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戦国時代の後半、関東地方の広い範囲を支配していた北条氏は、下総国を拠点とする千葉氏に命じ、北総台地に野生の馬を放牧する牧(まき)を設置します。江戸時代に入りこの牧は、幕府直轄として再整備され、小金牧(北総台地の西側に五牧)と佐倉牧(北総台地の東側に七牧)が設置されています。佐倉七牧は、将軍吉宗の時代になると、柳沢、高野、内野の三牧は佐倉城主に預けられ、残りの小間子、取香、矢作、油田の四牧は小金在住の野馬奉行の管理下におかれました。牧には馬が逃げないように高い土手(野馬土手)が築かれました。馬は放し飼いにされ、年に一度の「野馬捕り」で数百頭が捕まえられています。捕まえられた馬たち、数十頭は献上馬として幕府などに納められ、残りは農耕馬として牧周辺の農民たちに売られていました。<br /><br />佐倉七牧の最盛期には、210村にわたり、約17,270ヘクタールの面積を有し、野馬約3,800頭が放牧されていました。小間子牧は、約2,760ヘクタールで、八街市南部に広がっていました。柳沢牧は、約3,340ヘクタールで、八街市北部に広がっていました。高野牧は、約2,960ヘクタールで、富里市十倉に広がっていました。内野牧は、約2,210ヘクタールで、富里市七栄に広がっていました。取香牧は、約1,750ヘクタールで、成田市三里塚に広がっていた牧で、1888年に宮内省下総御料牧場となり、1978年に成田空港が開港しています。矢作牧は、約3,080ヘクタールで、成田市と香取市の十余三に広がっていた牧で、1921年に新堀牧場(シンボリ牧場)が開場し、多くの名馬を輩出しています。特に、日高町産の三冠馬シンボリルドルフは有名です。油田牧は、約1,170ヘクタールで、香取市九美上に広がっていました。<br /><br />佐倉牧は、徳川幕府の崩壊により廃止され、明治新政府の殖産事業として開墾会社が設立され入植者によって開墾が始められました。小間子・柳沢牧が八街村、高野牧が十倉村、内野牧が七栄村、矢作牧が十余三村、油田牧が九美上村になりました。取香牧だけが開墾から外され、ここに七牧の野馬が集められた後、1875年に下総牧羊場及び取香種畜場として発足、1880年に両者が合併し下総種畜場となり、1885年に宮内省御料局の直轄となり、1888年に「宮内省下総御料牧場」と改められました。宮内省下総御料牧場は、「日本酪農発祥の地」、「日本獣医学発祥の地」、「日本競馬発祥の地」、「ジンギスカン料理発祥の地」などパイオニア的存在として注目されていました。<br /><br />10万本の桜と馬の牧場として、長い間多くの人々に親しまれた「宮内庁下総御料牧場」は、新東京国際空港(成田空港)の建設に伴い、1966年に惜しまれながら栃木県塩谷郡高根沢町に移転しました。明治の初めから三里塚の地にあって、我が国の殖産振興のパイオニアとして輝かしい足跡を残した御料牧場の名をこの地に長く留めるため、跡地の一部が三里塚記念公園として整備されています。三里塚記念公園では、成田市三里塚御料牧場記念館や貴賓館、ダービー馬種牡馬の碑、水野葉舟・高村光太郎文学碑、マロニエ並木、サクラ広場、防空壕などを見学することができます。<br /><br />(注) 成田市三里塚御料牧場記念館の展示品の写真は、成田市役所生涯学習課に撮影許可申請書を提出し、許可を受けて撮影・掲載しています。<br /><br />2015/01/11 第1版<br />2015/01/16 第2版<br />2015/04/03 第3版

成田市散策(7)・・三里塚記念公園(宮内庁下総御料牧場跡)を訪ねます。

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2015/04/03 - 2015/04/03

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YAMAJI

YAMAJIさん

戦国時代の後半、関東地方の広い範囲を支配していた北条氏は、下総国を拠点とする千葉氏に命じ、北総台地に野生の馬を放牧する牧(まき)を設置します。江戸時代に入りこの牧は、幕府直轄として再整備され、小金牧(北総台地の西側に五牧)と佐倉牧(北総台地の東側に七牧)が設置されています。佐倉七牧は、将軍吉宗の時代になると、柳沢、高野、内野の三牧は佐倉城主に預けられ、残りの小間子、取香、矢作、油田の四牧は小金在住の野馬奉行の管理下におかれました。牧には馬が逃げないように高い土手(野馬土手)が築かれました。馬は放し飼いにされ、年に一度の「野馬捕り」で数百頭が捕まえられています。捕まえられた馬たち、数十頭は献上馬として幕府などに納められ、残りは農耕馬として牧周辺の農民たちに売られていました。

