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長蓮寺(ちょうれんじ、栃木県真岡市荒町)は浄土系宗派の一つで宗旨は時宗で、そのホームページによれば鎌倉時代後期に時宗の祖である一遍上人の入滅後に高弟真教上人が一遍上人の教えを広める諸国行脚の途中、永仁5年(1297)真岡の西郷大際山に念仏修行の道場として当該寺を創建します。<br /><br />長蓮寺は貞和3年(1347)に下野国に勢力を有していた宇都宮氏の庶流芳賀高貞(はが・たかさだ、生没不詳)の命によって居城の真岡城の鬼門方向にある現在地に移築されたと伝えられています。<br /><br />秀吉時代に宇都宮氏内訌により改易処分、これに連座して芳賀氏も所領没収され真岡を離れることになります。<br /><br />関ヶ原戦い後は浅野氏、堀氏が入封と転封を繰り返す中、寛永4年(1627)稲葉正成(いなば・まさなり、1571~1628)が2万石を以て真岡城主となります。<br /><br />そして正成と長蓮寺との思わぬ縁が生まれます。即ち稲葉家の家紋は「折敷に三文字紋」ですが、これと長蓮寺の寺紋(つまり時宗の宗紋)とが同一であることが判りました。<br /><br />そもそも「折敷に三文字紋」は瀬戸内海大三島に鎮座する三島神社の神紋であり、この神社を氏神とした越智氏の家紋となり、越智氏の庶流も当然ながら「折敷に三文字紋」を家紋とします。<br /><br />一遍上人の出自は鎌倉時代に水軍を率いて瀬戸内海に勢力を有した伊予の河野氏で他方稲葉氏も先祖が河野氏で時代の前後はあるもののいずれも伊予の越智氏から分かれた一族であったということで、正成はこの縁を大事にして参拝を欠かさなかったとされます。<br /><br />特筆すべきは正成の後室(後に離婚)のお福はその後に家光乳母として家康の厚い信頼を得てそれを背景に家光を将軍実現に奔走した春日局でありました。<br /><br />春日局として出世を果たした後も不遇の正成を助け、更に息子の正勝(まさかつ、1597~1634・真岡藩から小田原藩主へ加増転封)や孫正則(まさのり、1623~1696・小田原藩主で老中首座昇格)への貢献は語るまでもありません。余談ですが春日局の菩提寺麟祥院(りんしょういん・東京都文京区)の墓には葵紋と共に「折敷に三文字紋」が刻されています)<br /><br />従い長蓮寺は春日局の夫にゆかりのある寺院として家光より朱印12石を拝領することになります。<br />

下野真岡 先祖が伊予の河野氏の流れと伝わる江戸時代真岡藩主稲葉氏紋所と偶然にも一致する日本一の半跏像弁財天が鎮座する時宗『長蓮寺』散歩

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2014/09/24 - 2014/09/24

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滝山氏照

滝山氏照さん

長蓮寺(ちょうれんじ、栃木県真岡市荒町)は浄土系宗派の一つで宗旨は時宗で、そのホームページによれば鎌倉時代後期に時宗の祖である一遍上人の入滅後に高弟真教上人が一遍上人の教えを広める諸国行脚の途中、永仁5年(1297)真岡の西郷大際山に念仏修行の道場として当該寺を創建します。

長蓮寺は貞和3年(1347)に下野国に勢力を有していた宇都宮氏の庶流芳賀高貞(はが・たかさだ、生没不詳)の命によって居城の真岡城の鬼門方向にある現在地に移築されたと伝えられています。

