2014/10/10 - 2014/10/10
44位(同エリア90件中)
滝山氏照さん
JR日豊本線の宮崎県県北に位置する延岡駅からバスに乗り途中五ヶ瀬川を渡り約10分、市役所前で下車すると地元市民から「城山」と親しまれている延岡城(のべおかじょう、宮崎県延岡市本小路)の雄大な姿が視野に入ります。
当該城は西から東に流れる五ヶ瀬川と大瀬川に囲まれた中洲状の独立丘陵に築かれたひじょうに見応えのある近世城郭となっています。
築城の経緯としては高橋元種(たかはし・もとたね、1571~1614)が慶長6年(1601)に築城を開始し、慶長8年(1603)に完成させていますが、慶長18年(1613)罪人を匿ったとして改易され、その後の藩主は有馬氏・三浦氏・牧野氏と続き内藤氏で幕末を迎え、途中明暦期の有馬氏によって改築を行なっています。
城内に建てられた説明板には下記のごとく紹介されています。
「市指定史跡 延 岡 城 跡 別名 県城・亀井城
指定年月日 平成10年3月30日
延岡城は県(延岡)藩主高橋元種(たかはし・もとたね)によって慶長6~8年(1601~03)にかけて築かれました。
元種は、松尾城(市内松山町)を拠点としていましたが、鉄砲の普及による戦法の変化に対応するため、五ヶ瀬川と大瀬川に囲まれた丘陵に県内最大の近世城郭を築きました。
当時は県城と呼ばれ、2つの河川を外堀とし、城内に内堀がつくられました。
城は天守台、本丸、二ノ丸、三ノ丸からなる本城(城山公園)と城主の居宅である西ノ丸(内藤記念館・亀井神社)の二郭で構成され、門・櫓などが整備されました。
なかでも二ノ丸にそびえる高さ22メートル総延長約70メートルの石垣は「千人殺し」と呼ばれ、本城郭を代表する石垣となっています。
慶長18年(1613)元種は改易され、岩城棚倉城主立花宗茂のもとへ預けられ、肥前国日之江の有馬直純が5万3千石で入封しました。
康純の時、承応元年~明暦元年(1652~1655)には城の大改修が行われ、三階櫓、二階門櫓などが完成し、翌年これを記念して今山八幡宮に梵鐘(初代城山の鐘・延岡の地名が初見する最古資料・内藤記念館所蔵)が奉納されました。
しかし永純の時天和2(1682・天和3年説もあり)年火災のため三階櫓は焼失し、以後三階櫓は再建されませんでした。
元禄4(1691)年、永純は無城地の越後糸魚川(新潟県糸魚川市)に転封となり、さらに越前丸岡(福井県坂井市)に移封されました。
その後、日向国初の譜代大名として、三浦明敬(みうら・あきひろ)が下野国壬生(栃木県壬生町)から2万3千石で入封し、この頃から藩名に延岡が多く使用されるようになりました。
明敬は正徳2年(1712)、三河国刈谷に移封され、牧野成央(まきの・なりなか)が三河国吉田(愛知県豊橋市)から8万石で入封、延享4年(1747)、岩城平(いわきたいら)(福島県いわき市)から内藤政樹(ないとう・まさき)が7万石で入封し、明治4年(1871)の廃藩置県まで8代続きました。
平成22年10月
延岡市教育委員会 」
- 旅行の満足度
- 4.0
- 交通手段
- 高速・路線バス JRローカル
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特急「にちりん」11号延岡(のべおか)駅到着
佐伯駅発(13:07)の特急「にちりん」11号がノンストップ運行で14:08に延岡駅に到着します。 -
特急「にちりん」11号出発
終着駅宮崎空港に向けて出発する特急電車を見送ります。延岡・日向エリアの企業は東京・大阪出張には宮崎空港を利用、JR九州は県内単線ながら時間短縮するため路盤強化するなどして高速化を実現しました。 -
延岡市内周辺観光マップ
駅前設置の観光地図をみると延岡城は五ヶ瀬川と大瀬川に囲まれた中洲にある独丘陵に築城されていることが判ります。
高橋元種は先に入った松尾城は平安時代後期から戦国時代前期にかけて延岡を中心に日向国北部を支配していた土持宣綱が15世紀中葉に築城し以降土持氏居城で、当該城は五ヶ瀬川上流の丘陵地に位置していますがその後延岡城築城したため松尾城は廃城となります。 -
延岡城跡説明(拡大)
駅前からバスに乗り約10分で延岡市役所前で下車、延岡城跡麓に設置されている駐車場に着きます。駐車場前には城山公園案内板があります。 -
歴代延岡城主碑
当該城は「県(あがた)城」または「亀井城」とも称され、九州平定で戦功あった高橋元種(たかはし・もとたね、1571~1614)がそれまでの県城を改築し、慶長19年(1614)に移封してきた有馬氏時代に城名を延岡城と改称し城及び城下町の拡大整備を行います。 -
三の丸への登城道
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三の丸登城道風景
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三の丸跡地柱標
案内板には直進は牧水碑・公園管理事務所へ、左へ登ると本丸鐘つき堂への案内板があります。また案内板傍らには「三の丸跡」の柱標が立っており自分はこのまま三の丸へ向かいます。尚「牧水」とは若山牧水(わかやま・ぼくすい、1885~1928)のことで当県日向市出身の歌人のことです。 -
三の丸跡
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本丸登城道
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本丸登城道
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本丸登城道
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本丸跡地
本丸中央部には軍服姿の立像を載せた台座塔があります。 -
内藤政挙立像
