2014/07/26 - 2014/07/28
5729位(同エリア27500件中)
entetsuさん
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- 旅行記675冊
- クチコミ3932件
- Q&A回答16件
- 2,231,545アクセス
- フォロワー99人
LCCの運行休止で心配だったバニラエアーも無事飛び、ソウルでの観光をしております。
航空運賃は往復@15,000円。サーチャージ・諸税込みで夫婦二人で41,380円。
ホテルは、「ソウル レックス ホテル」を「じゃらん」で予約して、2泊で16,883円。
今回でソウルは8回目。
1日目は、ホテルから徒歩圏の観光スポット巡りをしました。
2日目は、超ハードスケジュール。
というのも、訳あって翌日に予定していたドラミア観光を急遽この日に持ってきたためですが・・・。
午前・・・龍仁MBCドラミア
午後・・・西台門~独立門ウォーキング
夜 ・・・BIBAP観劇 という強行軍。
多分、ヘトヘトになるでしょう。
というか、既にヘトヘト~。
①出発~ホテルチェックイン~南山ケーブルカー・Nソウルタワー
http://4travel.jp/travelogue/10880583
②新世界百貨店、南大門市場、崇礼門~サムギョプサル&キムチチゲの夕 食
http://4travel.jp/travelogue/10911641
③カルグクスの朝食~龍仁MBCドラミヤ(前半)
http://4travel.jp/travelogue/10911643
④龍仁MBCドラミア(後半)
http://4travel.jp/travelogue/10911667
★⑤サムゲタンの昼食と、慶熙宮・西大門~独立門までウォーキング
⑥BIBAP観劇~セブンラックカジノ
⑦タッコムタンの朝食~江南駅周辺散策
⑧ブゴクッチッで干しダラスープのランチ~帰国
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 3.5
- グルメ
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 鉄道 徒歩 飛行機
- 航空会社
- バニラエア (運航停止)
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
現地ツアーで行った「龍仁MBCドラミア」。
結構楽しめました。
現在、一番ホットな韓国ドラマ「奇皇后」にもここで撮ったようなシーンがあって、何となく親近感湧いております(笑)。
さて、ツアーは送迎付ですが、ガイドさん「何処までお送りしますか?ホテルでもいいし、明洞でもいいですよ〜」。
「アメリカ大使館の裏までお願いします〜」
「分かりました〜」。
という事で着いたのが、「正統参鶏湯元家」。
3回目の訪問!
ここで、ランチです。今回も、近隣警護中の警察官で、ほぼ満席でした(笑)。 by entetsuさんチョントンサムゲタンウォンガ (正統参鶏湯元家) 韓国料理
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前回3月にも来ましたが、またやって来ました。
ここが一番美味い。(気がする)
前回は夜でしたが、店には近くに勤務中の警察官が来ていて、サムゲタン食べながら無線トランシーバで話したり、携帯で話したりして、思わず笑ってしまいましたが・・・。
今日も、ポリスは居るのか?
食事を終えて、持ち場に戻っている警察官らしい3人連れ。
変な期待・・・(笑)。 -
ヘトヘトといいながら、ソジュ3,000ウォンを注文。
あとあと、これが堪えるんですが・・・。
付け合せは、白菜キムチ、カクテキ(カクトゥギ)、にんにくキムチ。
にんにくキムチは食べすぎ注意です。
お腹を壊してしまった私のお友達がいますよ(笑)。 -
ポリス。
この写真に写っている人、全員警察官です。
近くには、アメリカ大使館などがあって警察官の多いエリアですが、それにしてもポリス占率高い(笑)。 -
来ました。
熱々のサムゲタン。
冬のサムゲタンもいいけど、夏もいい。
韓国では、夏バテ防止にサムゲタンを食べる風習もあるとか。
美味いですよ、ここのサムゲタン。
@13,000ウオン。 -
また次のポリス軍団が来ました。
右側のテーブル、食べ散らかしたあともソウル警察(爆)。
一体、何人来るんだろう。
一般人は、我々とあと2組。
日本人は我々だけでした。 -
建物の外観です。
お店は2Fにあります。
場所は、ちょうどアメリカ大使館の裏手あたり。
正確にいいますと、地下鉄5号線「光化門」駅2番出口を出て、約300m直進。
アメリカ大使館を過ぎ、大韓民国歴史博物館を過ぎるとすぐに右折。
約30m先の交差点を渡り、セブン・イレブンの数軒先の建物です。
道路右側です。 -
いつもながらのサムゲタンには満足、満足。
「大韓民国歴史博物館」。
毎回、正面入口前には変わったオブジェが展示されますが、今日はネコちゃん。大韓民国歴史博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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特別展をやっていたようです。
入館は無料。 -
このあと、「西台門〜独立門ウォーキング」ですが、集合は3:00。
少し時間もありますので、散策します。
「光化門」。
いつみても、立派ですねぇ。光化門 史跡・遺跡
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世宗大王!
