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真夏でも涼しい標高1500mの聖地 上高地は、「神降地」が名の由来。巷の初秋は、ここ上高地では初冬の装いです。明治時代に英国人ウェストンによって世界に紹介され、今や年間200万人が訪れる世界に誇る日本屈指の山岳景勝地。毎年4/27の開山祭から11/15の閉山祭までが開山期間で、マイカー規制されているため環境が保護され、整備された遊歩道からは穂高をはじめとする3000m級の霊峰を間近に仰ぎ見ることができます。<br />手付かずの自然が多く残り、大自然の宝庫と呼ばれるのは、上高地のリゾート観光地としての歴史がまだ浅いためです。観光客がこの地を訪れるようになったのは昭和年代に入ってからです。1927年、芥川龍之介が河童橋を題材に小説『河童』を発表。同年、秩父宮殿下が登山に訪れ、またケショウヤナギで理学的発見がなされるなど衆目の的になりました。その後、国の名勝および天然記念物に指定され、初の山岳リゾートホテルが開業し、1940年代には登山ブームがヒートアップしました。日本中のアルピニストの憧憬の的である槍ヶ岳などへのアプローチのひとつでもあり、観光客から重いザックを背負った登山客まで多様な人々が行き交うアウトドア派の聖地です。近年は、海外からの観光客や登山客にも人気を博しているスポットです。<br /><br />上高地散策マップです。ネット上には多々ありますが、これが一番詳しいです。<br />http://www.alps-kanko.jp/pdf/map-kami.pdf<br />

桐葉知秋 信濃路逍遥⑤上高地<前編>

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2014/09/26 - 2014/09/28

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montsaintmichel

montsaintmichelさん

真夏でも涼しい標高1500mの聖地 上高地は、「神降地」が名の由来。巷の初秋は、ここ上高地では初冬の装いです。明治時代に英国人ウェストンによって世界に紹介され、今や年間200万人が訪れる世界に誇る日本屈指の山岳景勝地。毎年4/27の開山祭から11/15の閉山祭までが開山期間で、マイカー規制されているため環境が保護され、整備された遊歩道からは穂高をはじめとする3000m級の霊峰を間近に仰ぎ見ることができます。
手付かずの自然が多く残り、大自然の宝庫と呼ばれるのは、上高地のリゾート観光地としての歴史がまだ浅いためです。観光客がこの地を訪れるようになったのは昭和年代に入ってからです。1927年、芥川龍之介が河童橋を題材に小説『河童』を発表。同年、秩父宮殿下が登山に訪れ、またケショウヤナギで理学的発見がなされるなど衆目の的になりました。その後、国の名勝および天然記念物に指定され、初の山岳リゾートホテルが開業し、1940年代には登山ブームがヒートアップしました。日本中のアルピニストの憧憬の的である槍ヶ岳などへのアプローチのひとつでもあり、観光客から重いザックを背負った登山客まで多様な人々が行き交うアウトドア派の聖地です。近年は、海外からの観光客や登山客にも人気を博しているスポットです。

上高地散策マップです。ネット上には多々ありますが、これが一番詳しいです。
http://www.alps-kanko.jp/pdf/map-kami.pdf

旅行の満足度
5.0
同行者
カップル・夫婦
交通手段
高速・路線バス 新幹線 JR特急 JRローカル 徒歩

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  • アルピコ交通株式会社 上高地線(7番線)<br />松本〜新島々間を結ぶ「Highland Rail(=高原鉄道)」です。元京王電鉄の井の頭線を走っていた車両をリサイクルしています。30分程で新島々に到着します。そこからバスが連絡しており、10分ほどで発車します。バスには、1時間ほど乗車します。尚、バスは先着順の乗車ですので、電車の先頭車両(乗車扉に向かって左方向へ進行します)に乗られることをお勧めします。シーズン中は積み残しもあるようです(山間地を走るため、補助席を含めて着席必須)。<br />乗車券は、電車、バスセット往復券が割安で、JR松本駅の自販機で購入できます。尚、時刻表は季節ごとに変わりますので要チェックです。<br />http://www.alpico.co.jp/access/rail/<br /><br />上高地を訪れる前日、松本駅で配られた号外で「御嶽山噴火」のニュースを知り愕然としました。噴火警戒レベル1の山が、7年ぶりに突然噴火するとは…。気象庁では火山性群発地震から「火山灰等の噴出の可能性」を警告し、NHKでもそのことを報じていたそうですが、自重するには至らなかった結果なのでしょう。当方も全く知らず、危険と隣り合わせという感覚はありませんでした。結果論ですが、気象庁が警告したのならば、直接登山客に注意喚起がなされてもよかったかもしれません。<br />実は上高地にも焼岳という活火山が存在し、それが噴火すれば車両による出口が塞がれ、孤立してしまいます。交通手段のない冬山で超える徳本峠を経て、あるいは山越えして戻るしかすべがありません。マグマが連鎖反応することはないようですが、慎重に情報を集め、まず問題ないだろうとの判断で上高地行きを断行しました。<br />気象庁の担当者は会見で、「噴火予知は困難だった」とする認識を示されました。御嶽山は古来より山岳信仰に篤い山なのですが、時として大自然の猛威は神通力以上のパワーで牙をむくことを実感しました。このような活火山に観光用のロープウェイさえ設けているのは、自然に対する冒涜ということなのかもしれません。阿蘇山なども観光地化され、避難シェルターも整備されて久しいのですが、今回の教訓を活かしたより安全な対策が早期に望まれるところです。亡くなられた方々のご冥福と、負傷された方々の早期回復を祈念させていただきます。<br />

    アルピコ交通株式会社 上高地線(7番線)
    松本〜新島々間を結ぶ「Highland Rail(=高原鉄道)」です。元京王電鉄の井の頭線を走っていた車両をリサイクルしています。30分程で新島々に到着します。そこからバスが連絡しており、10分ほどで発車します。バスには、1時間ほど乗車します。尚、バスは先着順の乗車ですので、電車の先頭車両(乗車扉に向かって左方向へ進行します)に乗られることをお勧めします。シーズン中は積み残しもあるようです(山間地を走るため、補助席を含めて着席必須)。
    乗車券は、電車、バスセット往復券が割安で、JR松本駅の自販機で購入できます。尚、時刻表は季節ごとに変わりますので要チェックです。
    http://www.alpico.co.jp/access/rail/

    上高地を訪れる前日、松本駅で配られた号外で「御嶽山噴火」のニュースを知り愕然としました。噴火警戒レベル1の山が、7年ぶりに突然噴火するとは…。気象庁では火山性群発地震から「火山灰等の噴出の可能性」を警告し、NHKでもそのことを報じていたそうですが、自重するには至らなかった結果なのでしょう。当方も全く知らず、危険と隣り合わせという感覚はありませんでした。結果論ですが、気象庁が警告したのならば、直接登山客に注意喚起がなされてもよかったかもしれません。
    実は上高地にも焼岳という活火山が存在し、それが噴火すれば車両による出口が塞がれ、孤立してしまいます。交通手段のない冬山で超える徳本峠を経て、あるいは山越えして戻るしかすべがありません。マグマが連鎖反応することはないようですが、慎重に情報を集め、まず問題ないだろうとの判断で上高地行きを断行しました。
    気象庁の担当者は会見で、「噴火予知は困難だった」とする認識を示されました。御嶽山は古来より山岳信仰に篤い山なのですが、時として大自然の猛威は神通力以上のパワーで牙をむくことを実感しました。このような活火山に観光用のロープウェイさえ設けているのは、自然に対する冒涜ということなのかもしれません。阿蘇山なども観光地化され、避難シェルターも整備されて久しいのですが、今回の教訓を活かしたより安全な対策が早期に望まれるところです。亡くなられた方々のご冥福と、負傷された方々の早期回復を祈念させていただきます。

  • 上高地 大正池<br />バスの車窓からのショットです。<br />上高地で奥穂高岳〜吊尾根〜前穂高岳が見通せるのはここからだけです。<br />この写真を撮るには、バスの左側の座席に座るのが秘訣です。<br />一瞬ですのでチャンスを逃さないでください。

    上高地 大正池
    バスの車窓からのショットです。
    上高地で奥穂高岳〜吊尾根〜前穂高岳が見通せるのはここからだけです。
    この写真を撮るには、バスの左側の座席に座るのが秘訣です。
    一瞬ですのでチャンスを逃さないでください。

