2014/07/12 - 2014/07/18
237位(同エリア1268件中)
たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん
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2014年7月16日水曜日、竹富島“カイジ浜”より小浜島の“大岳”を望む。
2014年7月15日火曜日
民宿だいく家 11:00
小浜港 11:05
11:25(石垣島ドリーム観光)
石垣島離島ターミナル 11:55
13:20(石垣島ドリーム観光)
竹富東港 13:33
13:37
民宿大浜荘 13:45
《民宿大浜荘泊》
小浜島から石垣島ドリーム観光高速艇"ドリーム5号"にて石垣島離島ターミナルまで来ました。さぁ次は…ってことですが、まずは一服し、そのあと買い出しに"730交差点"近くの"CoCoストア"へと向かいます。仕入れるって言っても"タバコ"です。買いこんだらお店の前で一服した後、石垣港に戻ります。
小浜島での滞在時間の調整のため、一本船を遅らせました。まぁ用事は済んだのでサッサと行こう…、でも今回は"石垣島ドリーム観光"で押してみようか~ってことで13:20の竹富島行きに乗ります。これが"ドリーム5号"なんで、小浜から乗ってきた船が竹富まで送ってくれるってことになるわけです、ハイ。定刻に出発した高速艇は若干遅れて"竹富港"に入港します。気のせいでしょうか・・・石垣島ドリーム観光の高速艇は、"ほんの数分"時間がかかっているような気がします。でもまぁいいです。
10ヶ月ぶりに訪れた竹富島ですが、やはり”日帰り”だと覚えていない・・・ってか記憶にないのがホンネです。なので今回は”しっかり目に焼き付けよう”と思います。港には2泊お世話になる民宿大浜荘のご主人が”民宿大浜荘ロゴ入り軽バン”でお出迎え、よろしくお願い致します。前回は”竹富観光センター”のマイクロバスで牛車乗り場まで送って貰ったときはえらい回り道をした記憶がありますが、今回は道をまっすぐ進むと”あれっ?”と思う間に到着します。まぁ島の位置関係は”全く”っていい程わからないので、二日間で学ぶとしましょう♪とりあえず“宿泊台帳”を記入して奥の建物の二階の角部屋“B-9”を使わせて頂きます。
私がこの民宿大浜荘を選んだ理由はもちろんいつもの“バストイレ付”の部屋ですが、正直竹富島に“星のや”以外にあるとは思っていませんでした。つまりバストイレ付の部屋のあるところは、“民宿”をはじめられてから年数が浅い施設、もしくはなにかの施設を改築されたところと言うのが今までお世話になった施設の背景でした。しかしこの民宿大浜荘さん、沖縄の日本復帰後に始められたと言うことは1972年、つまり42年の歴史(2014年現在)がある竹富島で最も古い民宿なので正直“マジ?”って思いました。電話で直接手配したので空き部屋を聞いてから聞いてみましたが、ある!と回答を頂いたのでどんなものかと思いながらも、ではそれでお願いした次第です。写真を見て頂くとわかりますが、確かに最近の部屋のタイプではないような気はしますが、間違いなく設備は付いています。人によって解釈は違うので、まぁどうとらえられるかっていうのは抜きにして、先見の明を私は感じました。また先読みされている=来られる観光客に快適な生活を提供するって言う気持ちも感じます。あとひとつ書き忘れていましたが、”竹富島”のことを調べると必ずヒットする”民宿大浜荘”情報として、”名物おじぃ”のことがあります。残念ながら数年前に100歳でお亡くなりになられたそうです。行動力&ユーモア溢れる方だったようで、今なお”訪ねてこられる”方が多いと聞きました。残念ではありますが、その精神はご主人をはじめとした身内の方には勿論”タイトな常連さん”が引き継いでおられます。
まぁウンチクはさておき、まずお部屋に入り設備確認(笑)をします。扉を入ると、二方向の窓があります。角部屋なんで当たり前といえばそうですが、なんか贅沢感があります。押入れがあり、コインエアコンと扇風機が置いてあります。“おや?バストイレは?”って思ってしまいましたが、実は左側に扉があり、そこを開けるとちゃんとありました。建物自体は年期は入っています、しかし六畳一間をいかに広く快適にするかっていう意図が伝わってきます。今日の移動はたかが“小浜島~石垣島~竹富島”なんでしれた距離ですが、炎天下の石垣港を少し歩いただけでも体力消耗しているようです。食事時間は18:00と8:00と聞きましたが、これも食後に西桟橋まで“陽の入り”を腹ごなしの散歩ができるようにとの配慮でした。なんかそういう話をお聞きするとワクワクしちゃいます。ということで体力温存、しばらく休ませて頂きます。
確か昨日からの宿泊客はおらず、私と子連れ夫婦が2連泊、女性ペアの1泊の3組が今日のお泊りです。多分私が一番早くチェックインしたはずですが、夕食時に皆さん揃います。この食堂での座席の位置も上手くセッティングして頂いています。まぁ子連れファミリーは単独にしても、よりによっておっさんの前に華2人、まぁ楽しい時間を過ごさせて頂きました。夜はゆんたくテーブルに早替わりの喫煙コーナーで、タバコふかしながら情報交換です。私は小浜島からなんですが、女子二人は明日小浜島っていうことで、なんやらかんやらと言わせて頂きました。そうこうしている間に19:20になります。19:30頃と陽の入りを聞いていましたが、昨日の小浜島の様子で19:45と読み、皆さん見送ってからおもむろに歩き出します。19:40頃西桟橋に到着します。うぁ~っ~!って思いましたが、すごい人ごみです!竹富島西桟橋の陽の入りというと、竹富島宿泊客しか味わえない特権だとは聞いていましたが、どこに泊まってるの?って数です!まぁシーズンなんで当たり前のような気もしますが、やはりびっくりです。とはいえマイペースなおっさんはiPhone5s片手に写真をパチパチして~、う~ん~っ・・・、やっぱり人ごみはダメだな~って思い戻ろうとすると、おや?さっきの女子二人、ちょっと声掛けてしばらく話をしていましたが、まぁ彼女達も現状逃避の旅、真っ暗になる前に帰っておいで~って言って帰り道の散策をします。途中見覚えのある“なごみの塔”を見つけますが、夜は危ないってことは聞いていたのでそのまま歩いて行きます。西桟橋に行くまでまっすぐ歩いてきたと思っていたので、そのように歩いているはずなのですが、なんか違う・・・、そのうち日が落ちて辺りは真っ暗、うわ~っ~って思ったのもつかの間、左手には文明のリキiPhone5sが!ってことでナビを起動すると“郵便局”の三軒隣りにいることが判明!ってことはその隣が大浜荘なんで事なきを得ました。しばらくタバコをふかしていましたが、今日は皆さん集まらないようで、適当に切り上げて部屋で今日の行程の振り返りとおこずかい帳、明日の行程の立案なんかをしてからシャワーを浴びて、コインエアコンってどういう使い方をするのが快適かな~って考えながら100円玉を積み上げていると結構冷えてきます。なので2時間つけた後は窓を開けて扇風機で風を回したら大丈夫じゃん~!って答えに行きつき、それを実践したらいつものようにzzz・・・、そして竹富島の初夜は更けて行きます。