延享4年(1747)に牧野氏の転封の後、陸奥国磐城平藩(13万石)から7万石に減封されて延岡に入ったのは内藤政樹(ないとう・まさき、1703~1766)でその後代々8代に亘り支配が続きますが、本丸に建てられた銅像は最後の藩主である8代藩主政挙(まさたか)です。
政挙は藩主時代よりも藩知事免官後活躍し、慈善事業や教育活動にだけではなく銅山経営に着手、現在の旭化成に繋がる日本窒素の工場誘致を実現させ今日の延岡の経済基盤を作ります。 -
内藤政挙説明板
高い台座搭には政挙の説明板が取り付けられています。 -
殉国慰霊塔
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本丸跡風景
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市街展望
本丸から市街を捉えます。 -
二の丸石段
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二の丸石段
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二の丸石段
本丸から二の丸に繋がる石段を進むと枡形虎口に入ります。 -
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二階門櫓跡
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天守台登城道
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天守台跡柱標
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天守台跡風景
往時の本丸から天守台に向かう石段は立入禁止となっています。 -
天守台跡
広々とした敷地を見渡せば天守台跡というよりは天守郭と言ったほうがふさわしい広さに見えます。 -
天守台跡石段
現在は通行禁止となっていますが当時はこの石段を昇って天守台へ向かったと思われます。 -
天守台跡風景
天守台の一隅には何かの石碑が配されています。 -
鐘つき堂
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市街展望
天守台跡地から城郭の南側を流れる大瀬川流域を一望します。 -
市街展望
同様に天守台跡地から大瀬川から河口そして河口の先である日向灘を捉えます。 -
天守台風景
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天守台跡石垣
天守台からの帰路に本丸から天守台に上る石段と石垣を見上げます。 -
天守台跡石垣
左側に石垣を見ながら登城道を下ります。 -
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三階櫓跡地
跡地の付近には後藤勇吉の石碑が配されています。 -
後藤勇吉石碑
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後藤勇吉説明
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二階櫓跡
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二階櫓跡柱標
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二階櫓跡風景
二階櫓跡柱標辺りから二の丸方向を捉えます。 -
二の丸高石垣
いわゆる「千人殺し」と呼ばれる石垣が聳えていますが、この石垣には仕掛けがしてあって、ひとつの石垣を外すと石垣全体が崩壊して、千人の進入者を殺害できるという伝えがあります。 -
イチオシ
二の丸高石垣(千人殺し)石垣
算木積みにされた石垣角部を含め高さ約20mの豪快な勾配に迫力を感じます。 -
延岡城跡説明
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延岡城絵図(一部拡大)
有馬氏支配時代に作成された延岡城絵図で大瀬川と五ヶ瀬川に挟まれた中洲状の山地に描かれた延岡城の姿が見えます。 -
二の丸高石垣
登城石段を上がった所が二の丸跡で正面にはいわゆる「千人殺し」と称する高石垣が聳えています。 -
大手門
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内藤家墓所
大手門を出た所に内藤氏の歴代当主(4代・6代・8代以上磐城平藩、11代・12代以上延岡藩)が眠る菩提所があり、残念ながら内部公開されず門扉は開いていません。
以前は三福寺にあったものが五ヶ瀬川改修工事により明治42年に当地に移転しています。 -
内藤家墓所説明
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大手門
内藤氏墓所を離れて振り返ると大手門が見えます。 -
堀跡を泳ぐ鯉
城郭の北側を流れる五ヶ瀬川と南側を流れる大瀬川を外堀に見立て、城郭内部には内堀を設けていましたが、もしかして内堀の一部なのかもしれません。 -
市役所前バス停
再び市役所前バス停に戻り、延岡駅に戻り15:30発の各駅停電車に乗り南宮崎駅に向かいます。 -
各駅停車輌内部
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車輌内部
見上げると円状に作られたつり革が眼に入り思わずシャッタ‐をきりました。 -
沿線風景
かつてリニアモーター走行試験場として建設された高架橋は山梨県に移転した後撤去されず今では太陽熱発電装置が設置されています。有効活用でしょうが何やら異質な印象を受けます。 -
沿線風景
長々と続く放置されたリニアモーター走行試験高架橋の姿が邪魔で日向灘の景観が損なわれ廃止後の原状回復しないままの放置に実施企業の無責任さを感じます。
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