世宗大王 銅像 モニュメント・記念碑
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「世宗物語(セジョンイヤギ)」に初めて入館します。
世宗大王銅像の地下(光化門広場内)にあります。初めて入館しました by entetsuさん世宗物語 博物館・美術館・ギャラリー
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観覧時間:10:30〜22:30(入場は22:00まで)
料金:無料
休館日:毎週月曜日 -
写真撮影時はフラッシュ使用不可だそうです。
日本語の説明がないので、よく分かりませんが、ハングルを創出するなど多大な功績のあった世宗大王の生涯と業績に触れることができます。
なお、案内デスクで、日本語選択可能な音声案内機などをレンタルできるそうですが、時間がなかった〜。 -
イチオシ
「世宗物語」は、2010年4月28日、李舜臣生誕465年を記念して完成した常設展示空間「忠武公物語」と連絡通路で繋がっています。
初めて入館。館内で「世宗物語」とつながっています。 by entetsuさん李舜臣記念館 博物館・美術館・ギャラリー
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李舜臣の生涯や功績が紹介されていて、ここも入場は無料。
日本語に対応したポータブル音声ガイドの貸し出しも行っているようです。
飲食店もありました。 -
地上に出ました。
地下道で、光化門広場の展示場「忠武公物語」「世宗物語」ともつながっているのが、「世宗文化会館」。世宗文化会館 建造物
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芸術公演・展示の総合会館で、1972年に火災で焼失した市民会館の跡を継ぎ、市民のための文化空間として1978年に開館。
世界レベルの公演や展示、映画賞授賞式等のイベント開催により、韓国の芸術文化全体を支える場となっているそうです。 -
スタバもありました。
ハングル・スタバ〜。 -
大分歩きました。
小さいですが「李舜臣(イ・スンシン)将軍銅像」です。
豊臣秀吉軍が朝鮮半島に攻め込んだ文禄・慶長の役における朝鮮側の将軍。
秀吉軍との戦いで活躍した韓国の国民的英雄で、銅像は1968年の光化門再建時に建てられました。 -
ここから地下鉄に乗ります。
5号線「光化門」駅です。 -
「西大門」駅到着。
1駅です。慶熙宮最寄り駅でもあります。駅名の西大門は撤去されています。 by entetsuさん西大門駅 駅
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4番出口を出て、しばらく直進します。
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「四・一九革命記念図書館」。
四月革命とは、1960年3月に行われた第4代大統領選挙における大規模な不正選挙に反発した学生や市民による民衆デモにより、当時、第四代韓国大統領の座にあった李承晩が下野した事件。
最も大規模なデモが発生した日が4月19日であったことから、四・一九革命とも言われます。
革命後一年足らずで、朴正煕少将らによる軍事クーデター(5・16軍事クーデター)が発生して、自由が抑圧された長い軍政時代に突入したため未完の革命とも呼ばれるそうです。 -
ウォーキングの集合場所、「慶熙宮」ですが3:00までにはまだ時間もあるので、少し先にある「ソウル歴史博物館」で涼みます(笑)。
ソウル5大古宮の一つ by entetsuさん慶熙宮 城・宮殿
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イチオシ
1930年代〜60年代まで活躍した「電車381号(韓国登録文化財467号)」。
博物館の開館時間中は、電車の中に入ることも可能です。
中には、人形もありますが・・・。入館無料の嬉しい博物館 by entetsuさんソウル歴史博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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涼しげな噴水。
気温もぐんぐん上がって来てます。 -
「ソウル歴史博物館」は、朝鮮時代初期の遷都にはじまり600年を超えて続く首都ソウルの歴史と文化を、分かりやすく紹介する博物館。
うれしい事に、入館は無料。 -
解体された光化門の部材が展示されていました。
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雑像(チャプサン)の部分。
やっぱり気になるなぁ、この三蔵法師ご一行様。 -
こんな感じ。
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これは、同じく解体された朝鮮総督府庁舎の部材でしょうか。