  • 上高地 大正池<br />慌てたため、ブレてしまいました。<br /><br />復路のバスに乗車するには、あらかじめ乗車整理券を窓口で貰っておく必要があります。これは、混雑した場合などに、積み残しが生じないようにするための配慮です。すでに満席になっている場合は、発車時間を変更しなくてはなりません。ですから、到着後、すぐに整理券を貰っておかれることをお勧めします。<br />バスターミナル出札窓口に往路の乗車券を提示し、乗車するバスの時間指定をし、整理券を受け取ります。当日だけでなく、乗車日の2日前分から受け付けています。<br />乗車は整理券の番号順になるため、発車の10分前には④番乗車口で待つようにします。不在の場合は、後回しにされます。場合によっては、キャンセルと見做されることもあります。<br />

    上高地 大正池
    慌てたため、ブレてしまいました。

    復路のバスに乗車するには、あらかじめ乗車整理券を窓口で貰っておく必要があります。これは、混雑した場合などに、積み残しが生じないようにするための配慮です。すでに満席になっている場合は、発車時間を変更しなくてはなりません。ですから、到着後、すぐに整理券を貰っておかれることをお勧めします。
    バスターミナル出札窓口に往路の乗車券を提示し、乗車するバスの時間指定をし、整理券を受け取ります。当日だけでなく、乗車日の2日前分から受け付けています。
    乗車は整理券の番号順になるため、発車の10分前には④番乗車口で待つようにします。不在の場合は、後回しにされます。場合によっては、キャンセルと見做されることもあります。

  • 上高地 河童橋を望む<br />上高地は、その美しい景観から「特別名勝」と「特別天然記念物」と言う二冠の称号に輝く稀有な観光地です。因みに、黒部峡谷と上高地のみが二冠に認定されています。 <br />「特別名勝」とは、文化財保護法で指定された名勝のうち、特に価値が高いと認められたものであり、国宝と同格の扱いです。名勝地や景勝地とも呼ばれ、宮城の松島、金沢兼六園、天橋立など、全35件が指定されています。 <br />「特別天然記念物」とは、天然記念物(価値の高い自然物)の中でも世界的、国家的に貴重なものとして指定されたものです。上高地は、「天然保護区域」とも呼ばれ、北海道の大雪山系などと並び大切に守り続けねばならないもののひとつです。その他、特別天然記念物には、【動物】トキやコウノトリなど21件、【植物】屋久島スギ原生林など30件、【地質・鉱物】白骨温泉の墳湯丘など20件が指定され、保護には国を挙げての徹底が図られています。

    上高地 河童橋を望む
    上高地は、その美しい景観から「特別名勝」と「特別天然記念物」と言う二冠の称号に輝く稀有な観光地です。因みに、黒部峡谷と上高地のみが二冠に認定されています。
    「特別名勝」とは、文化財保護法で指定された名勝のうち、特に価値が高いと認められたものであり、国宝と同格の扱いです。名勝地や景勝地とも呼ばれ、宮城の松島、金沢兼六園、天橋立など、全35件が指定されています。
    「特別天然記念物」とは、天然記念物(価値の高い自然物)の中でも世界的、国家的に貴重なものとして指定されたものです。上高地は、「天然保護区域」とも呼ばれ、北海道の大雪山系などと並び大切に守り続けねばならないもののひとつです。その他、特別天然記念物には、【動物】トキやコウノトリなど21件、【植物】屋久島スギ原生林など30件、【地質・鉱物】白骨温泉の墳湯丘など20件が指定され、保護には国を挙げての徹底が図られています。

  • 上高地 河童橋を望む<br />パノラマ写真に加工してみましたが、彩度が変化して秋が深まった感じになってしまいました。丁度今頃はこんな雰囲気になっているのではないでしょうか?<br />ベタな撮影スポットではありますが、この風景は瞠目に値します。<br /><br />主人曰く、「上高地にはこれまで十数回訪ねたが、こんなにくっきりと穂高連峰の山容が見えたのは初めてだ」。<br />思わず身震いしてしまいました。「晴れ女」の面目躍如です。

    上高地 河童橋を望む
    パノラマ写真に加工してみましたが、彩度が変化して秋が深まった感じになってしまいました。丁度今頃はこんな雰囲気になっているのではないでしょうか?
    ベタな撮影スポットではありますが、この風景は瞠目に値します。

    主人曰く、「上高地にはこれまで十数回訪ねたが、こんなにくっきりと穂高連峰の山容が見えたのは初めてだ」。
    思わず身震いしてしまいました。「晴れ女」の面目躍如です。

  • 上高地 河童橋からの穂高連峰<br />こうした上高地でしか体験できない風景があるのは、自然保護意識が100余年前に根付き、それが連綿と受け継がれてきた証と言えます。1909年には高山植物の採取を禁止・保護し、雷鳥やカモシカ、岩魚の捕獲が禁止され、上高地一帯も天然記念物や国立公園に指定されました。また、地元住民の方々の献身的な努力も見逃せません。1963年から「上高地を美しくする会」を発足させ、ゴミのない美しい上高地を目指してゴミ拾い活動を続けられています。ただでさえ地球温暖化や酸性雨などの環境ストレスに晒されている自然界は、徐々に蘇生能力を失いつつあり、放っておいたらどんどん劣化が進みます。上高地のかけがえのない大自然を次世代へ継承していくことは我々の使命だと思います。一人ひとりの愛情で上高地を守っていければと思います。

    上高地 河童橋からの穂高連峰
    こうした上高地でしか体験できない風景があるのは、自然保護意識が100余年前に根付き、それが連綿と受け継がれてきた証と言えます。1909年には高山植物の採取を禁止・保護し、雷鳥やカモシカ、岩魚の捕獲が禁止され、上高地一帯も天然記念物や国立公園に指定されました。また、地元住民の方々の献身的な努力も見逃せません。1963年から「上高地を美しくする会」を発足させ、ゴミのない美しい上高地を目指してゴミ拾い活動を続けられています。ただでさえ地球温暖化や酸性雨などの環境ストレスに晒されている自然界は、徐々に蘇生能力を失いつつあり、放っておいたらどんどん劣化が進みます。上高地のかけがえのない大自然を次世代へ継承していくことは我々の使命だと思います。一人ひとりの愛情で上高地を守っていければと思います。

  • 上高地 梓川右岸からの穂高連峰<br />ここからの眺めは、右の前穂高岳と中央の奥穂高岳を結ぶ鋸状の吊尾根が印象的です。中央の奥穂高岳南面を中心に、左にロバの耳・ジャンダルム・天狗岩・間ノ岳・西穂高岳、右に吊尾根から前穂高岳・明神岳までの変化の大い岩壁にとりかこまれた谷を望むことができます。この広く明るい谷が岳沢です。<br /><br />河童橋〜明神池 散策コースは、梓川の上流から見て、右岸自然探勝路コース 3.5km(70分)と左岸コース 3.5km(上高地銀座:60分)の2つに分かれており、往路は右岸コースを辿ります。<br />河童橋を渡り梓川右岸(上流から見て右側)に出ると、ホテル白樺荘の売店やオープンカフェが見えてきます。川沿いに先へ進むと河童橋界隈の喧騒がス〜ットとフェードアウトされ、川のせせらぎに傾聴できる休憩スポットが現れ、このように前穂高岳方面を一望する絶景ポイントとなっています。

    上高地 梓川右岸からの穂高連峰
    ここからの眺めは、右の前穂高岳と中央の奥穂高岳を結ぶ鋸状の吊尾根が印象的です。中央の奥穂高岳南面を中心に、左にロバの耳・ジャンダルム・天狗岩・間ノ岳・西穂高岳、右に吊尾根から前穂高岳・明神岳までの変化の大い岩壁にとりかこまれた谷を望むことができます。この広く明るい谷が岳沢です。

    河童橋〜明神池 散策コースは、梓川の上流から見て、右岸自然探勝路コース 3.5km(70分)と左岸コース 3.5km(上高地銀座:60分)の2つに分かれており、往路は右岸コースを辿ります。
    河童橋を渡り梓川右岸(上流から見て右側)に出ると、ホテル白樺荘の売店やオープンカフェが見えてきます。川沿いに先へ進むと河童橋界隈の喧騒がス〜ットとフェードアウトされ、川のせせらぎに傾聴できる休憩スポットが現れ、このように前穂高岳方面を一望する絶景ポイントとなっています。