ライブ編にも書いたのですが実はこの竹富島の宿泊で、四回の八重山の旅の目標である定期航路のある八島全てに宿泊!というつまらないミエから始まったことを達成しました。正確に言うと2014年7月16日水曜日0:00に達成します。最初はなにかやろうって思っていましたが、結局あっという間に過ぎてしまったため、あ~って気づいた時には達成してたっていうのが正直なところです。10ヶ月で回ってきたことを思い出しながら感慨深げに・・・ってことはなかったですね~!というより今は明日のことが優先なんで!ってかんじで眠りにつきます。
《宿泊》民宿大浜荘
ではここで”竹富島”とは…、
北緯24度19分47秒、東経124度05分12秒に位置します。面積は5.42平方キロメートル、海岸線長9.12km、最高標高33.1m、所属海域は太平洋・東シナ海、所属諸島は八重山諸島で石垣島から約6kmの場所にあり高速艇で約10分で来ることができます。人口358人、戸数158戸(2013年10月27日現在)。現在の”竹富”は最近になってからの”当て字”で明治半ばまでは”武富”と表記されることが多く、竹富の言葉では”テードゥン”と言います。島内北西部には3つの集落があり、東集落(アイノタ)、西集落(インノタ)、中筋集落(ナージ)から構成される。集落全体が木造赤瓦の民家と白砂が撒かれた道という沖縄古来の姿を保っているということで有名です。
2014年7月16日木曜日
7:58にふと目を覚ましました。”あ~れ~っ~”って言わなくても朝食の時間になんとか間に合いました。食堂へ入る前にまずは目覚めの一服・・・。のんびりしているようですが、食堂一番乗りでした(笑)!とにかく早メシの習慣がないのでゆっくり食べていると、女子旅ペアと子連れファミリーが来られます。”おはようございま~す”って挨拶して、”ごちそうさま~”で先に失礼してまた一服・・・。そうすると女子旅ペアが最後の情報収集、まぁあまり役に立てることは言えないけどしばらく話をした後に旅立って行かれました。じゃあね~!私は”島巡り”の予定ですが、なんせだらだら~っとしています。タバコ吹かしながら”どこ行こうか・・・”って感じです。すると”ケータイのこと聞いて良い?”って。どうぞどうぞなんですが”オサイフケータイ”のこと、まぁ知っていることならば何でも答えていますが、ようは”本体が壊れた場合のプリペイド残高の取扱い”について・・・。こういうのって原則ケータイショップで扱わないことなので、建前として聞いて下さいって前置きをしてから話せることは話しました。上手く伝わっていなかったらごめんです・・・。それでも意を決し出掛けます。端から回るということで”アイヤル浜”に行くことにします。だいたい3km弱の道のり、チャリンコを借りるかどうしようか迷った挙句歩くことに。郵便局の前の道をひたすら歩いて行きます。途中”おやっ?”って思う場所が。”ミーナ井戸”、多分昔の”水源”だとは思いますが、とりあえず詳細を調べるのは改めて”写真”だけ撮って先に進みます。途中違う場所へと向かう道もありますがとにかくまっすぐ進みます。決して”いい道”ではありませんが、歩くには特に問題はありません。ただちょっと・・・ってことがありました。島中心部からアイヤル浜へと向かう道は、途中”港”に向かう道と交差します。多分そこからだと思いますが、”星のや”に向かう&送る送迎の車が結構通ります。こいつら~って思ったのが”歩行者を待たせ”て走っていく様、確かに仕事かも知れませんが”サイテー”です。砂煙を上げて走る姿、中に乗っている人もどう思うんでしょうね、ホント。マイカーだったらいざ知らず看板掲げた車がこれだとは…、従業員教育のお粗末さ…こんなもんでしょうか…。道の真ん中歩いてやろうかと思いましたが、怪我するもの馬鹿らしいのでやめました。そんなヤツはほっといて先を急ぎます。”ほしのや”の入口は無視して歩いていくと…なんか心細い道になってきました、とは言え一本道ゆえ間違えようがないのでひたすら歩くと…ありました!”アイヤル浜”の表示板が。だいたい30分位ですかね~郵便局前から。ちょうどタイミングよく私が着いたときはほかに誰もいなかったので、しばらくぼ~っと風景を眺めていました。周りを見渡して初めて気づいたことですが、アイヤル浜沖って結構離島行きの高速艇がカッ飛んで行きます。それは小浜島に行ったときのGPSデータで知っていたのですが、石垣~竹富行の高速艇も通ります。アイヤル浜でもいつものパノラマ撮影をしましたが、石垣島は左手方向に見えます。また竹富港も左手方向です。なので???ってなります。でも深く考えてもわからないので、”島のフシギ”にしておきます(笑)。潮流も早そうで、いかにも泳ぐことはできなそうでしたが、島独特の”負の贈り物(漂流物)”がないのできれいな場所です。しばらくするとチャリンコがやってきます。まぁちょうどいいタイミングということで帰るとします。毎回のことながら”行きはよいよい帰りは恐い”パターンです。木陰がホントありません。それプラスお昼時…一番影がない時間帯です。自分の無計画さにあきれますが、やっぱり赦しちゃいます、甘ちゃんなんで(爆)。この道だとチャリンコの方がいいような気もしますが”パンク”はしないんでしょうか?ほしのや入口より奥は路面状況かなり悪いようでした。すれ違いのチャリンコにも負けず、暴走マイクロバスにも負けず歩きます。途中休める木陰があったら休みます。おひとり歩きで来られた方と出会います。やはり気になるんでしょう、”あとどれくらいあります~?”って聞かれました。”あと10分で着きます!頑張ってください♪”。
そして約1時間かけて民宿大浜荘さんに戻ってきました。とにかく汗だくです!でも冷たい飲み物がすぐに手に入れられる大浜荘の便利さ、つまり商店が敷地内にあるので立て続けにさんぴん茶を2本購入してカッくらいます。そのままベンチで寝ていると、す~んごく気持ちがいいです。風通しはいいし…。しばらく”リュック”を枕に昼寝をします♪これがホントに贅沢に感じるヒトトキです!!
