2014/10/10 - 2014/10/10
135位(同エリア226件中)
滝山氏照さん
「旧稲葉家別邸」は廃藩置県に伴って明治新政府命により東京へ移住した旧旧臼杵藩主・15代稲葉久通(いなば・ひさみち、1843~1893)の長男である順通(まさみち)が臼杵に里帰りした際の滞在所として明治35年(1902)に建築されたものです。
稲葉氏は慶長5年(1600)関ヶ原の戦い後、初代稲葉貞道(いなば・さだみち、1546~1603)が美濃国八幡藩(4万石)から豊後国3郡(5万石)を知行地とする臼杵藩主として入封以来、以降十五代久通まで、約270年に亘り稲葉氏が脈々と当地を支配していました。
稲葉氏と言えば梟雄と恐れられた美濃国主斎藤道三(さいとう・どうさん、1494?~1556)の家臣だった稲葉良通/一鉄(いなば・よしみち/いってつ、1515~1589)が知られており後に織田信長に仕え、信長の勢力拡大に伴って数々の武勲を挙げ「美濃三人衆」の一人として知られていますが、臼杵に入封した貞通は一鉄の二男に当たります。
さて稲葉氏の治世時代、周辺一帯は臼杵城の三の丸にあたり、評定所、米蔵などの重要施設や重臣の屋敷が連なっていました。
東京移住後も稲葉氏は旧国立第百十九銀行や旧臼杵藩士族の会社である「留恵社(りゅうけいしゃ)」への出資を行うなど臼杵の経済にも貢献しており、そのため臼杵に来る機会が少なからず、その滞在所として機能したのがこの旧別邸で明治時代後半の建築ではありますが武家屋敷の様式を色濃く残した建物となっています。
尚 徳川三代将軍家光の乳母である春日局は上述の稲葉一鉄の姪の娘で一鉄の長男重通(しげみち)の養女でもあり、このことで稲葉氏一族は更に名門として地位を高める事になります。
- 旅行の満足度
- 3.0
- 交通手段
- JRローカル
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旧稲葉家下屋敷御門
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イチオシ
「旧臼杵藩主稲葉家下屋敷」表札
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稲葉家下屋敷説明
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イチオシ
旧稲葉家下屋敷玄関
下屋敷は5棟で構成され最大の棟は大書院と呼ばれ、最初に客を迎え入れる「表」空間としての機能を有する建物です。 -
「旧稲葉家下屋敷」説明
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旧稲葉家下屋敷玄関(拡大)
玄関は表玄関(客用)と内玄関(家人用)に分けられて、格式を重んずる武家住宅の特徴を残しています。 -
「里帰りの為建設された屋敷」説明
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臼杵城歴代藩主一覧
築城とされた大友義鎮(宗麟)から福原直高、太田一吉を経て伊予の豪族河野氏の血を引く稲葉氏が入城して明治維新まで続きます。 -
上ノ間
書院造の上ノ間が当時の武家屋敷の姿を如実に示しています。 -
「旧稲葉家大書院」見取図
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旧稲葉家下屋敷庭園
上ノ間に近い廊下から眺める屋敷の庭園は手入れが行き届き、生き生きとした樹木がすがすがしく眼に入ります。 -
御台所座敷
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御台所土間
土間は吹き抜けとなっており、かまどの煙で屋根裏をいぶすための工夫が見られます。 -
「御台所」説明
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御居間座敷
いわゆる「奥」空間の中核になる建物で、稲葉氏が滞在寺、通常は御居間棟で起居していたと考えられます。
「居間」は当主の御座所として使用されていた考えられ、床の間や長押等が武家屋敷の格式を伝えています。 -
旧稲葉家下屋敷庭園
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旧稲葉家下屋敷庭園
庭園から隣接する旧平井家住宅への案内板が建っています。ここから石を伝って旧平井家まで進みます。 -
旧平井家住宅案内柱標
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旧平井家正門(内側)
平井家玄関内側から正門を捉えます。 -
旧平井家建物・玄関
天井裏の棟札から安政6年(1859)の銘の記載から建築年代が明らかとなります。明治時代に至るまでこの住宅は稲葉姓を名乗る200石取の上級武士の住まいでした。この武士は美濃国の高田氏でしたが稲葉氏に仕えるようになって稲葉姓を賜り、高田氏から稲葉氏を名乗るようになります。その後事情によって平井氏所有となり平井住宅と呼ばれるようになりました。 -
旧平井家住宅見取図・説明
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表玄関
玄関口を入ると接客用の「表玄関」と居住用の「内玄関」とに分かれています。 -
表玄関と内玄関説明
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旧平井家住居見取図・説明
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台所土間
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内玄関
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居住用部屋
接客用部屋は天井板が張られているのに対し、居住部屋は天井裏がそのまま露出しています。 -
旧稲葉家下屋敷庭園
旧平井家から戻る途中に稲葉氏下屋敷の庭園を一望します。 -
旧稲葉家下屋敷離れ棟(奥:西の間・手前:大西の間)
昭和17年以降に増築された建物ですが、下屋敷本体とのつなぎ目部分が双方の建物の劣化の要因となっていたこともあり、平成21年から大規模改修により離れ棟として整備されています。 -
旧稲葉家下屋敷庭園
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旧稲葉家下屋敷
庭園から屋敷方向を捉えます。 -
井戸
庭園内に設けられた井戸設備があります。 -
大銀杏の木
明治5年(1872)廃藩置県に伴い城郭を取り壊す時三の丸にあった大手門跡の位置を指し示すための目印として植林されたもので樹齢百三十年余りの年月を経ています。 -
「大銀杏の木」説明
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臼杵城跡
大手門跡から臼杵城跡の古橋を捉えます。
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