2014/08/29 - 2014/08/30
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たびたびさん
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今回の旅は、浄土ヶ浜、龍泉洞、北山崎といった三陸海岸がメインなんですが、その前に、盛岡の市内を早朝に巡ります。ホテルで、貸自転車があったので、これまで行けてなかったスポットをいくつか。期待以上の範囲を回れました。ところどころ、ディープな盛岡の匂いがするエリアも含まれていて、空いた時間を有効活用するにはちょうど手ごろ。四日間の旅に向かって、気分を整えることにもなったと思います。
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東京から盛岡に入って、明日からの旅に備えます。
まず向かったのは、大同苑という盛岡市内の人気焼き肉店。 -
イチオシ
名物のネギタン塩と冷麺をいただきます。これがネギタン塩。とろとろの牛タンで繊維質がしっかりしたネギを巻いてあるんですが、焼くにしたがって肉が縮んで中のネギが見えてきたら食べごろです。
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肉とネギのコラボで、かなりのうまさですよ。よく聞くと、国産牛ではないというんですが、それはこの際、どうでもいいことでしょう。
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で、この冷麺もかなりうまいんですが、ネギタン塩があまりにも強烈なので、冷麺の方の印象はぶっ飛んでしまいました。ネギタン塩、まさしく名物でしょう。
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で、今日の泊りはホテルカリーナ。盛岡駅から歩いて15分くらいですが、盛岡市内中心部には近いので、結果としては使い勝手の良い場所だと思います。値段がリーズナブルな割に、建物も大きいし丈夫そう。安心感がありました。
あと、貸自転車もあるというので、早朝に借りることにしました。 -
では、バスの時間までのわずかな時間を利用して、市内を回ります。
まずは内丸緑地は、県庁や県公会堂、盛岡城跡公園に囲まれた一角。敷地内に経緯度標もありましたが、小さな広場といった感じで、特に見どころという見どころはないような。ただ、盛岡市内の中心部なので、移動する際には、この緑地を通って行くことがあるといった程度かと思います。 -
岩手県公会堂は、盛岡市内中心部。岩手県庁舎の隣です。
昭和2年、昭和天皇のご成婚を記念して建てられたもの。設計は、大隈講堂や日比谷公会堂を手掛けた佐藤功一。当初は岩手県議会議事堂として使われていたようです。 -
なお、敷地内には原敬の銅像もありました。
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そこから上の橋へ。これは南部藩主利直が盛岡城を築く際に架けた橋。
欄干を飾る青銅製の擬宝珠は、慶長14年(1609年)や慶長16年(1611年)の銘が刻まれているものが18個残っており、国の重要美術品に指定されています。梅のような小さな柄が入っていて、ちょっとかわいらしいデザインです。 -
菊の司酒造は、中津川の裏手。紺屋町の通りにある、操業が江戸時代初期という老舗の酒屋さん。蔵を持つ外観がその歴史を感じさせます。銘柄は「菊の司」「七福神」。ほかに、米焼酎もあって、「だだすこだん」というそうです。
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紺屋町の通りを進んで、これは盛岡信用金庫本店の建物。昭和2年、「盛岡貯蓄銀行」の店舗として開設したものです。その後、昭和33年に、盛岡信用金庫が譲り受け、現在は、盛岡市の保存建造物に指定されています。設計は、盛岡出身の葛西萬司。6本の太い円柱が重厚かつ華麗な印象です。
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中の橋まで帰ってくると、プラザおでって。建物自体は立派で目立つのですが、確かに、他の方も書いていらっしゃる通り、コンセプトがはっきりしない。さんさ踊りの時も、祭りの事務局の控え室みたいな使われ方をしていました。名前と違って観光客にとっての施設にはなってないかもしれません。
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並びのもりおか啄木 賢治青春館。盛岡というか、岩手はなんだかんだ言っても、石川啄木と宮沢賢治で、この二人で岩手県の8割くらいを代表しているような感じです。
そして、建物は、明治43年に建てられた、旧第九十銀行本店。ロマネスク風の近代洋風建築は国の重要文化財となっており、盛岡市内では最高の建物。二人を記念する建物としては相応しい、堂々とした場所だと思います。 -
新渡戸稲造生誕の地は、下の橋の辺りです。小さな公園のように整備されています。
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イチオシ
ちなみに、新渡戸稲造は、藩主南部利剛の用人を務めた盛岡藩士新渡戸十次郎の三男として生まれます。南部藩校作人館に学び、一方では新渡戸家の掛かり付けの医者から英語を習ったことで、西洋への目が開かれることとなりました。
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下の橋をチェックして、
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これも、すぐそばの南昌荘。こちらは、盛岡出身の実業家、頼川安五郎が明治18年に自宅として建てたもの。原敬など数多くの著名人が訪れた場所として有名です。
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池泉回遊式の庭園を有し、有料200円で見学も可能です。管理者は、いわて生活協同組合だそうですが、なんでそうなるのか。よくわかりませんが、面白いですね。
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バスセンターの脇を抜けて、
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今度は盛岡八幡宮。
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こちらは、、源頼義が安倍氏を討伐する前九年の役において、戦勝を祈願して石清水八幡を勧請したのが始まりですが、現在は、盛岡の総鎮守。流鏑馬神事の行われる例大祭は9月です。
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同じ境内には、護国神社もありました。さすがに、この辺りまで来たのは、私も初めて。自転車じゃないと遠い場所ですね。
