2014/10/09 - 2014/10/09
413位(同エリア667件中)
滝山氏照さん
寺町通りにある寶池山・西蓮寺(さいれんじ、大分県中津市寺町)は天正16年(1588)光心師によって開山されている寺院です。
境内説明によれば光心師は中津藩主黒田孝高(くろだ・よしたか、(法名を如水という)1546~1604)の末弟に当たり俗名は黒田市右衛門(くろだ・いちえもん)と言い、父親である黒田職隆(くろだ・もとたか、1524~1585)の逝去を機に仏門に入ります。
一方、孝高は豊臣秀吉の島津氏征伐の先鋒となって毛利輝元、吉川元春そして小早川隆景らと共に北九州に攻め入る島津勢に対し調略と戦い強力な火器を以て優勢に展開し、やがて態勢整った秀吉・秀長らの大部隊が島津勢を駆逐して遂に降伏に至らしめる契機を作ります。
天正15年(1587)その戦功によって孝高は豊前6郡の知行が与えられ12万3千石を以て一族揃って姫路から中津に入封しますが、光心師は兄である如水に従って中津に入りこの寺町に西蓮寺を建立初代住職となり、以降420年以上に亘ってこの地に法灯を伝えています。
2022年12月9日追記
境内に建てられた説明板には下記の通り紹介されています。
『 黒田官兵衛孝高(黒田如水)公 ゆかりの寺
浄土宗本願寺派
宝 池 山 西 蓮 寺
西蓮寺は、天正16年(1588年)に光心師によって開創された。光心師の俗名は「黒田市右衛門」であり、黒田孝高公の末弟で父・黒田美濃守職隆公の逝去時に出家した。黒田孝高公が播州より豊前中津に入国の際に兄・孝高公の御徳を慕い共に中津に入り、寺町に西蓮寺を建立し、初代住職となったのである。
以来420年以上の長きに亘り、現20代住職までこの地で法灯を伝えている。
現在の本堂は、金剛棟札を見ると発起人は8才の童子「播磨屋助次郎」とある。この童子が山国川から小石を運び立派な本堂を建てる用意をしていることを聞き、総代・小畑地親民は深く感激し再建に尽力した。
本堂は、再建当時藩主であった第8代奥平昌服公が度々お茶会を催した場所でもある。』
- 旅行の満足度
- 3.5
- 交通手段
- JRローカル
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西蓮寺・山門
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黒田官兵衛ポスター
「中津で天下の夢を見た」を入れた中津市ポスターが掲載されています。 -
西蓮寺・寺標
「浄土真宗本願寺派 寶池山 西蓮寺」と刻された石標が建立されています。 -
「黒田官兵衛孝高」幟
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西蓮寺説明板
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イチオシ
西蓮寺・本堂
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西蓮寺・本堂上部
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西蓮寺創立沿革・縁起
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西蓮寺・境内
本堂から山門方向を眺めます。 -
西蓮寺・境内
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寺町
黒田孝高は中津川に臨む城郭縄張を鑑み、背後から敵の侵入を防御する役割として河川に並行して寺院の集約を行っています。 -
旧豊後町
豊後の大友義統が配流され家臣が浪人しこの町に集まってきたということで「豊後町」と言われてます。 -
史跡めぐりコース案内
中津が生んだ福沢諭吉の旧宅がこの先のエリアに在ります。 -
旧船頭町
かつては下辺と呼ばれる武家屋敷であったが奥平氏が藩主を務めていた頃には町内の改造により「船頭町」と呼ばれるようになります。 -
福沢諭吉旧居正門
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福沢諭吉旧居
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福沢諭吉旧居
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福沢諭吉宅跡
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福沢諭吉旧宅の図
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大分県観光地図
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