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函館もずっと来たかった街でした。江戸時代から北前船の寄港地として、明治以降は、北洋漁業の本拠地として栄えました。現在は、国内貨物を扱い、セメント、石材などを運び出し、石油製品や廃棄物が運び込まれています。苫小牧、室蘭に次いで、道内3位の取扱量で、北海道全体の15%となっています。港の沖・南部に、埋積した大量の土砂を処理するために、浚渫土(しゅんせつど)で造られた約8haの人工島「緑の島」があります。<br />現在、倉庫群が建っている場所は、幕末に造船所や外国人居留地があった埋立地です。ここを「地蔵町築島」と呼ばれて、明治時代以降は「船場町」に改称されました。1872年に、開拓使の官吏だった福士成豊によって、日本人による最初の気象観測が行われた場所でもありました。文久3年(1863)に大分県出身の渡邉熊四郎が長崎から箱館に渡り、明治2年(1869)、大町に金森森屋洋物店を開業しました。これが、現在の赤煉瓦倉庫の始まりでした。

雨の函館港・赤煉瓦倉庫辺りを散歩

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2014/10/30 - 2014/10/31

1404位(同エリア4700件中)

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belledune

belleduneさん

函館もずっと来たかった街でした。江戸時代から北前船の寄港地として、明治以降は、北洋漁業の本拠地として栄えました。現在は、国内貨物を扱い、セメント、石材などを運び出し、石油製品や廃棄物が運び込まれています。苫小牧、室蘭に次いで、道内3位の取扱量で、北海道全体の15%となっています。港の沖・南部に、埋積した大量の土砂を処理するために、浚渫土(しゅんせつど)で造られた約8haの人工島「緑の島」があります。
現在、倉庫群が建っている場所は、幕末に造船所や外国人居留地があった埋立地です。ここを「地蔵町築島」と呼ばれて、明治時代以降は「船場町」に改称されました。1872年に、開拓使の官吏だった福士成豊によって、日本人による最初の気象観測が行われた場所でもありました。文久3年(1863)に大分県出身の渡邉熊四郎が長崎から箱館に渡り、明治2年(1869)、大町に金森森屋洋物店を開業しました。これが、現在の赤煉瓦倉庫の始まりでした。

旅行の満足度
4.5
  • 末広町倉庫通りにある高田嘉兵衛資料館は、嘗ての海産物倉庫2棟を活用しています。淡路出身の高田屋嘉兵衛は、28歳で回船問屋「高田屋」を開業しました。蝦夷地での交易に乗り出し、寛政10年(1798)に箱館に支店を設けました。幕府と深く関わり、当時難所とされていた択捉航路を確立したり、北方漁業を開発したりしました。寛政12年(1800)に幕府の蝦夷地常雇い船頭となり、苗字帯刀を許され、蝦夷地の交易を支配しました。

    末広町倉庫通りにある高田嘉兵衛資料館は、嘗ての海産物倉庫2棟を活用しています。淡路出身の高田屋嘉兵衛は、28歳で回船問屋「高田屋」を開業しました。蝦夷地での交易に乗り出し、寛政10年(1798)に箱館に支店を設けました。幕府と深く関わり、当時難所とされていた択捉航路を確立したり、北方漁業を開発したりしました。寛政12年(1800)に幕府の蝦夷地常雇い船頭となり、苗字帯刀を許され、蝦夷地の交易を支配しました。

  • 文化元年(1804)幕府が箱館港の改良工事(浅瀬を埋め立てる工事)をする際、造船所の併設を願い出て、蝦夷地唯一の造船所が出来ました。文化3年(1806)の箱館の大火後に、被災者のために長屋を建設し、提供したり、箱館の水不足では大阪から井戸掘り職人を呼び、7ヵ所に井戸を掘らせ、寄贈しました。また自費で道路の改修、植林事業などを行いました。