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ヘチがお出迎え〜。
入場します。 -
博物館1階のインフォメーション。
ここでは、音声ガイド機(韓・英・中・日の四ヶ国語対応)を無料で借りる事ができます。 -
2Fからロビーフロアを見下ろします。
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3階の常設展示室では、朝鮮時代、大韓帝国期、植民地時代、高度成長期と時代別に4つのゾーンに分かれ、1,600坪を超えるスペースに関連遺物やジオラマ、映像などが展示されています。
飲食店や喫茶コーナーもありますが、外があまりにも暑いのと、サムゲタン屋で飲んだソジュが効いて、ベンチで夫婦並んで居眠りしました(笑)。
ふと気がつくと。2:45。
ウォーキング行かなくては・・・。
大丈夫、すぐ近くです。 -
「禁川橋」。
「慶熙宮」の正門「興化門」を通り、宮内に入る前に流れていた禁川にかかっていた石橋を復元し、こちらに移設していました。入館無料の嬉しい博物館 by entetsuさんソウル歴史博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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綺麗に整備されています。
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ウォーキング集合場所、「慶熙宮」の正門「興化門」です。
集合時間は3:00。
無事、間に合いました。
ちなみに、「慶熙宮」は5大古宮のうち唯一入場無料です。
そのせいか、パンフレットは一枚もののペラペラでした。
もっとも、有料とはいえ他も安く「昌徳宮」「景福宮」が3,000ウォン、「徳寿宮」「昌慶宮」は1,000ウォンです。
まぁ、300円とか100円に過ぎない。「慶熙宮」の正門 by entetsuさん興化門 史跡・遺跡
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「興化門」は、ソウル市有形文化財第19号で、「慶煕宮」の正門にあたります。
日本統治時代の1932年、伊藤博文を奉る博文寺(現在の新羅ホテルの位置)の正門として使用するために移築されていましたが、1988年から始まった慶煕宮復元事業によって現在の場所に復元されたのだそうです。 -
さて、ウォーキングについて。
これは、ソウルの主な観光スポットをソウル文化観光解説ボランティアの専門的な解説を聞きながら巡るソウル市の観光プログラムです。
参加費は無料。
予約はソウル市公式観光情報サイト「Visit Seoul」から簡単に予約できます。
全部で17コースほどありますが、これまで「北村韓屋村コース」「南山城郭コース」「漢江・切頭山聖地コース」「駱山城郭コース」「昌慶宮コース」と5コース回りましたが、今回は「慶熙宮・西大門コース」です。
コースもなかなか地元の人でも行かないような所があったりして面白いし、ボランティアの方との触れ合いも楽しいものです。ボランティアさんには、日本から手軽なお土産(クッキーなど)を持っていくようにはしています。 -
先の写真のように、 「興化門」を入ったら何もなく、だだっ広い敷地と、右側には芝生広場があります。
不思議な事に、「禁川橋」は「ソウル歴史博物館」の移設しています。
さっき、見てきました。崇政門 史跡・遺跡
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「崇政門」です。
正殿である、「崇政殿」の前にある門です。 -
ここにも中央に鳳凰が描かれています。
王が輿に乗って通るスペースです。 -
ここも、丹青が美しい。
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イチオシ
「崇政殿」。
慶煕宮の正殿にあたり、李朝第15代光海君9年(1617年)頃に建てられたと伝わり、国王と臣下の朝会、宮中での宴会、使臣の接待など国家的な公式行事が行われたところ。崇政殿 史跡・遺跡
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正殿の左右にある回廊風のスペースは、官僚たちが執務していた場所。
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うん、やっぱり気になる三蔵法師ご一行様〜。
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「崇政殿」では、景宗(第20代王)、正祖(第22代王:イ・サンですね)、憲宗(第24代王)の3人の王の即位式もここで行われたそうです。
崇政殿 史跡・遺跡
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その後、1926年に曹渓寺が買い取り、法堂に改造、現在の東国大学正覚院となりました。
