじょう、栃木県下都賀郡壬生町本丸)は文明年間(1469~1487)に壬生綱重(みぶ・つなしげ、1448~1516)によって黒川と思川に挟まれた台地上にに築かれた平城です。<br /><br />壬生氏出自については一説には京都下級公家の小槻氏の後裔で、初代胤業(たねなり)が武家としての家を興したとされていますが、どうやら宇都宮氏の一門とする説が強く同氏の支援の下周辺に勢力を拡大し戦国大名に成長していきます。<br /><br />しかしながら関東管領職を引き継いだ上杉謙信が越山して北進中の小田原北条氏と北関東での合戦を繰り返すなか、壬生氏内部では反北条氏に付くのか北条氏に付くのかという選択に迫られ、四代当主綱雄(つなたけ)の子である義雄(よしたけ、1552~1590)が叔父周長(かねたけ)を倒し壬生氏実権を掌握、小田原北条氏路線を踏襲することになります。<br /><br />天正18年(1590)秀吉の小田原攻めにおいては壬生家五代当主義雄は義弟である皆川広照と共に小田原城に参陣・籠城しますが、同年7月小田原城開城、その直後に46歳で病死、継嗣に恵まれずその為所領没収、壬生氏は断絶となります。<br /><br /><br />城郭の一角に設置の「壬生城本丸址」説明板によれば次の通り書かれています。<br /><br />「 壬 生 城 本 丸 址<br /><br />壬生城は室町時代のなかば、文明年間(1469?86)に壬生綱重によって築かれたといわれています。各地の大名が勢力を競っていた戦国の世にあって、約100年もの間。壬生氏の主要な城となっていました。<br /><br />しかし、壬生氏は小田原城の北条氏に味方していたために、天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原攻めにより、北条氏とともに亡びました。<br /><br />慶長6年(1601)からの110年間は、日根野氏(1万石)・阿部氏(2万5千石)・三浦氏(2万石)・松平氏(4万2千石)・加藤氏(2万5千石)というようにたびたび城主が替わりました。そして正徳2年(1712)鳥居忠英が近江国水口から移ってからは、明治維新を迎えるまでの約160年間、鳥居氏(3万石)が代々城主となりました。<br /><br />江戸時代の記録によると、壬生城は本丸・二の丸・三の丸・東郭・下台郭・正念寺郭の六つの郭からなり、これらの郭と土塁と堀に囲まれていました。また天守や櫓といった建物は建てられていませんでした。<br /><br />本丸は約140m四方の大きさで、南と北に門があり、土塁の上には塀がめぐっていました。また、本丸内部には御殿があり、江戸時代の初めには将軍の日光社参の宿舎として使われました。<br /><br />現在、本丸址もその南側を残すのみとなりましたが、平成元年に城址公園として整備され、県内に残る数少ない近世城郭の一つとなっています。<br /><br /> 平成2年3月       壬生町教育委員会 」

下野壬生 主家宇都宮氏からの分離独立を図るべく北関東進出をもくろむ小田原北条氏に呼応した壬生氏本城『壬生城』訪問

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2015/02/07 - 2015/02/07

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滝山氏照

滝山氏照さん

東武鉄道宇都宮線壬生駅から徒歩15分の公園化された壬生城(みぶじょう、栃木県下都賀郡壬生町本丸)は文明年間(1469~1487)に壬生綱重(みぶ・つなしげ、1448~1516)によって黒川と思川に挟まれた台地上にに築かれた平城です。

壬生氏出自については一説には京都下級公家の小槻氏の後裔で、初代胤業(たねなり)が武家としての家を興したとされていますが、どうやら宇都宮氏の一門とする説が強く同氏の支援の下周辺に勢力を拡大し戦国大名に成長していきます。

しかしながら関東管領職を引き継いだ上杉謙信が越山して北進中の小田原北条氏と北関東での合戦を繰り返すなか、壬生氏内部では反北条氏に付くのか北条氏に付くのかという選択に迫られ、四代当主綱雄(つなたけ)の子である義雄(よしたけ、1552~1590)が叔父周長(かねたけ)を倒し壬生氏実権を掌握、小田原北条氏路線を踏襲することになります。

天正18年(1590)秀吉の小田原攻めにおいては壬生家五代当主義雄は義弟である皆川広照と共に小田原城に参陣・籠城しますが、同年7月小田原城開城、その直後に46歳で病死、継嗣に恵まれずその為所領没収、壬生氏は断絶となります。


城郭の一角に設置の「壬生城本丸址」説明板によれば次の通り書かれています。

「 壬 生 城 本 丸 址

壬生城は室町時代のなかば、文明年間(1469?86)に壬生綱重によって築かれたといわれています。各地の大名が勢力を競っていた戦国の世にあって、約100年もの間。壬生氏の主要な城となっていました。

