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JR常磐線牛久駅西口から国道6号を上野方向に戻り竜ヶ崎市境の牛久沼を臨む台地に牛久城(うしくじょう、茨城県牛久市城中町)があります。<br /><br />牛久城は天文後半(1550頃)小田氏一族の岡見氏によって築城されたと言われており、小田氏に従って常陸太田に拠点を置く佐竹氏と戦うなか小田氏はやがて佐竹氏の臣下となりますが、岡見氏は独立した勢力を保ちます。<br /><br />佐竹氏の勢力が拡大するに従って佐竹氏に属する下妻の多賀谷氏が南下して岡見氏領を脅かし、元亀元年(1570)に支城の矢田部城、天正15年(1587)には足高城がそれぞれ攻撃を受けて落城します。<br /><br />ここで岡見氏は自領の安泰を探るべく北進を続ける小田原北条氏に支援を求め、一方小田原北条氏は佐竹領と隣接する牛久城の戦略上の要所であることを認識していることからこの申出を受け、従来から小田原北条氏に属している近隣の城主に対し交代で牛久城を死守する命を出します。<br /><br />これら近隣の城主は下総小金城主の高城氏、下総布川城主豊島氏そして上総坂田城主井田氏などで天正15年(1587)頃からいわゆる牛久番として駐留することになります。<br /><br />しかしながら天正18年(1590)豊臣秀吉による小田原北条氏征伐の一環として牛久城も攻撃され開城、その後は秀吉命によって由良国繁が入城しますが関ヶ原戦後の元和9年(1623)江戸幕府により廃城とされます。<br /><br /><br />2023年9月22日追記<br /><br />三の丸広場に立っている案内板には下記の通り説明されています。<br /><br />『 牛 久 城 址<br /><br />牛久城は城主の岡見氏によって天文後半(1550年頃)に築造された。<br /><br />この城は、戦国期に築かれた東国の城の特徴を持ち、本丸がある城山には石垣や天守閣を持たない典型的な遺構を残している。<br /><br />ここは、小田原北条氏と佐竹氏との境目にあり、三方を沼に囲まれた平山に北条流の築城技術を取り入れて造られた極めて頑強な城になっている。<br /><br />下妻の多賀谷氏によって岡見氏の有力支城である谷田部城と足高城は落城したが、牛久城は同盟する布川城の豊島氏、小金城の高木氏などの援軍を得て守りきった。<br /><br />牛久城は天正18年(1590)に豊臣秀吉軍の東国攻めにより開城した。<br /><br />その後、秀吉は由良国繁を牛久城主としたが、関ヶ原合戦後の元和9年(1623)に牛久城は廃城になった。<br />         <br />                 牛久市教育委員会 』<br /><br />

常陸牛久 小田原北条氏に臣属する豊島氏や高木氏の支援を得て常陸佐竹氏の攻略を防いだ境目の有力国人である小田氏一族の岡見氏本拠『牛久城』訪問

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2014/09/22 - 2014/09/22

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滝山氏照

滝山氏照さん

JR常磐線牛久駅西口から国道6号を上野方向に戻り竜ヶ崎市境の牛久沼を臨む台地に牛久城(うしくじょう、茨城県牛久市城中町)があります。

牛久城は天文後半(1550頃)小田氏一族の岡見氏によって築城されたと言われており、小田氏に従って常陸太田に拠点を置く佐竹氏と戦うなか小田氏はやがて佐竹氏の臣下となりますが、岡見氏は独立した勢力を保ちます。

佐竹氏の勢力が拡大するに従って佐竹氏に属する下妻の多賀谷氏が南下して岡見氏領を脅かし、元亀元年(1570)に支城の矢田部城、天正15年(1587)には足高城がそれぞれ攻撃を受けて落城します。

ここで岡見氏は自領の安泰を探るべく北進を続ける小田原北条氏に支援を求め、一方小田原北条氏は佐竹領と隣接する牛久城の戦略上の要所であることを認識していることからこの申出を受け、従来から小田原北条氏に属している近隣の城主に対し交代で牛久城を死守する命を出します。

