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桜満開の松阪城址紹介の続きです。本丸跡の広場では、子供剣士の屋外試合が行われていました。毎年恒例の剣道大会のようでした。

2010春、桜満開の松阪城址(3/4):梶井基次郎文学碑、月見櫓跡、金の間櫓跡、剣道試合

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2010/04/04 - 2010/04/04

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旅行記グループ 2010春、三重の桜名所

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旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

桜満開の松阪城址紹介の続きです。本丸跡の広場では、子供剣士の屋外試合が行われていました。毎年恒例の剣道大会のようでした。

交通手段
JRローカル 私鉄
  • 桜満開の松阪城址の光景です。松阪城址の高い石垣には、柵のようなものはありませんから、夜の花見は避けたほうがよさそうに見えました。この桜の先にも高い石垣が見えています。

    桜満開の松阪城址の光景です。松阪城址の高い石垣には、柵のようなものはありませんから、夜の花見は避けたほうがよさそうに見えました。この桜の先にも高い石垣が見えています。

  • 満開の染井吉野の花と、その上に頭を出した松の木の光景です。桜の木の上から花見といったところです。

    満開の染井吉野の花と、その上に頭を出した松の木の光景です。桜の木の上から花見といったところです。

  • 上方から眺めた、満開の染井吉野の光景です。本居宣長が『敷島の大和心を人問はば、朝日に匂ふ山桜花』と詠ったのは、染井吉野ではなく、山桜の方です。神風特攻隊の最初の四部隊が、この歌から『敷島隊』、『大和隊』、『朝日隊』と『山桜隊』と名付けられましたが、本居宣長は、桜の散り際を誉めたわけではありません。当時の御用学者の都合の良い解釈だったのかも知れません。

    上方から眺めた、満開の染井吉野の光景です。本居宣長が『敷島の大和心を人問はば、朝日に匂ふ山桜花』と詠ったのは、染井吉野ではなく、山桜の方です。神風特攻隊の最初の四部隊が、この歌から『敷島隊』、『大和隊』、『朝日隊』と『山桜隊』と名付けられましたが、本居宣長は、桜の散り際を誉めたわけではありません。当時の御用学者の都合の良い解釈だったのかも知れません。

  • 『本居宣長旧宅』の入口門の上にあったシビ(鴟尾)の屋根飾りです。奈良の東大寺のシビ(鴟尾)が有名ですが、中国、韓国などでもよく目にしました。中国では紀元前の漢時代の副葬品に出現し、日本では飛鳥時代(592〜710年)頃から見られるようです。

    『本居宣長旧宅』の入口門の上にあったシビ(鴟尾)の屋根飾りです。奈良の東大寺のシビ(鴟尾)が有名ですが、中国、韓国などでもよく目にしました。中国では紀元前の漢時代の副葬品に出現し、日本では飛鳥時代(592〜710年)頃から見られるようです。

