トスカーナ州旅行記(ブログ) 一覧に戻る
イタリアには崖の上の天空の町が多く存在します。<br /><br />このピティリアーノは<br /><br />その中でも、最も異風異彩を放つ城塞都市ではないでしょうか。<br /><br />ソバーナ方面から車を走らせ<br /><br />比較的平らな道を走っていて、<br /><br />カーブを曲がった途端に、それは<br /><br />予告もなく突然に<br /><br />峡谷の向う、絶壁の上に<br /><br />孤高にそそり立つように<br /><br />美しい外観をあらわすのです。<br /><br />「オオオオォォ――――-(゚∀゚)―――――!!!!」<br /><br />きっと初めて見た人は誰もが、目を見張り、叫ぶことでしょう。<br /><br />断崖絶壁の上に<br /><br />(変な表現になってしまいますが)<br /><br />まるで歯肉の上に歯が生えたようにニョキニョキと・・<br /><br />いや、こんな表現は美しくない。もとい・・<br /><br /><br />家々が崖の上で「おしくらまんじゅう」するように<br /><br />狭い崖の上にかたまって並んでる感じなのです。<br /><br /><br />もしかしたら、<br /><br />ピティリアーノの全景が遠くに見えた<br /><br />その一瞬の光景が脳裏に焼きつき<br /><br />それ以上の強烈さを、つい求め歩きたくなるかもしれませんが・・<br /><br />その後のピティリアーノの姿は意外と穏やかでした。<br /><br />町もソラーノの町のアップダウンに比べたら歩きやすく<br /><br />同じ険しい凝灰岩の台地の上にできている町とはいえ<br /><br />のんびりとゆったり散策できる街でした。<br /><br /><br /><br />「イタリアの最も美しい村々」の1つに選ばれた、ピティリアーノ。<br /><br />もし行かれることがあれば<br /><br />車窓から<br /><br />一瞬の間、目に飛び込んでくる<br /><br />美しい絵のようなのようなピティリアーノの姿を<br /><br />見逃しなきように・・・<br /><br /><br /><br />(かくいう私は、唖然とする間に写真撮る時間もなくチャンスを逃しました・・他の方がその写真を載せていらっしゃると思いますのでそちらでごらん頂くしかなく申し訳ありませぬ)<br /><br />肝心の場面の写真が少ないことが残念です。<br />そのいい訳・・・<br />グロセートに入るまでは、カメラとアイパッドで写真を撮り、たくさんの写真が残っていたのですが3度の落下による衝撃でカメラが故障・・<br />グロッセート以降は写真はアイパッドのみが頼りとなり、<br />とうとう北イタリアのボルツァーノ辺りから容量が限界で・・<br />撮り貯めた写真を消去しながら新しい写真を撮る作業の繰り返し。。<br />結果・・<br />ここピティリアーノの写真も最初は60枚⇒削除後は18枚。(しかも肝心な場面を削除してるし・・・)<br />まさか旅行記を書くとは思っていなかったので、<br />記憶のポイントのみ残しました・・<br />今思うと大切な水道橋の写真やシナゴーグやドゥオーモや宮殿など<br />(写りが下手だったりブレテていたりしたので)消してあり・・<br />今思うと・・残念ですp(´・ω・`)qショボーン<br /><br /><br /><br />さて、気を取り直し、ここで歴史を振り返ってみます。<br /><br />トスカーナの南端のこの町の歴史は、紀元前16世紀にまでさかのぼります。<br /><br />その後エトルリア人の支配となりますますが、それも<br /><br />古代ローマよりさらに前の時代です。<br /><br />高い文明をもったエトルリア人が築いたピティリアーノ。<br /><br />エトルリア人は古代ローマ人にアーチ形建築や鉱物の採掘・加工などを<br /><br />教えたほど高い技術や文化を築いていたのです・・<br /><br />その後、エトルリアの文明はローマに破壊され尽します。あとかたもなく。<br /><br />歴史からも消えてしまいエトルリアの文明があったことさえ長い間知られて<br /><br />いませんでした。<br /><br /><br />そのあと中世になるとピティリアーノはランゴバルド人に征服され、<br /><br />14世紀初期にオルシーニ家に支配され<br /><br />17世紀初期にメディチ家の支配となります。<br /><br />詳しくはソラーノのところで書きましたので今回はざっくりと。<br /><br /><br />オルシーニ家といえばイタリアの中世の歴史から<br /><br />その名を馳せていますよね。<br /><br />そのオルシーニ家の歴史は10世紀までさかのぼりますが、オルシーニ家は<br /><br />ローマの貴族で、代々3名のローマ法王を輩出しています。<br /><br /><br />そのオルシーニ家がピティリアーノに残したものは<br /><br />「オルシーニ宮殿」<br /><br />15世紀のものです。<br />オルシーニ家の紋章であるみごとな装飾のクマの紋章がおかれた<br />柱頭があります。<br />内部は迷路のように入り組んでいます。展示物の中には拷問の道具も。<br />じわじわ?っと首を絞めつける鉄の枠組み。<br />爪を一枚づつ剥がして責めるピンセットのようなもの。<br />首と足を縛り付け、両方から引っ張る道具。<br />どんだけ酷い拷問を、人間て考える生き物ものなんでしょうか?<br />想像するだけで吐き気が・・<br /><br />「オルシーニの要塞」13世紀<br /><br />もとあった2つの塔をジャンフランコ・オルシーニ公により1543年?1545年に修復。火器からの攻撃に耐えられるように多角形にしたのだそうです。<br /><br />水道橋は、14世紀のものでメディチ家が建設に携りました。<br />大きい柱に支えられた2つの大きなアーチと13の小さいアーチの「水道橋」<br />は必見です。<br /><br /><br />ところで・・<br /><br />この町が平和で温かい雰囲気を漂わせているのも<br /><br />歴史的にも、代々そうだったことを知リ納得しました。<br /><br />町はそこに住む人達で成り立っている・・<br /><br />そこに住む人達の、<br /><br />懐の深さや包容力からくる気質の流れは、<br /><br />長い歴史を経てなお、いまだに町に根付き<br /><br />雰囲気としてかもし出すものがあると感じました。<br /><br />ピティリアーノの町は<br /><br />16世紀頃、<br /><br />ローマカトリックによって常に迫害を受けてきたユダヤ人を匿い<br /><br />ユダヤ人のコミュニッティを守りました。<br /><br />キリスト教の中にあっても、小さなエルサレムが<br /><br />町の人達によって拒否されることなく保護されていたのです。