2014/04/03 - 2014/06/18
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キャッツアイさん
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2ヵ月半の旅の最初と中継地点と最終地でお世話になったローマ。
残すは最終の3日間となりました。ローマは奥が深過ぎです・・
≪すべての道はローマに通ず≫
アッピア街道
ローマ帝国、財務官であったアッピウス・クラウディウスが立案。
ローマ軍の迅速な移動をめざした
東方支配の拠点となる港とローマを結ぶ高速道路だ。
紀元前312年に建設が始まった。
最初はナポリの北まで、のち紀元前190年にはブリンディ シまで延長。
その技術はエトルリア人から学んだものだそうだ。
(紀元前から高い技術や文化を誇って栄えていたエトルリア人。
エトルリア人てすごいですね。歴史上から抹殺されてしまったことは非常に残念。もし続いていたら以降どれほどの発展を遂げたことだろう・・)
現在でも残る2車線道路。
とにかく真っ直ぐ作るため
山を切り崩し、沼も湿地を埋め立てたと聞く・・・
沼や湿地に突き当たったときは
どれだけ大変な工事だったろうか・・現在でさえ地盤を強化するのに
大変なな技術が要るというのに・・
・・・街道に立つ。
じっと路面をみつめてみる。
紀元前から兵隊も馬車も馬も人もこの道を歩き走り抜けていったんだ・・
過酷に使用されてきたはず・・
その道が厳然と当時の姿をとどめ、黒光りして残っている
この道路の上に 幾つもの歴史が重なっている と思うと
文字や教科書の上の平たかった歴史が、もくもくと厚みをおびてくる。
石のひとつひとつの凹凸や 石の隙間・・
そこにどんなものが刻まれてきたのかと・・
じっ〜と 見つめてしまう。
街道を行く人々の様々な
思いや、足音、声が・・聞こえてくるような錯覚・・
紀元前からの時間の流れにタイムスリップすることも
もしかしたら 不可能じゃないかも〜...なんてね♪
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
テルミニ駅で、駅員さんに聞いた。
アッピア街道に行きたいが、地下鉄は何処で降りたらいいか?と。
メトロA線でCOLLI ALBANI下車だそうだ。
乗車してからもさらに地元っぽい人に確認してみた。
すると路線図を指して、パルコアッピアアンティーカで降りなさいといわれた。
【ローマ地下鉄A線のANAGNINA方面行きに乗車し、7つ目の駅COLLI ALBANI−PARCO APPIA ANTICAで下車。】
地下鉄から地上にあがると、バス停があちこちにある。
広いロータリーだ。
色々なバスがやってくる。
バス停を探すよりここは聞いたほうが早い。
近くのバールで聞くと、666番のバスと教えてくれた。
すっかり安心してバスを待った。
しかし・・・
来るバスはどれも・・他のナンバーばかり。
暑い日ざしが照りつける6月中旬
なかなかバスは来ない・・
同じようにこのバス停で待つ人達は、必死で?日陰を確保している・・
しかし、暑い。
本当に..暑い。。
666のバス停は、日陰になる場所がわずか。
たまらず通りを渡った向こう側の木の陰に避難。
他の人も同じように避難してきた(笑)
30分待って、やっと666のナンバーのバスが。。よかった〜!
みんなで駆け寄る(笑) -
乗車〜。
運転手さんにアッピア街道を観光できるところで降ろしてとお願いする。
あ〜バスは涼しい♪ -
バスを降りる
T字路。結局ここが終点だったみたい。
降りた人達は、それぞれ、右を見たり左を見たり・・
どっちの方向に歩こうか迷っている。
そのうちそれぞれテキトウに
街道をを右に歩き出す人、左に歩き出す人・・
ん?どっちにいけばいいのかな?
丁度、一軒だけバールがあったので
お店の人に聞いてみた。
「どっちの方向に歩くといいですか?」
『それは、ここを右に行くのがベストよ。見るべきものがたくさんこちらにはあるから』
あ〜聞いてよかった!
