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寛永寺は、東京都台東区上野桜木一丁目にある天台宗関東総本山の寺院。<br />山号は東叡山。東叡山寛永寺円頓院と号する。<br />開基(創立者)は徳川家光、開山(初代住職)は天海、本尊は薬師如来である。<br /><br />徳川将軍家の祈祷所・菩提寺であり、徳川歴代将軍15人のうち6人が寛永寺に眠る。<br />17世紀半ばからは皇族が歴代住職を務め、日光山、比叡山をも管轄する天台宗の本山と<br />して近世には強大な権勢を誇ったが、慶応4年(1868年)の上野戦争で主要伽藍を焼失した。<br />

東京散歩 上野 寛永寺

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2014/07/21 - 2014/07/21

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etoileさん

寛永寺は、東京都台東区上野桜木一丁目にある天台宗関東総本山の寺院。
山号は東叡山。東叡山寛永寺円頓院と号する。
開基(創立者)は徳川家光、開山(初代住職)は天海、本尊は薬師如来である。

徳川将軍家の祈祷所・菩提寺であり、徳川歴代将軍15人のうち6人が寛永寺に眠る。
17世紀半ばからは皇族が歴代住職を務め、日光山、比叡山をも管轄する天台宗の本山と
して近世には強大な権勢を誇ったが、慶応4年(1868年)の上野戦争で主要伽藍を焼失した。

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  • 創建と伽藍整備<br /><br />江戸にあった徳川家の菩提寺のうち、増上寺は中世から存在した寺院であったが、寛永寺は天海を開山とし、<br />徳川家により新たに建立された寺院である。<br />寛永2年(1625年)3代将軍徳川家光の時に今の東京国立博物館の敷地に本坊(貫主の住坊)が建立された。<br />この年が寛永寺の創立年とされている。<br />当時の年号をとって寺号を「寛永寺」とし、京の都の鬼門(北東)を守る比叡山に対して、<br />「東の比叡山」という意味で山号を「東叡山」とした。

    創建と伽藍整備

    江戸にあった徳川家の菩提寺のうち、増上寺は中世から存在した寺院であったが、寛永寺は天海を開山とし、
    徳川家により新たに建立された寺院である。
    寛永2年(1625年)3代将軍徳川家光の時に今の東京国立博物館の敷地に本坊(貫主の住坊)が建立された。
    この年が寛永寺の創立年とされている。
    当時の年号をとって寺号を「寛永寺」とし、京の都の鬼門(北東)を守る比叡山に対して、
    「東の比叡山」という意味で山号を「東叡山」とした。

    寛永寺 寺・神社・教会

  • 江戸時代後期、最盛期の寛永寺は寺域30万5千余坪、寺領11,790石を有し、<br />子院は36か院に及んだ<br />(現存するのは19か院)。<br />現在の上野公園のほぼ全域が寛永寺の旧境内である。<br />たとえば、現在の東京国立博物館の敷地は寛永寺本坊跡であり、博物館南側の大噴水広場は、根本中堂のあったところである

    江戸時代後期、最盛期の寛永寺は寺域30万5千余坪、寺領11,790石を有し、
    子院は36か院に及んだ
    (現存するのは19か院)。
    現在の上野公園のほぼ全域が寛永寺の旧境内である。
    たとえば、現在の東京国立博物館の敷地は寛永寺本坊跡であり、博物館南側の大噴水広場は、根本中堂のあったところである

    寛永寺 寺・神社・教会

  • 現存する伽藍<br />本堂(根本中堂)−東京芸術大学音楽学部の裏手にある。<br />現在の堂は、寛永寺の子院・大慈院のあった敷地に川越喜多院の本地堂を移築したもので、寛永寺本来の建物ではない。<br />内陣には厨子内に秘仏本尊薬師三尊像を安置する(堂内は非公開)。<br />