<br /><br />ユダヤ人とピティリアーノ住民の間にはお互いに<br /><br />経済的にも商業的にも建設的な関係が築かれていたのだそうです。<br /><br /><br />(1799年のナポレオンの時にも、1930年代のユダヤ人迫害の時も、<br />また第二次大戦の時も<br />多くのユダヤ人をかくまってきたそうです。<br />しかし第2次大戦中にユダヤ人に対して人種差別の法律が出来<br />ピティリアーノのユダヤ人地区は幕を閉じました。)<br /><br />現在、ユダヤ教の礼拝所のシナゴーグが残されていてそこでは当時の様子を<br />垣間見ることができます。<br /><br /><br /><br />さて、以下<br />トスカーナに詳しい個人手配のサイト<br />『南トスカーナ個人案内』より<br />ピティリアーノの案内を託させていただきますね<br />http://www.tabitoscana.com/index.html<br /><br />許可を得て、記事を転記させていただきました。<br />>>>>>>>>>>>>>>>>>>以下抜粋記事>><br /><br /> ピティリアーノ周辺は、エルトリア人が定住していた地域であるが、歴史に登場するのは、1061年のことで、教皇ニコラウス2世(在位:1058- 61年)がソヴァナ(Sovana)について記述した文書に残っている。<br /><br /> 1188年には、要塞化された村となり、マレッマ地方(Maremma)の領主アルドブランデスキ伯(Aldobrandeschi)の所領となっていたことが記録されている。<br /><br /> 1274年のオリヴィエートとの戦いの際には、アルドブランデスキ伯の主要な要塞として機能した。<br /><br /> 1313年、婚姻により、領地は、オルシーニ家(Orsini)の手に渡った。<br /><br /> その後、オリヴィエートや、シエナ共和国と戦争を重ねたが、ソヴァナを含むマレッマ地方のほとんどをシエナに奪われ、オルシーニ家は、本拠地をピティリアーノに移した。<br /><br /> 1455年に和平が結ばれ、シエナの宗主権を認めることと引き換えに、領主として認められた。<br /><br /> 以降、ピティリアーノの経済は回復し、ルネサンス様式の数多くの建築物が建てられた。<br /><br /> 1604年、トスカーナ大公フェルディナンド1世(在位:1588 - 1609年)が、オルシーニ家の全ての財産を獲得した。この頃、迫害でローマから避難して来たユダヤ教徒は、この地に安住し、商業を活発化した。<br /><br /> 1643年に、教皇軍が占領しようとした際には、メディチ家によって撃退された。<br /><br /> 1843年、ソヴァナから司教座が移されるのと引き換えに、ピティリアーノには、市のステイタスが与えられた。<br /><br />見所:<br /><br />○ サン・ピエトロ・エ・パオロ大聖堂(Cattedrale dei Santi Pietro e Paolo)<br /> サン・グレゴリオ広場(Piazza San Gregorio)にある。中世に、塔とともに建てられ、16世紀以降、改築が重ねられた。<br /><br /> 18世紀に拡大され、美しいファザードを持つバロック様式となった。また、内部には荘厳な祭壇や、絵画がある。 <br /><br />○ サンタ・マリア・エ・サン・ロッコ教会(Chiesa di Santa Maria e San Rocco)<br /> 以前の寺院のあった場所に、中世に建てられた。フレスコ画が残る。 <br /><br />○ オルシーニ宮殿(Palazzo Orsini)<br /> かつての要塞の中心、現在のガリバルディ広場にあり、14世紀のフランシスコ会修道院の建物が、16世紀前半に、オルシーニ家のニッコロ3世によって、ルネサンス様式の宮殿に改築された。<br /><br /> 現在は、宗教芸術美術館と、エルトリア文明の考古学博物館が入っている。 <br /><br />○ ソヴァナ門(Porta di Sovana)<br /> エトルリア人の築いた城壁のそばに、13世紀、アルドブランデスキ家の時代に、北東のソヴァナから続く道から街へ入る門として造られた。 <br /><br />○ シナゴーグ(Synagogue)<br /> 迫害でローマから逃れて来たユダヤ教徒が住み着き、キリスト教徒と共存し、トスカーナ大公国と教皇領の境にあって商業で街の繁栄に貢献した。<br /><br /> 1598年に建てられ、17?18世紀に内装が施された。その後、ユダヤ教徒が減少したが、1995年に改修された。 <br /><br />○ 小寺院(Tempietto)<br /> 市街中心部から数百mはなれた渓谷の上にある小洞窟で、中世初期に初期キリスト教の小寺院として使われた。 <br /><br /> <br />○城塞(Fortezza Orsini)<br />もとあった2つの塔を、さらに火器からの攻撃にも耐えられるよう、15世紀にサン・ガッロ・ジョーバネによって多角形に改修されました。<br /><br />○ピティリアーノの歴史に忘れられない跡を残すGetto旧ユダヤ人街<br />そしてその文化を見ることが出来る小さな博物館にはパン屋、肉屋、<br />ワイン蔵、浴槽の跡と共に、1598年に建てられたユダヤ人の祈りの場所<br />、シナゴーグと礼拝堂が一般に公開されています。<br /><br />○ユダヤ教礼拝堂・シナゴーグ城壁の外にはユダヤ人墓地( Cimitero Ebraico)、そしてオルシーニ伯の完全犯罪の痕・・・“Poggio Strozzoni”(絞殺魔の丘)としても知られているオルシーニ公園(Parco Orsini)、1400年代初めに建てられたマドンナ・デッレ・グラッツエの聖堂(Santuario Della Madonna Delle Grazia)があります。<br /><br />○町の周囲は無数のエトルリア時代の小道(Vie Cave)に囲まれていて<br />凝灰石の岩壁を削ってつくられた高さ20mにもなるその深い壁の道は何キロにも続き“小道”はエトルリアの古墳を通っています。<br />町の考古学市民博物館(Museo Civico Archeologico)で<br />エトルリア古墳の出土品を見ることが出来ます。<br /><br />アクセスの仕方<br />F.S GROSSETO / ORBETELLO駅前からRama社のピティリアーノ行きバスで約1時間30分<br /><br />>>>>>>>>>>>>>>>>>>抜粋以上でした>>>><br /><br />ーーーーーーーーーーーーーーーーーー<br />電車やバスにちゃんと乗れるの?<br />トラブルがあった時、語学力無くて大丈夫なの?・・・<br />考えれば考えるほど、心配や不安にかられ、<br />出発直前までこの計画から逃げ出したかった。<br /><br />でも、空の巣症候群の空虚な自分にカツを入れるために<br />無理やり緊張感のある場所に身を置くことにした<br />語学力超初級なのに・・イタリア縦断、2ヶ月半の一人旅・・<br />≪いつカラッポの巣から旅立つの?・・今でしょ・<br /><br />ーーーーーーーーーーーーーーーーーー<br /><br />