1時間程休憩してまた歩き始めます。下方向へ歩いていくと、竹富小中学校の手前角にある”東パイサージ御嶽”に着きます。こちらは”島をつくり島を育てる神”が祀られているといわれており、竹富島にある28ヶ所の御嶽の中でも主要御嶽のひとつとされているそうです。そのまま歩いていくと竹富小中学校の前を通り進んで行くと”中筋井戸(ナージカー)”に着きます。年季の入った井戸の様子、隣にある”水道記念碑”と合わせ”竹富島の水事情”の奥の深さには脱帽する限りです。宿で聞いた”水道の水は於茂登の水”ってこと、なんだろうとは思いましたがこのことだったのか・・・って改めて感心してしまいました。昭和51年ということは1976年なのでわずか38年前(2014年7月16日現在)にできた上水道・・・いにしえの水問題の苦労を改めて感じました。
水道記念碑の隣に”竹富島の集落案内図”がありました。写真でカットして先へ進むとある”竹富島の民家”説明版と合わせてになりますが、この”竹富島”、いにしえより引き継いでいる”古きよき場所”の現世、また後世に引き継ごうとする”確固たる姿勢”を一観光客に過ぎない私でも感じ取れる姿をさりげなく且つ確実に見せつけています。当然それを現実に実行するのは生半可な態度では不可能だと思われますが、島民の方々全てがその目的意識を持たれていること、素晴らしいと思います。八重山のひとつの島と言う認識しか持っておらず”宿泊履歴”だけを求めていた私は恥ずかしい限りです。
そしてしばらく進むとハニヤ御嶽があり、その一角に” 仲筋村伝統芸能継承之碑”と”ハニヤの由来の碑”があります。伝統芸能継承之碑は他でも見たことがありますが、いにしえより伝承した狂言と舞踊について書かれています。それらを儀礼的に”種子取祭(タナドゥイ)”で奉納し、奉納はいかなる悪天候であれ必ずされるものだそうです。あまり他で見かけたものに対して深入りして調べることはなかったので、一度ゆっくり調べてみようと思います。“ハニヤ御嶽”、御嶽とは沖縄にあるいにしえの自然崇拝に基づく社を一般に指すようですが、あまりその内容について詳しく記載されていません。ある意味地元にとって神聖な場所であるようにしていれば良いのかもしれませんが、竹富島では由来について詳しく書かれています。その昔先島諸島に人頭税が課されていた時代にまつわる話に基づいた人の縁の話を発端にこの御嶽を作った説明書きが詳細に書かれています。島の人たちだけの話にせず、このような観光客にもわかる解説をされることは大変ありがたいことだと思います。勉強になりますので。
またしばらく歩き、仲筋集落の外れに来ると、竹富島伝統的建造物群保存地区の説明看板があります。こちらは先ほど水道記念碑の脇に書いてあった“竹富島”がいにしえから受け継いだ街や建物の様子を永続的に維持しようと言うことが書いてあります。大変だろうし不便も伴うかとは思いますが、一観光客として最低限できることは“街並みを変えないようにする”努力しかできませんが、負の人間の一人にならないように心掛けたいと思います。
そして外周道路に出ます。ここでちょっと勘違い、なぜかアイヤル浜の方向に進んでしまいました。集落から歩いてくる時も実は夏の強い日差しに打ち勝つことができず、数回道端の木陰で休憩しもってたどり着きました。すぐ気がついたので100m程歩いただけですが、ちょっと冷静さを欠いています。ともあれ歩かないと先には進めないので、息を整えながら前に進みます。程なくしてカイジ浜の入口に着きます。浜に入る前にある蔵元跡に寄ります。ここはあとで行く西塘御嶽の主“西塘”が八重山初代頭職竹富大首里大屋子になったときに蔵元を置いた場所だそうです。今は石碑と石垣が残るのみですが、いにしえのロマンを感じるところです。ただ残念ながらあまり興味を持たれている感じは受けませんでした。そしてカイジ浜へ、星砂の浜としても有名ですが、泳げない(遊泳禁止地区)ため、星砂探しの観光客ばかりでした。大昔に沖縄(本島)のお土産でもらった記憶はあるのですが、自分で調達したことはありません。手のひらを砂浜に押しあてて、くっついた砂の中から星砂を探すってやりかたが一般的だそうですが、なんか“思い出の品”を作ってしまうと次回以降来ることがなくなってしまいそうであえてやりません。屁理屈こねているように聞こえるかもしれませんが私のホンネです。なのでいつものごとくパノラマ撮影です。表題の写真の注釈にも記載していますが、カイジ浜からは対岸に小浜島が望めます。とはいえあまり特徴のない島なので、どれが?ってことになるかもしれません。でも大岳が結構目立ちます。偉そうにコメント書いていますが、それ(大岳)がわからなかったら多分わからなかったと思います。大岳遠景を含めたパノラマ写真を撮った後、外周道路を反時計回りに進みます。
ホントちょっとの距離で多分八重山諸島でもっとも有名な海水浴場“コンドイビーチ”に到着します。さすが!って言うと失礼ですが、トイレ&シャワー施設があります。ここまで設備が整っているところは、波照間島のニシ浜位ではないでしょうか?まぁ私は泳ぐ余裕はないので、人が少ないところでぼ~っと景色を眺めていました。昨日の西桟橋同様の人はいるようには見受けられましたがそれでも“こんなものか~!”って感じはしました。ただあと数日たって夏休みに突入すると途端に観光客は増えるようです。ただ人ごみ嫌いな私はダメですが。という感じで休憩がてらぼ~っとした後、お決まりのパノラマ写真を撮影した後また歩き出します。
周回道路を進むと、昨日陽の入りを見に来た“西桟橋”に到着します。陽の入りの時間なんで19:40頃は満潮時、今日の15:00頃はちょうど干潮時、まぁこれだけ印象も違うのか?って思うほどでした。でもこれが自然の摂理仕方がありません。記録としてまたお決まりのパノラマ写真を撮ります。ふ~っ。
今回の竹富島での目的は、ひとつは宿泊をすることですが、もうひとつは”行っていない場所をなくす”ってことでした。時間から逆算しても全部は無理にしてもいくつかは回れるはずでした。しかし私も生身の人間なので、コンドイビーチあたりから“頭痛”がしていました。多分軽度の熱中症だと思われます。なのでここは無理をせず、宿に戻って休憩しないとマズい・・・、って判断し、そのまま歩けば港に着く道を諦め集落方向へと入って行きます。
少し頭痛に集中力を削がれながら歩いていくと西集落へとやってきます。目印は“スンマシャー”、風水をもとに集落を守る意味で作られています。た~だ~っ…すいません肝心の“スンマシャー”の写真が撮れていませんでした。なので看板だけになります。そして仲筋集落にあった竹富島民家の看板と同じものが、この西集落にもあります。ただ説明看板の位置として情報がありませんでした。竹富島では最近施設の移転がいくつかありました。ビジターセンターなんかもそうなのですが、新しい情報が反映されていません。また旧施設が“空き家”となって存在します。聞いた話ですが、やはり取り壊しにお金がかかるという理由だそうです。しかし景観上あまりよろしくはないように思いました。でもない袖はふれないだろうし、どうすれば良いかは大変難しいことだと思います。でもなぜ移転のときに先のことを考えなかったのかはちょっと疑問です。