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盛岡八幡宮の敷地の一角には、盛岡山車資料館というのもありました。9月の例大祭に出る山車を土日に限って無料公開している施設です。
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イチオシ
盛岡で山車ってあまり知られてはいないと思うのですが、山車に飾られた武者人形のはっとするような躍動感ある姿は一見の価値があるように思います。 いかがでしょうか。
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盛岡八幡宮の近くの十六羅漢にも寄ってみます。
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さほど大きい公園ではありませんが、
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どういうわけか四方に十六羅漢の石像がぐるりと囲
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むというお寺の境内のような公園。
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というのも、実はかつては、宗龍寺の境内。
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石仏は南部藩時代に起こった飢饉の犠牲者を供養するために造られたものだということです。
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大慈寺のそばの青龍水です。ここまで帰ると、ちょっとほっとした気分。
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水汲みの人を眺めていたら、飲んでいきなさいとひしゃくを渡されました。そういえば、今まで何度か来ているんですが、飲んだことはなかったかも。柔らかい感じの飲み心地です。
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上野豆腐店も、すぐそば。見るからに何か風情のある店構えで、朝早くから活気もあって、ちょっと目立っています。
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豆乳をいただきましたが、ペットボトル入り。ちなみに、盛岡の人は豆腐の消費量が日本一だそうですが、豆乳もこうしてがぶ飲みするんでしょう。朝飯代わりと思ったのですが、一日持ち歩いて、これが水筒代わりとなりました。
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盛岡城の惣門は盛岡城南側の玄関ということですが、この惣門跡は現在の盛岡城公園からするとだいぶ離れた場所。かつての城構えは今の我々が想像するよりもう一回りも二回りも大きかったことが分かります。なお、ここからは、奥州街道が江戸へ向かいます。
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その隣りは木津屋本店。文具事務用品などの販売を行う総合オフィス商社です。寛永15年(1638年)に萬小間物「木津屋」として創業した老舗で、天保5年の火災後再建された、現在の住宅と土蔵が岩手県指定の有形文化財に指定されています。内部の見学はできませんが、外壁に説明板がありました。
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では、盛岡城址によって、
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石川啄木歌碑も再確認。
石川啄木の碑は、盛岡市内にもいくつかあるようですが、やはり盛岡城公園を登ったところにある歌碑が一番でしょう。啄木は、少年時代、学校の窓から逃げ出してきてここで日を過ごしたました。「不来方のお城の草に寝ころびて空に吸われし十五の心」は、その情景を歌ったものです。 -
イチオシ
盛岡大通り商店街に入ると写真の宮沢賢治像。というか、地元の人に聞いても誰も分からないので、諦めかけた時にふと見つけました。下駄をはいた、ひょろっとした像。雰囲気もあるし、味はある像なんですが、確かにこれは目立たないかもしれません。
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イーハトーブアベニュー材木町にも行ってみましょう。
向こうに見えるのは木伏緑地。対岸から見ると、この木伏緑地の辺りはこんもりと木が茂って、北上川両岸の景観のアクセントになっています。ただ、名前の啄木であい道というのは、何か意味があるのでしょうか。よくわかりません。 -
イーハトーブアベニュー材木町は、賢治が出版した童話集「注文の多い 料理店」を発行した光原社があって、宮沢賢治ゆかりの街。盛岡駅からもそれなりに近いのですが、その中央の通りに入ってすぐにあるのが、背広姿の宮沢賢治が座る石座。どうかすると見過ごしてしまうくらい風景に溶け込んでいます。
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材木町の本正寺は、日蓮宗の寺。光源社の隣りです。宮沢賢治は、熱心な法華経の信者でもあったようですが、この寺で「国譯妙法蓮華経」に触れ、その思いを深くして行ったということです。
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もう一つの永祥院は、材木町のメインストリートを入った奥の方。全体に大きなお寺ですが、山門脇に酒買地蔵のお堂があって、地蔵が小僧に姿を変えて度々酒を買いに来たという面白い伝説も残っています。
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伝説は以下のようなもの。
材木町のある酒屋に毎晩酒を買いにくる物言わぬ小僧がいました。ある日、貸した小樽を返さぬことに腹を立てた番頭が小僧の頭を木槌でなぐってしまいます。しかし、小僧の身を心配した酒屋の主人はあとをつけるのですが、このお堂の前まで来ると姿を見失います。不思議に思ってお堂の中をのぞいてみると、貸した酒樽が山のようになっているし、お堂の中のお地蔵さんの眉間にキズがついていました。
その後酒屋の主人は親切第一に商売に励み、繁盛したということです。 -
材木町を抜けると夕顔瀬橋です。開運橋の上流に架かる材木町と夕顔瀬町とを結ぶ橋なんですが、現在の橋は三代目。アルペンスキー世界選手権雫石大会の開催に合わせて、平成5年に架けられたということです。
盛岡藩の脱藩浪士で新選組隊士の吉村貫一郎を題材とした時代小説「壬生義士伝」の舞台でもあります。 -
さて、もうこれで時間が無くなってしまいました。
陸中海岸うみねこ復興号の出発は、盛岡駅。自転車を返して、乗り場へ向かいます。旅の本番はこれからです。
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