お礼を言って、右へ。スタスタ・・・
2年前も一度、アッピア街道に来ているけれど、
バスから降りた場所が違うので迷ってしまった・・
1度の経験で見た過去のアッピア街道は・・・
(バスから降りた道のまわりは)ひなびていて
松が点在する道路が真っ直ぐ視界の先まで続き
途中に地下にカタコンベのある教会が二箇所
両脇に、朽ちてはいるが立派な屋敷のようなお墓(博物館になっていた)
人の気配のないアッピア街道の両脇には
当時の勢力を感じる墳墓、小さな墓標などがぽつぽつ続いていた。
(あまりにもまわりに歩いている人が見当たらなくて、かなり不安になったっけ)
でもそれは・・イメージしていた通りの「アッピア街道」そのものだった。
今、目ににしている道は、それとは全く違っている・・
1軒お土産物屋さんとレストランらしい店があり、車が止まっている。
「本当に見るべきもものはこっちに集まっている」と教えられたとおり
こちらがアッピア街道のメインだったのね・・
両方、体験できて、良かった良かった・・
(前回は、誰とも話さず聞かず、ただただ勘で歩いた。
あれがアッピア街道のすべてではなかったと知って、冷や汗タラ〜。) -
お食事ができるようね・・
かなり古そう というか歴史感じます・・ -
アッピア街道
幅が約4m
かつては両脇に約3mの歩道があったそう・・
その間に排水溝があり
中央部を盛り上げて雨水が流れ下るようになっていたとか。
その技術がすばらしのは驚くべき作り方です。
地表から1から1.5メートルの深さまで掘り下げ、
敷石の下に3層の基礎(路盤)が築かれたこと!
水が溜まるのを防ぐために
石と 砂利と 粘土を 三層に重ねたのです。
それを基盤として
その基盤の一番上層に、
一辺が70センチの火山石をすき間なく敷き詰めていったのです。
気の遠くなる作業ですね・・・
そして、気の根っこが舗装を壊さないように脇の木々は全て伐採!
伐採・・・!!そこまで手を抜かない・・!完璧ですね〜。
そして紀元前から今に至るまでその姿をとどめ
こうしてりっぱに現代に受け継がれているんですね・・
すごすぎます。
この道の上を
ハンニバルとかカエサルの軍団、法王とか皇帝達、ポンペイウスも行ったんだ・・
ここは昔と今をつなぐ「歴史の舞台」・・・・
見つめていると、ふっと、彼方昔に引き込まれるような気が・・・ -
敷石には、ベスビオ山の火山岩が用いられたそうです。
ナポリから運んだんですね〜・・
しかし、歩き辛いです。
たいら・・といってもやはり自然の石を敷き詰めているだけに
でこぼこが、足のバランスを崩すので、疲れます
レンタルしたバイクでアッピア街道を観光しようとしていたアジア系のカップル。
え?こんな歩き辛いでこぼこ道を、バイクですか?
脳震盪おこすか、頚椎捻挫か、滑って転びそう・・
無理じゃない?走るのは・・・・
何度か、トライしていたのを見ていたけれど
案の定、諦めたみたい・・バイクを押して歩き出した・・・
バイクを転がしながら歩くって・・大変ね。。
がんばれ!←他人事 -
私の前を
黒装束の若い男性。
神父さんも旅行するんですね〜。←どんなイメージなんだか・・ -
左手に朽ちた大きな教会
神父さんは
そこに向って歩いていくようです。 -
この教会の遺跡は、うち捨てられ、なんの注目度もされていない様子。
こんな立派な外観?でも
ほって置かれている様子は、ローマの遺跡の多さに寄る??
今回、見逃してしまったけれど
後でしらべたら「クォ・バディス教会」といって
クリスチャンにはとっても大切な教会があったのですね。
(サンセバスチャーノ教会も重要)
残念。
クォ・バディス教会また行かなくっちゃ!
この神父さんはきっと、
これらの教会が大切な目的の1つだったのでしょうね。
というのも、
クォ・バディス教会にはイエスの足跡といわれるものがあるとか。
12弟子の一人ペテロが、
キリストの死後(ローマの大火の後)
ローマを去って行こうとしたそのとき、
このアッピア街道で、
イエス・キリストの啓示を受けたのだそうです。
キリストに向かってペテロは、
「ドミネ、クォ・ウァディス?」
("Domine, quo vadis?":主よ、どこへ行かれるのですか?)と尋ね
イエスは、
「エオ・ロマム・イテルム・クルキフィギ」
(再び十字架に架かりにゆく)
と答えたのだそうです。
その啓示を受けた所として
教会がここに建てられたのだそう。
聖書って、クリスチャンでない私にとっては
物語というイメージ。
でもそれを語り継がれる「もの」があったりすると
ちょっとたじろぎながら驚いてしまう。
でもやはり、信じられないけれど・・
クリスチャンなら信心を深くし、感激しちゃうだろうな。 -
この道を走る車のタイヤ、どうなっているの?