【29】【ピティリアーノ】圧倒され、そして癒される。人間愛のDNAが今も息づく素敵な村。大好き!

75いいね!

2014/04/03 - 2014/06/18

25位(同エリア869件中)

3

18

キャッツアイ

キャッツアイさん

イタリアには崖の上の天空の町が多く存在します。

このピティリアーノは

その中でも、最も異風異彩を放つ城塞都市ではないでしょうか。

ソバーナ方面から車を走らせ

比較的平らな道を走っていて、

カーブを曲がった途端に、それは

予告もなく突然に

峡谷の向う、絶壁の上に

孤高にそそり立つように

美しい外観をあらわすのです。

「オオオオォォ――――-(゚∀゚)―――――!!!!」

きっと初めて見た人は誰もが、目を見張り、叫ぶことでしょう。

断崖絶壁の上に

(変な表現になってしまいますが)

まるで歯肉の上に歯が生えたようにニョキニョキと・・

いや、こんな表現は美しくない。もとい・・


家々が崖の上で「おしくらまんじゅう」するように

狭い崖の上にかたまって並んでる感じなのです。


もしかしたら、

ピティリアーノの全景が遠くに見えた

その一瞬の光景が脳裏に焼きつき

それ以上の強烈さを、つい求め歩きたくなるかもしれませんが・・

その後のピティリアーノの姿は意外と穏やかでした。

町もソラーノの町のアップダウンに比べたら歩きやすく

同じ険しい凝灰岩の台地の上にできている町とはいえ

のんびりとゆったり散策できる街でした。



「イタリアの最も美しい村々」の1つに選ばれた、ピティリアーノ。

もし行かれることがあれば

車窓から

一瞬の間、目に飛び込んでくる

美しい絵のようなのようなピティリアーノの姿を

見逃しなきように・・・



(かくいう私は、唖然とする間に写真撮る時間もなくチャンスを逃しました・・他の方がその写真を載せていらっしゃると思いますのでそちらでごらん頂くしかなく申し訳ありませぬ)

