平塚・大磯旅行記(ブログ) 一覧に戻る
 神奈川県平塚市平塚4に平塚宿の本陣があった。代々加藤七郎兵衛と称し、神奈川相互銀行平塚支店に南西して建っていた。間口約30m、奥行約68mあった。天保14年(1843年)当時は建坪163坪あった。敷地が約618坪であるから平屋であれば建蔽率は26%に当たる。記録によれば、14代将軍徳川家茂は文久3年(1863年)と元治2年(1865年)の2回、加藤本陣で休憩している。また、明治天皇も明治元年(1868年)と明治2年(1869年)の東京行幸と東京遷都の際に小休している。<br /> 平塚宿の脇本陣は享和年間(1801年〜1804年)に描かれた「東海道分間延絵図」には西組問屋場の西の京方見附寄りにあるが、天保年間(1830年〜1844年)には加藤本陣の江戸見附寄りのこの地で山本安兵衛が営んでいた。<br /> 小さかった平塚宿にも本陣と脇本陣がそれぞれ1軒づつあった。<br />(表紙写真は平塚宿本陣跡)

本陣跡と脇本陣跡(平塚宿)

4いいね!

2014/09/26 - 2014/09/26

581位(同エリア807件中)

0

4

ドクターキムル

ドクターキムルさん

 神奈川県平塚市平塚4に平塚宿の本陣があった。代々加藤七郎兵衛と称し、神奈川相互銀行平塚支店に南西して建っていた。間口約30m、奥行約68mあった。天保14年(1843年)当時は建坪163坪あった。敷地が約618坪であるから平屋であれば建蔽率は26%に当たる。記録によれば、14代将軍徳川家茂は文久3年(1863年)と元治2年(1865年)の2回、加藤本陣で休憩している。また、明治天皇も明治元年(1868年)と明治2年(1869年)の東京行幸と東京遷都の際に小休している。
 平塚宿の脇本陣は享和年間(1801年〜1804年)に描かれた「東海道分間延絵図」には西組問屋場の西の京方見附寄りにあるが、天保年間(1830年〜1844年)には加藤本陣の江戸見附寄りのこの地で山本安兵衛が営んでいた。
 小さかった平塚宿にも本陣と脇本陣がそれぞれ1軒づつあった。
(表紙写真は平塚宿本陣跡)

  • 「平塚宿脇本陣跡」碑。

    「平塚宿脇本陣跡」碑。

  • 「平塚宿脇本陣」看板。

    「平塚宿脇本陣」看板。

  • 「平塚宿本陣旧跡」標柱。

    「平塚宿本陣旧跡」標柱。

  • 「平塚宿本陣旧蹟碑」(昭和47年(1972年)銘)。

    「平塚宿本陣旧蹟碑」(昭和47年(1972年)銘)。

この旅行記のタグ

4いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

価格.com旅行・トラベルホテル・旅館を比較

PAGE TOP