悪路で、ガンガン走ったら
すぐパンクしてしまいそうな気がするけれど・・
イタリアのタイヤは別物??
う〜ん・・気になるな〜。 -
前方に巨大な建造物。
チェチリア・メテッラの墓(Tomba di Cecilia Metella)です。
大きな円筒形で(直径20メートル)目を引きます。
下部は四角形でその上に円筒形が乗っている感じ。
紀元前50年頃に建てられた、ローマの執政官の娘さんのお墓といわれていますが
また他の説もあるようで・・
第一次三頭政治の一人、クラッススの妻だったとか。
(クラッススの息子の妻だった説もある。)
クラッススとは・・・
共和政末期のローマでの大富豪で、カエサルの最大の債権者だった人。
貴族だったとはいえ、後ろ盾が充分でなかったカエサルにとって、
クラッススの存在は非常に大きかったとか。
父親のほうは、三頭政治の主役の一人ではあっても軍事的才能には恵まれずに
パルティア戦役で、息子共々敗死。
父親と違い息子のほうは、有能でカエサルのガリア戦役にも同行、
“若きクラッスス”と言われカエサルに愛された青年だったようです。。
ローマ市民に「トンビが鷹を生んだ」と評された親子だったとか。
このお墓は、当時のクラッススの財力のすごさを物語っていると
言われています。 -
チェチーリア・メテッラの墓
アッピア街道でも
現存する遺構の中で最大規模を誇る墓だそうで
もっとも保存状態がいいものだそうです。
後に、ここをお墓でなく要塞として使ったカエターニ一族が
14世紀にツバメの尾形の狭間を持つ建物を横に付け加えたのだそうです。
(カラカラ浴場、クィンティリウスの別荘と共通券) -
チェチーリア・メテッラの墓
カエサルの時代、紀元前に建設されたんですよね〜。 -
内部・・・
円筒形の墓はハトの住み家に・・・・
-
VILLA DI MASSENZIO
マクセンティウス帝の競技場とロムルス廟の入り口 -
受付でチケットを買って
入ってすぐの 木の下に落ちていた大きな赤っぽい実
何の木だろう?
この実何の実 気になる実〜♪ -
目の前に、野っ原みたいな広々とした敷地が広がっています。
そこにまた目を引く遺跡が。
マクセンティウス帝の競技場跡と貴族の屋敷跡です。 -
マクセンティウス帝の競技場跡
皇帝の正式な名前は
マルクス・アウレリウス・ウァレリウス・マクセンティウス皇帝
嚙みそう・・・
(在位306年から312年) -
マクセンティウス帝の競技場跡
マクセンティウス帝が造営したものでしたが
彼はミルヴィオの戦いでコンスタンティヌスに破れてしまい・・
競技場は途中で捨て置かれることとなりました。
その後もここを使用されることは無かった模様。 -
奥に見えている塔のような建物は、マクセンティウスの館。
その奥にある緑に包まれた壁が競技場の外壁のようです。
長さ520m、幅92m。
1万人は収容できる競技場 だったといわれ
チルコ・マッシモに迫る規模の競技場だったようですね。 -
実は・・
ナヴォーナ広場にあるオベリスクですが
このマクセンティウス帝の競技場から移築したものだそうですね!
もっと詳しく調べてみると・・・
このオベリスクは、1世紀に、ローマ皇帝ドミティアヌスがエジプトのアスワンの石切り場から切り出させたもので、皇帝の即位(西暦81年)を記念して作られたと考えられているそうです。最初はパンテオンの南にあったセラペウム神殿とイセウム神殿の間に立てられましたが
その後、マクセンティウス帝によって建設されたアッピア街道のこの競技場にオベリスクは移設されました。
そして、息子のロムルスが亡くなったころか、マクセンティウス帝の没したあたりに、オベリスクは、競技場からナヴォーナ広場に移設されたのだそうです。
ここは、当時は、貴族の館もありオベリスクも立ち、付近は華やいでいた場所だったのでしょうか・・?