先に進むことにします。立派な御嶽が見えてきます。西塘御嶽です。八重山の初代頭職竹富大首里大屋子に任じられた西塘のお墓が“御嶽”となっています。由来が結構珍しい御嶽かな?って思います。さらに歩くと10ヶ月前に訪れた数少ない場所“なごみの塔”に着きます。珍しく観光客が見当たりません。登ろうか…とも思いましたが、正直気力だけで歩いているので、今回は下から“パシャリ”と写真を撮るだけにして歩き続けます。どうもうまい具合に宿にたどり着けません。通りは間違いないのですが、微調整がわからなかったため、再び文明のリキ“iPhone5s”の登場です。ナビを立ち上げると若干北方向にいることがわかり、ちょっと歩くと竹富郵便局に着きます。ということはとなりがお世話になっている“民宿大浜荘”さんになります。あっち行ったりこっちへ来たりしていましたが、なんとか戻ることができました。ゆんたくスペースでごろ寝してもいいのですが、今は体温を下げるため、一旦部屋に戻りエアコンガンガンにかけて一休みします。回りきれないところがあったのは残念ですが、今は体調管理の方が肝心です。次に来るときへの課題です。
一休みしたあと、義務感のように一服(^。^)y-~をしにいきます。そこで竹富島Tシャツを着た男性にお会いします。実はこの方常連さんなのですが、ど~見ても宿の方としか見えません。普通に送迎なんかもされていますし、なにより言葉がこの八重山の暖かい言葉を普通に話されます。後ほどまた書きますが、 私の経験上お国言葉を操るには、必要にかられてか自分の訛りを指摘されたかのどちらかのケースしかありませんでした。背景は違えど私の場合、根っからの関西人ですが約10年間東日本で生活していた絡みで普通に標準語を話すことができます。しかしただこの“竹富島が好き”だけの理由でそこまでできるとはホントわかりません。しかし愛知県のご出身の彼ができるのは、その“竹富島”を愛する気持ちの強さゆえにできてしまうのではと、ただただ脱帽するしかありません…っと”にわか島人”は思いました。
しばらくしてから夕飯を頂きに行きます。昨日宿のご主人から、今日は“ゆんたくタ~イム”があるよって聞いていました。以前あるところで話の流れで“哲学”の話をされ、非常に不愉快な思いをしたことがあり、どうしても進んで参加したいとは思っていない自分があります。ただ今回はその常連さん(以後Aさんとします)が仕切ってくれること、それと話をさせて頂いているので、どういう方なのかも知っていたのでホント楽しみです!加えて今日はオーバー40のおっちゃんとアラサーカップルが加わります。面子を考えてもどうなることやらワクワクo(^o^)oします♪と言うことでゆっくりとごはんを頂いて一服し、“ゆんたくタ~イム”が始まります。
アラサーカップルは西桟橋に夕陽を見に行くそうで、後から参加されます。まぁ家族連れは不参加なので残り3人で始まります。ここでおや?ってことが発覚します。実はオーバー40's2名は下戸でした。それとカップル女子とで過半数を取ってしまいました(笑)。まぁ呑みたい人は呑んでって感じなんで気は楽です。そしてある程度暖まった頃、軽トラに5人が乗り込み夜の海へと向かいます。
竹富島は古来の街の様子を維持しているため、街灯も集落中心部に僅かしかありません。なので観光客だけで歩きやチャリンコで行くのは危険だと思われます。多分私も連れ出して貰わなければ行くことはなかったでしょう。
まずは西桟橋へと向かいます。潮は既に満ちていました。暗闇のなか波音だけが響きます。対岸に見える灯りは西表島、そこそこの距離はあるでしょうがやはり幻想的な感じがします。空を見上げると満点の星、ん~ん・・・感無量です。数人の観光客はいましたが、まぁ気にはなりません。そして次はコンドイビーチへと向かいます。この区間の外周道路は昼間歩いて通りましたが、陽が落ちてあたりが暗闇だとホント感覚がわかりません。でも道路から右折してすぐの場所はなんとなくわかります。竹富島西部にある西桟橋・コンドイビーチ・カイジ浜は、南北のずれはあるもののほぼ同じ方向を向いています。なので対岸の様子も当然似てきます。昼間は対岸が見えてしまうため逆にあまり気になりませんでしたが、夜になると見えてくる対岸の灯りがホントいい味出しています。コンドイビーチの雰囲気も昼間は確かに”きれいな海水浴場”ですが、やはり夜はまた違った感じがします。ビーチだけあって海方向に開けているため、上手く言えませんが”両手イッパイ”の自然が堪能できます♪そしてカイジ浜、入り口には蔵元跡がありますがやはり暗いためよくわかりません。ここもまた昼間の雰囲気とはなにか違います。でもやはりカイジ浜=星砂なんでしょうか?Aさんのヒトコトでみんな手のひらを砂に押し付け、星砂を探しています。特に女子は・・・なんかわかるような気がします。ちなみに当のおっさんは屁理屈をこね続けます、思い出を作ると次がないとのたうちまわります。なんでもって帰ってはきませんでした。そして軽トラは外周道路を時計回りに進みアイヤル浜へと向かいます。道を見る限りではそのままアウトラインで行けるような気がしますが、そうは行きません・・・って言うか”クルマエビ養殖地”近辺は立ち入り禁止になっているためそんな道もないはずです。多分錯覚でしょうね。地図で見るとかなり集落方向へ切り込んでいるみたいですが、正直私は”助手席”に座るとまったくといっていいほど方向感覚を失います。でも今回は竹富島ド初心者ということでAさんに連れて行ってもらいます。