  • 上高地 岳沢湿原<br />暫くすると穂高岳の山裾を巻くように道が続き、信濃笹が生い茂る樹林帯に分け入ります。と言っても薮漕ぎする訳ではありませんのでご心配なく。<br />道がやがて植生を守るための木道になり、右手に岳沢の流れの1本が善六沢に合流する所が岳沢湿原です。<br />山道は基本的には左側通行ですが、観光客も多いため臨機応変に切り替えるのが賢明かと思います。

    上高地 岳沢湿原
    暫くすると穂高岳の山裾を巻くように道が続き、信濃笹が生い茂る樹林帯に分け入ります。と言っても薮漕ぎする訳ではありませんのでご心配なく。
    道がやがて植生を守るための木道になり、右手に岳沢の流れの1本が善六沢に合流する所が岳沢湿原です。
    山道は基本的には左側通行ですが、観光客も多いため臨機応変に切り替えるのが賢明かと思います。

  • 上高地 岳沢湿原<br />密生するヤマドリゼンマイ(シダ類)はすっかり秋の装いに衣替えし、尾瀬の木道を歩いているような雰囲気です。こんなにきれいに紅葉したシダを見るのは初めてで、湿原のアクセントになっています。群生するカヤ(アブラガヤなど)も色付いています。草紅葉と言ったところでしょうか…。<br />岳沢湿原には遊歩道の先に展望デッキが設けられています。前穂高岳から流れる岳沢が広い池や湿原を作り、立ち枯れの木の向こうに六百山が聳える絶景ポイントです。河童橋から10分ほどの距離ですので、少しでも時間があれば立ち寄る価値のある場所です。<br /><br />ヤマドリゼンマイは、ゼンマイ目ゼンマイ科ゼンマイ属ヤマドリゼンマイ亜属の夏緑性・多年生シダ類です。名前は、ゼンマイ科の植物であることと褐色の細長い胞子葉をヤマドリ(山鳥)の尾に見立てたことに因みます。 <br />ヤマドリゼンマイの紅葉は霜に当たると直ぐに焼けたり、一寸した寒気の影響で色合いが悪くなり、このような綺麗な紅葉が見られる機会は少ないそうです。

    上高地 岳沢湿原
    密生するヤマドリゼンマイ(シダ類)はすっかり秋の装いに衣替えし、尾瀬の木道を歩いているような雰囲気です。こんなにきれいに紅葉したシダを見るのは初めてで、湿原のアクセントになっています。群生するカヤ(アブラガヤなど)も色付いています。草紅葉と言ったところでしょうか…。
    岳沢湿原には遊歩道の先に展望デッキが設けられています。前穂高岳から流れる岳沢が広い池や湿原を作り、立ち枯れの木の向こうに六百山が聳える絶景ポイントです。河童橋から10分ほどの距離ですので、少しでも時間があれば立ち寄る価値のある場所です。

    ヤマドリゼンマイは、ゼンマイ目ゼンマイ科ゼンマイ属ヤマドリゼンマイ亜属の夏緑性・多年生シダ類です。名前は、ゼンマイ科の植物であることと褐色の細長い胞子葉をヤマドリ(山鳥)の尾に見立てたことに因みます。
    ヤマドリゼンマイの紅葉は霜に当たると直ぐに焼けたり、一寸した寒気の影響で色合いが悪くなり、このような綺麗な紅葉が見られる機会は少ないそうです。

  • 上高地 岳沢湿原<br />穂高連峰の岳沢から流れる善六沢の清流が、この湿原を涵養しています。池の中の梅花藻がゆっくりと揺らいでいるのが判ります。 <br />湿原の向こうに聳える山は「六百山(標高2470m)」。常念山脈に属する霞沢岳の前山のような存在の山です。上高地を見下ろすような位置にありながら、登山道はなく、めったに登山者の訪れぬ寂峰です。知る人ぞ知る山と言えます。読み方は、そのまま「ろっぴゃくさん」。<br />「六百山」とは変わった名前ですが、上高地近辺は江戸時代の木材産出地でもあり、この山からは600玉(ホダ)ほどの木材が産出されたことに由来するそうです。<br />

    上高地 岳沢湿原
    穂高連峰の岳沢から流れる善六沢の清流が、この湿原を涵養しています。池の中の梅花藻がゆっくりと揺らいでいるのが判ります。
    湿原の向こうに聳える山は「六百山(標高2470m)」。常念山脈に属する霞沢岳の前山のような存在の山です。上高地を見下ろすような位置にありながら、登山道はなく、めったに登山者の訪れぬ寂峰です。知る人ぞ知る山と言えます。読み方は、そのまま「ろっぴゃくさん」。
    「六百山」とは変わった名前ですが、上高地近辺は江戸時代の木材産出地でもあり、この山からは600玉(ホダ)ほどの木材が産出されたことに由来するそうです。

  • 上高地 岳沢湿原<br />明神岳方面を眺めるとこんな風景が広がっています。<br />大正池では少なくなってしまった枯木立が織りなす幻想的な風景です。

    上高地 岳沢湿原
    明神岳方面を眺めるとこんな風景が広がっています。
    大正池では少なくなってしまった枯木立が織りなす幻想的な風景です。

  • 上高地 岳沢湿原<br />草紅葉に枯木立、六百山とゴージャスな役者が揃いました。

    上高地 岳沢湿原
    草紅葉に枯木立、六百山とゴージャスな役者が揃いました。

  • 上高地 岳沢分岐点<br />ここから岳沢登山道を登れば、岳沢経由で前穂高岳〜吊尾根〜奥穂高岳へと通じています。<br />

    上高地 岳沢分岐点
    ここから岳沢登山道を登れば、岳沢経由で前穂高岳〜吊尾根〜奥穂高岳へと通じています。

  • 上高地<br />本来、上高地の紅葉はこうした黄葉が主役になります。<br />葉の形がハート形をしていますので桂の木でしょうか?

    上高地
    本来、上高地の紅葉はこうした黄葉が主役になります。
    葉の形がハート形をしていますので桂の木でしょうか?

  • 上高地<br />仰ぎ見れば黄葉の林、見下ろせば緑の信濃笹。<br />木漏れ日がやわらかなグラデーションを演出しています。<br />上高地の魅力は、この凛としたマイナスイオンたっぷりの清浄空間の森林浴にもあります。

    上高地
    仰ぎ見れば黄葉の林、見下ろせば緑の信濃笹。
    木漏れ日がやわらかなグラデーションを演出しています。
    上高地の魅力は、この凛としたマイナスイオンたっぷりの清浄空間の森林浴にもあります。

  • 上高地<br />突然視界が開け、梓川の上に六百山が聳えています。ここにはベンチも置かれ、休憩スポットになっています。河童橋から明神池までの距離の半分弱の地点になります。<br /><br />川原で逞しく生い茂っている植物は、暴れ川の川岸や中洲に根性で根付くケショウヤナギの木です。根張りがよく、短期間で根を地中深くに伸ばすそうです。<br />ヤナギ科ヤナギ属の樹木。中国、日本、韓国及びロシアなどのアジア東部の寒冷地に多く、日本では北海道の日高・十勝地方とこの梓川上流部にしか自生していない希少な植物です。若木の木肌は白く、小枝は晩秋から早春にかけて紅色で美しく、化粧をしたようだというところから、この名の由来があります。<br />ケショウヤナギのような寒冷気候を好む樹種は、最終氷期(最寒冷期の約2万年前)以降の気候温暖化で分布が北方に縮小してきたと推定されています。従って、将来の地球温暖化により、さらに分布域が縮小し、隔離集団が絶滅するとも言われています。こんなところにも地球温暖化の影響が現れているとは…。

    上高地
    突然視界が開け、梓川の上に六百山が聳えています。ここにはベンチも置かれ、休憩スポットになっています。河童橋から明神池までの距離の半分弱の地点になります。

