2014/05/23 - 2014/05/26
4487位(同エリア16602件中)
エムさん
ロンドン線の特典Fクラスのチケットをプレゼントされ、ロンドン・パリを旅行しました。
今回は姉と二人旅なので、ロンドンのプランは姉が、パリは私が担当しました。
ロンドンに3泊して、23日ユーロスターでパリへ移動。
パリ滞在の目的は美術館巡りなので、チュイルリー公園に面したホテルに4泊、ルーブル美術館まで徒歩10分という地の利を生かし、合計3回通いました。
5月23日 ドノン翼のルネサンス絵画と古代ギリシャ彫刻を見学
http://4travel.jp/photo?trvlgphoto=33995479
5月25日 リシュリュー翼、ナポレオン3世の住居見学
5月26日 フランス絵画と古代エジプト美術
エリアごとに手作りのリストを片手に巡りました。
一度に鑑賞するのは体力、気力に限界があり、数回に分けると新鮮な気分で楽しめました。それでも予定の8割程度です。
2015年5月、ルーブル美術館の写真を追加しました。
- 旅行の満足度
- 5.0
-
2014/5/25 8:51 ピラミッドには早くも行列ができていた。
ルーブル美術館まで歩いて10分の地の利を生かして、オープン前に余裕で到着
ミュージアムパスのおかげで、並ばずに入れました。 -
入場したら、モナリザへ直行するエレベーターで2階へ!
モナリザはドノン翼の入口を進むと、階段の両側にエレベーター(赤い矢印)があり、それで1階(日本式2階)へ行くと、7番のモナリザの部屋がすぐ近くにあります。
モナリザの写真入りの案内に従って歩くより断然近道です。 -
【フランソワ1世の肖像画】【モナリザ 1503年〜1507年】(展示室7)
一番乗りだったので、人がいない。
フランソワ1世の正面の肖像画(リシュリー翼3F7室)は2015年も展示されておらず、これはモナリザの部屋に飾られたティツィアーノの作品です。
ティツィアーノは王と面識がなく、メダルに彫られた横顔を見て描いたそうです。
晩年のレオナルド・ダ・ヴィンチはフランソワ1世に呼び寄せられ、亡くなるまでの3年間をアンボワーズで暮らしています。
ダ・ヴィンチの死後、1518年フランソワ1世がモナリザを買い上げ、100年以上フォンテーヌブロー城に飾られました。ルイ14世の時代にはベルサイユ宮殿に、ナポレオンの時代はチュイルリー宮殿へ、、第二次世界大戦下にはアンボワーズ城、シャンボール城に転々と移されています。
また1911年には盗難に遭い、フィレンツェで発見されるまで行方不明。
波乱万丈の運命をたどりながら、今は防弾ガラスに守られて、微笑んでいるモナリザです。
よくぞ、御無事で・・・と声をかけてあげたい。 -
【カスティリオーネの肖像】ラファエロ
こちらも二度目の対面
カスティリオーネの肖像は男のモナリザと称賛された傑作で、モナリザが盗難に遭った2年間、モナリザの代りに展示されていました。 -
【キリスト磔刑】マンテーニャ/1456-1459年
ロミオとジュリエットの舞台の街、ヴェローナのサン・ゼーノ教会の中央祭壇画であった。ナポレオンに持ち去られたが、ナポレオン失脚後、返還の際プレデッラ部分が外されフランスに残った。
イエスと二人の罪人が十字架に掛けられているのはゴルゴタの丘。
ここはアダムが埋葬された土地で、キリストの足元にアダムの頭蓋骨が描かれた。
向かって左側に善き盗人、右側は黒っぽい色の悪い盗人が描かれ、悪い盗人はキリストを罵倒したが、善き盗人は自分の罪を認め、キリストは無実だと言い、キリストと共に昇天した。
十字架の中央軸は善と悪に分かれ、左側に泣き崩れる顔面蒼白の聖母、右側にキリストの服を賭けている兵士達、キリストの死を確かめるために槍を突いた兵士が描かれている。
映画ベン・ハーのシーンを見ているような「キリスト磔刑」イエスの顔が、釘を打たれた手が痛々しい。 -
【聖母子と少年聖ヨハネ】ボッティチェッリ/1467年頃(初期の作品)