    文化元年(1804)幕府が箱館港の改良工事(浅瀬を埋め立てる工事)をする際、造船所の併設を願い出て、蝦夷地唯一の造船所が出来ました。文化3年(1806)の箱館の大火後に、被災者のために長屋を建設し、提供したり、箱館の水不足では大阪から井戸掘り職人を呼び、7ヵ所に井戸を掘らせ、寄贈しました。また自費で道路の改修、植林事業などを行いました。

  • 嘗て造船所があったところです。内部には北前船の模型などを展示しています。

    嘗て造船所があったところです。内部には北前船の模型などを展示しています。

  • 現在、茶屋旧茶屋亭として使用されているカフェ兼アクセサリー店は、明治末期の海産物商店の店舗兼住居の店舗部分です。典型的な和洋折衷様式。1992年から内部を改装して営業しています。

    現在、茶屋旧茶屋亭として使用されているカフェ兼アクセサリー店は、明治末期の海産物商店の店舗兼住居の店舗部分です。典型的な和洋折衷様式。1992年から内部を改装して営業しています。

  • 箱館港が賑わっていた頃が偲ばれます。100年前の写真を見ると一部が残っていて、保存されています。

    箱館港が賑わっていた頃が偲ばれます。100年前の写真を見ると一部が残っていて、保存されています。

  • ガラス戸の桟や色硝子が素晴らしい。

    ガラス戸の桟や色硝子が素晴らしい。

  • 現在車庫になっている脇の卯建部分は、100年前のものが残っています。

    現在車庫になっている脇の卯建部分は、100年前のものが残っています。

  • その先に日本で最初のコンクリートの電柱があります。大正12年(1923)10月に当時の函館水電会社(現・北海道電力)が建てました。高さ10mで、現場打ち工法でした。底辺が47cm四方、上辺た19,5cm四方の鉄筋コンクリート造で、角錐形は珍しい。

    その先に日本で最初のコンクリートの電柱があります。大正12年(1923)10月に当時の函館水電会社(現・北海道電力)が建てました。高さ10mで、現場打ち工法でした。底辺が47cm四方、上辺た19,5cm四方の鉄筋コンクリート造で、角錐形は珍しい。

  • 火災が頻繁に起こった函館では、この頃から耐火建築が増え始めましたそうです。

    火災が頻繁に起こった函館では、この頃から耐火建築が増え始めましたそうです。

  • 旧本久商店倉庫は、大正10年(1921)4月の函館の大火の翌年に建てられました。木骨煉瓦造りで、当時函館を代表する酒問屋だった本久商店の倉庫だった建物で、この手前に店舗がありました。青く塗られた倉庫に本久の屋号が浮かび上がっています。

    旧本久商店倉庫は、大正10年(1921)4月の函館の大火の翌年に建てられました。木骨煉瓦造りで、当時函館を代表する酒問屋だった本久商店の倉庫だった建物で、この手前に店舗がありました。青く塗られた倉庫に本久の屋号が浮かび上がっています。

  • 20数年前に、居酒屋、レストランとして再活用されていましたが、2011年に火災で閉店し、その後、洋菓子店が入りましが、これも現在閉店となっています。取り壊されないで、何かに活用してほしいですね。

    20数年前に、居酒屋、レストランとして再活用されていましたが、2011年に火災で閉店し、その後、洋菓子店が入りましが、これも現在閉店となっています。取り壊されないで、何かに活用してほしいですね。