    川原で逞しく生い茂っている植物は、暴れ川の川岸や中洲に根性で根付くケショウヤナギの木です。根張りがよく、短期間で根を地中深くに伸ばすそうです。
    ヤナギ科ヤナギ属の樹木。中国、日本、韓国及びロシアなどのアジア東部の寒冷地に多く、日本では北海道の日高・十勝地方とこの梓川上流部にしか自生していない希少な植物です。若木の木肌は白く、小枝は晩秋から早春にかけて紅色で美しく、化粧をしたようだというところから、この名の由来があります。
    ケショウヤナギのような寒冷気候を好む樹種は、最終氷期(最寒冷期の約2万年前)以降の気候温暖化で分布が北方に縮小してきたと推定されています。従って、将来の地球温暖化により、さらに分布域が縮小し、隔離集団が絶滅するとも言われています。こんなところにも地球温暖化の影響が現れているとは…。

  • 上高地<br />暫く進むと焼岳が見通せる絶景ポイントを通過します。<br />後ろを気にしながら歩かないと見落としてしまいますので要注意です。<br />焼岳は「トロイデ」と言う鐘状の形をした山の典型とされ、世界でも珍しい形の山と言われています 。

    上高地
    暫く進むと焼岳が見通せる絶景ポイントを通過します。
    後ろを気にしながら歩かないと見落としてしまいますので要注意です。
    焼岳は「トロイデ」と言う鐘状の形をした山の典型とされ、世界でも珍しい形の山と言われています 。

  • 上高地<br />再び樹林帯に入り、雰囲気のある木道を歩きます。<br />黄色に染まった樹木がやさしく迎え入れてくれます。

    上高地
    再び樹林帯に入り、雰囲気のある木道を歩きます。
    黄色に染まった樹木がやさしく迎え入れてくれます。

  • 上高地<br />上高地の初秋は、平地部で言う「初冬」の装いとなります。上高地の紅葉で赤く染まるのはナナカマドやカエデなどで数も少なく、黄葉が主役となります。梓川沿いのカラマツや徳沢のハルニレやカツラなどは黄金色に染まる黄葉です。ですから、その中で赤く染まったカエデなどは一際目を惹きつける存在です。<br />

    上高地
    上高地の初秋は、平地部で言う「初冬」の装いとなります。上高地の紅葉で赤く染まるのはナナカマドやカエデなどで数も少なく、黄葉が主役となります。梓川沿いのカラマツや徳沢のハルニレやカツラなどは黄金色に染まる黄葉です。ですから、その中で赤く染まったカエデなどは一際目を惹きつける存在です。

  • 上高地<br />山もみじが美しいグラデーションを見せています。

    上高地
    山もみじが美しいグラデーションを見せています。

  • 上高地<br />透かし紅葉も風流です。

    上高地
    透かし紅葉も風流です。

  • 上高地<br />実は、時期的に紅葉は期待していなかったのですが、初期の紅葉を堪能することができました。平地でも同様ですが、今年は秋の訪れが例年より早かったようです。

    上高地
    実は、時期的に紅葉は期待していなかったのですが、初期の紅葉を堪能することができました。平地でも同様ですが、今年は秋の訪れが例年より早かったようです。

  • 上高地<br />この辺りは、一部治山用の林道を歩きます。<br />葉が大きく、黄葉になるのが特徴のイタヤカエデ。黄色に染めはじめています。<br /><br />余談ですが、 イタヤカエデは、サトウカエデにくらべて含有糖分がやや低いものの、メープルシュガーを作ることは可能だそうです。第二次世界大戦直後の砂糖不足の時代に東北や北海道で製造が試みられたことがあるようでが、商業ベースには乗らずに終わった経緯があります。<br />

    上高地
    この辺りは、一部治山用の林道を歩きます。
    葉が大きく、黄葉になるのが特徴のイタヤカエデ。黄色に染めはじめています。

    余談ですが、 イタヤカエデは、サトウカエデにくらべて含有糖分がやや低いものの、メープルシュガーを作ることは可能だそうです。第二次世界大戦直後の砂糖不足の時代に東北や北海道で製造が試みられたことがあるようでが、商業ベースには乗らずに終わった経緯があります。

  • 上高地<br />少し紅葉が進んだ山もみじ。グラデーションの妙にしばし足が止まります。<br /><br />

    上高地
    少し紅葉が進んだ山もみじ。グラデーションの妙にしばし足が止まります。

  • 上高地<br />林道に別れを告げて道を少し下ると、明神池から流れ込んだ水が半湿地を形成し、「水上散歩」よろしくテラス状の木道を歩くようになります。木漏れ日を浴びながら静寂感溢れる木道伝いに明神池の領域に入ると、時間の流れが止まったような世界に引き込まれます。<br />

    上高地
    林道に別れを告げて道を少し下ると、明神池から流れ込んだ水が半湿地を形成し、「水上散歩」よろしくテラス状の木道を歩くようになります。木漏れ日を浴びながら静寂感溢れる木道伝いに明神池の領域に入ると、時間の流れが止まったような世界に引き込まれます。

  • 上高地<br />針葉樹林と信濃笹に囲まれた木道を進み、所々で渡る沢は苔むした石の間を縫って流れ、いい雰囲気の小径です。<br />清らかな沢の流れが見せる微妙な色彩がアクセントになっています。

    上高地
    針葉樹林と信濃笹に囲まれた木道を進み、所々で渡る沢は苔むした石の間を縫って流れ、いい雰囲気の小径です。
    清らかな沢の流れが見せる微妙な色彩がアクセントになっています。

  • 上高地 明神橋<br />梓川の沿岸に合流すると、目の前には雄大な山容を借景に吊橋「明神橋」の雄姿が見えてきます。<br />暴れ川とも呼ばれる梓川に、暴れても壊されない立派な橋として架けられたものです。<br />

    上高地 明神橋
    梓川の沿岸に合流すると、目の前には雄大な山容を借景に吊橋「明神橋」の雄姿が見えてきます。
    暴れ川とも呼ばれる梓川に、暴れても壊されない立派な橋として架けられたものです。

  • 上高地 穂高神社 鳥居<br />明神橋の手前でUターンするような格好で左に折れると穂高神社の鳥居が出迎えてくれます。<br />鳥居には金色に輝く14菊花紋が掲げられています。旧社格制度における官幣社や国幣社にだけ許可される神紋で、穂高神社が国幣小社に当たることを指しています。神話上の話ですが、ここに祀られている穂高見神は皇室の親戚筋だということになります。<br />

    上高地 穂高神社 鳥居
    明神橋の手前でUターンするような格好で左に折れると穂高神社の鳥居が出迎えてくれます。
    鳥居には金色に輝く14菊花紋が掲げられています。旧社格制度における官幣社や国幣社にだけ許可される神紋で、穂高神社が国幣小社に当たることを指しています。神話上の話ですが、ここに祀られている穂高見神は皇室の親戚筋だということになります。

  • 上高地 嘉門次小屋<br />日本アルプスの名を世界に広めたW・ウェストンの山案内人として知られる上條嘉門次が、1880年(明治13年)、32歳の時に明神池湖畔に建てた山小屋。 <br />嘉門次は、日本近代登山の父と呼ばれ、狩猟や山岳信仰のための登山だけでなく、山登りを楽しむための登山を切り開いた先駆者でもあります。当主は4代目で嘉門次の曾孫(孫の子)に当たり、囲炉裏で焼いた香ばしい岩魚や温かい蕎麦を提供していただけます。

    上高地 嘉門次小屋
    日本アルプスの名を世界に広めたW・ウェストンの山案内人として知られる上條嘉門次が、1880年(明治13年)、32歳の時に明神池湖畔に建てた山小屋。
    嘉門次は、日本近代登山の父と呼ばれ、狩猟や山岳信仰のための登山だけでなく、山登りを楽しむための登山を切り開いた先駆者でもあります。当主は4代目で嘉門次の曾孫(孫の子)に当たり、囲炉裏で焼いた香ばしい岩魚や温かい蕎麦を提供していただけます。

  • 上高地 嘉門次小屋<br />上高地で樵と猟師をしていた嘉門次は、14歳にしてはじめてカモシカを撃ち、生涯でクマ80頭、カモシカ500頭以上を仕止めたと伝えられるほど、狩猟の腕が抜きん出ていました。明治に入り、外国人技師や教師らが日本の山に登り始めると、嘉門次の知識、登山技術が高く評価され 山案内人としての活躍が始まりました。槍ヶ岳に登頂したイギリス人の宣教師ウエストンは、嘉門次の人柄と技術に敬服し、著書「日本アルプスの登山と探検」で嘉門次を絶賛しています。上高地を愛した嘉門次とウエストンの親交は20余年におよび、友情の記念として贈られたピッケルが現在も残されています。