現在の位置にある崇政殿は1985年から行われた発掘調査をもとに約6年の月日をかけて復元されたものだそうです。
「曹渓寺」は、仁寺洞にある韓国仏教の最大宗派である大韓仏教曹渓宗の総本山ですね。初めてソウルに来たとき、市内観光で訪れました。 -
天井には、朝鮮時代には見られなかった大韓帝国の皇帝時代の象徴「龍」の細工があります。
再建時に作られたものだと考えられています。 -
イチオシ
ここの龍の細工には、爪が7本ありますね。
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王座ですね。
「英祖」も座っていたのでしょう。 -
さて、1623年に完成したとされる「慶熙宮」ですが、ナビによるとこの地にはもともと李朝の創始者である太祖李成桂の家があったとされ、その後、王族の私邸として利用されてきました。
15代光海君の時代、ここに王気(王が生まれる兆し)があり、この気を消すために1617年頃に王宮を着工、1623年に完成し、当時は「慶徳宮(キョンドックン)」と命名されました。
しかしその後、光海君は追放され、21代英祖36年(1760年)に「慶煕宮」と改称されます。
第16代仁祖から第25代哲宗まで10代に渡り多くの王がこの慶煕宮にとどまり、特に第21代英祖は治世の半分をここで過ごしたそうです。
しかし純祖29年(1829年)、火事で大部分を焼失したのち1831年に再建されましが日本統治時代、この地にあった100余りあった王宮の建物そのほとんどが破壊・売却・移築されなくなり、その跡地に京城中学校(現在のソウル高等学校)が置かれました。
正門の興化門は当時の博文寺、のちに新羅ホテル正門として移設され、崇政殿は東国大の構内に移設、その他の建物もあちこちに移設され、現在の復元工事が始まる前まで王宮の姿は完全にありませんでした。
1988年にソウル市は復元事業に着手、発掘調査を通じて正殿付近の主要建築物を復元し、2002年から一般公開しています。 -
「資政門」。
慶煕宮の便殿である「資政殿」の前にある門です。資政門 史跡・遺跡
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「資政殿」。
慶熙宮の便殿の位置づけ。
便殿とは、通常王が滞在していた場所で、臣下との会議や講義を受けるなど、王が日常的に公務を行なっていた場所です。
珍しいらしいですが、傾斜が多い地形のため、「資政殿」が正殿である「崇政殿」よりも高い所にあります。資政殿 史跡・遺跡
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「泰寧殿」。
泰寧殿は本来、特に用途の定まっていない建物だったそうですが、1744年、英祖が自らの肖像画2つを安置する目的で使いはじめ、宮殿として使用されるようになりました。
崩御前、まだ在位のうちに自らの肖像画を安置した、というのが特徴的だとか。泰寧殿 史跡・遺跡
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ドラマのワンシーンみたいなカットですね。
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「瑞巖(ソアム)」。
泰寧殿の裏にある、不思議な形をした岩です。 -
岩全体がむき出しになっていて、そのてっぺんあたりにぽかりと穴の開いた部分があります。昔は巌泉という泉があったそうです。
パワースポットとして有名で、「王が生まれる兆し(気)」が強かったそうで、光海君がここに慶煕宮を建てたのもこの泉のためだと言われています。
ガイドさん、熱弁でした。光海君がここに慶煕宮を建てたのもこの泉のためだと言われています。 by entetsuさん瑞岩 史跡・遺跡
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「慶熙宮」の観賞を終えました。
これで、5大古宮全て観賞しました。
ガイドさん、「殆どの人が、そう言いますね。最後の最後に来た〜と。」
我々も同じく、でした。
ここは、ソウルにある5つの王宮の中で、一番西側にあることも特徴ですが、再現されている建物が少ないのも特徴。
確かに、興化門、崇政門・崇政殿、資政門・資政殿、泰寧門・泰寧殿しかない。
普通、王宮には芝生は植えないのだそうです。
なぜかと言うと、一般的に芝生は「墓」をイメージするから。
従って、景福宮や昌徳宮などに芝生はありませんね。
でも、ここ「慶熙宮」に何故芝生があるかというと、芝生の植えられた場所には、再建されていないけど、もともと建物があった場所だということを意味しているためだそうです。
(ガイドさん談)
なるほど〜。ソウル5大古宮の一つ by entetsuさん慶熙宮 城・宮殿
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「慶熙宮」から次のスポットに向かいます。
方向的には、「西大門」駅方向に向かっています。