  • 右から書かれた看板のキリンビール

    右から書かれた看板のキリンビール

  • 旧深谷米穀店は、大正6年(1917)に深谷仁佐吉が建てたものです。現在はスペイン料理店「ラ・コンチャ」として、孫の深谷宏さんがシェフをしています。

    旧深谷米穀店は、大正6年(1917)に深谷仁佐吉が建てたものです。現在はスペイン料理店「ラ・コンチャ」として、孫の深谷宏さんがシェフをしています。

  • 1階は、堅繁格子窓、(ささら)子下見板張り仕上げとなっています。この辺りは、明治末期から大正期は問屋街だったそうです。右側の旗はスペインの国旗です。

    1階は、堅繁格子窓、(ささら)子下見板張り仕上げとなっています。この辺りは、明治末期から大正期は問屋街だったそうです。右側の旗はスペインの国旗です。

  • 中では、料理人の方が忙しそうに準備中でした。

    中では、料理人の方が忙しそうに準備中でした。

  • 2階は、南京下見板張りに、縦長窓、胴蛇腹、軒蛇腹、持ち送りのある住居となっていました。

    2階は、南京下見板張りに、縦長窓、胴蛇腹、軒蛇腹、持ち送りのある住居となっていました。

  • こちら側の旗は、バスクの旗です。日本ではあまり知られていないですが。バスクと言えば、フランスのバスク地方に2週間滞在したことがあります。バスでスペインに2回遊びに行きました。戦前の豪華な国際鉄道駅があり、朝日新聞の日曜版に載っていました。バスク料理も毎日食べていましたが、フランスとスペインでは味が違いますので、次回はここで堪能させて頂きます。

    こちら側の旗は、バスクの旗です。日本ではあまり知られていないですが。バスクと言えば、フランスのバスク地方に2週間滞在したことがあります。バスでスペインに2回遊びに行きました。戦前の豪華な国際鉄道駅があり、朝日新聞の日曜版に載っていました。バスク料理も毎日食べていましたが、フランスとスペインでは味が違いますので、次回はここで堪能させて頂きます。

  • 深谷宏シェフは、理系に大学を出てから、料理人を目指して、ヨーロッパに武者修行に出掛けたそうです。スペインのレストランで見習いとして雇ってくれたので、スペイン料理を勉強したらしい。若い時は苦労すればする程、身に付いて帰って来るものですね。今日のお勧めは何でしょうか。

    深谷宏シェフは、理系に大学を出てから、料理人を目指して、ヨーロッパに武者修行に出掛けたそうです。スペインのレストランで見習いとして雇ってくれたので、スペイン料理を勉強したらしい。若い時は苦労すればする程、身に付いて帰って来るものですね。今日のお勧めは何でしょうか。

  • 3軒並んで擬洋風建築が並んでいます。

    3軒並んで擬洋風建築が並んでいます。

  • 地図上にはエールモリヤとありましたが、閉店のようです。再利用されますように。

    地図上にはエールモリヤとありましたが、閉店のようです。再利用されますように。

  • 隣の建物も閉店の様子です。

    隣の建物も閉店の様子です。

  • SOBAダイニングcocolo という有機野菜・玄米のレストラン兼ショップです。

    SOBAダイニングcocolo という有機野菜・玄米のレストラン兼ショップです。

  • 体に良い有機野菜を使ったメニューがあります。

    体に良い有機野菜を使ったメニューがあります。

  • 旧轟工業(現・和雑貨店いろは)ザ・グラススタジオ・イン函館2号<br />明治41年(1908)に建てられました木造洋館で、海産物問屋の店舗でした。1階が和風で、2階が洋風下見板張りの典型的な擬洋風建築です。建物の左端に、やはり卯建が見えています。防火のための卯建は、2階の屋根瓦と軒周りの漆喰部分までの高さとなっています。

    旧轟工業(現・和雑貨店いろは)ザ・グラススタジオ・イン函館2号
    明治41年(1908)に建てられました木造洋館で、海産物問屋の店舗でした。1階が和風で、2階が洋風下見板張りの典型的な擬洋風建築です。建物の左端に、やはり卯建が見えています。防火のための卯建は、2階の屋根瓦と軒周りの漆喰部分までの高さとなっています。

  • この建物の特徴は、2階の軒周りの漆喰でしょう。明治から大正期の函館の木造建築では、軒周りには豪華な装飾を施すというのが特色でしたが、漆喰を使っているのが他とは異なる点です。

    この建物の特徴は、2階の軒周りの漆喰でしょう。明治から大正期の函館の木造建築では、軒周りには豪華な装飾を施すというのが特色でしたが、漆喰を使っているのが他とは異なる点です。