佐倉七牧の最盛期には、210村にわたり、約17,270ヘクタールの面積を有し、野馬約3,800頭が放牧されていました。小間子牧は、約2,760ヘクタールで、八街市南部に広がっていました。柳沢牧は、約3,340ヘクタールで、八街市北部に広がっていました。高野牧は、約2,960ヘクタールで、富里市十倉に広がっていました。内野牧は、約2,210ヘクタールで、富里市七栄に広がっていました。取香牧は、約1,750ヘクタールで、成田市三里塚に広がっていた牧で、1888年に宮内省下総御料牧場となり、1978年に成田空港が開港しています。矢作牧は、約3,080ヘクタールで、成田市と香取市の十余三に広がっていた牧で、1921年に新堀牧場(シンボリ牧場)が開場し、多くの名馬を輩出しています。特に、日高町産の三冠馬シンボリルドルフは有名です。油田牧は、約1,170ヘクタールで、香取市九美上に広がっていました。

佐倉牧は、徳川幕府の崩壊により廃止され、明治新政府の殖産事業として開墾会社が設立され入植者によって開墾が始められました。小間子・柳沢牧が八街村、高野牧が十倉村、内野牧が七栄村、矢作牧が十余三村、油田牧が九美上村になりました。取香牧だけが開墾から外され、ここに七牧の野馬が集められた後、1875年に下総牧羊場及び取香種畜場として発足、1880年に両者が合併し下総種畜場となり、1885年に宮内省御料局の直轄となり、1888年に「宮内省下総御料牧場」と改められました。宮内省下総御料牧場は、「日本酪農発祥の地」、「日本獣医学発祥の地」、「日本競馬発祥の地」、「ジンギスカン料理発祥の地」などパイオニア的存在として注目されていました。

10万本の桜と馬の牧場として、長い間多くの人々に親しまれた「宮内庁下総御料牧場」は、新東京国際空港(成田空港)の建設に伴い、1966年に惜しまれながら栃木県塩谷郡高根沢町に移転しました。明治の初めから三里塚の地にあって、我が国の殖産振興のパイオニアとして輝かしい足跡を残した御料牧場の名をこの地に長く留めるため、跡地の一部が三里塚記念公園として整備されています。三里塚記念公園では、成田市三里塚御料牧場記念館や貴賓館、ダービー馬種牡馬の碑、水野葉舟・高村光太郎文学碑、マロニエ並木、サクラ広場、防空壕などを見学することができます。

(注) 成田市三里塚御料牧場記念館の展示品の写真は、成田市役所生涯学習課に撮影許可申請書を提出し、許可を受けて撮影・掲載しています。

2015/01/11 第1版
2015/01/16 第2版
2015/04/03 第3版

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  • 佐倉七牧の配置図です。<br />小間子(おまご)牧、柳沢(やなぎさわ)牧、高野(こうや)牧、取香(とっこう)牧、内野(うちの)牧、矢作(やはぎ)牧、油田(あぶらた)牧の七牧です。

    佐倉七牧の配置図です。
    小間子(おまご)牧、柳沢(やなぎさわ)牧、高野(こうや)牧、取香(とっこう)牧、内野(うちの)牧、矢作(やはぎ)牧、油田(あぶらた)牧の七牧です。

  • 安政5年(1858)発行の、成田名所図会(成田参詣記)に、「野馬捕り」の様子が描かれています。

    安政5年(1858)発行の、成田名所図会(成田参詣記)に、「野馬捕り」の様子が描かれています。

  • 三里塚記念公園の案内板です。

    三里塚記念公園の案内板です。

  • 正門とマロニエ(トチノキ)の並木道です。

    正門とマロニエ(トチノキ)の並木道です。

  • 樹齢125年のマロニエ(トチノキ)の大木です。

    樹齢125年のマロニエ(トチノキ)の大木です。

  • ホオノキの並木道です。

    ホオノキの並木道です。

  • サクラ広場です。<br />「宮内庁下総御料牧場」には、春になると10万本とも言われる桜が咲き誇り、東京の浅草などから芸者を連れて花見遊山に訪れる人も多かったとか。