これら近隣の城主は下総小金城主の高城氏、下総布川城主豊島氏そして上総坂田城主井田氏などで天正15年(1587)頃からいわゆる牛久番として駐留することになります。

しかしながら天正18年(1590)豊臣秀吉による小田原北条氏征伐の一環として牛久城も攻撃され開城、その後は秀吉命によって由良国繁が入城しますが関ヶ原戦後の元和9年(1623)江戸幕府により廃城とされます。


2023年9月22日追記

三の丸広場に立っている案内板には下記の通り説明されています。

『 牛 久 城 址

牛久城は城主の岡見氏によって天文後半(1550年頃)に築造された。

この城は、戦国期に築かれた東国の城の特徴を持ち、本丸がある城山には石垣や天守閣を持たない典型的な遺構を残している。

ここは、小田原北条氏と佐竹氏との境目にあり、三方を沼に囲まれた平山に北条流の築城技術を取り入れて造られた極めて頑強な城になっている。

下妻の多賀谷氏によって岡見氏の有力支城である谷田部城と足高城は落城したが、牛久城は同盟する布川城の豊島氏、小金城の高木氏などの援軍を得て守りきった。

牛久城は天正18年(1590)に豊臣秀吉軍の東国攻めにより開城した。

その後、秀吉は由良国繁を牛久城主としたが、関ヶ原合戦後の元和9年(1623)に牛久城は廃城になった。
         
                 牛久市教育委員会 』

旅行の満足度
3.5
交通手段
JRローカル 徒歩
  • 根古屋橋<br /><br />JR常磐線牛久駅西口から線路に沿って国道6号を佐貫駅方向に約40分、徒歩の途中はコンビニだけでやっと牛久城跡に繋がる根子屋川に辿り着きこの橋を渡ります。

    根古屋橋

    JR常磐線牛久駅西口から線路に沿って国道6号を佐貫駅方向に約40分、徒歩の途中はコンビニだけでやっと牛久城跡に繋がる根子屋川に辿り着きこの橋を渡ります。

  • 根古屋川<br /><br />「根古屋」という城郭用語からして既に牛久城跡の一部に入っています。また地形の様相から牛久城の外堀の役割をしていると思われます。

    根古屋川

    「根古屋」という城郭用語からして既に牛久城跡の一部に入っています。また地形の様相から牛久城の外堀の役割をしていると思われます。

  • 牛久沼<br /><br />刈り取られた田圃の遥か彼方には牛久沼が見えます。従い牛久城は地勢的には牛久沼と根古屋川に囲まれた台地に位置しているということになります。

    牛久沼

    刈り取られた田圃の遥か彼方には牛久沼が見えます。従い牛久城は地勢的には牛久沼と根古屋川に囲まれた台地に位置しているということになります。

  • 牛久城址案内<br /><br />根古屋川を渡り更に直進すると「牛久城址」と書かれた案内板が視野に入ります。

    牛久城址案内

    根古屋川を渡り更に直進すると「牛久城址」と書かれた案内板が視野に入ります。

  • 登城路<br /><br />案内板表示では入口から約290mの距離とのことです。

    登城路

    案内板表示では入口から約290mの距離とのことです。

  • 腰郭<br /><br />登城道の左側には長手の郭が広めに見えます。(腰郭と言われるエリアとのことです)

    腰郭

    登城道の左側には長手の郭が広めに見えます。(腰郭と言われるエリアとのことです)

