2014/10/09 - 2014/10/09
484位(同エリア669件中)
滝山氏照さん
JR日豊本線中津駅より徒歩で約6分、鏡智山・円応寺(えんおうじ、大分県中津市寺町)は天正15年(1587)豊臣秀吉により豊前6郡・12万石を与えられ備前から豊前国・中津に移封した黒田官兵衛孝高(くろだ・かんべえ・よしたか、生誕不詳~1604)の開基、真誉上人見道上人開山による浄土宗の寺院で、黒田、細川そして小笠原と歴代大名より篤く崇敬されています。
また河童の由来の寺として名高い寺院とされ、境内の案内板では次の内容の記載があります。
「江戸中期当寺の寂玄上人が河童どもを仏の道に入らせ修業の末、河童の頭目三匹に戒名を授けた。河童たちは上人への御恩返しに寺を火災から守ったという。
この寺の瓦には「水」の印の瓦が葺かれていて、水乞いの祈りが捧げられと言う。境内に「河童の墓・河童の池」があって、今でも寺の法要の時には河童の頭目の回向を行っている。
当寺が受けた戒名は現存し、その頭目たちの戒名を彫った火難水難除けの護符の版木も残されている。」
尚当寺開山の真誉上人ですが彼は播州赤穂の出身で武門で名高い赤松氏の流れを伝える名家で黒田氏と同郷で孝高が中津に移る時も黒田氏に同道しています。
更に慶長3年(1600)に小倉に於いて同名の円応寺を建立、そして慶長7年(1602)如水室である光の方が出家し福岡城大手門が見える地に寺院を創建の折には室の招きにより円應寺の開山として役割を果たしています。
2022年12月8日追記
山門脇に建てられた当該寺院の説明板には次の如く紹介されています。
『 円 応 寺
天正15年(1587)に黒田官兵衛の開基によって建立された浄土宗の神です。開山は真誉上人見道和尚。慶長5年(1600)、見道和尚は黒田氏に従って福岡に移り、同名の円応寺を開きました。
円応寺の境内に河童の墓と呼ばれる五輪塔があります。「下毛郡誌」によるとこの墓は、宇都宮鎮房が誘殺された時、鎮房に一の太刀を浴びせた野村太郎兵衛祐勝の墓だとされています。野村太郎兵衛は黒田二十四騎の一人です。 』
- 旅行の満足度
- 3.5
- 交通手段
- JRローカル
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史跡案内標柱
この標柱は市内に万遍なく設置されており、見学者に対し心配りがなされています。 -
円応寺・山門
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円応寺表札
山門脇に掲示された表札には「浄土宗 鏡智山 円応寺」と描かれた表札が掲示されています。 -
円応寺説明板
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円応寺山門・瓦
瓦には「水」の印の瓦が葺かれていることが判ります。 -
円応寺山門・瓦
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円応寺・本堂
白亜の鉄筋造成の本堂が堂々と構えています。 -
延応寺・本堂内部
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円応寺由来・説明板
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円応寺・境内
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河童の墓と水紋瓦説明
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河童の墓・池
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河童の墓
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イチオシ
河童の墓(近景)
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河童の池跡
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河童の池跡(近景)
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円応寺・境内
本堂から山門方向を捉えます。 -
円応寺・鐘楼
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円応寺・境内
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寺町
かつては三寺しかなかったが、如水入府後は十の寺が建立され合計十三の寺院となり、城下町の東側を防御する役割も果たします。
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