  • 横から見た写真はこれしかないのですが、黄色の丸印が付いた屋根の漆喰の三角破風は珍しい。

    横から見た写真はこれしかないのですが、黄色の丸印が付いた屋根の漆喰の三角破風は珍しい。

  • 旧宝興業は、現在ガラス工房ザ・グラススタジオ・イン函館1号となっています。明治43年(1910)に煉瓦造りの平屋の倉庫です。アーチの入り口、軒蛇腹の下部や建物四隅に付けられた金具が特徴になっています。

    旧宝興業は、現在ガラス工房ザ・グラススタジオ・イン函館1号となっています。明治43年(1910)に煉瓦造りの平屋の倉庫です。アーチの入り口、軒蛇腹の下部や建物四隅に付けられた金具が特徴になっています。

  • 裏手から見たところです。

    裏手から見たところです。

  • 旧渡邉商店は、明治42年(1909)に建てられた木造2階建ての和洋折衷建築です。海産物問屋の店舗。昭和49年(1974)に「オーベルジュ古希庵はこだて」として、再利用されていましたが、平成22年に閉店したらしいです。11月10日に亡くなった高倉健主演の「居酒屋兆治」のロケに入り口辺りが使われたそうです。<br />1階は、堅繁格子のある町家風で、庇の間の意匠が特徴になっています。2階は下見板張りに、縦長窓の上下の装飾や桟、胴蛇腹、軒下の持ち送りやその下部の装飾が見事です。

    旧渡邉商店は、明治42年(1909)に建てられた木造2階建ての和洋折衷建築です。海産物問屋の店舗。昭和49年(1974)に「オーベルジュ古希庵はこだて」として、再利用されていましたが、平成22年に閉店したらしいです。11月10日に亡くなった高倉健主演の「居酒屋兆治」のロケに入り口辺りが使われたそうです。
    1階は、堅繁格子のある町家風で、庇の間の意匠が特徴になっています。2階は下見板張りに、縦長窓の上下の装飾や桟、胴蛇腹、軒下の持ち送りやその下部の装飾が見事です。

  • 洋館の1階と平屋部分の庇は、和風の持ち送りで繋がっています。

    洋館の1階と平屋部分の庇は、和風の持ち送りで繋がっています。

  • 古希庵のHPで内部の写真がありましたが、閉店してしまっているので、もう見られませんね。保存されることを願っています。

    古希庵のHPで内部の写真がありましたが、閉店してしまっているので、もう見られませんね。保存されることを願っています。

  • ホテル・シーボーン(Hotel Sea Borne) の灯りがちょっと気になったので、スタッフの方にパンフレットなど頂いてきました。住所:末広町14-28

    ホテル・シーボーン(Hotel Sea Borne) の灯りがちょっと気になったので、スタッフの方にパンフレットなど頂いてきました。住所:末広町14-28

  • 現在、テトラグループのホテルですが、2009年頃には観光客が激減したため、一時休業していたそうです。内部は新しく改装したものでちょっと私の趣味とはほど遠い気がしました。良い家具や調度品があるエントランスホールですが、内部の設計があまり上手くいっていないような感じでした。<br />建物をよく見ると、左側は円形になっていて、左側に客室棟が繋がっています。全てが新しい建物とも思えず、色々と調べたのですが、良く分かりませんでした。こんなことなら、スタッフ方に詳しく訊いておくんだったと後悔しました。

    現在、テトラグループのホテルですが、2009年頃には観光客が激減したため、一時休業していたそうです。内部は新しく改装したものでちょっと私の趣味とはほど遠い気がしました。良い家具や調度品があるエントランスホールですが、内部の設計があまり上手くいっていないような感じでした。
    建物をよく見ると、左側は円形になっていて、左側に客室棟が繋がっています。全てが新しい建物とも思えず、色々と調べたのですが、良く分かりませんでした。こんなことなら、スタッフ方に詳しく訊いておくんだったと後悔しました。

