2014/09/22 - 2014/09/22
109位(同エリア216件中)
滝山氏照さん
牛久沼に向かって伸びる半島状台地南端に位置する東林寺城(とうりんじじょう、茨城県牛久市新地町)は永禄年間(1558~1570)頃に牛久城の支城として岡見氏の家臣らが在城しています。
岡見氏の主力である牛久城は常陸太田に拠点とする佐竹氏に属する多賀谷氏勢力に対抗するため小田原北条氏の支援を仰ぎ、これに応えるべく当主氏政は影響下にある高城氏・豊島氏・井田氏らを交替して牛久城在番派遣します。
主城である牛久城とは牛久沼を隔てて近接している地理的な状況を考慮すると東林寺城がどのような役割だったのかわかりませんが、輪番の兵士達の待機場所として使用されていたのかもしれません。
地勢的には東林寺境内及び墓地の敷地は限られ居館跡と思われるような谷地となっており、その奥が耕作地として広がりを見せていますが当時は半島部に連結して城郭を造っていたと思われます。
岡見氏は南進する佐竹氏勢力に対抗上小田原北条氏と同一行動を取った立場のため、天正18年(1590)小田原城開城に伴い、東林寺城も豊臣秀吉派遣軍の攻撃対象となったことから廃城となったと思われます。
2023年9月23日追記
境内墓地に建てられた説明板には五輪塔に関して紹介されています。
「 牛久市指定文化財
東 林 寺 城 跡 五 輪 塔
この塔は、もと東林寺城跡内南側の一角に建っていたが、十数年前大字新地地内水田造成のための採土事業により現在位置に移転されたもの。
五輪塔とは石塔姿の一種で、下から方・円・三角・半月・団形の五部を積み上げ、それを地・水・火・風・空の五輪に象徴した物である。
この五輪塔は、二基とも像高145センチメートルで地輪部が高く、水輪部はほぼ円形、火輪部は勾配が大きい。
室町時代末期の作と認められ、かなり洗練された作柄である。
平成3年3月1日
牛久市教育委員会 」
- 旅行の満足度
- 3.0
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
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稲荷川河童像
東林寺城に向かうため稲荷川を渡りますが三日月橋には河童の銅像が見えます。 -
稲荷川上流
稲荷川の対岸は半島部で東林寺城跡が半島突端に築城されています。 -
稲荷川下流
稲荷川の水流は三日月橋を越えて牛久沼に流れます。 -
東林寺遠景
稲荷川渡ってすぐ右折する道路が東林寺方向へ繋がります。 -
東林寺入口
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東林寺社標
「漕洞宗福壽山東林寺」と刻された社標が確認されます。 -
東林寺参道
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石燈籠群
参道に沿って石燈籠が並び寺院の格式が上がります。 -
参道正面
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イチオシ
東林寺本堂
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本堂扁額
本堂上部には「福壽山」が刻された山額が見られます。 -
境内風景
本堂から参道方向を眺めます。 -
石燈籠・右側
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石燈籠・左側
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墓地への通路
境内から上り坂となっています。 -
東林寺五輪塔案内
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五輪塔群
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イチオシ
五輪塔
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東林寺城跡五輪塔説明
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東林寺城跡五輪塔石柱
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白川稲荷神社鳥居
東林寺の隣には白川稲荷神社があります。鳥居の先には急峻な石段がありこれを登ります。 -
白川稲荷神社拝殿
石段を上り詰めると正面に神社拝殿が見えます。東林寺城に隣接地ですから当然に城郭の一部ではないかと思いますが神社境内を見る限りでは城郭跡を示すものはありません。 -
白川稲荷神社拝殿
相当に年月を経た小振りな拝殿が認められます。 -
手水舎
手入れがされていない取水舎がひっそりと建っています。 -
境内風景
拝殿から境内風景を捉えます。 -
拝殿石段
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