  • 同じく、『本居宣長旧宅』の入口門の上にあったもう片方のシビ(鴟尾)の屋根飾りです。背後には、銀杏らしい木の新芽が芽吹き始めていました。

    同じく、『本居宣長旧宅』の入口門の上にあったもう片方のシビ(鴟尾)の屋根飾りです。背後には、銀杏らしい木の新芽が芽吹き始めていました。

  • 『本居宣長記念館』の敷地内にあった建物光景だったようです。茶会でも行われているような雰囲気でした。入場はしませんでした。

    『本居宣長記念館』の敷地内にあった建物光景だったようです。茶会でも行われているような雰囲気でした。入場はしませんでした。

  • 松阪城址の石垣と、その脇にあった『本居神社』の石碑です。

    松阪城址の石垣と、その脇にあった『本居神社』の石碑です。

  • 『本居神社』の石碑があった付近の光景です。お祭りバージョンの屋台が賑わっていました。

    『本居神社』の石碑があった付近の光景です。お祭りバージョンの屋台が賑わっていました。

  • 上の方にだけ葉があった松の木の黒い幹と、満開の染井吉野の光景です。

    上の方にだけ葉があった松の木の黒い幹と、満開の染井吉野の光景です。

  • 直線では進めないように工夫された本丸への登り口だったようです。先ほどはタコ焼きの屋台でしたが、今度は焼き鳥の看板です。

    直線では進めないように工夫された本丸への登り口だったようです。先ほどはタコ焼きの屋台でしたが、今度は焼き鳥の看板です。

  • 梶井基次郎文学碑の『城のある町にて』の石碑です。梶井基次郎(1901〜1932年)は、志賀直哉の影響を受け、簡潔な描写と詩情豊かな小品を残した小説家です。代表作は『檸檬』、命日の3月24日は『檸檬忌』と呼ばれています。湖の石碑の『城のある町にて』の末尾には昭和49年春(1974年)の日付がありました。文学碑の建設の日付のようです。

    イチオシ

    梶井基次郎文学碑の『城のある町にて』の石碑です。梶井基次郎(1901〜1932年)は、志賀直哉の影響を受け、簡潔な描写と詩情豊かな小品を残した小説家です。代表作は『檸檬』、命日の3月24日は『檸檬忌』と呼ばれています。湖の石碑の『城のある町にて』の末尾には昭和49年春(1974年)の日付がありました。文学碑の建設の日付のようです。

  • 梶井基次郎文学碑があった、『月見櫓址』からの松阪市街の眺望です。城内の染井吉野と藤棚も目に入りました。

    梶井基次郎文学碑があった、『月見櫓址』からの松阪市街の眺望です。城内の染井吉野と藤棚も目に入りました。

  • 『月見櫓址』付近で撮影した染井吉野の花のアップ光景です。ピンク色の蕾があり、麓よりは、ほんの少し開花が遅いようでした。

    『月見櫓址』付近で撮影した染井吉野の花のアップ光景です。ピンク色の蕾があり、麓よりは、ほんの少し開花が遅いようでした。

  • 『月見櫓址』の石碑です。梶井基次郎文学碑の『城のある町にて』の石碑もこの場所にありました。見晴らしの良い場所です。

    『月見櫓址』の石碑です。梶井基次郎文学碑の『城のある町にて』の石碑もこの場所にありました。見晴らしの良い場所です。

  • 満開の花の下での宴会の光景です。左側に見える低い石垣は、推測になりますが、本丸を取り囲んでいた土塀の跡でしょうか、松阪城の縄張り図では、細かいところが分かりませんでした。

    満開の花の下での宴会の光景です。左側に見える低い石垣は、推測になりますが、本丸を取り囲んでいた土塀の跡でしょうか、松阪城の縄張り図では、細かいところが分かりませんでした。

  • 同じく、本丸を取り囲む低い石垣を背にした場所での花見の宴会の様子です。

    同じく、本丸を取り囲む低い石垣を背にした場所での花見の宴会の様子です。

  • 宴会の場所探しが済んだ人や、まだ思案中の人達の光景です。椅子に座って、ギターを弾きながらビールを飲む人の姿もありました。

    宴会の場所探しが済んだ人や、まだ思案中の人達の光景です。椅子に座って、ギターを弾きながらビールを飲む人の姿もありました。

  • 満開の染井吉野の花のズームアップ光景です。高台で咲く桜ですから、まだ少しだけ蕾が残っていました。

    満開の染井吉野の花のズームアップ光景です。高台で咲く桜ですから、まだ少しだけ蕾が残っていました。

  • 小さいころから遊び馴れている石垣なのでしょうか、背丈以上の高さの場所もあったようですが、平気で座っている人達や、その周りを歩き回る人達です。

    小さいころから遊び馴れている石垣なのでしょうか、背丈以上の高さの場所もあったようですが、平気で座っている人達や、その周りを歩き回る人達です。

  • 楓か、あるいは樹種は違うかもしれませんが赤っぽい新芽を出し始めていました。隅櫓があった場所かもしれません。

    楓か、あるいは樹種は違うかもしれませんが赤っぽい新芽を出し始めていました。隅櫓があった場所かもしれません。

  • 真っ白にも見える染井吉野の満開の光景です。この花につられて先に進みますと、柵がない高い石垣です。やはり、夜の花見は止めておいたがいいようです。照明設備も見当たりませんでした。