肝心の場面の写真が少ないことが残念です。
そのいい訳・・・
グロセートに入るまでは、カメラとアイパッドで写真を撮り、たくさんの写真が残っていたのですが3度の落下による衝撃でカメラが故障・・
グロッセート以降は写真はアイパッドのみが頼りとなり、
とうとう北イタリアのボルツァーノ辺りから容量が限界で・・
撮り貯めた写真を消去しながら新しい写真を撮る作業の繰り返し。。
結果・・
ここピティリアーノの写真も最初は60枚⇒削除後は18枚。(しかも肝心な場面を削除してるし・・・)
まさか旅行記を書くとは思っていなかったので、
記憶のポイントのみ残しました・・
今思うと大切な水道橋の写真やシナゴーグやドゥオーモや宮殿など
(写りが下手だったりブレテていたりしたので)消してあり・・
今思うと・・残念ですp(´・ω・`)qショボーン



さて、気を取り直し、ここで歴史を振り返ってみます。

トスカーナの南端のこの町の歴史は、紀元前16世紀にまでさかのぼります。

その後エトルリア人の支配となりますますが、それも

古代ローマよりさらに前の時代です。

高い文明をもったエトルリア人が築いたピティリアーノ。

エトルリア人は古代ローマ人にアーチ形建築や鉱物の採掘・加工などを

教えたほど高い技術や文化を築いていたのです・・

その後、エトルリアの文明はローマに破壊され尽します。あとかたもなく。

歴史からも消えてしまいエトルリアの文明があったことさえ長い間知られて

いませんでした。


そのあと中世になるとピティリアーノはランゴバルド人に征服され、

14世紀初期にオルシーニ家に支配され

17世紀初期にメディチ家の支配となります。

詳しくはソラーノのところで書きましたので今回はざっくりと。


オルシーニ家といえばイタリアの中世の歴史から

その名を馳せていますよね。

そのオルシーニ家の歴史は10世紀までさかのぼりますが、オルシーニ家は

ローマの貴族で、代々3名のローマ法王を輩出しています。


そのオルシーニ家がピティリアーノに残したものは

「オルシーニ宮殿」

15世紀のものです。
オルシーニ家の紋章であるみごとな装飾のクマの紋章がおかれた
柱頭があります。
内部は迷路のように入り組んでいます。展示物の中には拷問の道具も。
じわじわ?っと首を絞めつける鉄の枠組み。
爪を一枚づつ剥がして責めるピンセットのようなもの。
首と足を縛り付け、両方から引っ張る道具。
どんだけ酷い拷問を、人間て考える生き物ものなんでしょうか?
想像するだけで吐き気が・・

「オルシーニの要塞」13世紀

もとあった2つの塔をジャンフランコ・オルシーニ公により1543年?1545年に修復。火器からの攻撃に耐えられるように多角形にしたのだそうです。

水道橋は、14世紀のものでメディチ家が建設に携りました。
大きい柱に支えられた2つの大きなアーチと13の小さいアーチの「水道橋」
は必見です。


ところで・・

この町が平和で温かい雰囲気を漂わせているのも

歴史的にも、代々そうだったことを知リ納得しました。

町はそこに住む人達で成り立っている・・

そこに住む人達の、

懐の深さや包容力からくる気質の流れは、

長い歴史を経てなお、いまだに町に根付き

雰囲気としてかもし出すものがあると感じました。

ピティリアーノの町は

16世紀頃、

ローマカトリックによって常に迫害を受けてきたユダヤ人を匿い

ユダヤ人のコミュニッティを守りました。

キリスト教の中にあっても、小さなエルサレムが

町の人達によって拒否されることなく保護されていたのです。

ユダヤ人とピティリアーノ住民の間にはお互いに

経済的にも商業的にも建設的な関係が築かれていたのだそうです。


(1799年のナポレオンの時にも、1930年代のユダヤ人迫害の時も、
また第二次大戦の時も
多くのユダヤ人をかくまってきたそうです。
しかし第2次大戦中にユダヤ人に対して人種差別の法律が出来
ピティリアーノのユダヤ人地区は幕を閉じました。)

現在、ユダヤ教の礼拝所のシナゴーグが残されていてそこでは当時の様子を
垣間見ることができます。



さて、以下
トスカーナに詳しい個人手配のサイト
『南トスカーナ個人案内』より
ピティリアーノの案内を託させていただきますね
http://www.tabitoscana.com/index.html

許可を得て、記事を転記させていただきました。
>>>>>>>>>>>>>>>>>>以下抜粋記事>>

 ピティリアーノ周辺は、エルトリア人が定住していた地域であるが、歴史に登場するのは、1061年のことで、教皇ニコラウス2世(在位:1058- 61年)がソヴァナ(Sovana)について記述した文書に残っている。

 1188年には、要塞化された村となり、マレッマ地方(Maremma)の領主アルドブランデスキ伯(Aldobrandeschi)の所領となっていたことが記録されている。

 1274年のオリヴィエートとの戦いの際には、アルドブランデスキ伯の主要な要塞として機能した。

 1313年、婚姻により、領地は、オルシーニ家(Orsini)の手に渡った。

 その後、オリヴィエートや、シエナ共和国と戦争を重ねたが、ソヴァナを含むマレッマ地方のほとんどをシエナに奪われ、オルシーニ家は、本拠地をピティリアーノに移した。

 1455年に和平が結ばれ、シエナの宗主権を認めることと引き換えに、領主として認められた。

 以降、ピティリアーノの経済は回復し、ルネサンス様式の数多くの建築物が建てられた。

 1604年、トスカーナ大公フェルディナンド1世(在位:1588 - 1609年)が、オルシーニ家の全ての財産を獲得した。この頃、迫害でローマから避難して来たユダヤ教徒は、この地に安住し、商業を活発化した。