これは、「警察博物館」。ウォーキング途中の通りかかりましたが、見学は次回に・・・。 by entetsuさん警察博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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「警察博物館」は、6階建てで、3階の事務所を除きすべて無料で観覧可能だそうです。
国民の警察に対する理解を広げ、子どもたちに警察官になる夢を与える教育の場として、2005年に開館したのだとか。
面白そうでしたが、ウォーキングのコースには入っておりませんでした(笑)。
更に進んで、江北・三星病院の新館のある交差点付近に、城郭門の西大門(敦義門)があったとされます。(現在の「西大門」駅のある交差点とは違います)
西大門は、1422年に築かれて以来、都の西部への関門としての役割を果たしていましたが、日本統治時代の1915年に都市計画の一環の道路拡張工事のため撤去されたままになっています。
ソウル城郭の復元の一環として、敦義門を復元しようという動きがあるようですが、具体的な進展はないみたいです。
復元に当たって、敦義門の設計資料の不足や、復元工事期間に発生する交通渋滞問題をどう解消するかなど、解決しなければならない課題があります。 -
その交差点を右に曲がり、「京橋荘」という建物に案内されました。
ここは、もともとは崔昌学という大富豪が建てた洋館で、ビリヤードルームや理髪室などもあったそうです。
1945年の終戦・解放後に中国の上海から帰国した金九(キム・グ、1876〜1949)に無償で提供されて、キム・グの私宅として使われます。
この洋館は、大韓民国臨時政府の閣僚会議が開かれたり、キム・グが暗殺され場所として歴史的価値が高いということで復元され、2013年2月から一般公開されています。
入館は無料。
記名帳に名前を書いて入館します。金九(キム・グ)が晩年過した建物。サムスン病院の敷地内にあります。 by entetsuさん京橋荘 博物館・美術館・ギャラリー
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実は、ここは修復されるまでは「江北・三星(サムスン)病院」の一部でした。
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現在でも、回りの建物はあのサムスン系列の病院です。
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「金 九」(キム・グ:1876年8月29日〜1949年6月26日)。
ガイドさんの発音は、キムクーに聞こえました。
キム先生と言ってました。
キム・グは、各地に学校設立運動を行ないながら 1919年3月1日「三・一運動」にも関与。
三・一運動(さんいちうんどう)は、日本統治時代の朝鮮で起こった運動。韓国では3月1日を三一節として祝日に指定しています。
同年4月、上海に亡命し大韓民国臨時政府の設立に参加、第3、4期臨時政府で国務領(内務大臣)を務めます。
その後、大韓民国臨時政府の警察本部長、内務大臣、首相代理、国務領(首相)などを務め、1940年から1947年まで大韓民国臨時政府の主席を務めるなど有力政治家ではありましたが、あくまで南北統一を進めるべきという立場から活動します。
この活動は北主導の統一を企図する北朝鮮側からも歓迎されず、また反共姿勢を優先する李承晩らとの確執を深め、李承晩の最大の政敵とみなされ、対立します。
1949年6月26日に軍の特務機関員であった安斗煕により暗殺されます。
安斗煕は、後に金九の信奉者によって撲殺されました。
なおキム・グは、1896年鴟河浦事件というを起こしています。
食事を注文した時に、女給が自分より先に食膳を与えるのを見て憤慨し、閔妃殺害にはなんら関係がない日本人商人・土田譲亮を日帝・日本人への懲罰として殺害します。キム・グは後に、土田を日本陸軍中尉と記しているが、被害者の土田は長崎県出身の商人でした。
殺害後金品を奪って逃走、捕縛され、強盗殺人犯として死刑判決を受けますが、後に特赦により減刑され、さらにのちに脱獄します。
このように、民族主義者、テロリストとしての一面もありました。 -
ごく初期の大韓民国の国旗(通称太極旗)。
太極旗は李氏朝鮮の高宗時代、1883年旧暦1月27日に朝鮮国の国旗として公布され、1949年10月15日に大韓民国の国旗として採用されました。
写真は、今見ている国旗とかなり違いますね。
白地は平和の精神を表し、中央の赤と青からなる太極文様は、陽・陰がひとつになり万物を創造する、創造の精神を表しているとされます。
最も違うのが、こも赤と青の2色の部分。
赤が陽を意味し、青が陰を意味するとされますが・・・。 -
左が、その後太極文様を横にして、青(陰)を下、赤(陽)を上にしたもの。
まわりの四卦は向き合っているもので一つの意味を持っているとされます。