    サクラ広場です。
    「宮内庁下総御料牧場」には、春になると10万本とも言われる桜が咲き誇り、東京の浅草などから芸者を連れて花見遊山に訪れる人も多かったとか。

  • 貴賓館の案内板です。<br />明治8年(1875)にアメリカ人アップ・ジョーンズ主任技師の官舎として十倉村両国に建てられ、明治12年(1879)アップ・ジョーンズが退職し事務所として使われます。明治21年(1888)に「宮内省下総御料牧場」に改称されるとともに、三里塚のこの地に事務所として移築されました。大正8年(1919)に貴賓館として内部を大改装し、各国の大公使を接待する園遊会の会場として、また皇族が来られる際の宿舎として使用されました。

    貴賓館の案内板です。
    明治8年(1875)にアメリカ人アップ・ジョーンズ主任技師の官舎として十倉村両国に建てられ、明治12年(1879)アップ・ジョーンズが退職し事務所として使われます。明治21年(1888)に「宮内省下総御料牧場」に改称されるとともに、三里塚のこの地に事務所として移築されました。大正8年(1919)に貴賓館として内部を大改装し、各国の大公使を接待する園遊会の会場として、また皇族が来られる際の宿舎として使用されました。

  • 貴賓館です。<br />木造萱葺き平屋建て、外観は正面側・左右側が和風で裏側が洋風です。内部は正面側・左右側が和室で、裏側に洋室(ギリシャ風ホール)があります。明治中期の和洋折衷様式の貴重な建造物です。

    貴賓館です。
    木造萱葺き平屋建て、外観は正面側・左右側が和風で裏側が洋風です。内部は正面側・左右側が和室で、裏側に洋室(ギリシャ風ホール)があります。明治中期の和洋折衷様式の貴重な建造物です。

  • 玄関です。

    玄関です。

  • 左右2ケ所に戸袋があり、鍵型に縁側が続いています。

    左右2ケ所に戸袋があり、鍵型に縁側が続いています。

  • 縁側には雨戸を仕舞う工夫が。

    縁側には雨戸を仕舞う工夫が。

  • 縁側と二の間、奥に洋間(ギリシャ風ホール)です。

    縁側と二の間、奥に洋間(ギリシャ風ホール)です。

  • 奥の間です。

    奥の間です。

  • 離れに洗面所・便所と脱衣所・風呂があります。

    離れに洗面所・便所と脱衣所・風呂があります。

  • 北側は洋風造りです。

    北側は洋風造りです。

  • 洋間(ギリシャ風ホール)です。

    洋間(ギリシャ風ホール)です。

  • 水野葉舟歌碑です。<br />水野葉舟は「下総郷土談話会」を主宰するとともに、地元を素材とした作品を次々に発表し、郷土文化の向上に努めました。息子が元総務庁長官・元建設大臣の水野清です。

    水野葉舟歌碑です。
    水野葉舟は「下総郷土談話会」を主宰するとともに、地元を素材とした作品を次々に発表し、郷土文化の向上に努めました。息子が元総務庁長官・元建設大臣の水野清です。

  • 高村光太郎詩碑です。<br />水野葉舟と訪れた三里塚牧場で見た光景を詩にまとめ、「春駒」として「東京日々新聞」に発表しています。

    高村光太郎詩碑です。
    水野葉舟と訪れた三里塚牧場で見た光景を詩にまとめ、「春駒」として「東京日々新聞」に発表しています。

  • ヒノキです。

    ヒノキです。

  • スダジイの大木です。

    スダジイの大木です。

  • 三里塚防空壕です。<br />昭和16年(1941)に建設された東宮(皇太子)避難用の防空壕で、平成22年(2009)に改修工事を実施し、平成23年(2010)4月1日に一般開放されました。

    三里塚防空壕です。
    昭和16年(1941)に建設された東宮(皇太子)避難用の防空壕で、平成22年(2009)に改修工事を実施し、平成23年(2010)4月1日に一般開放されました。

