2014/12/31 - 2015/01/04
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PHOPHOCHANGさん
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箱根駅伝は少なくとも3区に襷が渡るまでは見ていたい、そう思ってました。村山ツインのファンなので♪
って事は1区間約20キロ強、1時間としても8時のスタートから2時間はかかります。つまり観光は10時以降からになります。詰め込みたくないのは、そういう思惑も有ったからです。
そして、今日廻ろうと思っているのは、和歌山城、東照宮と隣の天満宮、時間が有れば紀三井寺、そんなところです。
ホテルもそのまま連泊するので、青春18きっぷは使いません。
まずは、そのホテルから徒歩5分、和歌山城へと向かいます
- 旅行の満足度
- 3.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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ご当地マンホールって大好きです。
手毬の絵柄は童謡「鞠と殿様」にちなんでるんですよね。http://takurou.co-site.jp/syoka/douyou/maritotonosama.html
作詞:中山晋平、作曲:西条八十って凄い。1番だけなら間違い無く歌えます -
複雑なナンバリングですが、この標識を見る限り、この辺りが和歌山市の中心部に思えます。って市役所在るし
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市役所の向かいが御堀を挟んで和歌山城です
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年末はお休みだったのですね(名古屋城は元旦もお休みでした。行く予定は無かったですが)。紅松庵と御橋廊下は3ヶ日もお休みです、残念
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和歌山城の解説です
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追廻門。
この追廻門は西から和歌山城に入る門で、大手門の反対側の搦手に位置します。門を出て道を隔てた外側に馬術を練習する追廻が在ったので、その名が付いた高麗門形式の門です。冠木門(かぶきもん)ともいい、柱に本瓦葺の屋根をのせたもので左右に櫓が無いのが特徴です。
元和5(1619)年に紀州徳川家初代頼宣が入国し、和歌山城を拡張して、砂の丸や南の丸を内郭に取り込みました。当然追廻門もその際に建立されたもので、岡口門とともに空襲でも焼けずに残った旧藩時代の数少ない遺構です。
追廻門は藩主が座る二の丸御座の間の南西に位置し、陰陽道の裏鬼門に当たるので、除災の為に朱色に塗られたと考えられています -
それでは早速入城してみましょう。まず正面に護国神社が在りますが、ごめんなさい、スルーします
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和歌山城内には、造られた時代により、異なる積み方の石垣が在ります。
規則的ではない積み方の「野面積み」、大きな石の間に小さな石を詰めた「打ち込みハギ」、きっちりと美しく積まれた「切り込みハギ」というように、時代により変化しています -
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石垣の刻印についての説明。
去年の3月、天下普請と言われた丹波篠山城でも色々な刻印が見られましたがhttp://4travel.jp/travelogue/10871300、此処和歌山城でも40種類以上が確認されているそうです -
確かに色んな種類の刻印を見る事が出来ました。一部ご紹介
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新裏坂から天守閣へ向かいます。坂と言っても石段です
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紀州特産の青石(緑泥片岩)が使われています
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新裏坂から本丸へと登ってくると二の御門櫓の正面に出ます。
この石垣にも青石、判るかな? -
和歌山城は、天正13(1585)年に紀州を平定した豊臣秀吉が弟の秀長に築城させたのが始まりです。その築城を担当したのが、築城の名人藤堂高虎(とうどうたかとら)でした。
まず、秀長の城代として桑山重晴(くわやましげはる)が入り、慶長5(1600)年には、関ヶ原の戦いで功をたてた浅野幸長(あさのよしなが)が入城。
そして、元和5(1619)年には徳川家康の第10男・頼宣(よりのぶ)が初代藩主として入城し、紀州55万5千石の城となり、以来、水戸・尾張と並び、徳川御三家のひとつとして、長い歴史を刻んで来ました
此処より内側は有料です -
天守閣へ上がる入口の楠門(二の門)。総楠木造りだったのでその名が付き、国宝にも指定されましたが、例外無く、惜しくも戦災の犠牲となっています
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天守が復元されたのは昭和33年ですが、もっと新しい感じがする綺麗さでした。塗り直しとかしてるんですよね?