背景に描かれたバラは聖母の花であり、神に守られた楽園を表している。 -
【ホラティウス兄弟の誓い】ジャック=ルイ・ダヴィッド/1784年
ダヴィッドは1774年にローマ賞を受賞した後、初めて王室から注文を受けた。
紀元前7世紀のローマ史に関する主題を描き、衆目を驚かせる輝かしいデビューを飾ろうと制作した。
「ホラティウス三兄弟が、ローマ式敬礼をして死を賭した勝利を誓い、父から闘いの剣を受け取る一方、右側では母や姉妹は悲しみに暮れている。」
そんな愛国心に満ちた作品は、民衆から圧倒的に支持され、ダヴィッドの名声は高まり、弟子を取るほどになった。
次第に革命の気運が高まる中、ダヴィッド自身も革命にのめり込んでいく。
国王への忠誠を意図して作品を注文したルイ16世は、フランス革命により処刑されることになる。あろうことか、ダヴィッドはルイ16世の処刑に賛成票を投じている。 -
【ナポレオンの戴冠式】ジャック=ルイ・ダヴィッド(Jacques-Louis David)
【自ら戴冠するナポレオン、その後ろに座す教皇】ダヴィッドが描いた下絵
1804年12月2日、ノートルダム寺院で行われた戴冠式の下絵に隠された真実が!
華々しい戴冠式の絵とは真逆・・・
自ら戴冠してしまった太めの皇帝ナポレオン、ローマから呼び付けられた教皇は不快な表情で、手は膝の上で祝福のポーズはなし。
ダヴィッドの脚色により若く美しく描かれたジョゼフィーヌ、戴冠式に列席していないのに描かれたナポレオンの母、教皇の祝福のポーズ等など・・・嘘ばかり。
上部には、スケッチをする自分の姿もあります。
ナポレオンの宣伝効果を狙った歴史的瞬間の大作です。 -
【ジャック・ルイ・ダヴィッドの自画像】1794年
ダヴィッドは「ホラティウス兄弟の誓い」で一躍有名になり、英雄ナポレオンを描いて ナポレオンの主席画家となった。
ナポレオン失脚後はベルギーへ亡命し、77歳で生涯を終えた。
ルイ16世の処刑に賛成票を投じたので、遺体の帰国は許されなかった。
【ピウス7世の肖像画】ダヴィッド/1805年
ナポレオンの戴冠式で後ろに座っていたローマ教皇は、ナポレオンと対立したが、ナポレオン没落後は一族をローマにかくまい、臨終の際にはセント・ヘレナ島に司祭を派遣するなど聖職者としての使命を果たした。 -
【レカミエ夫人】ジャック=ルイ・ダヴィッド/1800年
この絵は1800年にレカミエ夫人からダヴィッドに注文された。
ダヴィッドが作品の仕上がりに満足せず、手直しに時間がかかり過ぎるため、夫人は弟子の一人に肖像画を依頼した。感情を害したダヴィッドは、自分のアトリエに作品を保管したまま未完成に終わった。
当時23歳だったレカミエ夫人(1777−1849年)は、美しく聡明な女性で、革命後の新しいエリート階級の社会的地位の向上を象徴する人物であった。 -
ドミニク・アングルの作品4点(ドゥノン翼2F展示室75)
【グランド・オダリスク】1814年
【リヴィエール嬢の肖像】1806年(下中央)と両親の肖像画
ドミニク・アングル(1780〜1867年)
アングルはダヴィッドの弟子であり、ナポレオンの失脚によりベルギーに亡命したダヴィッドの古典主義を継承した。 -
【シャルル7世の戴冠式でのジャンヌダルク】アングル/1851-1854年
-
【皇后ジョゼフィーヌ 】ピエール=ポール・プリュードン/1805-10年
ナポレオン3世のコレクションであったが、1871年にナポレオン3世の失墜後、ルーヴル美術館に割り当てられた。
32歳で2児の母だったボーアルネ子爵の未亡人ジョゼフィーヌは、1796年6歳年下のボナパルトと結婚した。結婚後も浪費と浮気を繰り返す妻にナポレオンは離婚を決意し、嫡子が生まれないという理由で1809年に離縁した。
離婚後も皇后の称号を持ち、多額の年金を支給されマルメゾン城で余生を送った。
この肖像画は離婚を突き付けられた頃、マルメゾン城の庭を背景に描かれ、心中を表しているような憂えげな表情に見える。