今は昔・・夢の跡・・・・ -
この左手奥に、ロムルスの廟に通じる道がありましたが
フェンスが張られ、鍵がかかって入れませんでした。
眺めていたら・・
通りがかったおじさんが
「おいでおいで」と声をかけてくれて
鍵を開けてくれました。
時間で開けているのか
予約客がいて、ついでに開けてくれたのか・・
よくわかりませんでしたが
ラッキ〜♪ -
ということで
おじさんの後について芝生のような草道のような中を歩いてきます。
廟の入り口まで結構距離有りますね。
向うに見える人の姿で距離がわかるでしょうか・・
スペイン人のグループが廟に先に入っていて
その人達に廟を案内するように彼はレシーバーで呼び出され
受付のほうからやって来たようでした。(歩きながらレシーバでやりとりしてた)
彼がフェンスの鍵を開けたついでに
近くにいた私も入れてくれたのかな。
とにかくすぐフェンスの鍵はしめてしまいましたから
(開けっ放しでいいのにね?) -
マクセンティウス皇帝が
幼い息子ロムルス死を悼んで造った廟だそうです。
(マクセンティウス皇帝は
フォロ・ロマーノでも幼い息子ロムルスの死を悼んで神殿を造っているそうです) -
ロムルスの廟 の内部
-
2階もあった。
広い、大きい・・・・ -
こんな風景も広がる
-
普通の景色の中に見える
遺跡
さらにアッピア街道を歩いて行きます・・・テクテク -
「聖セバスチアーノ聖堂」到着
・・といっても写真がありません。
写真を消去してました。(重要な聖堂ともわず・・)
ここはアルケオバスのバス停でもあり
人がたくさん居ましたね〜。
カタコンベがあったことも、知りませんでした。←勉強不足!
ここはキリスト教の方にとっては大切な意味のある教会。
キリスト教が異教だった時代に
聖ペテロと聖パウロの遺体が一時埋葬されていた教会だったんですね。
もう一度、行かなくっちゃ・・ -
この聖堂は、4世紀に建てられたもの。
ローマ7大バジリカの一つ。
13世紀に単身廊に改修され、17世紀に建てなおされている。 -
帰りのバスは要注意です。
Via Appia Anticaが一方通行なので、
下車したところではバスに乗れません。
バス停を色々な人に聞くけれど、このときばかりはみな
言うことが違っていて、しかも間違っていた!
バス停の印がない・・
人に聞きながら石畳の道をクタクタになりながら
結構あるいたな?。
やっとバス停らしき場所に到着。
ここにはバス停の印がありました!!
バス停の前には
こんな石造りのカフェが。。
石が新しくて・・アッピア街道ふうだけれどなにか違う感じ・・
私のほかに誰もいない・・と思っているうちに
観光を終えた人達がどんどんバス停に集まってきた。
広い道も人で埋まりどんどん膨らんでいく。人が溢れていくばかり・・
なのに、なかなかバスはやってこない・・
どんなに並んでいても、後から来た人が前に前にと出てバスを待つ。
たぶん、この殺気立った雰囲気では
バスが来たら早い者勝ちで
バスの入り口に駆け寄るんだろうと想像できる。
いや、乗り切れないでしょう私・・・
気おされ、乗れずに、次のバスを待つことになってしまうかも・・・
何かいい方法ないかな?・・・・あの勢いの中で乗るの無理だW
(アルケオバスの存在を、サンセバスティアーノ聖堂で初めて知った。次回はそれにしよう?っと。)
次はそうするとしても・・・さて、どうしよう?・・
そうだ!歩き疲れているけれど、もう少し頑張って歩いて、
もう1つ手前の停留所まで歩いて行こう・・そうしよう・・
トボトボ歩き始めた
けれど・・
バス停のしるしは何処まで行っても見当たらない。
あ?ん、バス停何処よぉ?・・
その辺を歩いていた女性をやっと一人発見!
バス停はどこでしょうか?と聞いてみた。
わからないらしい・・・・申し訳なさそうにしてた。
どんどん歩いてきたが、広い四つ角まで来てしまった
ここまで20分くらい歩いたかな・・
さて、この四つ角をどこの方向に行けばいいのかな?。。
う?ん、わからない。
やっぱり、元のバス停まで引き返すことにしよう・・
テクテク
すると
後ろからバスが追い越していった。
あ!待って?・・と走ってみるが、間にあうわけがない
するとさっき話しかけた女性が、
むこうでバスを止めてくれている!
「早くいらっしゃい」と遠くで手招きしてくれている。
あ?よかった!!
ありがとうございます!ご親切を感謝します!!