  • 空堀

    空堀

  • 空堀

    空堀

  • 腰郭<br /><br />登城道の左側は引き続き腰郭と言われる郭が広がっています。

    腰郭

    登城道の左側は引き続き腰郭と言われる郭が広がっています。

  • 虎口跡<br /><br />更に奥には左右の土塁が施され虎口跡であることが判ります。

    虎口跡

    更に奥には左右の土塁が施され虎口跡であることが判ります。

  • 虎口跡左側

    虎口跡左側

  • 虎口跡右側

    虎口跡右側

  • 二の丸跡<br /><br />虎口右側には城郭への入口があり、その奥には広々とした二の丸跡があります。

    二の丸跡

    虎口右側には城郭への入口があり、その奥には広々とした二の丸跡があります。

  • 二の丸跡

    二の丸跡

  • 土橋<br /><br />登城道に戻り更に奥に進むと左右に空堀で中央部が向こう側に渡れる土橋が明確に保存されています。

    土橋

    登城道に戻り更に奥に進むと左右に空堀で中央部が向こう側に渡れる土橋が明確に保存されています。

  • 空堀右側

    空堀右側

  • 空堀左側

    空堀左側

  • 土橋<br /><br />渡ったばかりの土橋を振り返ります。

    土橋

    渡ったばかりの土橋を振り返ります。

  • 空堀

    空堀

  • 三の丸虎口<br /><br />

    三の丸虎口

  • 空堀

    空堀

  • 空堀

    空堀

  • 三の丸<br /><br />自分は南側(搦手口)から登城したようで、左側に見える路方向が大手口となります。

    三の丸

    自分は南側(搦手口)から登城したようで、左側に見える路方向が大手口となります。

  • 三の丸<br /><br />きれいに刈り取られた三の丸跡が広々と展開しています。

    三の丸

    きれいに刈り取られた三の丸跡が広々と展開しています。

  • 三の丸

    三の丸

  • 牛久城跡説明板<br /><br />三の郭角に立つ牛久城跡に関する説明が書かれています。<br /><br />

    牛久城跡説明板

    三の郭角に立つ牛久城跡に関する説明が書かれています。

  • 牛久城跡説明

    牛久城跡説明

  • 牛久城縄張図<br /><br />縄張図を見て現在地が判らずその為本丸へは行ってないことが後刻判明し、引き返すなどして本丸見学ができず残念です。

    牛久城縄張図

    縄張図を見て現在地が判らずその為本丸へは行ってないことが後刻判明し、引き返すなどして本丸見学ができず残念です。

  • 牛久城跡畝堀<br /><br />縄張図には畝堀が施設されている場所があります。岩槻城にも見られた畝堀ですが小田原北条氏の得意とする技術が導入されているようです。<br /><br />

    牛久城跡畝堀

    縄張図には畝堀が施設されている場所があります。岩槻城にも見られた畝堀ですが小田原北条氏の得意とする技術が導入されているようです。

  • 牛久城跡案内板<br /><br />一部見えなくなっていますが牛久城跡案内板があります。

    牛久城跡案内板

    一部見えなくなっていますが牛久城跡案内板があります。

  • 三の丸<br /><br />城跡説明板が立っている角を右折して三の丸を回るように坂道を下ります。

    三の丸

    城跡説明板が立っている角を右折して三の丸を回るように坂道を下ります。

  • 三の丸下部<br /><br />三の丸跡を回るように下ると根古屋に出る道路に繋がります。(即ち根古屋橋を渡って最初の路を右折する道路になります)

    三の丸下部

    三の丸跡を回るように下ると根古屋に出る道路に繋がります。(即ち根古屋橋を渡って最初の路を右折する道路になります)

  • 三の丸空堀方向

    三の丸空堀方向

  • 三の丸空堀方向

    三の丸空堀方向

  • 二の丸空堀方向

    二の丸空堀方向

  • 三の丸空堀<br /><br />とにかく三の丸空堀底を歩いてみます。

    三の丸空堀

    とにかく三の丸空堀底を歩いてみます。

  • 三の丸空堀<br /><br />堀底は足場が悪く前進がひじょうに困難です。

    三の丸空堀

    堀底は足場が悪く前進がひじょうに困難です。

  • 三の丸跡<br /><br />三の丸空堀を進み登りつめると三の丸付近に辿り着きます。

    三の丸跡

    三の丸空堀を進み登りつめると三の丸付近に辿り着きます。

  • 三の丸跡

    三の丸跡

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