離婚後もナポレオンとは後妻マリア・ルイーザが嫉妬するほど良き話し相手であったという。
前夫との間に生まれた娘オルタンスは、ナポレオンの弟ルイ・ボナパルトと結婚し、後にナポレオン3世となるルイ・ナポレオンを生んだ。 -
アポロンのギャラリー(ドゥノン翼2F 展示室66)2015年は閉鎖でした。
http://4travel.jp/travelogue/10822881
展示物はこちら
http://www.louvre.fr/jp/moteur-de-recherche-oeuvres?f_search_art=%E3%82%A2%E3%83%9D%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%81%AE%E3%82%AE%E3%83%A3%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%83%BC&nrppage=20
今日のメインはリシュリュー翼にあるナポレオン3世の居室なので、一度ドノン翼を出て移動します。 -
ピュジェの中庭
クロトンのミロン -
マルリーの中庭
ナポレオンの彫刻は、昔オルセー美術館で見た記憶があるのですが・・・
「戴冠式の時、自分で王冠を被った下品なナポレオン」と、ガイドさんの説明を受けながら、「ふーん!」と見つめておりました。
思えばあの頃からナポレオンの印象は、よくなかったような気がします。 -
ルイ14世が注文したマルリーの馬
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マルリーの中庭からナポレオンの居室へ続く階段。
ロココ調のシャンデリアと欄干が美しく、普通の階段ではありません。 -
リシュリュー翼の2階、ナポレオン3世の居室
なんて美しい!目に飛び込んだ豪華なシャンデリア。
ナポレオン3世(シャルル・ルイ・ナポレオン・ボナパルト)は、どんな人物だったのか?調べてみると、
父は、フランス皇帝ナポレオンの弟ルイ・ボナパルト、
母はナポレオンの皇后ジョゼフィーヌの前夫との間に生まれた娘、
つまりナポレオン1世の甥であり、最初の妻ジョゼフィーヌの孫。
現在の美しいパリの街並みはナポレオン3世が造り上げ、上下水道を整え、万国博覧会を開催しています。 -
イチオシ
ナポレオン3世の居室 大サロン(展示室87)
ナポレオン3世は、フランス第二帝政の皇帝であり、豪華な装飾は当時のまま残されています。
ロープが張られ、中へ進めないのが残念です。 -
煌びやかな装飾を見上げて・・・お掃除が大変じゃないかと、ふと余計なことが浮かんでしまう。
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壁にはナポレオン3世の皇后、ウジェニー・ド・モンティジョの肖像画が掛かっています。
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イチオシ
大食堂( 展示室84 )
長いテーブルと豪華なシャンデリアに圧倒されます。
ナポレオン3世の居室は客人のもてなしのための部屋であり、この大食堂は正餐の時のみ使われた。
両端に座ると顔が見えないのでは?と、思うほどテーブルが長い。 -
大食堂の奥にはルイ14世様式の重厚な大食器棚が置かれています。
豪華な金装飾は第二帝政期に好まれた装飾です。 -
【聖別式の衣装を身に着けたナポレオン1世】フランソワ・ジェラール
ダヴィッドが描くナポレオンより『ずんぐりむっくり』ですが・・・ -
玉座の間に敷かれたメダイヨン
ナポレオン1世とマリー・ルイーズの結婚式のために敷かれ、帝国の象徴である大きな鷲があしらわれている。
10:30 今日のルーブル美術館はこの辺で切り上げて次へ行きます。
ナポレオン3世のアパルトマントを見学するだけのつもりが、30分オーバーとなり、急いでオランジュリー美術館へ移動。
この日、オランジュリーは閉館でした。休館日でもないのに・・・ -