    真っ白にも見える染井吉野の満開の光景です。この花につられて先に進みますと、柵がない高い石垣です。やはり、夜の花見は止めておいたがいいようです。照明設備も見当たりませんでした。

  • 『金の間櫓・址』の石碑です。本丸の一角にあった櫓址のようです。天守台址からは、少し見下す位置になります。

    イチオシ

    『金の間櫓・址』の石碑です。本丸の一角にあった櫓址のようです。天守台址からは、少し見下す位置になります。

  • 『松阪開府之碑』です。この石碑の裏面には、が蒲生氏郷など、松坂の歴史に縁の深い人のことが記されているようです。碑文の前文は、『松阪開府の祖は蒲生飛騨守氏郷であり天正16年西暦1588年8月築城と共に城下街の創設を了へ同18年8月17日氏郷が奥州の会津に移った』と記されているようです。ところで、『松阪』の地名は、縁起のいい『松』の字と大阪の『阪』の字をとって、蒲生氏郷によって名付けられたようです。

    『松阪開府之碑』です。この石碑の裏面には、が蒲生氏郷など、松坂の歴史に縁の深い人のことが記されているようです。碑文の前文は、『松阪開府の祖は蒲生飛騨守氏郷であり天正16年西暦1588年8月築城と共に城下街の創設を了へ同18年8月17日氏郷が奥州の会津に移った』と記されているようです。ところで、『松阪』の地名は、縁起のいい『松』の字と大阪の『阪』の字をとって、蒲生氏郷によって名付けられたようです。

  • 本丸跡付近の染井吉野の光景です。最高の花見日和での見学となりました。

    本丸跡付近の染井吉野の光景です。最高の花見日和での見学となりました。

  • 本丸跡の広場では、お子さん達の剣道大会が開かれていました。ネット検索しましたら、場所と、時期がぴったりの『氏郷杯少年剣道大会』がヒットしました。

    イチオシ

    本丸跡の広場では、お子さん達の剣道大会が開かれていました。ネット検索しましたら、場所と、時期がぴったりの『氏郷杯少年剣道大会』がヒットしました。

  • 道場か学校の先生らしい人が審判を務めていました。松阪剣道連盟が主催の大会でした。児童や生徒さん達、300人ほどが参加しているようです。

    道場か学校の先生らしい人が審判を務めていました。松阪剣道連盟が主催の大会でした。児童や生徒さん達、300人ほどが参加しているようです。

  • 少年剣士だけでなく、少女剣士も参加していた大会です。見守る父兄の方も真剣です。

    少年剣士だけでなく、少女剣士も参加していた大会です。見守る父兄の方も真剣です。

  • 主審と副審が、紅白の旗を上げて勝敗を決しました。この試合は二本とも白旗が揚がりました。

    主審と副審が、紅白の旗を上げて勝敗を決しました。この試合は二本とも白旗が揚がりました。

  • 昭和25年(1950年)6月、松阪市長の庄司桂一氏の撰による石碑です。松阪開府の祖、蒲生氏郷に始まり、明治維新を経た第二次大戦後までの略史が記されていました。

    昭和25年(1950年)6月、松阪市長の庄司桂一氏の撰による石碑です。松阪開府の祖、蒲生氏郷に始まり、明治維新を経た第二次大戦後までの略史が記されていました。

  • 満開の花の下での宴会と、剣道試合は、まだまだ続いていました。

    満開の花の下での宴会と、剣道試合は、まだまだ続いていました。

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