  • すっかり暗くなってからの方が、雰囲気が出ますね。

    すっかり暗くなってからの方が、雰囲気が出ますね。

  • そろそろ港に面した倉庫群ヘ行きます。

    そろそろ港に面した倉庫群ヘ行きます。

  • 金森赤煉瓦倉庫「BAYはこだて1号館」 

    金森赤煉瓦倉庫「BAYはこだて1号館」 

  • BAYはこだて1号館と2号館の間の運河に映るライトが綺麗ですが、手振れしてます。

    BAYはこだて1号館と2号館の間の運河に映るライトが綺麗ですが、手振れしてます。

  • 雨に煙る波止場は良いものです。函館の歴史は古く、約8500年前の縄文時代に、青森との間で船による交易が行われていたことが出土品から判明しています。しかし、港として歴史的に記録されたのは、18世紀半ばになってからのことです。<br />正面奥に元町、そして函館山があります。

    雨に煙る波止場は良いものです。函館の歴史は古く、約8500年前の縄文時代に、青森との間で船による交易が行われていたことが出土品から判明しています。しかし、港として歴史的に記録されたのは、18世紀半ばになってからのことです。
    正面奥に元町、そして函館山があります。

  • クリスマスの飾り付けがされています。毎年12月には、金森倉庫群前の海上に巨大なクリスマスツリーが設置されるそうです。

    クリスマスの飾り付けがされています。毎年12月には、金森倉庫群前の海上に巨大なクリスマスツリーが設置されるそうです。

  • 函館ヒストリープラザへ

    函館ヒストリープラザへ

  • 函館ヒストリープラザにある函館ビアホールは、船着場正面なので、船を見ながらビールを飲むのには最高です。この窓の正面がお勧めです。

    函館ヒストリープラザにある函館ビアホールは、船着場正面なので、船を見ながらビールを飲むのには最高です。この窓の正面がお勧めです。

  • これ、2杯目です。色んなビールを飲んでみました。美味しい...

    これ、2杯目です。色んなビールを飲んでみました。美味しい...

  • 倉庫なので、木組みそのままです。

    倉庫なので、木組みそのままです。

  • 函館ヒストリープラザ横には金森ホールという多目的ホールがあります。コンサートから各種展示会、コンベンション、結婚式などに利用されています。

    函館ヒストリープラザ横には金森ホールという多目的ホールがあります。コンサートから各種展示会、コンベンション、結婚式などに利用されています。

  • 西波止場に船が停留しています。

    西波止場に船が停留しています。

  • 「森」のマークのある金森洋物館です。明治2年に開業した金森森屋洋物店の屋号を森屋としましたが、金の横に曲尺の印が付いているのは、開業当時の商標です。商売に駆け引きは不要という初代らしい屋号となっています。

    「森」のマークのある金森洋物館です。明治2年に開業した金森森屋洋物店の屋号を森屋としましたが、金の横に曲尺の印が付いているのは、開業当時の商標です。商売に駆け引きは不要という初代らしい屋号となっています。

  • 明治18年(1885)共同運輸会社と郵便汽船三菱会社が合併して、日本郵船会社が設立しました。この合併で、共同運輸会社がそれまで使用していた倉庫や地所が不要になり、渡邉熊四郎がそれらを買い取って明治20年から函館で初めての営業倉庫業を始めました。明治23年(1890)頃には、海運業が栄えて、預かり貨物の量も増えていき、金森船具店などを開業したり、更に倉庫を増やしていきました。1656坪の土地に21棟の倉庫を所有するまでに成長しました。

    明治18年(1885)共同運輸会社と郵便汽船三菱会社が合併して、日本郵船会社が設立しました。この合併で、共同運輸会社がそれまで使用していた倉庫や地所が不要になり、渡邉熊四郎がそれらを買い取って明治20年から函館で初めての営業倉庫業を始めました。明治23年(1890)頃には、海運業が栄えて、預かり貨物の量も増えていき、金森船具店などを開業したり、更に倉庫を増やしていきました。1656坪の土地に21棟の倉庫を所有するまでに成長しました。