アイヤル浜へ向かう道は昼間も通った道、つまりリゾートバスにぶちギレたところでもあります。その同じ道を進みますが、こんな時間でも送迎バスが・・・もう路肩にはみ出て離合するしかないみたいです・・・。私はちょっと怖い・・・。まぁそんなこともありましたがそのまま進んでいくと、なにやら道の真ん中あたりに”黒い物体”を発見。写真を見て頂いたらわかりますが、正直”動物のウ○コ”にしか遠目には見えませんでした。でも動いています。なんだろう・・・?え?もしかして!そうなんです・・・”ヤシガニ”さんでした。八重山滞在24日目にして初めての遭遇・・・。それも結構大きいものでした。ヤシガニはこぶしサイズより小さなものは”種の保存”のため捕獲が禁止されています。今回のヤシガニ君は取ってもいいサイズでした。意外だったのは結構鈍感なのかなぁ・・・って思えるところ、細かい動きはあるんですがすぐには逃げません。車から降りて写真撮っている間しばらくありましたが動かなかった感じです。でもチョンチョンって触ってみる(手では危険ですので足で)と、急にシャカシャカって動き草むらに逃げ込む前に小停止し、”バカヤロ~”って言うかのごとくこちらを見た後消えていきました。まぁこれだけでも”ラッキー”なことなんでしょうが、実はその後もう一匹遭遇しました。こちらは小ぶりで”車内(一部車外)”から眺めている間に、すばやく路肩の茂みに消えて行きました♪そして”アイヤル浜”に到着します。昼間に場所を確認しているので、左手に見える”石垣島の夜景”はどんなものか・・・、でも期待を裏切らない”離島の夜景”すばらしい!!そして知らなかったこと、石垣から竹富に向かう高速艇ってアイヤル浜脇を通るってこと(by Aさん)、なぜそういうルートになるのかはわかりませんが、多分そういう話ってなかなか聞けないと思います。一応お客さんなのに、大の大人4人の面倒を見てくれたAさん、ホント感謝します♪同じレベルに達するのは無理かもしれませんが、竹富島の伝道師(っぽく)なれればいいな~って改めて思いました。感謝です!そして大浜荘へと戻ってきました。
民宿大浜荘では”ゆんたく”タイムは23:00までとしています。当たり前と思われるかもしれませんが、この条件は”初めて”でも”常連”でも同じです。つまり竹富島を訪れて民宿大浜荘に宿泊する”お客さん”に同等に楽しんで頂く、これってサービス業なら当然のことですが、いざ実行に移すとなると難しいものです。全てのお客さんへの心配り、改めて民宿大浜荘のファンになりました♪今日も例外ではなく、うちらの他にいる家族連れがいらっしゃいます。なので時間厳守でお開きになります。体力不足をいたいほど身に染みて感じて歩いた白砂の道、一人だと到底来られなかった夜の海、走馬灯のように頭の中を駆け巡ります。でも現実はシビア、いよいよその竹富島を去る日がやってきます。相変わらず夜はいつの間にzzz・・・。
《宿泊》民宿大浜荘
2014年7月17日木曜日
《本日の予定》
民宿大浜荘 12:21
竹富港 12:26
12:30(石垣島ドリーム観光)
石垣島離島ターミナル 12:45
バスターミナル 13:15(東運輸バス)
石垣空港 13:58
14:15(レンタカー送迎バス)
レンタカー営業所 14:19
14:30
玉取崎展望台 17:00
17:20
ペンションさっぽろ 17:30
寝坊はしませんがいつものごとくギリギリです。起きてまず一服してから・・・ってその前に”子連れファミリー”と”神奈川おっちゃん”が早い時間の船で石垣に戻られます。せめて挨拶は・・・ってバタバタ行くとなんとか間に合いました。次にいつお会いできるかはわかりませんが、良い旅続けて下さいね♪そしてそれから一服し、”最後の晩餐”ならぬ”最後の朝食”を頂きます。美味しかったです、ご馳走様でした。
名残惜しいですが次のお客さんも来られます。チェックアウトの時間を見ながら、荷物を作り、再度行程を見直します。その間にアラサーカップルがチェックアウトしちゃいました。彼らは今日は波照間に行って明日またこちらに泊まるそうです。なんか羨ましい…。
私は昼過ぎの高速艇に乗ることにします。チェックアウト後約二時間作り、歩けるところを歩こうかと思いました。でもなかなか身体が言うことを聞いてくれません。動こうとすればする程空回りしてしまいます。昨日危うく熱中症になりかかったため、今回は流して次回にまわそう…、そうします。一人で暇していれば良いんですが、Aさんを捕まえていろんなことを聞いてみます。迷惑な奴ですが、丁寧に答えて頂きいろんな知識を得ることができました。本当にありがとうございました!
二時間って長いようで短いもの、出航10分前に大浜荘を後にします。港まで送ってくれるのはもちろんAさん!最後までお世話になりました!
竹富島から石垣島へと運んでくれるのは、石垣島ドリーム観光高速艇“ドリーム7号”です。行きのドリーム5号と比べるとちょっと小ぶりな気がしましたが、船舶データをみたところむしろ7号のほうがたくさん乗れるみたいでした。石垣島ドリーム観光の場合、アッパーデッキ(屋内船室と屋外船室の間)に陣取ります。港ではAさんが手を振って送り出してくれました。今までそんなことを思ったこともありませんでしたが、ホント見えなくなるまで手を振り続けました。
竹富島を後にして一路石垣島へと向かいます。あっというまに着いてしまいますが、なぜか行き同様所要時間がわずかですが延びています。まぁそれでも15分で石垣島離島ターミナルに到着しました。
これで第4弾現実逃避行八重山諸島の旅THE FINAL~沖縄本島・小浜島・竹富島・石垣島~《その③竹富島編》は終わります
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 船 レンタカー スカイマーク 徒歩 バイク Peach ジェットスター
PR
-
小浜島から石垣島まで運んでくれた石垣島ドリーム観光高速艇"ドリーム5号"。これから竹富島までもお世話になります。
石垣港離島ターミナル 乗り物
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"ちょっちゅね〜"で有名(?)って良いのかわかりませんが、石垣島は日本が誇る"ボクシングライトフライ級世界チャンピオン"具志堅用高さんの出身地です。お笑いの方ではありませんよ!
石垣港離島ターミナル 乗り物
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具志堅さんにあやかろうとする"焼けたおっさん"。但しうまくカメラコントロールができていません…悪しからず。
石垣港離島ターミナル 乗り物
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具志堅さんの経歴。余談ですが、具志堅さんはカンムリワシになりたかった。また新石垣空港のゆるキャラ"ぱぃーぐる"君の目標は"ボクシングの世界チャンピオン"になること。うまい具合にコラボっていますね〜!
石垣港離島ターミナル 乗り物
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ここまで被ってしまうと笑うしかないですね~、具志堅さんにあやかりたい"焼けたおっさん"その②。
石垣港離島ターミナル 乗り物
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2014年7月15日火曜日の安栄観光の運航状況。
安栄観光 乗り物
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やってきました竹富港。10ヶ月ぶりです!