しかし、壬生氏は小田原城の北条氏に味方していたために、天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原攻めにより、北条氏とともに亡びました。

慶長6年(1601)からの110年間は、日根野氏(1万石)・阿部氏(2万5千石)・三浦氏(2万石)・松平氏(4万2千石)・加藤氏(2万5千石)というようにたびたび城主が替わりました。そして正徳2年(1712)鳥居忠英が近江国水口から移ってからは、明治維新を迎えるまでの約160年間、鳥居氏(3万石)が代々城主となりました。

江戸時代の記録によると、壬生城は本丸・二の丸・三の丸・東郭・下台郭・正念寺郭の六つの郭からなり、これらの郭と土塁と堀に囲まれていました。また天守や櫓といった建物は建てられていませんでした。

本丸は約140m四方の大きさで、南と北に門があり、土塁の上には塀がめぐっていました。また、本丸内部には御殿があり、江戸時代の初めには将軍の日光社参の宿舎として使われました。

現在、本丸址もその南側を残すのみとなりましたが、平成元年に城址公園として整備され、県内に残る数少ない近世城郭の一つとなっています。

 平成2年3月       壬生町教育委員会 」

旅行の満足度
4.0
交通手段
JRローカル 私鉄
  • 壬生町観光案内図<br /><br />駅前設置の周辺地図にて「壬生町城址公園」の所在を確認します。

    壬生町観光案内図

    駅前設置の周辺地図にて「壬生町城址公園」の所在を確認します。

  • 壬生町観光案内図<br /><br />同案内図を見ると城址公園の他壬生城に関係する社寺仏閣が認められます。

    壬生町観光案内図

    同案内図を見ると城址公園の他壬生城に関係する社寺仏閣が認められます。

  • 壬生城跡<br /><br />駐車場と共に長い模擬塀が視野に入ります。

    壬生城跡

    駐車場と共に長い模擬塀が視野に入ります。

  • 大手門

    大手門

  • 壬生城址公園見取図<br /><br />大手門を過ぎると公園化された城跡の見取図が立っています。

    壬生城址公園見取図

    大手門を過ぎると公園化された城跡の見取図が立っています。

  • 壬生城本丸址説明板<br /><br />

    壬生城本丸址説明板

  • 大手道<br /><br />

    大手道

  • 土塁と水堀<br /><br />大手橋を渡ると左右には復元された土塁と共に水堀が控えています。

    土塁と水堀

    大手橋を渡ると左右には復元された土塁と共に水堀が控えています。

  • 土塁と水堀

    土塁と水堀

  • 大手門<br /><br />大手橋を渡った所で大手門方向を振り返ります。すっかりタイルで道が造られており公園にふさわしい姿となっています。

    大手門

    大手橋を渡った所で大手門方向を振り返ります。すっかりタイルで道が造られており公園にふさわしい姿となっています。

  • 領界石標<br /><br />「従是南 壬生領」と刻された石標が見えます。

    領界石標

    「従是南 壬生領」と刻された石標が見えます。

  • 領界石標<br /><br />他の面には「下野国都賀郡」とも刻されています。

    領界石標

    他の面には「下野国都賀郡」とも刻されています。

  • 領界石標<br /><br />更に「従是北 壬生領」と刻されています。

    領界石標

    更に「従是北 壬生領」と刻されています。

  • 壬生城榜示杭(石標)説明

    壬生城榜示杭(石標)説明

  • 土塁内側<br /><br />本丸側からみる土塁は手が付けておらず歴史の推移が感じられます。

    土塁内側

    本丸側からみる土塁は手が付けておらず歴史の推移が感じられます。

  • 土塁内側<br /><br />土塁上端に上る階段が施されています。

    土塁内側

    土塁上端に上る階段が施されています。

  • 公園案内図<br /><br />旧城郭内に中央公民館、図書館、歴史民族資料館が建てられています。

    公園案内図

    旧城郭内に中央公民館、図書館、歴史民族資料館が建てられています。

  • 土塁<br /><br />高く積まれた土塁には階段が施されています。

    土塁

    高く積まれた土塁には階段が施されています。

  • 土塁と水堀<br /><br />土塁の頂上に登ると南前方には本丸を取り囲む土塁と水堀が視野に入ってきます。<br /><br />

    土塁と水堀

    土塁の頂上に登ると南前方には本丸を取り囲む土塁と水堀が視野に入ってきます。

  • 公共建物<br /><br />左から中央公民館、図書館、歴史民俗資料館が建ち並んでいます。

    公共建物

    左から中央公民館、図書館、歴史民俗資料館が建ち並んでいます。

  • 噴水池<br /><br />本丸跡広場の中央部には噴水池が配置されています。

    噴水池

    本丸跡広場の中央部には噴水池が配置されています。

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