 1643年に、教皇軍が占領しようとした際には、メディチ家によって撃退された。

 1843年、ソヴァナから司教座が移されるのと引き換えに、ピティリアーノには、市のステイタスが与えられた。

見所:

○ サン・ピエトロ・エ・パオロ大聖堂(Cattedrale dei Santi Pietro e Paolo)
 サン・グレゴリオ広場(Piazza San Gregorio)にある。中世に、塔とともに建てられ、16世紀以降、改築が重ねられた。

 18世紀に拡大され、美しいファザードを持つバロック様式となった。また、内部には荘厳な祭壇や、絵画がある。

○ サンタ・マリア・エ・サン・ロッコ教会(Chiesa di Santa Maria e San Rocco)
 以前の寺院のあった場所に、中世に建てられた。フレスコ画が残る。

○ オルシーニ宮殿(Palazzo Orsini)
 かつての要塞の中心、現在のガリバルディ広場にあり、14世紀のフランシスコ会修道院の建物が、16世紀前半に、オルシーニ家のニッコロ3世によって、ルネサンス様式の宮殿に改築された。

 現在は、宗教芸術美術館と、エルトリア文明の考古学博物館が入っている。

○ ソヴァナ門(Porta di Sovana)
 エトルリア人の築いた城壁のそばに、13世紀、アルドブランデスキ家の時代に、北東のソヴァナから続く道から街へ入る門として造られた。

○ シナゴーグ(Synagogue)
 迫害でローマから逃れて来たユダヤ教徒が住み着き、キリスト教徒と共存し、トスカーナ大公国と教皇領の境にあって商業で街の繁栄に貢献した。

 1598年に建てられ、17?18世紀に内装が施された。その後、ユダヤ教徒が減少したが、1995年に改修された。

○ 小寺院(Tempietto)
 市街中心部から数百mはなれた渓谷の上にある小洞窟で、中世初期に初期キリスト教の小寺院として使われた。

 
○城塞(Fortezza Orsini)
もとあった2つの塔を、さらに火器からの攻撃にも耐えられるよう、15世紀にサン・ガッロ・ジョーバネによって多角形に改修されました。

○ピティリアーノの歴史に忘れられない跡を残すGetto旧ユダヤ人街
そしてその文化を見ることが出来る小さな博物館にはパン屋、肉屋、
ワイン蔵、浴槽の跡と共に、1598年に建てられたユダヤ人の祈りの場所
、シナゴーグと礼拝堂が一般に公開されています。

○ユダヤ教礼拝堂・シナゴーグ城壁の外にはユダヤ人墓地( Cimitero Ebraico)、そしてオルシーニ伯の完全犯罪の痕・・・“Poggio Strozzoni”(絞殺魔の丘)としても知られているオルシーニ公園(Parco Orsini)、1400年代初めに建てられたマドンナ・デッレ・グラッツエの聖堂(Santuario Della Madonna Delle Grazia)があります。

○町の周囲は無数のエトルリア時代の小道(Vie Cave)に囲まれていて
凝灰石の岩壁を削ってつくられた高さ20mにもなるその深い壁の道は何キロにも続き“小道”はエトルリアの古墳を通っています。
町の考古学市民博物館(Museo Civico Archeologico)で
エトルリア古墳の出土品を見ることが出来ます。

アクセスの仕方
F.S GROSSETO / ORBETELLO駅前からRama社のピティリアーノ行きバスで約1時間30分

>>>>>>>>>>>>>>>>>>抜粋以上でした>>>>

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
電車やバスにちゃんと乗れるの?
トラブルがあった時、語学力無くて大丈夫なの?・・・
考えれば考えるほど、心配や不安にかられ、
出発直前までこの計画から逃げ出したかった。

でも、空の巣症候群の空虚な自分にカツを入れるために
無理やり緊張感のある場所に身を置くことにした
語学力超初級なのに・・イタリア縦断、2ヶ月半の一人旅・・
≪いつカラッポの巣から旅立つの?・・今でしょ・

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

旅行の満足度
5.0
同行者
一人旅
交通手段
高速・路線バス 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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  • 町の入り口、<br /><br />駐車場のある所から<br /><br />ピティリアーノを眺めます。<br /><br />オルシーニ家に愛された町、ピティリアーノ。<br /><br />オルシーニ家はローマの有力な貴族でローマ法王も3人輩出してい名門です。<br /><br /><br />中央右手に見える水道橋は、14世紀のもので大きい柱に支えられた2つの大きな<br /><br />アーチと13の小さいアーチから成っています。<br /><br />この水道橋はメディチ家が建設に携りました。<br /><br />メディチ家とオルシーニ家との関係ですが<br /><br />メディチ家にはオルシーニ家から、何人か娘が嫁いでいます。<br /><br /><br />水道橋の右手向かい側にはオルシーニの宮殿があります。<br />