さんきゅ〜っ"ドリーム5号"!!竹富港 乗り物
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竹富港の浮桟橋です。
竹富港 乗り物
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本日から2連泊でお世話になります"民宿大浜荘"さんです。ちなみに郵便局のお隣で場所がすごくわかりやすいです♪
民宿 大浜荘 宿・ホテル
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同じく民宿大浜荘、入口のフラワーゲート。
民宿 大浜荘 宿・ホテル
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民宿大浜荘にて。2日間お世話になるB-9のお部屋を外から見ます。
民宿 大浜荘 宿・ホテル
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民宿大浜荘にて。B-9のお部屋は二階の角部屋になります。手前の2部屋は空いているため風が通っています。
民宿 大浜荘 宿・ホテル
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民宿大浜荘にて。B-9のお部屋を入口から。
民宿 大浜荘 宿・ホテル
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民宿大浜荘にて。B-9のお部屋の様子。奥にコインエアコンがあります。一時間100円です♪
民宿 大浜荘 宿・ホテル
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民宿大浜荘にて。B-9のお部屋の様子です。二方向が窓になっており、一方向に押入れ、もう一方向はドアを挟みバストイレになっています。
民宿 大浜荘 宿・ホテル
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民宿大浜荘にて。B-9のお部屋のバストイレの入り口、最初わかりませんでした。
民宿 大浜荘 宿・ホテル
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民宿大浜荘にて。B-9のお部屋のお風呂と洗面所になります。年期は入っていますがキレイです。
民宿 大浜荘 宿・ホテル
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民宿大浜荘にて。B-9のお部屋のおトイレ、勿論キレイです。
民宿 大浜荘 宿・ホテル
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民宿大浜荘にて、初日の晩ご飯。
民宿 大浜荘 宿・ホテル
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食後の腹ごなしに"西桟橋"まで"陽の入り"を見に行きました。
西桟橋 自然・景勝地
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西桟橋の陽の入りですが、ちょっと雲があって厳しいかな…。
西桟橋 自然・景勝地
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無茶な写真を撮りました、西桟橋の夕陽をバックに"焼けたおっさん"です♪
西桟橋 自然・景勝地
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このあたりが限界です…、竹富島西桟橋の夕陽。
西桟橋 自然・景勝地
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同じアングルですがちょっと"露出"をあげてみました。微妙ですね…。
西桟橋 自然・景勝地
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西桟橋の説明看板です。モバイルカメラではこれが限界なので明日また改めます。
西桟橋 自然・景勝地
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竹富町竹富島伝統的建造物群保存地区の説明看板…、なんですが多分西集落の入口にあったものだと記憶しています。しかし島の案内図には所在地が中筋集落となっています。もちろん中筋集落にもありましたが、西桟橋から宿への帰り道で中筋集落へは行かないし…。
竹富島の集落 名所・史跡
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民宿大浜荘にて、2日目の朝ごはん。
民宿 大浜荘 宿・ホテル
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アイヤル浜に行く途中にあった"ミーナ井戸"。水に不自由することの多かった竹富島でいにしえより使われていたものだと思います。
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ミーナ井戸の碑文。
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ミーナ井戸の碑文。
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ミーナ井戸の碑。
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竹富島もau強し、ただこの場所"リゾート"の近く…。auよ!お前もか!!
星のや竹富島 宿・ホテル
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アイヤル浜の入口にある説明看板。
西表国立公園 アイヤル浜
一年中花の絶えない竹富島は、チョウの島でもあります。
天気の良い日に、アイル浜へ続く道、海岸の防潮林沿いを歩くと、チョウに出会えるはずです。網を振り回したりせず、そばまでやってくるチョウを静かに眺めるのが竹富島流のチョウの楽しみ方です。
オオゴマダラ
日本最大のチョウです。オオゴマダラの幼虫は天敵から身を守るため毒のあるウライカガミを食べて育ち、成虫もこの毒を利用して身を守ります。竹富島の方言では、フーシュフーシュカビラと言います。
リュウキュウアサギマダラ
アサギマダラに比べて、白い斑点が細かく、青みを帯びています。防潮林の中や海岸でよく見かけます。幼虫は天敵から身を守るため毒のあるツルモウリンカを食べて育ち、成虫になってもこの毒を利用して身を守ります。
スジグロカバマダラ
竹富島で一番よく見かけるチョウです。オレンジ色の羽に黒いすじ模様があります。幼虫は毒のあるリュウキュウガシワの葉を食べて育ち、成虫になってもこの毒を利用して身を守ります。
ツマベニチョウ
前羽の先がオレンジ色をしたチョウです。幼虫はギョボクの葉を食べて育ちます。ギョボクのあるところでは、このチョウが何頭も集まっているのを目にすることがあります。このチョウは竹富島のチョウとされています。
シロオビアゲハ
防潮林でよく見かけているチョウです。名前の由来は、黒い体に白い帯があるところです。メスの中には、後ろ羽に赤い斑紋をもつものもいます。幼虫はミカンの仲間のシークァーサーやサルカケミカンの葉などを食べます。
環境省 平成16年度アイヤル浜 ビーチ
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アイヤル浜にたどり着いた"焼けたおっさん"、ちなみに今日一日でまた焼けます♪
アイヤル浜 ビーチ
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アイヤル浜に到着しました。お決まりのパノラマ撮影です。南方向です、その①。
アイヤル浜 ビーチ
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アイヤル浜にて、お決まりのパノラマ撮影です。南東方向です、その②。
アイヤル浜 ビーチ
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アイヤル浜にて、お決まりのパノラマ撮影です。東方向です、その③。
アイヤル浜 ビーチ
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アイヤル浜にて、お決まりのパノラマ撮影です。北東方向です、その④。
アイヤル浜 ビーチ
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アイヤル浜にて、お決まりのパノラマ撮影です。北北東方向です、その⑤。
アイヤル浜 ビーチ
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アイヤル浜にて、お決まりのパノラマ撮影です。北方向です、その⑥。
アイヤル浜 ビーチ
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アイヤル浜にて、お決まりのパノラマ撮影です。北方向です、その⑦。さっきの場所よりちょっと北に進みました。奥に何か見えますか?
アイヤル浜 ビーチ
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アイヤル浜にて、お決まりのパノラマ撮影です。北方向です、その⑧。もう少し進みました。わからないかも知れませんが、石垣島のビル群が見えます。
アイヤル浜 ビーチ
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"パイナップル"?、いえいえ、"アダン"の実です!
星のや竹富島 宿・ホテル
