2014/07/06 - 2014/07/06
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etoileさん
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賀茂御祖神社は通称下鴨神社と呼ばれ、式内社(名神大社)、山城国一宮、二十二社(上七社)の一社。
旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。
ユネスコの世界遺産に「古都京都の文化財」の1つとして登録されている。
賀茂別雷神社(上賀茂神社)とともに賀茂氏の氏神を祀る神社であり、両社は賀茂神社(賀茂社)と総称される。両社で催す賀茂祭(通称 葵祭)で有名。
賀茂別雷命(上賀茂神社祭神)の母の玉依姫命、玉依姫命の父の賀茂建角身命を祀るため「賀茂御祖神社」と呼ばれる。八咫烏は賀茂建角身命の化身である。
また境内に糺の森、みたらし池がある。
http://www.shimogamo-jinja.or.jp/index.html
京都の社寺では最も古い部類に入る。
社伝では、神武天皇の御代に御蔭山に祭神が降臨したという。
また、崇神天皇7年に神社の瑞垣の修造の記録があるため、この頃の創建とする説がある。
一説には、天平の頃に上賀茂神社から分置されたともされる。
上賀茂神社とともに奈良時代以前から朝廷の崇敬を受けた。
平安遷都の後はより一層の崇敬を受けるようになり、大同2年(807年)には最高位の正一位の神階を受け、賀茂祭は勅祭とされた。
『延喜式神名帳』では「山城国愛宕郡 賀茂御祖神社二座」として名神大社に列し、名神・月次・相嘗・新嘗の各祭の幣帛に預ると記載される。
弘仁元年(810年)以降約400年にわたり、斎院が置かれ、皇女が斎王として賀茂社に奉仕した。
平安時代中期以降、21年毎に御神体を除く全ての建物を新しくする
式年遷宮を行っていたが、本殿2棟が国宝に指定されたため、
現在は一部を修復するのみである。
- 旅行の満足度
- 3.0
- 観光
- 3.0
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下鴨神社の本殿特別観覧会に行ってきました。
観覧会の流れは
それぞれの時間に楼門前に集合
↓
供御所の建物内で、式年遷宮についての解説とヴァイオリンのソロ演奏会
↓
本殿観覧
↓
古神宝特別観覧
↓
解散
http://www.kojimacm.com/digest/140706_0707/140706_0707.html
http://www.ytv.co.jp/shimogamo/下鴨神社(賀茂御祖神社) 寺・神社・教会
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京都駅から下鴨神社までバスで30分なので渋滞を予測して
1時間みていたのに1時間以上かかってしまい、
神社にようやく着いたのは1時過ぎでした。
集合時間の12:50を過ぎていたのでバス停からダッシュして
引換場所に行き、待合場所の御供所に案内されると既に皆さん
畳に座って待機していました。
ギリギリまだ演奏場所への移動をしていないようでホッと一息。下鴨神社(賀茂御祖神社) 寺・神社・教会
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配布されたリーフレットの内容です。
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御供所
寛永5年造替、桁行九間、梁間三間、入母屋造、檜皮葺
重要文化財 -
御供所内部
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私はてっきりよくある寺社でのコンサートを想像していたので
バイオリン演奏はこの畳の場所から移動して用意された椅子に
座って並んで聞くものだと思っていました。
ところが演奏場所への移動はなく畳の上に直接座った状態のまま
バイオリンの演奏を聞くことに。
金屏風の前でのバイオリン演奏はちょっと宴会の余興のような雰囲気・・。
せっかく重要文化財の御供所で聞くバイオリン演奏だったのに
残念な気持ちになりました。
演出と言うのはやはり大事ですね。 -
約10分程の演奏が終わり、5分ほどしてようやく移動。
三井神社に移動後、若い神職の方のお祓い?祝詞を1分ほど受けてまたまた移動。
次はメインの本殿の見学。
修復中なのでかなり急な角度の足場を登り屋根部分の修復現場に到着。
ところが日曜なので修復工事は休みとのこと。
いやいやいや、まずはぁ?ですよ。
こんな大事なことは記載しておいて下さいよ。
いったい高いお金を払って何を見に来たと思っているんですか?