イチオシ
2014/5/25 22:30 ロダン美術館、アンヴァリッドを見学後、シテ島の帰りにルーブル美術館のライトアップを撮りたくて立寄りました。
大小ピラミッドが重なる写真スポット
上品なライトアップが美しい。
あの赤い線は、何なのか?ちょっと目ざわり・・・ -
イチオシ
どこから写して良いか、迷ってしまうピラミッド
-
美しいライトアップにすっかり魅させられ、ホテルに戻りました。
ルーブル美術館のライトアップを撮るために、付近のホテルに4泊しました。 -
2014/5/26 16:15
今回3度目のルーブル美術館は、フランス絵画と古代エジプトエリアを中心に閉館まで粘ります。
ルーベンスホールのマリー・ド・メディシスの生涯を一回りしてフランドル絵画へ。
ギャラリー・メディシス
http://www.louvre.fr/jp/oeuvre-notices/%E3%80%8A%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%AA4%E4%B8%96%E3%81%AE%E7%A5%9E%E6%A0%BC%E5%8C%96%E3%81%A8%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%A1%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%B7%E3%82%B9%E3%81%AE%E6%91%82%E6%94%BF%E5%AE%A3%E8%A8%80%EF%BC%881610%E5%B9%B45%E6%9C%8814%E6%97%A5%EF%BC%89%E3%80%8B -
【アンリ4世肖像画】ルーベンス
ブルボン朝の初代フランス国王(在位1589年〜1610年)アンリ4世は、国民から良王として慕われた。
最初の妻マルグリットと離婚後、マリー・ド・メディシスと再婚し、後継者ルイ13世が誕生した。 -
レンブラントの肖像画とヘンドリッキェ
-
【エレーヌ・フールマンの肖像画】1614‐1673
スペインで流行した黒い豪華な衣装に身を包んだ若妻
ルーベンスは最初の妻と死別した後、37歳年下のエレーヌ・フールマンと出会い、再婚します。
【エレーヌ・フールマンと二人の子供】
エレーヌは3人の子供に恵まれ、お尻の辺りに描きかけの子供の手が、うっすらと残っています。これが三番目の子供だといわれ、未完成の部分を切り取って、完成品とみなしたようです。 -
【デル・カルピオ伯爵夫人、ラ・ソラナ侯爵夫人】ゴヤ1794−1795年
ソラナ侯爵夫人は病床にあり、38歳の若さで死を自覚してゴヤに肖像画を注文。
どこか陰が薄く感じる夫人は、凛とした姿勢を保ち、完成後に亡くなっています。 -
ジャン=バティスト・カミーユ・コロー(1796-1875 )シュリー翼3F・展示室73
フランスで初めて風景画を描いたバルビゾン派の画家で、靄のかかった詩的な雰囲気が大好評であった。
ブルジョワ階級層に生まれ、晩年期まで精力的に制作活動をした。
1864年サロンの審査員に就任し、貧しい画家たちを支援をするなどして慕われた。
【モルトフォンテーヌの想い出】1864年(上)
コローの代表作で、皇帝ナポレオン3世の命により国家が1864年にコローから直接買い上げた作品の一つである。
【カステルガンドルフォの思い出】1865年(下) -
フランス絵画:ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの間(シュリー翼 3F 展示室28)
【聖イレネに介抱される聖セバスティアヌス】1649年
ボワ・アンズレー村の教会に飾られていた絵で、ルーブルに寄贈されたラ・トゥールの代表的な宗教画。
矢が刺さった聖セバスティアヌスの脈を診て息があることが確認、聖イレネに介抱され一命を取り戻す。
聖イレネが看護師の守護聖人とされるのは、この絵が由来です。 -