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一時間の歩きでダウン中…、民宿大浜荘にて、焼けたおっさん。
民宿 大浜荘 宿・ホテル
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東パイサージ御嶽(アイパイサージオン)説明書き。
集落の中にも周囲にも、神をまつる拝所や祭場があって、大切にされています。中でも御嶽はもっとも重要な聖地で、ここには島の人々の生活を守る神が住むと信じられています。
竹富島には御嶽が28カ所ほどあり、ここを中心として行われる祭りは、島の人々の大切な生活の一部になっています。御嶽にはそれぞれ意味があり、この東パイサージ御嶽(あいぱいさーじおん)は、島をつくり島を育てる神が祀られているといわれます。東パイサージ御獄 名所・史跡
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仲筋井戸(ナージカー)の説明書き。
その昔、仲筋村の村建ての神である新志花重成(アラシバナカサナリ)が飼っていた犬が、干ばつにもかかわらず尻尾を濡らしていたことで、発見された井戸と伝えられています。島人は、正月の若水や産湯としてこの井戸水を利用してきました。
一九七六(昭和五一)年に石垣島からの海底送水が引かれるまでは、飲料水の供給源として利用されていた貴重な井戸でした。仲筋井戸 名所・史跡
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中筋井戸(ナージカー)。
仲筋井戸 名所・史跡
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水道記念碑とその碑文。
第五代沖縄開発庁長官
植木光教 書
竹富島は昔から水に恵まれず 島の人々は専ら天水と旧式の井戸や縦堀式の井戸を頼りに生活を営んできた 旱魃の時には石垣島や遠くは西表島から水を運ぶという想像のつかぬ苦難と斗いながら生命をつないできたのである
竹富町では、竹富島の水の解決を図るためあらゆる機会にあらゆる方面に根気強く陳情を続けた如何なることがあっても幾多の困難を克服して切実な要求である水道を実現しなければならないと考えた。幸いにして石垣市の深いご理解とご厚情によって海底送水への計画が具体化し、悲喜こもごもの過程の中に待望の於茂登の真水を引く恩恵に浴したことは聖代の一大快挙であり無限の感慨にひたらざるこの海底送水の実現方についてご指導ご協力をいただいた政府並びに県・石垣市に対し満腔の敬意と感謝の意を表するとともにこの施設が永遠に島の発展への礎となることを祈念する。
昭和五十一年十月二十八日
竹富町
宿で不思議に思った水道の水="於茂登の水"の意味がわかりました!水道記念碑 名所・史跡
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中筋井戸と水道記念碑近くにあった"竹富島の地図"、全体図。
仲筋井戸 名所・史跡
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中筋井戸と水道記念碑近くにあった"竹富島の地図"、集落のアップ図。
仲筋井戸 名所・史跡
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"竹富島の民家"説明看板。
竹富島の集落は、赤がわらの屋根 魔よけのシーサー、石灰岩の石垣、ひんぷん、福木の並木、サンゴ砂の道、草花の植込みなどで構成されています。この付近は、竹富島の伝統的なたたずまいを今も色濃くのこしている地域の一つです。
この説明看板は、仲筋村のほぼ中央部・仲筋村伝統芸能継承之碑の近くの通りに設置されています。 -
仲筋村伝統芸能継承之碑。
この碑は、仲筋村のハニヤ御嶽の境内にあります。竹富島の町並み 名所・史跡
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中筋村伝統芸能継承之碑のアップ。碑文に書いてあること、
演目
あぶじ狂言
種子蒔き狂言
天人狂言
はる屋の願い
組踊り父子忠臣
スル掬い狂言
タナドウ屋狂言
いも掘り狂言
たこ捕り狂言
鬼狂言
タノリャー
八人踊り
サングルロ
仲筋のヌベマ
マミドー
腕棒
仲筋村伝統芸能継承之碑には、16の芸能の演目が記されています。この演目のうち、1番目の「あぶじ狂言」から10番目の「鬼狂言」までは狂言で、11番目の「タノリャー」から16番目の「腕棒」までが舞踊です。原則として、狂言は男性、舞踊は女性が担当することになっています。これらのうち、「あぶじ狂言」「種子蒔き狂言」「天人狂言」「タノリャー」は、種子取祭(タナドゥイ)における儀礼的な芸能であり、どんな悪天候の日でも毎年必ず奉納することになっています。竹富島の集落 名所・史跡
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ハニヤの由来の碑。
この碑も仲筋村のハニヤ御嶽の境内にあります。 -
ハニヤの由来、碑文。
人頭税時代毎年首里王府へ上納船を出すことになっていた。帆船当時は季節風を頼りに一路平安を祈願するため、神司を伴う航海であった。その大役を命じられたのが、仲筋御嶽の司登野原屋のマイチであった。
ところが、不運にも嵐に遭い中国に漂流した中国の温情によって一命をとりとめたマイチは幸いにも帰郷することになり、その際世話して下さった方から無事に竹富島に着いたら「貴方の家の西にある森に守護神を祀り信仰しな
さい。必ずや貴方の村は繁盛するでしょう」と勧められ、印判を二つに割って互いに持ち再会を約束したと伝えられている。
以来、仲筋村の無病息災の神として村人から信仰されている。
平成十一年九月吉日 献納
仲筋村出身者一同人頭税の碑 名所・史跡
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竹富町竹富島伝統的建造物群保存地区の説明看板。(書式は一部変えています)
竹富島は、日本最南端に位置する八重山諸島の中にあって、北緯24度18分55秒、東経124度06分06秒に位置し、面積約5.4平方キロメートルの楕円状の島の中心部にまとまって三つの集落域(東集落=アイノッタ村・西集落=インノッタ村・仲筋集落=ナージ村)を成しております。
竹富島は住民による町並み保存の取り組みにより、伝統的建造物群及び周辺の環境が地域的特色を顕著に示しているものとして昭和62年4月28日に「重要伝統的建造物群保存地区」の選定を受けております。
集落には白砂の道がはしり、石垣と屋敷林で囲まれ屋敷には赤瓦屋根の民家が建ち並ぶ伝統的な集落景観を今に伝えております。
一戸一戸の屋敷は、珊瑚石灰岩のグック(石垣)を150cm前後の高さにめぐらし、屋敷の中央部にフーヤ(主屋)が建ち、その西隣に炊事棟のトーラが位置しております。南面した屋敷の入り口部分には石積み、植栽によるマイヤシ(ヒンプン)が設けられ、屋敷の空間構成を果たしております。建物は主に、木造(貫屋造)・平屋の構造で赤瓦葺き漆喰塗り、茅葺きの寄棟造りで沖縄固有の景観を残しております。
竹富町では、こうした町並みを後世に継承するため「竹富町歴史的景観形成地区保存条例」に基づき竹富町の伝統的な集落景観の保護保存に努めております。
平成20年10月 竹富町教育委員会
こちらは中筋村集落の西のはずれにあります。竹富島の集落 名所・史跡
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蔵元跡の説明看板。
西表石垣国立公園 蔵元跡(くらもとあと)
ここは、竹富島出身の西塘(ニシトウ)が八重山諸島を統治したときの蔵元跡で、現在沖縄県文化財に指定されています。
蔵元とは、本来「年貢を収納する倉」のことですが、それが「役所」の意になり、琉球王府時代の久米島・宮古・八重山の役所は蔵元と呼ばれていました。
西塘は、ここで約二十年間政治を執った後、蔵元を石垣島に移しましたが、そのとき石垣島から竹富島をご覧になって、「シキタ盆(ブン)」の歌を作られたと伝えています。「シキタ盆」は竹富島を象徴する歌として、現在でも祭りや集会などでよく歌われます。
尚、蔵元の北西には皆冶御嶽があり、その付近で鍛冶(カジ)が行われたという伝承がありますが、当時西塘が鍛冶を置いた可能性は高いと思われます。またカイジ浜は八重山の島々の船が往来する港でした。
沖縄県指定史跡・蔵元跡
昭和34年12月16日指定
環境省
平成24年度
こちらは皆治(カイジ)浜の入口にあります。竹富島蔵元跡 名所・史跡
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蔵元跡の石碑。
竹富島蔵元跡 名所・史跡
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蔵元跡の石碑その②。
竹富島蔵元跡 名所・史跡
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皆治(カイジ)浜の説明書き。
西表国立公園 皆冶浜(カイジハマ)
皆冶浜は、星砂のある場所として知られています。星砂は、海藻などに付着した有孔虫「ホシズナ 学名 Baculogypsina spbaerulata 」の遺骸が砂浜に打ち上げられたものです。幸福をもたらすといわれている星砂ですが、島には「海の大蛇に食べられた星の子供の骨が流れついた」という悲しい民話があり、古くから竹富島の人々の間でよく知られていました。
周囲の海岸線には亜熱帯地方特有の植生が見られ、竹富島の防風・防潮林の役割を果たしています。
環境省 平成16年度カイジ浜(竹富島) ビーチ
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皆治(カイジ)浜の砂浜の様子、その①。
星砂の浜って言われるくらいなんで"星砂"があるんでしょうね♪カイジ浜(竹富島) ビーチ