本殿だけを見に来た訳じゃなくて修復の様子を見にきたんだから。
しかも本殿と言っても屋根部分だけで内部は一切見れないし、
撮影は禁止だしで何しに来たのか全く意味がありませんでした。
見学自体は10分程度でタイムリミット。
来た道を戻って次はお庭と宝物を自由見学。 -
三井神社
摂社
山城国『風土記』に「蓼倉里三身社」とある社で、本宮の若宮(若々しいご神霊)としての信仰があり、賀茂建角身命、玉依媛命、伊賀古夜媛命の三神がまつられています。
重要文化財 -
お庭の散策。
葵の庭(カリンの庭) -
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水ごしらえ場
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御井(みい) 重要文化財
神饌の御水や若水神事など御水の祭事が行われる所である。
井戸の井筒を井戸屋形。
上屋を井戸屋と呼び全体を御井と称している。
井戸屋の前に「水ごしらえ場」がある。
式内末刀社の御祭神が御降臨される処との伝承の石がある。
毎年12月12日には御薬酒神事と若水をくむ古代様式の神事が行われる。
また井戸が文化財に指定されているのは他に例をみない。 -
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大炊殿
寛永5年造替、桁行五間、梁間三間、切妻造、本瓦葺
重要文化財
神饌(お供え)の御料を煮炊きし、調理をする社殿で大炊所(おおいどころ)とも呼ばれている。
入口の土間に竈があり、中の間は、お供えの材料や用具を洗ったり、調理する台所。奥の間は、盛り付けをし、神前へお供えする順に並べておく配膳棚が設けてある。
古くは、この社殿ではご飯、餅、ぶと、まがり(お菓子)など穀物類が調理された。お酒は酒殿。魚介鳥類に贄殿で料理されていたが、文明2年(1470)6月10日、乱の兵火によって焼失した。
その後、大炊殿は、現在の場所に再興された。酒殿は退転、贄殿は、供御所の一間に充てられた。神社建築のなかでこの種の社殿が現存するのは非常に希で貴重である。 -
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唐車
屋根の造りが「唐破風(からはふ)」になっていることから名づけられたもので、上皇(じょうこう)・皇后・東宮(とうぐう)・親王または摂政・関白が用いた最も格式の高い牛車です。
乗車の際には後方から、降車の際には前方から降りる事が決められ、車内には畳が敷かれています。江戸時代のものを復元しました。 -
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偽装馬車
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宝物見学を終えて最後にネックホルダーを返却して解散となりました。
1グループ30人ほどの人数に対してアルバイトの学生と思わしき
人間の数が多すぎる印象。
一人か二人で十分でしょ。チケット代が高い理由は人件費だと推測。
それだけ人数雇ったなら宝物の説明とかしてくれればいいのになと
思いました。
翌日は直会殿でのバイオリン演奏だったようでそちらは
ちゃんと椅子に座っての演奏だったようです。
7日の方が良かったなとちょっと残念な気持ちで観覧会を終えました。 -
下鴨神社を後にする前に少し境内を散策。
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井上社(御手洗社)
井戸の上に祀られることから井上社とも言われます。御手洗社から湧きだす清水で葵祭の斎王代の禊ぎや土用の丑の日に行われる足つけ神事(御手洗祭り)が行われます。御手洗池から湧き出るアワを人の型にかたちどったのが「みたらし団子」で、ここが発祥の地とされています。御手洗祭 祭り・イベント
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細殿
寛永5年造替、桁行五間、梁間二間、入母屋造、中央向拝、桧皮葺
重要文化財
歌会、茶会等が行われる殿舎。平安時代の当神社『神殿記』に「細殿」とあり、歴代天皇の行幸、上皇、法皇、院、関白賀茂詣には、歌会などが行われた社殿である。
近くは、霊元天皇、享保年中の行幸に歌会が行われた。また、天明度御所回禄(火災)には、内待所(賢所)の奉安所となり、文久、回禄の時には、祐宮(明治天皇)安座所となったほか、文久3年、孝明天皇賀茂行幸には、徳川家茂将軍の待所となるなど歴史的な社殿である。
内部の構造は、二重合天井となっており、外部は向拝付流造という建築学的にも貴重である。 -
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舞殿
寛永5年造替、桁行四間、梁間三間、入母屋造、妻入、桧皮葺
重要文化財
賀茂祭(葵祭)のとき勅使が御祭文を奏上され東游が奉納される。
御所が災害にあわれたとき、臨時の内侍所と定められている。
式年遷宮寛永5年度(1628)造替後は、21年目ごとに解体修理が行われる。
入母屋造、檜皮葺、桁行四間、梁間三間。殿上は、宣命座の設置など柱間ごとに、細かく規定されている。 -
橋殿
寛永5年造替、桁行四間、梁間三間、入母屋造、妻入、桧皮葺
重要文化財
御蔭祭のとき、御神宝を奉安する御殿。古くは御戸代会(みとしろえ)神事、奏楽、里神楽、倭舞(やまとまい)が行われていた。
また行幸、御幸のさい、公卿、殿上人の控え所と定められていた。
現在は名月管絃祭、正月神事等年中祭事のときに神事芸能が奉納される社殿。 -
楼門 楼門(重要文化財) 楼門廻廊(重要文化財)
寛永5年造替、三間一戸楼門、入母屋造、桧皮葺
重要文化財楼門廻廊
寛永五年造替、桁行十六間、梁間一間、東西二棟、端切妻造、桧皮葺
重要文化財
高さ20メートル。東西の廻廊とも、古代様式を伝えている。
21年ごとの式年遷宮ごとに造替されてきたが寛永度以降は解体修理をして保存されている。
西廻廊の床張の一間は賀茂祭(葵祭)のとき勅使がここで剱を解かれる間(剣の間)である。
楼門、東西廻廊とも、式年遷宮寛永5年度(1628)造替になった。 -
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神服殿
寛永6年造替、桁行五間、梁間四間、入母屋造、桧皮葺
重要文化財
行幸の節に玉座となる殿舎。夏、冬の御神服を奉製する御殿であったため、その名がある。
古代祭祀の神殿様式を伝える貴重な社殿である。近世は、勅使殿又は着到殿となり古来殿内の一室が行幸のときは、玉座となった。
「開けずの間」として伝えられている。
古くから御所が災害にあわれた時、臨時の御座所と定められている。
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