2014/07/06 - 2014/07/06
64位(同エリア129件中)
滝山氏照さん
武蔵国と上野国とを分ける神流川(かんながわ)を背景に武蔵七党の丹党庶流の勅使河原(てしがわら)氏居館があったとされ、建保3年(1215)勅使河原権三郎有直(ありなお)創建による臨済宗円覚寺派大光寺(だいこうじ、埼玉県児玉郡上里町)となって現在に至ります。
丹党は平安時代後期に秩父地方を本拠として活動した武士団で、その中で秩父丹五基房(もとふさ)が秩父五郎と称し、その息子丹次郎直時(なおとき)が承保2年(1075)この地に居住してその地名を以て家号とします。
その後は直時の孫である権三郎有道(ごんざぶろう・ありみち)や四郎有則(しろう・ありのり)は鎌倉幕府の御家人として源頼朝に仕え度々の合戦における働きぶりは武蔵武士の手本であったそうです。
暦王元年(1338)足利尊氏による室町幕府が開かれると南北朝対立のなか南朝方(後醍醐天皇に属する)に与した勅使河原一族は幕府の圧迫から逃れるため当地を離れてしまい以降歴史上から消え去ります。
その後応永18年(1411)再興されるも天正10年(1582)の神流川の戦いにより総門を残してすべて焼失、また明治42年(1909)寺の北隣を走る高崎線の灰煙を被り全焼し本堂など再建して現在に至ります。
2022年11月22日追記
境内には大光寺について説明板があり下記のように紹介されています。
『 大 光 寺
所在地 児玉郡上里町勅使河原1864
大光寺は、臨済宗円覚寺派の寺で、山号を勅使山という。建保3年(1215)に武蔵七党の一党である丹党の、勅使河原権三郎有直が創建したもので、勧請開山は日本へ初めて禅宗を伝えた栄西禅師である。
その後、応永18年(1411)に現伊勢崎市の泉龍寺白崖宝生禅師により再興された。しかし、天正10年(1582)の神流川合戦により総門のみ残し焼失した。
明治42年2月に高崎線の灰煙を被り全焼したため、本堂等を再建し現在に至っている。
なお、当寺には栄西禅師直筆の扁額と総門、忠臣直重父子の冥福を祈った不背碑(親子地蔵)、六角のガン部をもった石灯、神流川の渡しの標準と旅の安全を祈った見透灯篭等が現存し、貴重な文化財として知られている。
毎年4月23日に勅使河原氏の慰霊祭でもある蚕影山が行われ、養蚕の道具に加え、最近では植木市等がたち大変な賑わいを見せている。
昭和60年3月
埼玉県上里町 』
- 旅行の満足度
- 4.0
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
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大光寺
お寺の前は新設と思われる舗装道路が走り、その向うには東西を走る高崎線の高架下があります。 -
大光寺・総門(全景)
新たに総門造りの工事中でした。 -
大光寺・総門(近景)
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大光寺・寺標
工事中の総門右脇に「勅使山大光寺」と刻された寺標が建立されています。 -
大光寺・勅使河原氏館跡石碑
上里町長の揮毫により本寺が丹党分流の勅使河原氏が居住していた館跡となっています。 -
大光寺・鐘楼堂
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大光寺・勅使河原氏説明石板
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大光寺沿革・説明板
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大光寺・参道
工事中の総門からは参道が走っています。 -
大光寺・鐘楼堂
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大光寺・供養塔
本堂に向かって右側には供養塔が祀られています。 -
イチオシ
大光寺・本堂
本寺は臨済宗円覚寺派で山号は「勅使山」となっており、健保3年(1215)開山には栄西禅師が迎えられたという古刹です。 -
大光寺本堂・扁額
「大光寺」と揮毫された扁額が設置されています。 -
大光寺・境内(振り返り)
本堂下から境内を望みます。 -
大光寺・庭園
本堂左手に庭園が造作されています。 -
大光寺・六地蔵
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イチオシ
大光寺・旧総門
神流川合戦で焼失を免れた当時の総門が本堂裏側に移設されています。 -
大光寺旧総門・扁額
総門上部には「勅使山」の扁額が確認されます。 -
大光寺・勅使河原氏廟(全景)
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イチオシ
大光寺・勅使河原氏廟(近景)
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大光寺・親子地蔵
当廟は勅使河原直重・貞道・光重を祀っています。 -
イチオシ
大光寺・尊祖敬宗之碑
総門の背後には遠祖の出自を明らかにするため石碑が建っています。 -
大光寺・大型石塔
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大光寺・旧総門内側
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大光寺・旧総門内側
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旧総門と墓廟
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大光寺・高台
中庭の奥は周囲よりも小山となっています。 -
大光寺・庭園
中庭の先に階段がありここを登ります。 -
大光寺・祠堂
小山は削平されてその中央に祠堂が建っています。周囲を見下ろす高台ということから居館があった時は物見台だったのかもしれません。 -
大光寺・天満宮
祠堂の横に天満宮が小振りながら併設されています。 -
大光寺・開運大黒天
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大光寺・高台にある庭園
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大光寺・境内
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大光寺・見透灯籠
神流川の渡場に設けられた常夜灯は夜になると火を灯し夜道を往来する旅人の道標として建立され「見透灯籠」と呼ばれます。文政5年に洪水で倒れましたが安政4年に村民と大光寺によって再建され、明治20年代に当寺に移設されます。 -
大光寺・見透灯籠説明
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