  • 渡邉熊四郎は、明治31年に函館麦酒醸造所の設立に尽力し、函館ビアホールを開店しました。明治40年に熊四郎が亡くなり、倉庫群で大火災が発生しました。金森倉庫も大きな被害を被り、6棟の倉庫を失いましたが、直に不燃質の建材を用いた倉庫再建の指示が下り、明治42年(1909)には完成しました。

    渡邉熊四郎は、明治31年に函館麦酒醸造所の設立に尽力し、函館ビアホールを開店しました。明治40年に熊四郎が亡くなり、倉庫群で大火災が発生しました。金森倉庫も大きな被害を被り、6棟の倉庫を失いましたが、直に不燃質の建材を用いた倉庫再建の指示が下り、明治42年(1909)には完成しました。

  • 昭和後期になると、輸送手段が飛行機などに移行したため、北洋漁業や造船業が縮小されて、箱館港の港湾機能もここから離れた北東部に移転することになりました。倉庫業も縮小することになり、昭和63年には倉庫の一角が「函館ヒストリープラザ」として利用されることなりました。その後、「BAYはこだて」や「函館クリスマススクエア」など色んな業種の店舗に再利用されて行きました。

    昭和後期になると、輸送手段が飛行機などに移行したため、北洋漁業や造船業が縮小されて、箱館港の港湾機能もここから離れた北東部に移転することになりました。倉庫業も縮小することになり、昭和63年には倉庫の一角が「函館ヒストリープラザ」として利用されることなりました。その後、「BAYはこだて」や「函館クリスマススクエア」など色んな業種の店舗に再利用されて行きました。

  • 平成元年(1989)に金森船具店が改装され、金森美術館として開館しました。フランス国外で初めてのバカラミュージアムとなりましたが、平成21年(2009)に閉店しました。見に行ってませんが、建物は保存されているそうです。また、平成6年(1994)に金森倉庫の約35%を改装し、金森洋物館をオープン。その後、平成15年(2003)に「BAYはこだて」を日本郵船から取得して、運営することになったそうです。現在も1020坪に及ぶ金森倉庫は、倉庫として利用されています。

    平成元年(1989)に金森船具店が改装され、金森美術館として開館しました。フランス国外で初めてのバカラミュージアムとなりましたが、平成21年(2009)に閉店しました。見に行ってませんが、建物は保存されているそうです。また、平成6年(1994)に金森倉庫の約35%を改装し、金森洋物館をオープン。その後、平成15年(2003)に「BAYはこだて」を日本郵船から取得して、運営することになったそうです。現在も1020坪に及ぶ金森倉庫は、倉庫として利用されています。

  • 明治館の裏手の入り口

    明治館の裏手の入り口

  • こちらが明治館の表通りに面したエントランス側です。明治44年(1911)に逓信省の設計で建てられた旧函館郵便局です。その後、昭和36年(1961)に民間に払い下げになり、倉庫として使用されていました。現在、地元の工芸家共同組合が中心となったショッピングモールになっています。

    こちらが明治館の表通りに面したエントランス側です。明治44年(1911)に逓信省の設計で建てられた旧函館郵便局です。その後、昭和36年(1961)に民間に払い下げになり、倉庫として使用されていました。現在、地元の工芸家共同組合が中心となったショッピングモールになっています。

  • 半円形のアーチ窓、正面破風部分の装飾などが特徴となっています。

    半円形のアーチ窓、正面破風部分の装飾などが特徴となっています。

  • 路地を曲がった建物側面

    路地を曲がった建物側面

  • 函館郵便局時代の内部は、吹き抜けで天窓からの採光で明るくなっています。

    函館郵便局時代の内部は、吹き抜けで天窓からの採光で明るくなっています。

  • 灯りに輝く蔦の葉が美しい

    灯りに輝く蔦の葉が美しい

  • 雨の石畳、風情があります。また雪の函館を見に来ます。

    雨の石畳、風情があります。また雪の函館を見に来ます。

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