右側が現在の国旗。乾(三本)が天、坤(六本)が地の無窮の精神を表し、坎(五本)が月、離(四本)の日の光明の精神を表しているのだそうです。
向き合って合計の線の数は、九本になり、左上から時計回りに、3→5→6→4。
恥ずかしながら知らない頃は、全部棒が三つあるだけかと思ってました(笑)。
各種大会で、この韓国国旗の上下が逆さまに掲揚されたりしてきましたが、失礼なこと。
青が下でござんすよ。 -
このような和室、畳の部屋を、もともとここを建てた崔昌学が愛したそうです。
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執務室も再現されています。
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キム・グは、1949年6月26日にこの場所で、軍の特務機関員「安斗煕」に銃弾で暗殺されます。
ガラスに銃弾あとも再現されていました。 -
イチオシ
京橋荘。
このウォーキングでなければ恐らく絶対に来なかっただろうと思われるスポットでした。
まぁ、あんまりキム・グの素晴らしさは解りませんでしたが、歴史的建築物が保存再現され、埋もれて消えていく歴史が残っていく事には文句はありません。
結局、李承晩大統領との権力争いに敗れた人という評価なのかもしれません・・・。 -
周囲を取り囲む、江北・三星病院は立派でした。
-
ウォーキングを続けます。
見えてきたのは、ソウルにある城郭のうち西城郭です。 -
実は、この辺りは前回3月ソウルに来た際に立寄っていました。
なんと、「屋根部屋のプリンス」ロケ地巡りツアーで来ていました。
http://4travel.jp/travelogue/10871642 -
この道路の左側には、ハン・ジミン演じるパク・ハの屋根部屋がありました。
が、この道路左側一帯は再開発中で、屋根部屋のあった家は、もう取り壊されています。 -
イチオシ
この城郭の上に公園があって、ここで何シーンか撮影されています。
・イ・ガクが、テムに公衆電話ボックスから脅迫電話を掛けたシーン。
・イ・ガクが、「300年後の生活に適応して屋根部屋を守るためには、髪の毛を切らないといけない」と臣下(三銃士)たちに「短髪令」を出したシーン。
・パク・ハがお見合いに行く前、夜、運動器具で運動をしていたシーン。
・ベンチに座り、イ・ガクとパク・ハがしょっちゅう会って話をしていたシーン。
・イ・ガクの姿が初めて透明になったり、パク・ハがプロポーズをしたシーン。
などなど・・・。
興味のない方には、ちんぷんかんぷんでしょうが(笑)。 -
この一帯は、「月岩近隣公園」とよばれます。
ロケ地に脇には、ソウル気象観測所があり、現在もソウルの天気の基準になる場所になっています。
この場所に雪が降ればソウルに初雪、敷地内にケナリ(レンギョウ)やチンダルレ(山ツツジ)が咲けば、ソウルでの開花宣言が出されるのだそうです。
うーん、懐かしい。
でも、今日のガイドさんは屋根プリのロケ地だったこと、知りませんでした。
でも、「屋根プリ」のドラマ自体はご存知でした。
「オッタッパン ワンセジャって言うのよ〜」(笑)。西大門から程近い公園。ここで、「屋根プリ」のロケが・・・。 by entetsuさん月岩近隣公園 広場・公園
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この一帯は「敦義門ニュータウン」と呼ばれ、約20万?の敷地は2013年秋から本格的に工事が始まっています。前回来たときより、更に工事は進捗していました。
敦義門は、西大門の別名です。
数年後には大規模なアパート団地が完成する予定で、ソウル中心部のすぐ西側に位置するアパート団地だけあって、不動産業界で注目されているニュータウンの1つだそうです。 -
「洪蘭坡家屋」(ホン ナンパ カオッ)。
作曲家の洪蘭坡の家屋です。
1930年代ドイツ人宣教師が建てたレンガ造りの西洋式建物を、洪蘭坡が譲り受け暮らしていました。
洪蘭坡の代表曲が作曲された場所でもあり、1930年代の西洋式住宅の特性が保たれその価値は高く評価されてるとか。韓国で有名な音楽家(作曲家)の住んだ家です by entetsuさん洪蘭坡家屋 (ホン ナンパ カオッ) 博物館・美術館・ギャラリー
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イチオシ
洪蘭坡(ホン・ナンパ、1897〜1941)は東京音楽学校で学び、作曲家・ヴァイオリニストとして活躍しました。
朝鮮の近代音楽の先駆者で、朝鮮で初めてジャズを紹介した人物とも言われています。
祖国を愛する曲を作る中、統治時代に日本の軍歌を作曲して親日派のレッテルを貼られたため、辛い晩年をこの洋館で過ごすことになってしまいます。
代表曲に「鳳仙花」「故郷の春」など。
1930年頃ドイツ人宣教師が建てたと推測されるこの家に、1934年洪蘭坡が引っ越してきて、2回目の新婚生活をスタートさせました。