すると飛び切りの笑顔でよかったね!って言ってくれた。
嬉しいな
なんて親切な人だろう
運転手さんも笑顔で待っていてくれた。
バスはガラガラだ。
先ほどのアッピア街道の端っこのバス停が見えてきた。
前よりももっとすごい人達で膨れ上がっていて
とてもこのバスに乗り切れない。
バスが停車したとたん、バスに我先になだれ込む人・人・人・・
この人の渦の中に居なくてよかった。。
乗り切れない人達をたくさん残したまま
ギュウギュウ詰めのバスは、その後の停車駅をすっ飛ばして走る。
乗れないでバスを見送る、様々なバス停の人達の諦めた顔が横切って消える。
イタリアは、公共機関にたいしては従順な気がする。
誰も怒らない。
肩をすくめて首をふるだけ。
この日常はこの先もたぶんかわらないんだろうな。
この先も同じような光景が繰り返されるだろうなイタリア。
それはイタリア人にとって「幸せ」の基準が
他の国と(日本と?)違うところにあることを表しているのかもしれない・・
な?んて思ったりしてね(*´エ`*)・
次は
【58】ローマ、ラテラノ近辺 http://4travel.jp/travelogue/10950165
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この旅行記へのコメント (5)
-
- guruekkoさん 2015/03/09 20:52:53
- 動物的感!!
- こんばんはキャッツアイさん
こちらにおじゃましました(^_^;)
バス停のくだり なんかやな予感が・・・だったんだあ
見事的中でよかったですね〜
一人で行動していると不思議とにおうんですよね〜←まさしく動物的感
まだ一人旅はデビューしていない私ですが、似たような経験はあります。
ミュンヘン空港から中央駅近くのホテルまで(娘との待ち合わせでした)
一人でテクテクと地図も見ずに(変に声かけられるのを避けるため)
たどり着きましたもの(笑)うん?ちょっと違うかハハハ
アッピア街道と言えば、学生のころ卒業旅行で行った記憶があるような
でも覚えているのはカタコンベだけで、現地ガイドさんにはぐれたら出て来れないから
気をつけてねっと注意されたことだけです。(笑)
またおじゃまさせていただきますね☆
guruekko
-
- アルデバランさん 2015/03/08 23:52:16
- 石畳のアッピア街道
- キャッツアイさん こんにちわ
こんな感じだったんだ、アッピア街道って…
その轍に刻まれた歴史を説明いただいてますが、個人的にはローマオリンピックの「アベベビキラ」です。
無名の選手がダントツの世界記録で優勝と言う快挙もさることながら、
夕暮れで暗くなったアッピア街道の石畳を裸足でひたひたと走るその足音は
まさにその当時音をたてて迫りつつあるアフリカの民族独立運動の足音だったという出来事です。
その割に裸足で走るにしてはデコボコで走りにくそうですね。
なんか捻挫しそうです。
マラソンコースは別なのかな?
20年前に行った時はもっと別な印象でした。
こんな所をバイクで走ろうとする人もいるんですね…
ヨーロッパの石畳を車が走るときのバコバコ音
「あ〜、ヨーロッパ来たな…」と感じるので好きです。
アルデバラン
-
- masshyさん 2015/03/08 23:01:57
- 解るような気がする!?
- あーも!きぁっつあいさん!!!!
-
- duc teruさん 2015/03/06 11:17:55
- お疲れ様
- キャッツアイさん
そうですか、帰国の3日前ですか、よく歩きましたね、2か月半!!
素敵なアッピア街道記でした。
又来なければ、の言葉に同感です。ローマは何回いってもこの言葉で終わるのですね。
また来てくださいそして素敵なキャッツアイさんのローマ記を鑑賞させてください。
duc teru
-
- ももんがあまんさん 2015/03/05 11:32:55
- 自転車には辛そう・・・
- こんにちは、キャッツアイさん。
アッピア街道・・・ローマには、二度ほど行ったことが有るけれど、まだ見たことのない処です、フランスの旅を終えたら、次(来年から)は、イタリアかなと思ってるので (ローマを起点に南と北へ)、是非行ってみたいです・・・
でも、自転車には辛そうですね・・・まあ、押して歩いても良いけど・・・ローマからバスが良いんでしょうけれど、昔、ローマの満員のバスの中で、カメラを掏り取られたことも有り、同じ失敗はしたくないし・・・どうすべきか、現在思案中です・・・
by ももんがあまん
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