秀吉時代に宇都宮氏内訌により改易処分、これに連座して芳賀氏も所領没収され真岡を離れることになります。

関ヶ原戦い後は浅野氏、堀氏が入封と転封を繰り返す中、寛永4年(1627)稲葉正成(いなば・まさなり、1571~1628)が2万石を以て真岡城主となります。

そして正成と長蓮寺との思わぬ縁が生まれます。即ち稲葉家の家紋は「折敷に三文字紋」ですが、これと長蓮寺の寺紋(つまり時宗の宗紋)とが同一であることが判りました。

そもそも「折敷に三文字紋」は瀬戸内海大三島に鎮座する三島神社の神紋であり、この神社を氏神とした越智氏の家紋となり、越智氏の庶流も当然ながら「折敷に三文字紋」を家紋とします。

一遍上人の出自は鎌倉時代に水軍を率いて瀬戸内海に勢力を有した伊予の河野氏で他方稲葉氏も先祖が河野氏で時代の前後はあるもののいずれも伊予の越智氏から分かれた一族であったということで、正成はこの縁を大事にして参拝を欠かさなかったとされます。

特筆すべきは正成の後室(後に離婚)のお福はその後に家光乳母として家康の厚い信頼を得てそれを背景に家光を将軍実現に奔走した春日局でありました。

春日局として出世を果たした後も不遇の正成を助け、更に息子の正勝(まさかつ、1597~1634・真岡藩から小田原藩主へ加増転封)や孫正則(まさのり、1623~1696・小田原藩主で老中首座昇格)への貢献は語るまでもありません。余談ですが春日局の菩提寺麟祥院(りんしょういん・東京都文京区)の墓には葵紋と共に「折敷に三文字紋」が刻されています)

従い長蓮寺は春日局の夫にゆかりのある寺院として家光より朱印12石を拝領することになります。

旅行の満足度
3.0
交通手段
JRローカル 私鉄 徒歩
  • 長蓮寺横門

    長蓮寺横門

  • 長蓮寺寺号<br /><br />横門の傍らに寺号が掲載され、その下部には簡単な紹介がされています。<br /><br /><br />

    長蓮寺寺号

    横門の傍らに寺号が掲載され、その下部には簡単な紹介がされています。


  • 長蓮寺山門<br /><br />幹線道路側に廻りますと山門が建立されて当門から入ります。<br /><br />

    長蓮寺山門

    幹線道路側に廻りますと山門が建立されて当門から入ります。

  • 長蓮寺中門<br /><br />上部には「窪道場」の額が掲示されており、当寺院創設の頃大際山の窪地に念仏修行の道場として堂宇が建立されていたそうです。

    長蓮寺中門

    上部には「窪道場」の額が掲示されており、当寺院創設の頃大際山の窪地に念仏修行の道場として堂宇が建立されていたそうです。

  • 「折敷に三文字紋」<br /><br />門上部には時宗の宗門である「折敷に三文字紋」でこれは一遍上人出自の伊予国河野氏家紋から採用したもので偶然にも真岡藩主稲葉氏の紋所と同一で入封した正成はこの偶然に驚いたそうです。

    「折敷に三文字紋」

    門上部には時宗の宗門である「折敷に三文字紋」でこれは一遍上人出自の伊予国河野氏家紋から採用したもので偶然にも真岡藩主稲葉氏の紋所と同一で入封した正成はこの偶然に驚いたそうです。

  • 長連寺・本堂<br /><br />宗旨は時宗で大際山長蓮寺と号し、御本尊は阿弥陀如来の他真岡弁財天尊、日限(ひぎり)地藏が奉安されています。<br /><br />

    長連寺・本堂

    宗旨は時宗で大際山長蓮寺と号し、御本尊は阿弥陀如来の他真岡弁財天尊、日限(ひぎり)地藏が奉安されています。

  • 櫓<br /><br />中門を過ぎると寺院では珍しい櫓の建物が視野に入ります。

    イチオシ



    中門を過ぎると寺院では珍しい櫓の建物が視野に入ります。

  • 櫓玄関

    櫓玄関

  • 弁天財半跏像<br /><br />この黄金色の木彫は左手に宝珠を乗せ、右手には宝剣を握る高さ3.45mの二臂半跏像(にひはんかぞう:二つの腕があって片足を組んでいる姿)です。