【羊飼いの礼拝】ラ・トゥール1640年
白い布に包まれた赤子はイエス・キリストで、キリストの降誕を礼拝する場面
「灯火の前の聖マドレーヌ」を観たかったのに、残念ながらありませんでした。
ラ・トゥールは、宗教画以外に作風の全く違う風俗画も描いています。
【ダイヤのエースを持ついかさま師】ジョルジュ・ド・ラ・トゥール1635年
http://4travel.jp/photo?trvlgphoto=31096522 -
イチオシ
【灯火の前の聖マドレーヌ】ラ・トゥール/1642−1644年頃
2015年5月、ランスのルーヴルから戻ったので、3年目に鑑賞できた絵
ラ・トゥールが好んだテーマの一つであるマグダラのマリア。 -
【花瓶のバラ】ファンタン=ラトゥール/1872年
ジョルジュ・ド・ラ・トゥールではなく、別のアンリ・ファンタン=ラトゥールは花の画家として有名で、バラを多く描き「ファンタン・ラトゥール」という名前が付いたオールドローズが人気です。
柔らかい色調で品が良く、しばらく見入っていました。 -
【宰相ロランの聖母】ヤン・ファン・エイク/1435年頃 (リシュリュー翼3F展示室4)
この絵を注文したのはブルゴーニュ公国の宰相ロランで、フィリップ善良公の宮廷画家であったファン・エイクに依頼し、聖母マリアと幼児イエスに手を合わせている場面を描かせた。
ロランが洗礼を授かったオータンのノートル・ダム・ドュ・シャテル教会に寄進をし、礼拝堂に飾られていた。
質素な家庭に生まれたロランはブルゴーニュ公、ジャン無怖公とフィリップ善良公の信頼を勝ち得て昇級したものと思われ、1422年に宰相に任命された。
フランス革命時に採取され、ルーヴルに移された。 -
多忙を極めるナポレオンの肖像画(ダヴィッド)は未完成のままです。
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ドミニック・アングル(シュリー翼3F展示室60)
【浴女】1808年 初期の作品
この裸婦を「トルコ風呂」にも描いています。
【トルコ風呂】1862年
晩年は、裸婦とオリエントのテーマを結びつけたが、アングルは一度もオリエントに行ったことはなく、聞いた話を元にハーレムを描いた。
円形の枠を用いたのは、ラファエロが「神」のような存在だったから。 -
古代エジプトエリア(シュリー翼2F展示室27)
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【セティ1世を迎えるハトホル女神】紀元前1290−紀元前1179年
王家の谷で最大規模を誇るセティ1世の墓から出土したレリーフ。
エジプトに派遣していたシャンポリオンにより、ルーヴル美術館に持ち帰ったもの。
当時はかなり傷んだ状態であり、若死にしたシャンポリオンはキレイに修復したレリーフを見ることができなかった。 -
【書記座像】紀元前2600-2350年
石灰岩の彫刻に彩色され、目の象嵌細工は白いマグネサイトの塊の中に水晶を嵌め込んで作られている。
あぐらをかいて座り、白い腰布を台にして、パピルスを手に持つ書記は、古代エジプトで重要な職業であり、文字の読み書きができる人はエリートであった。
最も有名な書記座像であるが、生きていた正確な時代や、人物の名前が分かっていない。 -
上エジプトの総督、ウアフイブラーの彫像
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【スフィンクスの参道】前378−前361年
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男性のミイラ
プトレマイオス朝時代のミイラは、X線検査で男性であることが判明。
体は亜麻の包帯で指の一本まで丁寧に巻かれ、特に顔の部分は美しく仕上げられている。 -
ディール・アル=マディーナの東墓地
ハトシェプスト女王とトトメス3世治世下(紀元前1479−紀元前1425年)