    上高地 嘉門次小屋
    上高地で樵と猟師をしていた嘉門次は、14歳にしてはじめてカモシカを撃ち、生涯でクマ80頭、カモシカ500頭以上を仕止めたと伝えられるほど、狩猟の腕が抜きん出ていました。明治に入り、外国人技師や教師らが日本の山に登り始めると、嘉門次の知識、登山技術が高く評価され 山案内人としての活躍が始まりました。槍ヶ岳に登頂したイギリス人の宣教師ウエストンは、嘉門次の人柄と技術に敬服し、著書「日本アルプスの登山と探検」で嘉門次を絶賛しています。上高地を愛した嘉門次とウエストンの親交は20余年におよび、友情の記念として贈られたピッケルが現在も残されています。

  • 上高地 嘉門次小屋<br />創業当時の面影を残す囲炉裏があり、そこに串刺しされた岩魚がぐるりと並べられ、塩焼き(一匹900円)にされています。<br />TV番組等で紹介された影響なのか、小屋は結構繁盛しています。<br />右側の壁には、巨大な熊の毛皮が吊るされ、かつての山小屋の片鱗を残しています。<br />

    上高地 嘉門次小屋
    創業当時の面影を残す囲炉裏があり、そこに串刺しされた岩魚がぐるりと並べられ、塩焼き(一匹900円)にされています。
    TV番組等で紹介された影響なのか、小屋は結構繁盛しています。
    右側の壁には、巨大な熊の毛皮が吊るされ、かつての山小屋の片鱗を残しています。

  • 上高地 嘉門次小屋<br />岩魚を焼く煙がモクモクと吹き出しています。<br />小屋が黒ずんでいるのは、長年の囲炉裏の煙がいぶした業でしょうか?

    上高地 嘉門次小屋
    岩魚を焼く煙がモクモクと吹き出しています。
    小屋が黒ずんでいるのは、長年の囲炉裏の煙がいぶした業でしょうか?

  • 上高地 穂高神社 奥宮<br />鳥居を潜って嘉門次小屋を抜けると、正面に小さな拝殿と祠と言ってもいいほどの小さな一間社の社殿が佇んでいます。御神体は目の前に聳え立つ明神岳です。アルプス登山での遭難者の慰霊にもなっており、碑が立てられ、賑わう明神池の周辺でここだけが静謐な神域と化しています。<br />上高地は、古来より「神降地」「神合地」「神垣内」「神河内」と表され、神々を祀るのに最も相応しい神聖な浄地とされてきました。その上高地の明神池に鎮まるのが、穂高神社奥宮。ご祭神は穂高見命で日本アルプス総鎮守、海陸交通守護の神であり、嶺宮は奥穂高岳山頂(標高3190m)に祀られています。 <br />神代の昔、人跡未踏の奥穂高岳に天降った穂高見神は、重畳なる中部山岳を開発し、さらに梓川流域の安曇筑摩地方を開拓しました。穂高見神は、海神綿津見神の御子神で、海神の宗族として遠く北九州に栄えて信濃の開発に功をなした安曇族の祖神として奉斎され、明神岳の先にある御神体山 穂高連峰、そして峰々からの水を湛えた明神池を遥拝する一等地に鎮座しています。

    上高地 穂高神社 奥宮
    鳥居を潜って嘉門次小屋を抜けると、正面に小さな拝殿と祠と言ってもいいほどの小さな一間社の社殿が佇んでいます。御神体は目の前に聳え立つ明神岳です。アルプス登山での遭難者の慰霊にもなっており、碑が立てられ、賑わう明神池の周辺でここだけが静謐な神域と化しています。
    上高地は、古来より「神降地」「神合地」「神垣内」「神河内」と表され、神々を祀るのに最も相応しい神聖な浄地とされてきました。その上高地の明神池に鎮まるのが、穂高神社奥宮。ご祭神は穂高見命で日本アルプス総鎮守、海陸交通守護の神であり、嶺宮は奥穂高岳山頂(標高3190m)に祀られています。
    神代の昔、人跡未踏の奥穂高岳に天降った穂高見神は、重畳なる中部山岳を開発し、さらに梓川流域の安曇筑摩地方を開拓しました。穂高見神は、海神綿津見神の御子神で、海神の宗族として遠く北九州に栄えて信濃の開発に功をなした安曇族の祖神として奉斎され、明神岳の先にある御神体山 穂高連峰、そして峰々からの水を湛えた明神池を遥拝する一等地に鎮座しています。

  • 上高地 穂高神社 奥宮<br />穂高神社本宮では見られなかったのですが、奥宮の祠も本宮と同じく「穂高造」という穂高神社独特の建築様式の造りです。独特の形式の「千木(ちぎ)」と「勝男木(かつおぎ)」が載せられています。一般の勝男木は、屋根の嶺に直角に並びますが、「穂高造」では二本の勝男木が中央から左右の千木に斜めに、緩いV字を描いて架けられています。一説には勝男木は釣竿または船の帆柱を表しているとされ、海神を祀る神社には相応しい様式と言えます。つまり、海人族の名残りが「穂高造」と言うことです。<br />松本藩主 水野忠恒が大成した『信府統記』(1742年)には、「皇御孫尊穂高嶽ニ鎮座マシマスト云ヘリ、此嶽清浄ニシテ其形幣帛ノ如ク麓ニ鏡池、宮川、御手洗、河水アル所ヲ神合地ト云フ、大職冠鎌足公モ此神ヲ敬ミ祭リ給ヘリ…」 と記され、江戸時代中期には藩からも厚く崇敬されていたことが判ります。

    上高地 穂高神社 奥宮
    穂高神社本宮では見られなかったのですが、奥宮の祠も本宮と同じく「穂高造」という穂高神社独特の建築様式の造りです。独特の形式の「千木(ちぎ)」と「勝男木(かつおぎ)」が載せられています。一般の勝男木は、屋根の嶺に直角に並びますが、「穂高造」では二本の勝男木が中央から左右の千木に斜めに、緩いV字を描いて架けられています。一説には勝男木は釣竿または船の帆柱を表しているとされ、海神を祀る神社には相応しい様式と言えます。つまり、海人族の名残りが「穂高造」と言うことです。
    松本藩主 水野忠恒が大成した『信府統記』(1742年)には、「皇御孫尊穂高嶽ニ鎮座マシマスト云ヘリ、此嶽清浄ニシテ其形幣帛ノ如ク麓ニ鏡池、宮川、御手洗、河水アル所ヲ神合地ト云フ、大職冠鎌足公モ此神ヲ敬ミ祭リ給ヘリ…」 と記され、江戸時代中期には藩からも厚く崇敬されていたことが判ります。

  • 上高地 穂高神社 社務所<br />ここから先は、神社の境内ですので明神池拝観料(初穂料)300円を支払って入ります。<br />社務所の脇に置かれている置物は、龍と鷁(げき)。その昔、貴族達が遊興のために池に浮かべた龍頭鷁首の船のアイテムです。ここ奥宮では毎年10月8日に行われる御船神事にこの龍頭鷁首が用いられています。<br />鷁とは、中国の想像上の水鳥。白い大形の鳥で、風によく耐えて大空を飛ぶと言われたところから、縁起を担いで船首にその姿を安置して飾りとしたそうです。<br /><br />社務所と嘉門次小屋の横を流れる川の間にトイレがあります。右岸コースは、ホテル白樺壮からここまでトイレはありません。

    上高地 穂高神社 社務所
    ここから先は、神社の境内ですので明神池拝観料(初穂料)300円を支払って入ります。
    社務所の脇に置かれている置物は、龍と鷁(げき)。その昔、貴族達が遊興のために池に浮かべた龍頭鷁首の船のアイテムです。ここ奥宮では毎年10月8日に行われる御船神事にこの龍頭鷁首が用いられています。
    鷁とは、中国の想像上の水鳥。白い大形の鳥で、風によく耐えて大空を飛ぶと言われたところから、縁起を担いで船首にその姿を安置して飾りとしたそうです。