洪蘭坡の死後、主人が次々と変わっていく中、増改築もされてきましたが、構造自体に大きな変化はなかったため、2004年にソウル市の登録文化財に指定され、記念館として一般公開されています。
この日は、日曜日で休館中でした。
洪蘭坡を称える、「蘭坡(ナンパ)音楽賞」という賞があるそうですが、最近のニュースでは、親日派のレッテルを貼られたくないと、受賞を拒否する音楽家がいるそうです。
日本でいえば、「古賀政男賞」のようなものでしょうが、韓国の思想教育やマスコミ報道の偏重を感じざるを得ないニュースでした。
親日、いいじゃないですか。
仲良くして欲しい・・・。 -
ウォーキングは続きます。
「権慄将軍家の跡地」。
朝鮮中期の文臣であり、名将であった権慄将軍(1537〜1599)の家の跡地の碑です。 -
権慄将軍が植えたとされるイチョウの巨木。
文禄・慶長の役(1592〜1598年)当時、朝鮮軍総司令官だった権慄が植えたというイチョウ、樹齢400年くらいと推定されています。
文録・慶長の役といえば、水軍を率いた李舜臣(イスンシン)将軍が余りにも有名ですが、権慄将軍は陸軍を率いた救国の英雄の一人です。 -
「ディルクシャ(Dilkusha)」。
ディルクシャは、「心の平和」という意味を持つヒンディー語で、韓国で金鉱採掘業者兼記者として活動したアメリカ人アルバート・テイラーが、1923年に建てた赤レンガ造りの洋館につけた名前です。
1925-6年頃落雷でダメージを受けて改修した後には、オーストラリア人一家や神戸からやってきたグリグスビー一家などが住んでいたそうです。
アルバート・テイラーは、1919年の3・1運動を世界に初めて知らせた人物。
1941年真珠湾攻撃が発生し、ソウルに外国人追放令が出されましたがテイラー夫婦は命令に従わなかったため、アルバートは西大門刑務所に入れられ、妻メアリーはディルクシャでの監禁生活を強いられます。
戦後、テーラーはこの地を去り、この辺りは貧しい人々が住むエリアとなり、残されたディルクシャにも複数の世帯が住み付きます。
それから60年を経た2006年、息子のブルース・テーラーがソウルを訪れたときにこの家を確認。
父アルバートの写真をソウル市に寄付して李明博(当時ソウル市長)から名誉市民証が贈られました。
西大門にある「ソウル歴史博物館」のエントランスにある昔のソウルの写真は、アルバート・テイラーの作品なのだそうです。
また、地下鉄2・6号線「合井」駅から近くの外国人墓地にアルバート・テイラーのお墓があるそうです。住民が住んでいて、完全修復・一般公開には未だ出来ないようです by entetsuさんディルクシャ 建造物
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イチオシ
現在でも、ガス計器がいくつもあって、10世帯ほどが住んでいると推測されています。
ソウル市では、「文化財指定予定なので速やかに出て行くように」という通告をしているようですが・・・。
一体、今、誰の持ち物なのかがガイドさんの説明では解りませんでしたが、色々調べたところ、ソウル市の所有みたいでした。 -
近くにあった、お金持ちと思われるお宅。
レンガ塀の上の方には瓦を積んであって、賊が侵入すると瓦が崩れて大きな音がするという仕組みだそうです。
仕組みも凄いが、ビジュアル的にも素晴らしい。
でも、ちゃんと「セコム」のシールが貼ってありました(笑)。 -
ニュータウンの工事は徐々に進んでいます。
ちょうどブルーシートの辺りに、屋根プリのパク・ハの屋根部屋があった〜。 -
遠くにあるようなアパートが、手前にも建つ訳ですね。
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更に進むと、見えてきました「独立門」(トンニンムン)。
ウォーキングのゴールも間近です。韓国の人のなかには、この門の由緒を誤解している人も多いとききますが・・・。 by entetsuさん独立門 モニュメント・記念碑
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その「独立門」のすぐ前にあるのが「迎恩門」(ヨンウンムン)。
実はこれが、後方の「独立門」の意味をより明快にする門なのです。
「迎恩門」は、1896年まで存在していた門(牌坊)で、2本の柱礎だけが残っています。国指定史跡第33号。
この門は、明代および清代に朝鮮国王が三跪九叩頭の礼によって使者を迎えた場所です。
朝鮮国王は、明・清の臣下で、使者も臣下。
その意味では、「同じ位」ということになりますが、相手は皇帝の「名代」です。
朝鮮国王は、王城を出て、町外れまで「名代を迎えに」来なければなりません。しかも、三跪九叩頭の礼をしなければなりません。
国では王として君臨している身が、わざわざ町外れまで同位でしかない使者を迎えに行き、更に、こんな屈辱的なことをして見せなければならない。
ここに、独立門との対比があります。 -
イチオシ
一方、こちらが独立門。
1897年、韓国の永久独立を願って建てられた門で、フランス・パリの凱旋門をモデルにして設計されました。
韓国初の西洋式建物で、約1,850個の白い花崗岩でできています。