クルネト・ムライの丘の西墓地で発見された副葬品
中流階級のミイラを安置する棺に、生前から使用していた日常品などが豊富に収容されていた。 -
ベス神の彫像
サッカラ、セラペウム、ネクタネボ2世神殿中庭から出土。
醜く恐ろしい顔の像は、悪霊から守ってくれる好意的な神で、特に妊婦を守ってくれると信じられていた。
眠っている人を守ると信じられていたので、寝台や枕の上に飾られていた。 -
【ラムセス3世の石棺の桶】紀元前1550−紀元前1069年頃
赤色石灰岩で作られた石棺には、ファラオ・ラムセス3世の内棺がいくつか重ねて入っていた。
17:40
もう閉館の準備に入ったのか、出口へと誘導されて自由に行けません。
最後にハムラビ法典まで行きたかったのですが。 -
【アメンヘテプ3世の巨像の頭部 】シュリー翼1F展示室12
【アメンヘテプ3世の名を刻む巨像の足と台座】
【ラムセス2世の巨像】
第19王朝、ラメセス2世治世下(前1279−前1213年)タニスで出土 -
17:50 閉館前のナポレオンホール
最後の方は、美術館に取り残されては困るので、せわしなく人の流れに付いて歩いただけでした。
ルーブル美術館を3回に分けて見学し、満足度は高いけれど、まだ先は遠い・・・
ニケの修復が終わったら、また行きたいと思います。 -
ここからは2015年5月に鑑賞した作品を追加しました。
【サモトラのニケ像】前220−前185年頃
三年目にようやくニケ像を見ることができました。
滑らかな布地が体に貼り付いて、強い海風になびく姿で船首に佇む女神を見ているようです。 -
イチオシ
勝利を告げる女神
11年前に初めて見た時より、色白で美し気がします。 -
【アルプスを越える ナポレオン】1848年/ポール・ドラローシュ
ダヴィッドの描いたたくましいナポレオンとは真逆・・・
軍隊を率いるナポレオンは、ロバに乗ってアルプスを越えるという事実に基いて描かれた。 -
【民衆を導く自由の女神】ドラクロワ/1830年
ルーヴル・ランスから戻った作品に、3年目にようやく出合えた。
ナポレオンの没落後、王侯貴族の時代に戻そうとした政策にパリ市民が怒り、王シャルル10世を失脚させ、オルレアン公ルイ・フィリップを国王にした7月革命を主題に描いた。
シルクハットを被った男性はドラクロワ本人だと言われている。
右側の拳銃を持つ少年は「レ・ミゼラブル」に出てくる浮浪児ガヴロッシュで、弾薬入れを肩から斜めにかけ、蜂起した人々を戦いへと駆り立てている。 -
【怒りのメディア】ドラクロワ/1838年 ギリシャ神話の復讐劇
アルゴー船の英雄である夫イアソンに裏切られた妻メディアが、イアソンの血を引く息子達を殺そうといている場面を描いた。
夫ではなく幼い我が子を殺したメディア・・・、神話の世界はかくも恐ろしい。 -
【ウジェーヌ・ドラクロワの自画像】ドラクロワ/1837年頃
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【フレデリック・ショパンの肖像】ドラクロワ/1838年
原図ではピアノを弾くショパンの背後に恋人ジョルジュ・サンドが描かれていた。
1863〜73年頃に切断され、ショパンの肖像画がルーブル美術館に所蔵された。
音楽好きのドラクロワはショパンのピアノ曲に惹かれ、尊敬していた。 -
イチオシ
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シュリー翼の閉鎖が終わり、18世紀美術工芸の展示がオープンしていました。
ルイ14世からルイ16世、マリー・アントワネットの時代の生活様式が再現されている。 -
マリー・アントワネットが愛用していた旅行鞄
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マリー・アントワネットの紋章入り食器
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