    町の入り口、

    駐車場のある所から

    ピティリアーノを眺めます。

    オルシーニ家に愛された町、ピティリアーノ。

    オルシーニ家はローマの有力な貴族でローマ法王も3人輩出してい名門です。


    中央右手に見える水道橋は、14世紀のもので大きい柱に支えられた2つの大きな

    アーチと13の小さいアーチから成っています。

    この水道橋はメディチ家が建設に携りました。

    メディチ家とオルシーニ家との関係ですが

    メディチ家にはオルシーニ家から、何人か娘が嫁いでいます。


    水道橋の右手向かい側にはオルシーニの宮殿があります。

  • 路地です。<br /><br />メインの通りは町の真ん中に1本<br /><br />メイン通りはなだらかに続きます。<br /><br />そこから枝分かれするように短い路地があり<br /><br />洗濯物があったりお台所の音が聞こえてきたりしています。<br /><br /><br /><br />

    路地です。

    メインの通りは町の真ん中に1本

    メイン通りはなだらかに続きます。

    そこから枝分かれするように短い路地があり

    洗濯物があったりお台所の音が聞こえてきたりしています。



  • ここはメイン通り。<br /><br />ピティリアーノのように細い路地のある町はやはり三輪車が便利。<br /><br />トスカーナやラツィオ州には<br /><br />こんな凝灰岩の上に出来た「天空の町」があちこちにありますが<br /><br />(オルビエート、チビタ・ディ・バニョレージョなど)<br /><br />そのような町は道が狭いので<br /><br />三輪車が活躍している姿をみかけます。<br /><br />イタリアで見ると<br /><br />何故かすべてが絵になってしまいますね〜・・・(*´エ`*)・:*:

    ここはメイン通り。

    ピティリアーノのように細い路地のある町はやはり三輪車が便利。

    トスカーナやラツィオ州には

    こんな凝灰岩の上に出来た「天空の町」があちこちにありますが

    (オルビエート、チビタ・ディ・バニョレージョなど)

    そのような町は道が狭いので

    三輪車が活躍している姿をみかけます。

    イタリアで見ると

    何故かすべてが絵になってしまいますね〜・・・(*´エ`*)・:*:

  • 三輪車が停まっているところが、たしかドゥオーモ。<br /><br />サン・ピエトロ・エ・パオロ大聖堂の側面です。<br /><br />正面からの写真を、消してしまったようで、見つかりません。<br /><br />表札?のみ・・残っていました・・・p(´・ω・`)qショボーン <br /><br />

    三輪車が停まっているところが、たしかドゥオーモ。

    サン・ピエトロ・エ・パオロ大聖堂の側面です。

    正面からの写真を、消してしまったようで、見つかりません。

    表札?のみ・・残っていました・・・p(´・ω・`)qショボーン 

  • 凝灰岩でつくられた教会の壁の一部に<br /><br />このような絵が。<br /><br />両腕を狼?に差し出しているの?<br /><br />わかる方は、教えてくださいませ・・

    凝灰岩でつくられた教会の壁の一部に

    このような絵が。

    両腕を狼?に差し出しているの?

    わかる方は、教えてくださいませ・・

  • ドゥオーモの内部<br /><br />1枚だけありました。<br /><br />

    ドゥオーモの内部

    1枚だけありました。

  • メイン通りを外れて<br /><br />路地を散策していたら<br /><br />いつのまにか町の西の端っこに着いてしまいました。<br />

    メイン通りを外れて

    路地を散策していたら

    いつのまにか町の西の端っこに着いてしまいました。

  • メイン通りに戻ります。<br /><br />町の北側に<br /><br />もう1つの広めの通りが、メイン通りに平行して続いています。<br /><br />メイン通りとそこを結ぶ道は、なだらかな階段になっています。<br /><br />そこを上がったり下がったりする人のためになのか<br /><br />階段脇には椅子が置かれていました。<br /><br />そしてその椅子で座るおじいちゃん。<br /><br />日向ぼっこしながら、ウツラウツラとお昼寝タイム。<br /><br />穏やかで平和で、幸せそう。眺めるこちらもつい笑顔になってしまいます。<br /><br />あたたかい町を象徴しているかのよう。。<br /><br />一枚・・パチリ

    メイン通りに戻ります。

    町の北側に

    もう1つの広めの通りが、メイン通りに平行して続いています。

    メイン通りとそこを結ぶ道は、なだらかな階段になっています。

    そこを上がったり下がったりする人のためになのか

    階段脇には椅子が置かれていました。

    そしてその椅子で座るおじいちゃん。

    日向ぼっこしながら、ウツラウツラとお昼寝タイム。

    穏やかで平和で、幸せそう。眺めるこちらもつい笑顔になってしまいます。

    あたたかい町を象徴しているかのよう。。

    一枚・・パチリ

  • メイン通りに平行して走るもう1つの通りは<br /><br />地元の人の普段の暮らしに触れる空気感がさらに漂います。<br /><br />この急な暗い階段はどこかの家のいくつかの扉に通じています。。<br /><br />こんな急な階段を<br /><br />おじいちゃんやおばあちゃんは<br /><br />普段から<br /><br />上がったり下がったりして出入りしているのかな。<br /><br />足腰、きたえられますね〜。