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皆治(カイジ)浜の砂浜の様子、その②。
対岸に見えているのは"小浜島"です。カイジ浜(竹富島) ビーチ
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皆治(カイジ)浜全景のパノラマ、その①。北方向を撮っています。
カイジ浜(竹富島) ビーチ
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皆治(カイジ)浜全景のパノラマ、その②。北西方向を撮っています。
カイジ浜(竹富島) ビーチ
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皆治(カイジ)浜全景のパノラマ、その③。西方向を撮っています。
カイジ浜(竹富島) ビーチ
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皆治(カイジ)浜全景のパノラマ、その④。南西方向を撮っています。
カイジ浜(竹富島) ビーチ
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皆治(カイジ)浜全景のパノラマ、その⑤。南方向を撮っています。
カイジ浜(竹富島) ビーチ
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皆治(カイジ)浜にて、正面に見えた小浜島の大岳。
カイジ浜(竹富島) ビーチ
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八重山イチメジャーなビーチかも知れません、コンドイビーチにやってきました。
コンドイビーチ ビーチ
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コンドイビーチにて。パノラマ定点撮影した南方向、その①。
コンドイビーチ ビーチ
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コンドイビーチにて。パノラマ定点撮影した西方向、その②です。
コンドイビーチ ビーチ
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コンドイビーチにて。パノラマ定点撮影した北西方向、その③。
コンドイビーチ ビーチ
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コンドイビーチにて。パノラマ定点撮影した北方向、その④。
コンドイビーチ ビーチ
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昨日もやってきましたが、西桟橋です。
改めて撮りなおした西桟橋の説明看板です。
西表国立公園 西桟橋(にしさんばし)
竹富島では稲作が困難だったため、復帰(1972年)前までは「イタフニ」と呼ばれる松をくり抜いた船や帆船を用いて、この西桟橋から対岸の西表島へ長時間かけて渡り、田を耕しました。またその間は西表島に隣接する風土病のない由布島に田小屋を造り、寝泊りしました。
近年では漁のための船着き場として利用されています。また夕陽が美しく見える場所でもあります。
環境省 平成16年度西桟橋 自然・景勝地
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昼間の西桟橋です。
夕暮れ時は満潮だったのでわかりませんでしたが、今は干潮時。これほど印象が変わるんですね。
西桟橋から見る北方向のパノラマ、その①。西桟橋 自然・景勝地
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西桟橋から見る北西方向のパノラマ、その②。
西桟橋 自然・景勝地
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西桟橋から見る西方向のパノラマ、その③。このポジションが夕陽の沈むところです♪
西桟橋 自然・景勝地
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西桟橋から見る南西方向のパノラマ、その④。
西桟橋 自然・景勝地
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スンマシャーの説明看板
西表国立公園 スンマシャー(西集落)
スンマシャーとは集落の入り口に巨木とそれを取り囲むように石垣を積みまわしたものです。風水思想に基づく集落作りの現れの一つで、病魔や凶事が集落に進入するのを遮るために設けられています。また、ここからが生活の場という目印ともいえます。
−守ってほしいこと−
一、自分の出したゴミは自分でお持ち帰り下さい。
一、集落内は水着などで歩かないで下さい。
一、宿泊施設以外での宿泊は禁じられています。
一、御嶽は神聖な場所です。中へは立ち入らないないようにしてください。
環境省 平成16年度
こちらは西桟橋から歩くと、西集落の入口にあります。 -
西塘御嶽です。
西塘御嶽 寺・神社・教会
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琉球政府も文化財として認めた"西塘御嶽"です。内地で言う戦国時代に琉球王府に戦功を認められた西塘は、八重山初代の頭職竹富大首里大屋に任ぜられ"皆治原"に蔵元(行政府)を作り八重山の基礎を作りました。
西塘のお墓が"御嶽"となり今に伝わっています。西塘御嶽 寺・神社・教会
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島守りの神 西塘様の碑。
島守りの神 西塘様
このお嶽は島の生んだ傑材西塘を祭る西塘は明応九年(一五〇〇年)オヤケ赤蜂征討軍、大里親方一行が竹富島巡視の折、その群を抜く才能を認められ、親方凱旋に際して中山王府に同伴されて法司官に仕えた苦節二十五年の忠勤がかわれ数々の功績が報いられて、大永四年(一五二四年)西塘は八重山初代の頭職竹富大首里大屋子に任命されて錦衣帰郷し島の南西端皆治原に蔵元(行政庁)を創立して八重山政治の基礎をつくった。蔵元の跡は皆治原に現在も昔の俤をとどめている。国宝の指定を見た首里園比屋武お嶽の石門は西塘の手によって築かれたものである
こちらは西塘御嶽の右側にありました。西塘御嶽 寺・神社・教会
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竹富島の最高地点"なごみの塔"。
登録有形文化財第47-0016号
この建造物は貴重な国民的財産です
文化庁
なごみの塔は、西集落のほぼ中央の赤山丘(あかやまむる:赤山公園)にある観光スポットです。 高さ約6mの丘の上に約4.5mの鉄筋コンクリート造の物見塔が設けられており、ここからは赤瓦の町並みや島を一望することができます。 観光ポスターなどの竹富島の町並みの写真はここから撮影されています。なごみの塔が設置された1953年の頃は、メガホンで住民に連絡する場所だったそうです。
昨年9月に登っているので今回は写真のみ撮っています。なごみの塔 名所・史跡
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竹富島の金融と物流の拠点、竹富郵便局です。ちなみに民宿大浜荘のお隣に位置します。特定局なので日曜日のATM利用はできません。また風景印は窓口差出分のみ、ポスト投函は八重山局の消印になります。
竹富郵便局 名所・史跡
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民宿大浜荘にて、2日目夕食。
民宿 大浜荘 宿・ホテル
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なんでしょう?なにかのウ○コ?
アイヤル浜 ビーチ
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動いています…だったら違いますね。
アイヤル浜 ビーチ
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え〜え〜っ!もしかして〜!!
アイヤル浜 ビーチ
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幻の"ヤシガニ"さんじゃあ〜りませんか!
アイヤル浜 ビーチ
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トロそうに見えますが、動きは俊敏です。フォトライト点灯させたわずかな時間でブレました!
アイヤル浜 ビーチ
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その後は道の脇の草むらへと逃げて行きました。でもでも…ホントおいしいんでしょうか??ただグロテスクって感じしかしなかった"味覚音痴"のオッサンでした♪
アイヤル浜 ビーチ
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民宿大浜荘にて、3日目の朝食。
民宿 大浜荘 宿・ホテル
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石垣島離島ターミナルにて、竹富島から乗ってきた石垣島ドリーム観光高速艇"ドリーム7号"、その①。
竹富港 乗り物
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石垣島離島ターミナルにて、竹富島から乗ってきた石垣島ドリーム観光高速艇"ドリーム7号"、その②。
石垣港離島ターミナル 乗り物
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