    弁天財半跏像

    この黄金色の木彫は左手に宝珠を乗せ、右手には宝剣を握る高さ3.45mの二臂半跏像(にひはんかぞう:二つの腕があって片足を組んでいる姿)です。

  • 長蓮寺沿革・説明板

    長蓮寺沿革・説明板

  • 十五童子像<br /><br />弁財天に仕える従者の像が並んでいます。

    十五童子像

    弁財天に仕える従者の像が並んでいます。

  • 十五童子像

    十五童子像

  • 長蓮寺・境内

    長蓮寺・境内

  • 鐘楼

    鐘楼

  • 長蓮寺境内風景

    長蓮寺境内風景

  • 長蓮寺・説明板<br /><br /><br /><br /><br />「 大際山華蔵院 長 蓮 寺<br />                真 岡 市 荒 町<br /><br />長蓮寺は、真岡市唯一の時宗寺院である。開山は一遍の弟子遊行二祖他阿上人真教であり、永仁5五年(1297)三月の開創であるとされ、藤沢市(神奈川県)の清浄光寺の末寺である。<br /><br />貞和三年(1347)芳賀高貞の時に西郷から現在の地に移されたと伝えられる。 <br /><br />その後、火災にあい、現在の本堂は宝永六年(1709)、庫理は明治五年(1872)に再建されたものである。 <br /><br />当寺には、市指定文化財である弁財天半跏像(江戸元禄期作)が安置されている。<br /><br />本堂の屋根瓦には、 稲葉正成公(春日局の夫真岡藩主)の家紋三(に丸)が付されているが、これは河野家から出家した一遍上人(稲葉家と同じ家紋)との関係からのものと伝えられ、稲葉家ゆかりの由緒ある寺院である。<br /><br />                     真  岡  市  」 

    長蓮寺・説明板




    「 大際山華蔵院 長 蓮 寺
                    真 岡 市 荒 町

    長蓮寺は、真岡市唯一の時宗寺院である。開山は一遍の弟子遊行二祖他阿上人真教であり、永仁5五年(1297)三月の開創であるとされ、藤沢市(神奈川県)の清浄光寺の末寺である。

    貞和三年(1347)芳賀高貞の時に西郷から現在の地に移されたと伝えられる。 

    その後、火災にあい、現在の本堂は宝永六年(1709)、庫理は明治五年(1872)に再建されたものである。 

    当寺には、市指定文化財である弁財天半跏像(江戸元禄期作)が安置されている。

    本堂の屋根瓦には、 稲葉正成公(春日局の夫真岡藩主)の家紋三(に丸)が付されているが、これは河野家から出家した一遍上人(稲葉家と同じ家紋)との関係からのものと伝えられ、稲葉家ゆかりの由緒ある寺院である。

                         真  岡  市  」 

  • 長蓮寺弁財天・説明板

    長蓮寺弁財天・説明板

  • 真岡市物産会館<br /><br />長蓮寺向かいには物産会館と称する建物が見えます。辺りが静かで人影見えず、入口は施錠がかかって入場できません。昨日祝日で開館していたようで本日は振替休業のようです。<br /><br />

    真岡市物産会館

    長蓮寺向かいには物産会館と称する建物が見えます。辺りが静かで人影見えず、入口は施錠がかかって入場できません。昨日祝日で開館していたようで本日は振替休業のようです。

  • 岡部記念館<br /><br />明治初期に岡部呉服屋二代目、岡部久四郎が10年余をかけての建築物で県有形文化財となっています。祝日振替で休館のため入場できません。

    岡部記念館

    明治初期に岡部呉服屋二代目、岡部久四郎が10年余をかけての建築物で県有形文化財となっています。祝日振替で休館のため入場できません。

  • 岡部記念館建物<br /><br />振替休業のため入館できませんので門の隙間から建物だけを撮りました。

    岡部記念館建物

    振替休業のため入館できませんので門の隙間から建物だけを撮りました。

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