    メイン通りに平行して走るもう1つの通りは

    地元の人の普段の暮らしに触れる空気感がさらに漂います。

    この急な暗い階段はどこかの家のいくつかの扉に通じています。。

    こんな急な階段を

    おじいちゃんやおばあちゃんは

    普段から

    上がったり下がったりして出入りしているのかな。

    足腰、きたえられますね〜。

  • 路地の向うが気になります。<br /><br />やはり、その先は、切り立った絶壁でした。<br /><br />町は小さいので路地を散策しても迷いません。<br /><br />楽しい探検ができます。

    路地の向うが気になります。

    やはり、その先は、切り立った絶壁でした。

    町は小さいので路地を散策しても迷いません。

    楽しい探検ができます。

  • 道路も家々も綺麗に保たれています。<br /><br />美意識高いのでしょうね。

    道路も家々も綺麗に保たれています。

    美意識高いのでしょうね。

  • <br /><br />椅子に座り、あるいは立ち話をして、おば様たちは賑やかです。<br /><br />でも何かしら仕事をしています。(洗濯物してたり縫い物をしていたり)<br /><br />町の人達は、猫ちゃんをみなが可愛がっているみたいです。<br /><br />「ほらほら、車が来たよ、あぶないよ〜」<br /><br /><br />猫ちゃんはみなヤサグレていなくて伸び伸びと遊んでいます。<br /><br />子猫ちゃん・・<br /><br />お母さん猫ちゃんが遠くで見守るなか<br /><br />目に留まるものにじゃれ付き道路を我が物顔に走り回り・・<br /><br />いま、階段に駆け上がり、何か獲物を見つけたようですヨ☆



    椅子に座り、あるいは立ち話をして、おば様たちは賑やかです。

    でも何かしら仕事をしています。(洗濯物してたり縫い物をしていたり)

    町の人達は、猫ちゃんをみなが可愛がっているみたいです。

    「ほらほら、車が来たよ、あぶないよ〜」


    猫ちゃんはみなヤサグレていなくて伸び伸びと遊んでいます。

    子猫ちゃん・・

    お母さん猫ちゃんが遠くで見守るなか

    目に留まるものにじゃれ付き道路を我が物顔に走り回り・・

    いま、階段に駆け上がり、何か獲物を見つけたようですヨ☆

  • 町は穏やかでのんびりとした雰囲気です。<br /><br />写真を消してしまいシナゴーグの様子がここには載せられていませんが<br /><br />その歴史は、このピティリアーノの街の人達が持っている豊かな人間性を象徴して<br /><br />いるようです。<br /><br />16世紀に教皇領から追われたユダヤ人たちが、このピティリアーノに逃れてきた<br /><br />のですが、この町ではユダヤ人をかくまい、排斥しませんでした。<br /><br />1799年、トスカーナはナポレオン軍によって2度占領されましたが、その際<br /><br />ユダヤ人が襲撃対象となりました。殆どの町ではユダヤ人が排斥されましたが<br /><br />ピティリアーノだけが、ユダヤ人と非ユダヤ人住民が一帯となって<br /><br />ユダヤのコミュニティーを守りきったのだそうです。<br /><br />その後、1963年にも、ユダヤ人排斥運動が起こりましたが、<br /><br />その状況下においても、ピティリアーノでは住民の命をかけた援助があり、<br /><br />ここのすべてのユダヤ人が生き残ったと言われていますから<br /><br />いかにピティリアーノが宗教や人種の垣根なく、温かい町であったかが<br /><br />わかります。<br /><br />今のピティリアーノの穏やかな平和な空気感も<br /><br />そこからきている気がしました。<br /><br /><br />

    町は穏やかでのんびりとした雰囲気です。

    写真を消してしまいシナゴーグの様子がここには載せられていませんが

    その歴史は、このピティリアーノの街の人達が持っている豊かな人間性を象徴して

    いるようです。

    16世紀に教皇領から追われたユダヤ人たちが、このピティリアーノに逃れてきた

    のですが、この町ではユダヤ人をかくまい、排斥しませんでした。

    1799年、トスカーナはナポレオン軍によって2度占領されましたが、その際

    ユダヤ人が襲撃対象となりました。殆どの町ではユダヤ人が排斥されましたが

    ピティリアーノだけが、ユダヤ人と非ユダヤ人住民が一帯となって

    ユダヤのコミュニティーを守りきったのだそうです。

    その後、1963年にも、ユダヤ人排斥運動が起こりましたが、

    その状況下においても、ピティリアーノでは住民の命をかけた援助があり、

    ここのすべてのユダヤ人が生き残ったと言われていますから

    いかにピティリアーノが宗教や人種の垣根なく、温かい町であったかが

    わかります。

    今のピティリアーノの穏やかな平和な空気感も

    そこからきている気がしました。


  • 水道橋のある広場の逆側から<br /><br />ピティリアーノの町を眺めてみます。

    水道橋のある広場の逆側から

    ピティリアーノの町を眺めてみます。

  • この景色は入り口とは逆方向(裏側)から見たものです。<br /><br /><br /><br />

    この景色は入り口とは逆方向(裏側)から見たものです。



  • 町の入り口にあるレストラン。<br /><br />景色を眺めながら、足の疲れを癒すのは最高に気持ちのよい場所でした。

    町の入り口にあるレストラン。

    景色を眺めながら、足の疲れを癒すのは最高に気持ちのよい場所でした。

  • 美しい店員さん<br /><br />気さくで陽気な女性でした♪<br /><br />他の店員さんたちも、みな感じがいいので<br /><br />寛いでしまいまいました。<br /><br />