  • 防空壕の実測図です。<br />

    防空壕の実測図です。

  • 観覧用の入口です。

    観覧用の入口です。

  • 御文庫(防空壕)の説明です。

    御文庫(防空壕)の説明です。

  • 防空壕の入口です。<br />入口から地下面まで5.2mあります。主室・前室の上には3.5m程度の土盛がしてあります。

    防空壕の入口です。
    入口から地下面まで5.2mあります。主室・前室の上には3.5m程度の土盛がしてあります。

  • 爆風逃しです。<br />主室に風圧がかからないように、通路を通って地上に爆風を逃します。

    爆風逃しです。
    主室に風圧がかからないように、通路を通って地上に爆風を逃します。

  • 通路から前室への扉です。<br />コンクリト製の壁の厚さは70cmあります。

    通路から前室への扉です。
    コンクリト製の壁の厚さは70cmあります。

  • 前室より主室への扉です。

    前室より主室への扉です。

  • 主室です。<br />広さは6畳位(4.5m×2.5m)で、電気用コンセントや電話用コンセントが壁面にあります。両通路、両前室、主室のコンクリート製の壁には、建設当時から漆喰処理がされており、防空壕の内部は綺麗です。

    主室です。
    広さは6畳位(4.5m×2.5m)で、電気用コンセントや電話用コンセントが壁面にあります。両通路、両前室、主室のコンクリート製の壁には、建設当時から漆喰処理がされており、防空壕の内部は綺麗です。

  • 観覧用の出口です。<br />観覧用出口通路側には、オリジナルの木の扉が付いていました。

    観覧用の出口です。
    観覧用出口通路側には、オリジナルの木の扉が付いていました。

  • シラカシの大木です。<br />ドングリが沢山落ちていました。

    シラカシの大木です。
    ドングリが沢山落ちていました。

  • ダービー種牡馬の碑などが並んでいます。

    ダービー種牡馬の碑などが並んでいます。

  • 獣医学実地教育発祥の碑です。<br />明治11年(1878)から取香種畜場で、獣医の実地教育が始まるなど、日本の獣医学の基盤がここで築かれました。

    獣医学実地教育発祥の碑です。
    明治11年(1878)から取香種畜場で、獣医の実地教育が始まるなど、日本の獣医学の基盤がここで築かれました。

  • 名馬トウルヌソル之碑です。<br />フランス産馬でイギリスから種牡馬として輸入され、ダービー馬6頭を送る出しています。

    名馬トウルヌソル之碑です。
    フランス産馬でイギリスから種牡馬として輸入され、ダービー馬6頭を送る出しています。

  • 名馬ダイオライト之碑です。<br />イギリスの競走馬で種牡馬として輸入され、三冠馬セントライトなどを送り出しています。

    名馬ダイオライト之碑です。
    イギリスの競走馬で種牡馬として輸入され、三冠馬セントライトなどを送り出しています。

  • 新山荘輔銅像です。<br />日本獣医学の父で、34年間下総御料牧場長を勤め、新冠・外山両牧場長を兼務、小岩井農場長を兼務、地域開発にも追力されています。

    新山荘輔銅像です。
    日本獣医学の父で、34年間下総御料牧場長を勤め、新冠・外山両牧場長を兼務、小岩井農場長を兼務、地域開発にも追力されています。

  • 新山荘輔場長の経歴です。

    新山荘輔場長の経歴です。

  • 三里塚御料牧場記念館です。<br />新東京国際空港(成田空港)の建設に伴い、昭和44年(1969)に御料牧場が栃木県塩谷郡高根沢町に移転、御料牧場事務所のあったこの地に、昭和56年(1981)に成田市三里塚御料牧場記念館が開館しています。建物は御料牧場事務所を再現しています。

    三里塚御料牧場記念館です。
    新東京国際空港(成田空港)の建設に伴い、昭和44年(1969)に御料牧場が栃木県塩谷郡高根沢町に移転、御料牧場事務所のあったこの地に、昭和56年(1981)に成田市三里塚御料牧場記念館が開館しています。建物は御料牧場事務所を再現しています。