    社務所と嘉門次小屋の横を流れる川の間にトイレがあります。右岸コースは、ホテル白樺壮からここまでトイレはありません。

  • 上高地 明神池 一之池<br />社殿脇を抜けて少し進むと、すぐに視界が開け、ここが明神池の一之池です。<br />静寂感に包まれた中、凛とした厳粛な空気が漂い、鳥肌が立ちました。浅い平底の湖底を限りなく透明に近い水が薄く覆い、まさに神の降り給う庭園といった風情を湛えた「神池」です。<br />「鏡池」の名のごとく水面は鏡のように穏やかで、泳ぐ魚が中空を浮遊しているような錯覚にみまわれるほどです。<br />

    上高地 明神池 一之池
    社殿脇を抜けて少し進むと、すぐに視界が開け、ここが明神池の一之池です。
    静寂感に包まれた中、凛とした厳粛な空気が漂い、鳥肌が立ちました。浅い平底の湖底を限りなく透明に近い水が薄く覆い、まさに神の降り給う庭園といった風情を湛えた「神池」です。
    「鏡池」の名のごとく水面は鏡のように穏やかで、泳ぐ魚が中空を浮遊しているような錯覚にみまわれるほどです。

  • 上高地 明神池 一之池<br />屹立する霊峰「明神岳」と共に絶賛され、穂高神社奥宮の先に潜むように広がるのが荘厳な明神池。山肌が大暴落して湧き水の滞留が生んだ池で、奥宮の神域として崇められてきました。ただ美しいだけでなく、その神々しい静謐さに神秘的な雰囲気が漂い、人工的には造りだせない大自然の息吹が実感できます。<br />善光寺名所図会(1843年)の中で霊湖とされている明神池は、「鏡池」や「神池」とも称されています。<br />

    上高地 明神池 一之池
    屹立する霊峰「明神岳」と共に絶賛され、穂高神社奥宮の先に潜むように広がるのが荘厳な明神池。山肌が大暴落して湧き水の滞留が生んだ池で、奥宮の神域として崇められてきました。ただ美しいだけでなく、その神々しい静謐さに神秘的な雰囲気が漂い、人工的には造りだせない大自然の息吹が実感できます。
    善光寺名所図会(1843年)の中で霊湖とされている明神池は、「鏡池」や「神池」とも称されています。

  • 上高地 明神池 一之池<br />いずれが現か幻影か…。その境も分からなくなってしまうような摩訶不思議な世界。<br /><br />明神岳第5峰「立て穂の山」直下にあり、針葉樹林に囲まれ、静寂が支配した神秘的な池は「瓢箪形」を呈し、手前を一之池、奥を二之池と呼び、穂高連峰からの伏流水や湧水を満々と湛え、イチョウバイガモという珍しい水草や岩魚、マガモの姿も見られ、四季折々の幻想的な風景を水面に映します。一之池、二之池の順に流れ下り、その先で梓川の本流へと合流しています。かつては二之池の奥に三之池があったそうですが、現在は土砂に埋もれて消滅しています。

    上高地 明神池 一之池
    いずれが現か幻影か…。その境も分からなくなってしまうような摩訶不思議な世界。

    明神岳第5峰「立て穂の山」直下にあり、針葉樹林に囲まれ、静寂が支配した神秘的な池は「瓢箪形」を呈し、手前を一之池、奥を二之池と呼び、穂高連峰からの伏流水や湧水を満々と湛え、イチョウバイガモという珍しい水草や岩魚、マガモの姿も見られ、四季折々の幻想的な風景を水面に映します。一之池、二之池の順に流れ下り、その先で梓川の本流へと合流しています。かつては二之池の奥に三之池があったそうですが、現在は土砂に埋もれて消滅しています。

  • 上高地 明神池 一之池<br />同じ方向を見ても、少し立ち位置を変えるだけでマジックのように別の表情を浮かび上がらせるのには吃驚です。

    上高地 明神池 一之池
    同じ方向を見ても、少し立ち位置を変えるだけでマジックのように別の表情を浮かび上がらせるのには吃驚です。

  • 上高地 明神池 一之池<br />湧き水由来の池ゆえに年間を通じて水温が安定し、厳冬期に外気温が−20℃以下になっても氷結しない霊湖と称えられ、強い霊気やパワーの源、いわゆるパワースポットともなっています。<br />豪雪地帯の北アルプスにあって、「真冬でも凍結しない池」 というのは古代人にはこの上なく神々しく映ったことでしょう。また、夏の明け方には川面に朝靄が一面にかかり、この神々しい風景は「神降地」の所以とも言われています。

    上高地 明神池 一之池
    湧き水由来の池ゆえに年間を通じて水温が安定し、厳冬期に外気温が−20℃以下になっても氷結しない霊湖と称えられ、強い霊気やパワーの源、いわゆるパワースポットともなっています。
    豪雪地帯の北アルプスにあって、「真冬でも凍結しない池」 というのは古代人にはこの上なく神々しく映ったことでしょう。また、夏の明け方には川面に朝靄が一面にかかり、この神々しい風景は「神降地」の所以とも言われています。

  • 上高地 明神池 二之池<br />二之池は、鏡池と称される一之池とは全く異なる景観を呈しています。ゴツゴツした天然岩が置かれた京都の日本庭園を彷彿とさせる天然の浮島が点在する池で、奇石奇樹の島影は神秘的かつ幻想的な雰囲気を醸しています。<br />一之池からは女性的な「恋愛運」、二之池は男性的な「仕事運・金運」の気がいただけると言うのは、この景観に因んだ言われかもしれません。<br />

    上高地 明神池 二之池
    二之池は、鏡池と称される一之池とは全く異なる景観を呈しています。ゴツゴツした天然岩が置かれた京都の日本庭園を彷彿とさせる天然の浮島が点在する池で、奇石奇樹の島影は神秘的かつ幻想的な雰囲気を醸しています。
    一之池からは女性的な「恋愛運」、二之池は男性的な「仕事運・金運」の気がいただけると言うのは、この景観に因んだ言われかもしれません。

  • 上高地 明神池 二之池<br />時々、30cmはあろうかと思われる魚影が映ります。しかし、よく観るとこれは岩魚ではなく、ブラウントラストという外来種で、全く動じる気配もなく悠々と泳ぎ回っています。かつては「岩魚七分に水三分」と賞賛されたほどの明神池の生態系への影響が懸念されるところです。<br /><br />ブラウントラストは、サケ目サケ科に属する魚で、河川型と降湖型、降海型の3タイプがあります。1925年以降、魚を増やす目的で岩魚やカワマス、ブラウントラウトなどが放流され、一時期上高地生粋の岩魚「ニッコウイワナ」は絶滅寸前だったようです。1977年以降、在来種保護の観点から岩魚のみの放流が続けられています。

    上高地 明神池 二之池
    時々、30cmはあろうかと思われる魚影が映ります。しかし、よく観るとこれは岩魚ではなく、ブラウントラストという外来種で、全く動じる気配もなく悠々と泳ぎ回っています。かつては「岩魚七分に水三分」と賞賛されたほどの明神池の生態系への影響が懸念されるところです。

    ブラウントラストは、サケ目サケ科に属する魚で、河川型と降湖型、降海型の3タイプがあります。1925年以降、魚を増やす目的で岩魚やカワマス、ブラウントラウトなどが放流され、一時期上高地生粋の岩魚「ニッコウイワナ」は絶滅寸前だったようです。1977年以降、在来種保護の観点から岩魚のみの放流が続けられています。

  • 上高地 明神池 二之池<br />周囲は静寂感に包まれ、耳を澄ませば聞こえてくるのは鳥のさえずりだけ…。<br />とにかく神秘的な池ですので、「神が宿る」を実感していただけるのではないでしょうか。<br />勿論、訪れる人たちもこうした神秘的な佳景に度肝を抜かれ、皆さん寡黙に見入っておられます。カメラのシャッター音が憚られるほどです。<br />

    上高地 明神池 二之池
    周囲は静寂感に包まれ、耳を澄ませば聞こえてくるのは鳥のさえずりだけ…。
    とにかく神秘的な池ですので、「神が宿る」を実感していただけるのではないでしょうか。
    勿論、訪れる人たちもこうした神秘的な佳景に度肝を抜かれ、皆さん寡黙に見入っておられます。カメラのシャッター音が憚られるほどです。