かつて独立門は鉄柵に囲まれ立ち入りが制限されてたそうですが、西大門独立公園の再造成工事の際に鉄柵は取り払われ、2009年10月、112年ぶりに一般市民の通行が可能になりました。
かつて明・清の使者を迎えるために使われていた迎恩門を取り壊した跡に建てられました。
本来は、現在の位置から東南に70mほど離れた場所にありましたが、1979年に道路建設のため現在の位置に移され復元されています。 -
独立の意味は、「韓国が、中国・日本・ロシアやその他の西欧列強と同じ自主独立国家であることを国内外に宣布するため」に建てられた記念石造物。つまり、主には清からの独立を宣言する門だという訳です。
これには、1894年、日清戦争で日本が清に勝ったことが大きく影響しています。
下関で結ばれた講和条約に、「清国は、朝鮮国を独立国として認めること」という一条があります。
しかし韓国にとっては不幸な事に、独立宣告はしたものの、この後日本は日露戦争にも勝利し勢力を増していき、1910年「日韓併合」してしまいます。
新羅や高句麗の時代から、ずっとの中国の重石を、取り除いてくれた日本でしたが、結果的に自分たちより下位の国だと思っていた日本に併合されるという屈辱を味わいます。 -
韓国民の多くは、この門が第二次世界大戦後、朝鮮半島を36年にわたって支配した日本からの独立を記念して建立されたと思っているそうです。
また、韓国政府および韓国の教育会はこれを、積極的に正そうとはしていないそうです。
独立門の定礎は1896年、完成は一年後の1897年(明治30年)。
また、日韓併合条約は1910年。
「日本からの独立」なら、1945年でなければ、話が合いません〜。
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この一帯は「西大門独立公園」として美しく整備されています。
日本の植民地時代に多くの独立運動家や民衆が政治犯として投獄され犠牲となった「西大門刑務所」の跡地にある公園で、総面積182,683平方メートル。
1987年に、拘置所施設を京畿道・儀旺市に移転する際、施設の一部を残して歴史公園として整備し、1992年8月15日に開放しました。独立門近くを整備した綺麗な公園です by entetsuさん西大門独立公園 広場・公園
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今日は時間の関係で行けませんでしたが、ここには「西大門刑務所歴史館(史跡第324号)」があります。
監獄や死刑場、塀や見張り台などが残る西大門刑務所歴史館。修学旅行の見学地として地方からも多くの学生が訪れるそうです。 -
「3・1独立宣言記念塔」。
周囲は、芝生で養生され、綺麗な一画です。 -
3・1独立宣言記念塔は、1963年8月15日、国民からの募金によりタプコル公園に建てられましたが、公園整備の際に撤去されます。
その後、各界の運動により独立公園内に建て直されました。
壁面には3・1独立宣言文と、独立万歳運動を導いた民族の代表33人の名前が刻まれているのだそうです。
⑥に続きます。
http://4travel.jp/travelogue/10911671独立門近くを整備した綺麗な公園です by entetsuさん西大門独立公園 広場・公園
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この旅行記へのコメント (3)
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- よんすさん 2014/09/22 21:53:52
- さすが
- entetsuさん。
今度の旅の参考にさせていただきます。
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- fuzzさん 2014/08/29 17:03:07
- ?ソウル二日目
- おじゃましてます。
ソウル旅行記の途中なのですが、そのあとマレーシアに行ってきたんですね。
すごすぎ!!
どこのセレブリティですか!?
ソウルでは警官が制服姿で外食出来るのですね。
日本では考えられませんね。
警官が制服姿でコンビニや弁当屋に出入りするのさえ見たことないです。
あ、業務以外の私用では。
fuzz
- entetsuさん からの返信 2014/08/30 15:57:02
- いつも、訪問&投票下さり有難うございます。
- fuzzさん、こんにちは!
あの〜、セレブリティではありません。
7月のソウルは格安航空券でした。
最近はゴルフをやらなくなったので・・・。
夫婦で土日にゴルフをすると最低でも5万くらい掛かります。
それで、十分ソウルなら行けるという訳です。
まぁ、「いつまで財力と体力が続くか」ですけど(笑)。
マレーシアも結構楽しめました。
天候不順です。
お体ご自愛ください。
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