    現存する伽藍
    本堂(根本中堂)−東京芸術大学音楽学部の裏手にある。
    現在の堂は、寛永寺の子院・大慈院のあった敷地に川越喜多院の本地堂を移築したもので、寛永寺本来の建物ではない。
    内陣には厨子内に秘仏本尊薬師三尊像を安置する(堂内は非公開)。

    寛永寺 寺・神社・教会

  • 東京・上野寛永寺と言えば絵巻物にも残る有名なお寺ですが、<br />観光客も少なくひっそりしていました。

    東京・上野寛永寺と言えば絵巻物にも残る有名なお寺ですが、
    観光客も少なくひっそりしていました。

  • 徳川家のお墓があるようですが、そこはお金を払わないと見せてもらえない<br />ようです。

    徳川家のお墓があるようですが、そこはお金を払わないと見せてもらえない
    ようです。

  • 徳川家の菩提寺と言うことで葵の紋が屋根にあります。

    徳川家の菩提寺と言うことで葵の紋が屋根にあります。

  • 子院の一つ <br />東博隣の開山堂(両大師)<br /><br />開山堂は、東叡山の開山である慈眼大師天海大僧正をお祀りしているお堂です。天海僧正が尊崇(そんすう)していた慈惠大師良源大僧正もお祀りしているところから、一般に?両大師?と呼ばれ、庶民に信仰されてきました。<br />   初建は正保元年(1644)ですが、現在のお堂は平成五年に再建されたものです。

    子院の一つ 
    東博隣の開山堂(両大師)

    開山堂は、東叡山の開山である慈眼大師天海大僧正をお祀りしているお堂です。天海僧正が尊崇(そんすう)していた慈惠大師良源大僧正もお祀りしているところから、一般に?両大師?と呼ばれ、庶民に信仰されてきました。
    初建は正保元年(1644)ですが、現在のお堂は平成五年に再建されたものです。

    寛永寺 寺・神社・教会

  • 境内西側に本堂(1993年再建)、東側に輪王殿(斎場)がある。輪王殿の手前には西隣の東京国立博物館敷地から移築した寛永寺旧本坊表門<br />(重要文化財)が建つ。本堂前の鐘楼に懸かる梵鐘は慶安4年(1651年)の製作。本堂前の参道左右の銅燈籠はもと上野の大猷院(徳川家光)霊廟に奉納されたものである。<br />

    境内西側に本堂(1993年再建)、東側に輪王殿(斎場)がある。輪王殿の手前には西隣の東京国立博物館敷地から移築した寛永寺旧本坊表門
    (重要文化財)が建つ。本堂前の鐘楼に懸かる梵鐘は慶安4年(1651年)の製作。本堂前の参道左右の銅燈籠はもと上野の大猷院(徳川家光)霊廟に奉納されたものである。

  • 寛永寺旧本坊表門<br />切妻造り本瓦葺、潜門付きの薬医門である。通称・黒門。現在の東京国立博物館の敷地はもと寛永寺本坊であり、<br />その正面にあった門である。明治15年(1882年)東京国立博物館の前身である博物館が上野公園に移転・開館した際にその正門として使用された。]<br />関東大震災の後、博物館改築に伴い現在地に移築された。門扉には上野戦争の際の弾痕がある。<br />なお、寛永寺入口にあった「黒門」(荒川区円通寺に移築)とは別の門である。昭和21年(1946年)11月29日指定。平成元年(1989年)の火災の際は焼失をまぬがれた。

    寛永寺旧本坊表門
    切妻造り本瓦葺、潜門付きの薬医門である。通称・黒門。現在の東京国立博物館の敷地はもと寛永寺本坊であり、
    その正面にあった門である。明治15年(1882年)東京国立博物館の前身である博物館が上野公園に移転・開館した際にその正門として使用された。]
    関東大震災の後、博物館改築に伴い現在地に移築された。門扉には上野戦争の際の弾痕がある。
    なお、寛永寺入口にあった「黒門」(荒川区円通寺に移築)とは別の門である。昭和21年(1946年)11月29日指定。平成元年(1989年)の火災の際は焼失をまぬがれた。

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