  • 上高地 明神池 二之池<br />神域とは言え、明神池周辺は絶対不可侵の聖域ではなく、明治時代には岩魚漁がさかんに行われていたそうです。上高地を含む日本アルプスを欧米に紹介したW.ウェストン宣教師は、上高地の猟師 上條嘉門次をガイドに雇って山々を巡りましたが、嘉門次はこの付近で岩魚や熊を獲って暮らしていました。境内には現在もその住居が嘉門次小屋として健在です。現在は禁猟区ゆえ、提供される岩魚は外部からの持ち込みですが、神聖なる神社の境内で魚の塩焼きを売るというのはなんとも不思議な光景です。<br />巷の神社の多くは、神域では「…するべからず」式に禁忌を並べるものですが、ここの主祭神はなんと寛大で大らかな方でしょう。穂高岳のようにどっしり構えた太っ腹の神であることを再認識させられました。ご利益も期待できそうです。<br />

    上高地 明神池 二之池
    神域とは言え、明神池周辺は絶対不可侵の聖域ではなく、明治時代には岩魚漁がさかんに行われていたそうです。上高地を含む日本アルプスを欧米に紹介したW.ウェストン宣教師は、上高地の猟師 上條嘉門次をガイドに雇って山々を巡りましたが、嘉門次はこの付近で岩魚や熊を獲って暮らしていました。境内には現在もその住居が嘉門次小屋として健在です。現在は禁猟区ゆえ、提供される岩魚は外部からの持ち込みですが、神聖なる神社の境内で魚の塩焼きを売るというのはなんとも不思議な光景です。
    巷の神社の多くは、神域では「…するべからず」式に禁忌を並べるものですが、ここの主祭神はなんと寛大で大らかな方でしょう。穂高岳のようにどっしり構えた太っ腹の神であることを再認識させられました。ご利益も期待できそうです。

  • 上高地 明神池 二之池<br />穂高神社のご祭神の穂高見神は、日本の建国神話に登場するイザナギの孫に相当します。神生みの途中でイザナミは死んでしまいますが、イザナギは彼女に会いたくて黄泉国まで行き、そこで腐乱した彼女の姿を見て大慌てで逃げ帰りました。その後、イザナギは黄泉国の穢れを洗い落とすために阿波岐原で禊を行い、その時にその水飛沫から生まれたのが海神=綿津見神とされます。古事記によれば、水の底で底津綿津見神、水の中程で中津綿津見神、水の表面で上津綿津見神が生まれたとあり、これらは元々一柱の神を分解したものとされ、一般的にはまとめて「綿津見神」 と呼んでいます。この息子が宇都志日金析(うつしひかなさく)=穂高見神です。こうした系譜からも穂高見神は海神あるいはその宗族と言えますが、その子孫である安曇族の移住に伴って奥穂高山頂に鎮座しました。不思議と言えば不思議な運命です。

    上高地 明神池 二之池
    穂高神社のご祭神の穂高見神は、日本の建国神話に登場するイザナギの孫に相当します。神生みの途中でイザナミは死んでしまいますが、イザナギは彼女に会いたくて黄泉国まで行き、そこで腐乱した彼女の姿を見て大慌てで逃げ帰りました。 その後、イザナギは黄泉国の穢れを洗い落とすために阿波岐原で禊を行い、その時にその水飛沫から生まれたのが海神=綿津見神とされます。古事記によれば、水の底で底津綿津見神、水の中程で中津綿津見神、水の表面で上津綿津見神が生まれたとあり、これらは元々一柱の神を分解したものとされ、一般的にはまとめて「綿津見神」 と呼んでいます。この息子が宇都志日金析(うつしひかなさく)=穂高見神です。 こうした系譜からも穂高見神は海神あるいはその宗族と言えますが、その子孫である安曇族の移住に伴って奥穂高山頂に鎮座しました。不思議と言えば不思議な運命です。

  • 上高地 明神池 二之池<br />山岳信仰という視点では、穂高岳は他の山岳地帯と趣を異にします。立山は山岳仏教の聖地として栄えましたが、穂高周辺は近世まで仏教の洗礼を受けない空白地帯でした。仏教者でこの付近に登頂したのは、江戸時代後期の播隆上人が最初だそうです。しかし、上人は穂高よりも隣の槍ヶ岳に興味津々で、穂高には目立ったことをした形跡がないそうです。その後、明治維新に至り、廃仏毀釈や神道優遇政策が始まったため、上高地周辺には山岳仏教の匂いが染み付くことがなかったようです。空海伝説が溢れる日本の山岳において、こうした空白地帯はとても珍しいそうです。それもこれも、人里離れた秘境という立地が頑なに人の侵入を拒んだからなのでしょう。だとすれば、逆説的になりますが、上古の時代にここを神の山と崇めた安曇族の探検心と信仰心には、感心するほかありません。

    上高地 明神池 二之池
    山岳信仰という視点では、穂高岳は他の山岳地帯と趣を異にします。立山は山岳仏教の聖地として栄えましたが、穂高周辺は近世まで仏教の洗礼を受けない空白地帯でした。仏教者でこの付近に登頂したのは、江戸時代後期の播隆上人が最初だそうです。しかし、上人は穂高よりも隣の槍ヶ岳に興味津々で、穂高には目立ったことをした形跡がないそうです。その後、明治維新に至り、廃仏毀釈や神道優遇政策が始まったため、上高地周辺には山岳仏教の匂いが染み付くことがなかったようです。空海伝説が溢れる日本の山岳において、こうした空白地帯はとても珍しいそうです。それもこれも、人里離れた秘境という立地が頑なに人の侵入を拒んだからなのでしょう。だとすれば、逆説的になりますが、上古の時代にここを神の山と崇めた安曇族の探検心と信仰心には、感心するほかありません。

  • 上高地 明神橋<br />明神橋を渡りながら、明神岳第五峰(標高2931m)を振り返ります。<br />現在の橋は、フィールドアスレチック場の遊具風に2003年に長野県産のカラマツ材を使って架け替えられたものですが、吊橋独特の揺れを体感できる設計になっています。全長55m、幅1.5mあります。以前の橋は、数m上流にあり、その姿は無骨だったそうです。<br />明神橋の架け替えで、環境省が1995年度から上高地一帯で進めてきた「緑のダイヤモンド計画」なるものが終焉しています。<br />江戸時代、この地には与久郎大橋という当時上高地唯一の橋が存在していたそうです。 <br />復路は、明神館を経由して上高地銀座と称される歩き易い梓川左岸コースを辿ります。

    上高地 明神橋
    明神橋を渡りながら、明神岳第五峰(標高2931m)を振り返ります。
    現在の橋は、フィールドアスレチック場の遊具風に2003年に長野県産のカラマツ材を使って架け替えられたものですが、吊橋独特の揺れを体感できる設計になっています。全長55m、幅1.5mあります。以前の橋は、数m上流にあり、その姿は無骨だったそうです。
    明神橋の架け替えで、環境省が1995年度から上高地一帯で進めてきた「緑のダイヤモンド計画」なるものが終焉しています。
    江戸時代、この地には与久郎大橋という当時上高地唯一の橋が存在していたそうです。
    復路は、明神館を経由して上高地銀座と称される歩き易い梓川左岸コースを辿ります。

  • 上高地 明神橋<br />対岸から仰ぎ見る明神岳の威容。<br />いろんな表情を見せてくれます。

    上高地 明神橋
    対岸から仰ぎ見る明神岳の威容。
    いろんな表情を見せてくれます。

  • 上高地 明神館<br />外国からの登山者もちらほら見受けられます。<br />明神周辺は、古来より「神河内徳郷(かみこうちとくごう)」と呼ばれ、上高地発祥の地とも伝わっています。山小屋「明神舘」(1933年建造)の前身は、17世紀初期に創設された「徳本(とくごう)小屋」と言う、松本藩の役人の宿泊施設でした。江戸時代には「与久郎の地」と呼ばれて材木の集積場となり、小屋周辺で伐り出された木材を役人が検分した後、ここから川の流れに乗せて下流の松本まで運んだそうです。穂高神社 奥宮は、さしずめその鎮守社のような位置関係にあります。