  • 明治天皇は、明治14年(1881)と翌15年の2度にわたり、下総種畜場へ行幸されています。

    明治天皇は、明治14年(1881)と翌15年の2度にわたり、下総種畜場へ行幸されています。

  • 三里塚御用牧場記念館の案内板です。

    三里塚御用牧場記念館の案内板です。

  • 記念館の展示風景、事務室前から撮影しています。<br />以下の28枚の記念館内部の写真は、成田市役所生涯学習課の許可を受けて撮影・掲載しています。

    記念館の展示風景、事務室前から撮影しています。
    以下の28枚の記念館内部の写真は、成田市役所生涯学習課の許可を受けて撮影・掲載しています。

  • 記念館の展示風景、農機具類の奥から撮影しています。

    記念館の展示風景、農機具類の奥から撮影しています。

  • 宗吾・飯仲古墳群から出土した、約1,500年前の古墳時代後期の馬形埴輪です。

    宗吾・飯仲古墳群から出土した、約1,500年前の古墳時代後期の馬形埴輪です。

  • 古代の駅と官牧の推定図です。

    古代の駅と官牧の推定図です。

  • 中世城郭・館跡・砦跡の配置図に佐倉七牧を重ねています。

    中世城郭・館跡・砦跡の配置図に佐倉七牧を重ねています。

  • 牧士が使用した和鞍・鐙・鞭です。

    牧士が使用した和鞍・鐙・鞭です。

  • 大久保利通は、下総牧羊場・取香種畜場の創設に尽力しました。

    大久保利通は、下総牧羊場・取香種畜場の創設に尽力しました。

  • 下総牧場図(昭和9年)と宮内庁下総御用牧場の門柱です。

    下総牧場図(昭和9年)と宮内庁下総御用牧場の門柱です。

  • 御料牧場の航空写真です。

    御料牧場の航空写真です。

  • 成田国際空港の写真に御料牧場の写真を重ねています。

    成田国際空港の写真に御料牧場の写真を重ねています。

  • 新山荘輔第5代御料牧場長のコーナーとブロンズ像です。

    新山荘輔第5代御料牧場長のコーナーとブロンズ像です。

  • 左上がトウルヌソル、右上がダイオライトの写真です。下は昭和12年第6回日本ダービ馬ヒサトモのブロンズ像です。

    左上がトウルヌソル、右上がダイオライトの写真です。下は昭和12年第6回日本ダービ馬ヒサトモのブロンズ像です。

  • 牧畜と農耕のコーナーです。

    牧畜と農耕のコーナーです。

  • 6頭曳きダブルブレーキングプラウです。

    6頭曳きダブルブレーキングプラウです。

  • 皇室と御料牧場のコーナーです。

    皇室と御料牧場のコーナーです。

  • お召し馬車(供奉車)です。<br />この馬車は、昭和28年(1953)に天皇皇后両陛下が御料牧場に来場される際、供奉車として使用されたものです。

    お召し馬車(供奉車)です。
    この馬車は、昭和28年(1953)に天皇皇后両陛下が御料牧場に来場される際、供奉車として使用されたものです。

  • お召し機用の特別展示品、御座所と御食事用テーブルです。<br />昭和46年(1971)に天皇皇后両陛下が、ヨーロッパを訪問された際、日本航空?がお召し機「DC-8-55」に合わせて改装し使用されたものです。

    お召し機用の特別展示品、御座所と御食事用テーブルです。
    昭和46年(1971)に天皇皇后両陛下が、ヨーロッパを訪問された際、日本航空?がお召し機「DC-8-55」に合わせて改装し使用されたものです。

  • お召し機用の特別展示品、御寝室用ベットです。

    お召し機用の特別展示品、御寝室用ベットです。

  • 三里塚と文人のコーナーです。

    三里塚と文人のコーナーです。

  • 水野葉舟の紹介です。

    水野葉舟の紹介です。

  • 水野葉舟の直筆原稿です。

    水野葉舟の直筆原稿です。

  • 高村光太郎の紹介です。

    高村光太郎の紹介です。

  • 高村光太郎の「春駒」です。

    高村光太郎の「春駒」です。

  • 最後に下総御用牧場を偲ぶ写真を紹介します。<br />「御料牧場事務所の正面入口」の写真です。

    最後に下総御用牧場を偲ぶ写真を紹介します。
    「御料牧場事務所の正面入口」の写真です。

  • 「花の下に遊ぶ親馬仔馬」の写真です。

    「花の下に遊ぶ親馬仔馬」の写真です。

  • 「綿羊の放牧風景」の写真です。

    「綿羊の放牧風景」の写真です。

  • 「馬車にゆられて牧場めぐり」の写真です。

    「馬車にゆられて牧場めぐり」の写真です。

  • 「花の牧場をサイクリング」の写真です。

    「花の牧場をサイクリング」の写真です。

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