    美しい店員さん

    気さくで陽気な女性でした♪

    他の店員さんたちも、みな感じがいいので

    寛いでしまいまいました。

  • 帰るときに、もう一度ピティリアーノの町を眺めて・・<br /><br />詳しい情報も持たないでただの観光気分で連れて行っていただいたので<br /><br />今になってみると、見るべきポイントを外しまくり。<br /><br />後の祭り。<br /><br /><br /><br />次は自力でこの町を訪ね、自由に散策して、あれこれ見学して、<br /><br />たっぷり味わって知ってみたい町でした。<br /><br /><br />2時間の自由時間を終え<br /><br />駐車場で待ってくれている案内の人のところへ。<br /><br />限られた時間で散策しなくてはならない不自由さを感じながら<br /><br />町を後にいたしました・・<br /><br />前は南イタリアの半分から東側を旅しましたが<br />今度は南イタリアの西側方面を旅します。<br />まずはラベッロへ。<br /><br />ーーー南イタリアーーーーー西方面ーー<br />【30】ラベッロ http://4travel.jp/travelogue/10950160<br /><br />

    帰るときに、もう一度ピティリアーノの町を眺めて・・

    詳しい情報も持たないでただの観光気分で連れて行っていただいたので

    今になってみると、見るべきポイントを外しまくり。

    後の祭り。



    次は自力でこの町を訪ね、自由に散策して、あれこれ見学して、

    たっぷり味わって知ってみたい町でした。


    2時間の自由時間を終え

    駐車場で待ってくれている案内の人のところへ。

    限られた時間で散策しなくてはならない不自由さを感じながら

    町を後にいたしました・・

    前は南イタリアの半分から東側を旅しましたが
    今度は南イタリアの西側方面を旅します。
    まずはラベッロへ。

    ーーー南イタリアーーーーー西方面ーー
    【30】ラベッロ http://4travel.jp/travelogue/10950160

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この旅行記へのコメント (3)

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  • liberty-libertyさん 2015/02/16 16:51:32
    絵になりますね〜(*^o^*)
    キャッツアイさん、ご無沙汰です(^o^)/

    毎年
    1月下旬から3月中旬くらいまでが
    私の中では1番忙しい時期になります。
    自分の旅行はおろか、皆さんの旅行記さえもゆっくり読めず
    ストレス溜まりまくり(笑)

    そんな中
    1つ大きな仕事が終わって今日は久しぶりにお休み♪
    やっとキャッツアイさんの旅行記にもお邪魔出来ました(*^o^*)

    ピティリアーノ
    ここは何度か皆様の旅行記で拝見したことがあります。
    この町がある場所もさることながら
    石畳の細い路地、細い間口の階段
    無邪気に遊ぶ子猫・・・・・・
    まるでおとぎ話に出てきそう!
    どの写真も挿絵みたいでステキです〜(*´∇`*)

    ところで旅行記!
    ビックリ(@▽@)、50巻以上続くのですね!
    これはしばらく退屈しないで済みそう(●≧艸≦)゛

    それではまた♪
    時間がある時に
    ゆっくりお邪魔させていただきます(^o^)/

    リバ2
  • again20さん 2014/12/14 18:42:52
    一枚の写真
    キャッツアイさん

    カメラが壊れるアクシデントがあったのですね。

    記録として残しておきたかった写真を消さなければならなかったその時の気持ち、
    どんなにか残念だったでしょう。察します。



    でもそんな中、良い写真を見せてもらいました。
    写真は、撮影する人を映し出すとよく言われますが、キャッツアイさんの
    あたたかな、大らかな人柄がこの写真からあふれ出ている、
    と見た瞬間に思いました。

    なだらかな階段の上で昼寝をするおじいちゃんの写真です。

    いいですね〜、
    古い静かな町の片隅で、日向ぼっこをしながら何か考えごとをしていたら
    眠ってしまったおじいちゃん。

    そのおじいちゃんをあたたかな目で見ているキャッツアイさん、
    しばらくこの一枚の写真が頭から離れそうもありません。

    again20
  • dankeさん 2014/12/13 23:25:30
    ジレンマ
    キャッツアイさん チャオー!

    度々私の旅行記も見て下さりありがとうございます。(^_^)

    今回のピティリアーノの町も素敵ですね。「限られた時間で見なくてはいけない不自由さ」、キャッツアイさんらしい。私はまだ現地ガイドとか車は雇ったことはないのですが、1つの村に30分とか、「車窓から見学」?とかもツアーではあるようですね。私も自分で時間配分は決めたいし、それに合わせて電車とかバスを考えるので、乗り物に合わせて自分の見たい範囲を狭めたりするのは嫌ですねぇ。それでもキャッツアイさんはピティリアーノの町を精一杯散策なされたと思いますが、もう少しいたかった、ゆっくりみたかったのが伝わってきました。そこが車のない場合で公共交通機関の不便なところにいきたいときの最大の悩みですよね。

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