    上高地 明神館
    外国からの登山者もちらほら見受けられます。
    明神周辺は、古来より「神河内徳郷(かみこうちとくごう)」と呼ばれ、上高地発祥の地とも伝わっています。山小屋「明神舘」(1933年建造)の前身は、17世紀初期に創設された「徳本(とくごう)小屋」と言う、松本藩の役人の宿泊施設でした。江戸時代には「与久郎の地」と呼ばれて材木の集積場となり、小屋周辺で伐り出された木材を役人が検分した後、ここから川の流れに乗せて下流の松本まで運んだそうです。穂高神社 奥宮は、さしずめその鎮守社のような位置関係にあります。

  • 上高地 明神 穂高奥宮の碑<br />明神館のすぐ前の広場に立てられています。<br />借景は明神岳第五峰です。<br />穂高神社奥宮への正式参拝ルートは、ここ明神から神なる明神岳を頭上に拝み、明神橋を渡り、神社で参拝するようです。

    上高地 明神 穂高奥宮の碑
    明神館のすぐ前の広場に立てられています。
    借景は明神岳第五峰です。
    穂高神社奥宮への正式参拝ルートは、ここ明神から神なる明神岳を頭上に拝み、明神橋を渡り、神社で参拝するようです。

  • 上高地 小梨平 サラシナショウマ(晒菜升麻)<br />真っ白の花穂をブラシのように長く伸ばし、優雅に美しく咲いています。風に揺らぐ姿が心身を癒してくれます。<br />キンポウゲ科サラシナショウマ属の多年草の植物。日本や中国北部に分布します。背丈は40〜150cmで、葉は互生し、雄しべの目立つ白い小花を総状に密生させます。花期は8〜9月頃。<br />和名「晒菜」の由来は、若い葉をゆでて水で晒して食用にすることから。また、「升麻」は、根茎を乾燥させたものが生薬の升麻と言う漢方薬となり、解熱、解毒効果があることから。 <br />花言葉は、「温かい心」「雰囲気の良い人」。<br />

    上高地 小梨平 サラシナショウマ(晒菜升麻)
    真っ白の花穂をブラシのように長く伸ばし、優雅に美しく咲いています。風に揺らぐ姿が心身を癒してくれます。
    キンポウゲ科サラシナショウマ属の多年草の植物。日本や中国北部に分布します。背丈は40〜150cmで、葉は互生し、雄しべの目立つ白い小花を総状に密生させます。花期は8〜9月頃。
    和名「晒菜」の由来は、若い葉をゆでて水で晒して食用にすることから。また、「升麻」は、根茎を乾燥させたものが生薬の升麻と言う漢方薬となり、解熱、解毒効果があることから。
    花言葉は、「温かい心」「雰囲気の良い人」。

  • 上高地 清水川<br />小梨平の森から五千尺ホテルへ至る手前に、みごとな清流があります。日本一短いと言われる全長300mに満たない川で、シラビソやコメツガの原生林に覆われた六百山に降り注いだ雨が地下で濾過されて湧き出した水が梓川へと注ぎ込んでいます。<br />名前の通り底まで見えるクリスタルのように透明な水が碧色のイチョウバイカモを心地よく揺らし、まるで宝石を散り嵌めたかのように映ります。色付いた落ち葉も季節感を高揚させるアクセントを担っています。<br />雨が降っても濁ることはなく、日照り続きの時でも涸れることがないため、貴重な飲料水源として上高地の人々に潤いを提供しています。信州の名水・秘水15選にも選ばれ、上高地で一番質が高いそうです。帝国ホテルや五万尺ホテル、大正池ホテルも全てここの川の水を使っているそうです。 <br />貴重な水源でもあり、近年ネットで水中撮影された画像や映像を見る機会が増えましたが、こうした行為は慎んでいただきたいと思います。上高地にある某ホテルのブログにもあるのですが…。<br /><br />余談ですが、国土交通省による全国1級河川の水質ランキングで、2010年から3年連続で1位に輝いたのが仁淀川です。愛媛県石鎚山を源流とし、主に高知県を流れる川ですが、その支流のひとつの安居渓谷(高知県仁淀川町)を流れる安居川の透明度は仁淀ブルーと呼ばれるほどです。

    上高地 清水川
    小梨平の森から五千尺ホテルへ至る手前に、みごとな清流があります。日本一短いと言われる全長300mに満たない川で、シラビソやコメツガの原生林に覆われた六百山に降り注いだ雨が地下で濾過されて湧き出した水が梓川へと注ぎ込んでいます。
    名前の通り底まで見えるクリスタルのように透明な水が碧色のイチョウバイカモを心地よく揺らし、まるで宝石を散り嵌めたかのように映ります。色付いた落ち葉も季節感を高揚させるアクセントを担っています。
    雨が降っても濁ることはなく、日照り続きの時でも涸れることがないため、貴重な飲料水源として上高地の人々に潤いを提供しています。信州の名水・秘水15選にも選ばれ、上高地で一番質が高いそうです。帝国ホテルや五万尺ホテル、大正池ホテルも全てここの川の水を使っているそうです。
    貴重な水源でもあり、近年ネットで水中撮影された画像や映像を見る機会が増えましたが、こうした行為は慎んでいただきたいと思います。上高地にある某ホテルのブログにもあるのですが…。

    余談ですが、国土交通省による全国1級河川の水質ランキングで、2010年から3年連続で1位に輝いたのが仁淀川です。愛媛県石鎚山を源流とし、主に高知県を流れる川ですが、その支流のひとつの安居渓谷(高知県仁淀川町)を流れる安居川の透明度は仁淀ブルーと呼ばれるほどです。

  • 河童橋<br />ようやく河童橋まで戻ってきました。歩いた距離は、バスターミナル~河童橋の500mを加えると7.5kmになります。<br />河童橋は、梓川に架けられた吊橋で、上高地のランドマーク的存在です。初めて上高地に行く人の中には「上高地=河童橋」と勘違いされる方も少なくないようです。河童橋を目的に上高地を訪れる価値があるほど、感激できる景観が広がっています。屏風のように屹立する奥穂高~前穂高岳に連なるゴツゴツした岩の稜線をこれほど間近に眺められる場所は、一般観光エリアとしては他に類をみません。また、天空に広がる雄大な岩と雪の殿堂は、迫力満点です。<br />当初は、丸太を組んだ跳ね橋として架橋され、その後吊橋に架け替えられました。現在の吊橋は全長37mあり、1997年に架け替えられた5代目になります。1927年(昭和2年)、芥川龍之介は上高地に遊び、この橋を知って名作『河童』の構想を得たと伝えられています。橋名の由来は、この場所が河童の住みそうな淵だった、橋のない時代に衣類を頭に載せて川を渡る人々を河童に見立てたなど諸説あり、定説はないようです。<br /><br />本来は河童橋に戻った所でウォーキングはお仕舞いのはずでしたが、当方の体調がすこぶる良好だったため、急遽大正池まで往復することになりました。<br />バスの発車時刻を気にしながら、ハラハラ・ドキドキのタイムトライアルのスタートです。<br />この続きは、⑥上高地<後編>でお届けします。

    河童橋
    ようやく河童橋まで戻ってきました。歩いた距離は、バスターミナル~河童橋の500mを加えると7.5kmになります。
    河童橋は、梓川に架けられた吊橋で、上高地のランドマーク的存在です。初めて上高地に行く人の中には「上高地=河童橋」と勘違いされる方も少なくないようです。河童橋を目的に上高地を訪れる価値があるほど、感激できる景観が広がっています。屏風のように屹立する奥穂高~前穂高岳に連なるゴツゴツした岩の稜線をこれほど間近に眺められる場所は、一般観光エリアとしては他に類をみません。また、天空に広がる雄大な岩と雪の殿堂は、迫力満点です。
    当初は、丸太を組んだ跳ね橋として架橋され、その後吊橋に架け替えられました。現在の吊橋は全長37mあり、1997年に架け替えられた5代目になります。1927年(昭和2年)、芥川龍之介は上高地に遊び、この橋を知って名作『河童』の構想を得たと伝えられています。橋名の由来は、この場所が河童の住みそうな淵だった、橋のない時代に衣類を頭に載せて川を渡る人々を河童に見立てたなど諸説あり、定説はないようです。

    本来は河童橋に戻った所でウォーキングはお仕舞いのはずでしたが、当方の体調がすこぶる良好だったため、急遽大正池まで往復することになりました。
    バスの発車時刻を気にしながら、ハラハラ・ドキドキのタイムトライアルのスタートです。
    この続きは、⑥上高地<後編>でお届けします。

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