2015/02/07 - 2015/02/07
308位(同エリア473件中)
滝山氏照さん
皆川氏本拠である比高約84mの山に建つ皆川城の東山麓に位置する東宮神社(とうぐうじんじや、栃木県栃木市皆川城内町)は永享元年(1429)に長沼秀宗(ながぬま・ひでむね)が氏神である春日神社を勧請して東宮大明神と呼び、皆川荘の総鎮守と定めて尊崇したと伝えられています。
長沼氏の一族で鎌倉時代に成立した皆川氏は、皆川城の東山麓の一画の白山台に居館を構えたと伝えられ、規模や立地的には東宮神社の場所にほぼ合致しており鎌倉時代の皆川氏居館にふさわしい雰囲気があります。
戦国時代後半には、宇都宮氏や同氏を支援する常陸国佐竹氏との断続的な争いにより神社の荒廃の時期がありましたが、皆川氏中興の広照(ひろてる)の家督を継いだ隆庸(たかつね)が徳川氏に仕えるなか寛永10年(1633)将軍家光より朱印を賜り社殿を改築されました。
2023年1月6日追記
当該神社ホームページには下記のごとく紹介されています。
『 東 宮 神 社
東宮神社の創建は神護景雲年間(767~770年)とされています。創建当時は疫病除け・自然災害除け等を祈る小さな神社だったと云われています。
平安時代末期(1150年)に小山正光の次男宗政が源頼朝(?)に従い下野国芳賀郡長沼(現・栃木県真岡市)に領地を得て長沼氏を称したのが長沼氏の始まりと伝わっています。その後宗員の代に皆川に移封され皆川氏と称し、白山台(東宮神社境内及び西側周辺)に居城を構えたと云われ、境内地周辺にはその当時の土塁が現在でも確認できます。
しかし長年の戦乱により詳細が不明の時期が続きました。永享元年(1429年)にはこの地に皆川氏(長沼淡路守秀宗)が奥州岩瀬郡長沼(現 福島県南会津郡田島町)より移住されました。
その後、永享8年(1436年)に皆川山城守氏秀公がこの地(現城址公園)に築城を始めるにあたり先祖の代から崇敬してきた奈良の春日大社を当地に勧請しました。このことにより、東宮神社を皆川城の守護社に昇格し東宮大明神と崇め毎年春・秋に武運長久の祈願祭を行うようになりました。
その後、隆傭公の代に将軍家光より朱印地を賜り寛永10~11年(1633~1634年)に社殿を改築したのが現在の社殿です。このことから、東宮神社は皆川城の一郭であったといえます。寛永19年より皆川荘63ケ村の総鎮守と定め尊高するようになり現在に至ってます。 』
- 旅行の満足度
- 3.5
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
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東宮神社・鳥居(全景)
県道75号線に面した東宮神社鳥居が建っています。 -
東宮神社・鳥居(近景)
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東宮神社・社標
「東宮神社」と刻された社標があり、石標上部の「郷社」は文字が埋められています。 -
東宮神社・参道
東北自動車道の下にあるトンネルを潜って向こう側の神社に向います。 -
東宮神社・正面
東北自動車道トンネルを潜ると道の先に神社全景が現れます。 -
イチオシ
東宮神社・境内
左右の石燈籠、狛犬と共に拝殿が控えています。 -
東宮神社・拝殿
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東宮神社・境内
拝殿から第二鳥居方向を一望します。 -
東宮神社・神楽殿
小規模ながら神楽殿が見えます。 -
東宮神社・社務所
ご例祭や年末年始などには開いていると思われます。 -
東宮神社・社額
うっすらと「東宮神社」が読み取れます。 -
東宮神社・本殿
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東宮神社・本殿
本殿には龍・虎・獅子などの縁起物が彫られています。 -
東宮神社・本殿周辺
四方には土塁が施され、かつては皆川氏居館であったとの伝聞を裏付けているかのようです。 -
東宮神社・本殿周辺
緩やかなながら土塁が本殿を囲むように走っています。 -
東宮神社・本殿土塁
本殿後方にはまぎれもなく土塁が走っています。 -
東宮神社・本殿土塁
本殿脇にも同様に土塁が散見されます。
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