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天守閣を見た時に気になるぽっこりふくらんだ部分は、「石落」と言います。敵が石垣を登って来た時に、ここから石を落したそうです。
先に旅行記を作ってしまった浜松城にも同じ物が在りましたが、その時は「これ何?」とコメントしたと記憶していますが、今判りました -
さて、先の二の御門櫓を含めた天守郭は、大小天守をはじめすべて多門櫓で連結されています。これらの建物は戦災によって焼失した為、戦後、鉄筋コンクリートで再建されたものですが、外観は当時のままの姿をとどめており、いわゆる外観復元天守となっています
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白亜の三層の大天守閣。
和歌山城は「御三家」のお城です。が、水戸城はともかく、同じ御三家の名古屋城と比べるとどうしてもお城の規模と言い、色々と見劣りしてしまいます。
とは言え、家康の第10子である徳川頼宣を藩祖とし、55万5千石で「南海の鎮」となり、紀伊徳川家5代当主は、後に江戸幕府第8代将軍となる吉宗です。吉宗は、ここ和歌山城に33歳まで藩主として活躍していました。 -
此処が天守への入り口です。4トラの旅行記で和歌山城が取り上げられているのを見ましたが、その際は紫色も幕がかかっていて、とてもカッコ良かったのですが、このままだと銭湯の入り口よりちょっとマシ、って感じに見えるのですが・・
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天守に上ってみました。虎伏山山頂なだけに眺めが良いです。
特に紀ノ川が海に注ぐところが見られるって(お城から海が見える)って特別感大です -
西に紀ノ川河口大橋が見えます。川を挟んで右手が北港、左手が南港です
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ダイワロイネットホテル(右の茶色)と市役所(左の白)が見えるので北です
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右手の白いホテルが和歌山東急インです
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紅葉渓庭園の御橋廊下を見下ろしています。11度の微妙な角度が何とも言えません
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こういう小さな山が連なっているのは南の方角です。北は東から西へ紀ノ川が流れています
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堀は北と東に在ります。で、この角は南東です。手前に岡口門の一部が見えています。また大通りに関西電力の看板が見えるので、其処が岡山丁の和歌山支店だとすれば、間違い無く南東方向です
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南に奥山公園を挟んで和歌山大学教育学部附属中とそのグラウンド、右手に和歌山県立近代美術館、博物館が在ります
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近代美術館は近代的ですね。
『昭和38(1963)年に和歌山城内に開館した和歌山県立美術館を前身とする和歌山県立近代美術館は、昭和45(1970)年、和歌山県民文化会館1階に開館しました。ここで23年間の活動を続けたあと、平成6(1994)年7月、現在の場所に新築移転しました。
和歌山県立近代美術館の個性的な外観は、和歌山城の天守閣を間近に望む緑豊かな環境のなかで、和歌山城と美しいコントラストをなしています。』 -
繋がってるのが良く判ります
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櫓も堂々たる存在感を示しています。
川向こうの煙突の在る工場群は新日鉄住金です -
グルッと一周して来られるようになっています
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この貼り紙を見て驚きました。落書きした馬鹿が居たって事ですもんね
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貼り紙は1ヶ所だけでは無かったのです
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最寄のバス停は何処ですか?と尋ねたところ、追廻門を出た左側と教えてもらったので、来た時と同じルートで戻る事になりました。新裏坂の青石を踏んで下ります
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鶴の渓の説明です。見難くてすみません。
『砂の丸から二の丸へと通じる道です。天守閣が建つ虎伏山と吹上砂丘の間に位置し、窪んだ地形になっています。慶長5(1600)年の関ヶ原の戦いの後、城主となった浅野家が此処で鶴を飼っていた事からその名が付きました。』 -
『天守閣から北側にある裏坂に下り、両手に白い土塀と青石の石垣が迫る小道をサクサクと歩いていくとひなびた茅門が見えてきます。』
ですが、自分らは南側にある新裏坂を下り、グルッと道を曲がってこの風景に出会いました -
紅葉は有りませんが、無料なので入ってみる事にします。年末はお休みでした。
先に揚げた浜松旅行記http://4travel.jp/travelogue/10970338でも似たような事言ってますよね。ってか、お城を見た後に敷地内の日本庭園ってパターンは同じです。実際はこちらが先でしたが -
茅門
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紅葉渓庭園の説明が書かれています。字が細かい上に汚れているので読み難いですが、とっても読み易く美しい文字と文章です
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ザックリ言うと、
『紅葉渓庭園は、徳川頼宣が西の丸御殿に築いたもので、浅野公時代に築かれた内堀の一部と、虎伏山の起伏をたくみに利用した庭園です。』
奥に見えているのが、年末年始はお休みの御橋廊下 -
堀に浮かぶ鳶魚閣
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『池は山すそから湧き出る泉を利用して作られ、池の中央には舟の形をした「御舟石」が在ります。』
思い当たるような石はこれしか無いようなのですが、舟には見えず・・ -
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この箱どかしてくれ〜〜っ!
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茶室「紅松庵」の説明
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『木造銅板葺きの屋根が美しく映える紅松庵は、紅葉渓にある茶室。昭和48年に和歌山市の名誉市民である故松下幸之助氏が市に寄贈したものです。
数奇屋造りの建物や苔におおわれた庭には、すがすがしくひきしまった空気が流れ、心身ともにすっきりすること請け合いです。
中では、和服姿の女性が丁寧にお抹茶を点ててくれるのが嬉しい。お茶の心得は要らないので、お抹茶と生菓子で気軽に 一服してもらう事が出来ます。
小柴垣と植え込みの緑に囲まれ、庵の姿がちらりとしか見えないせいか見過ごしがちですが、是非とも一服のお茶と日本情緒あふれる雰囲気で、江戸の昔に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。』
との事でしたが、こちらも年末年始はおやすみです -
お茶室前から振り返った景色
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御橋廊下は、江戸時代には藩主とお付の者だけが藩の政庁や藩主の生活の場である二の丸と紅葉渓庭園のある西の丸を行き来するために架けられた橋で、屋根を設け、外からは見えないつくりになっていました。斜めに架かる橋としては、全国的にも珍しい構造です。
約11度の角度で斜めになっているため、滑り止めのために段差がつけられています。 -
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御橋廊下と繋がっていたって、当時の和歌山城の規模は大きかったのですね
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青石いっぱい
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サッカーグラウンド越しにビルも見えちゃう、市内の中心に在るから仕方無いのですけどね
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新和歌浦行きに乗り、東照宮と天満宮を目指します。1時間に3本のバス便が有る事は紅葉渓庭園を見る前に調べておきました。バスを待つ間の数分は激しい降りの雪となりました。
続く…
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