2014/07/06 - 2014/07/06
70位(同エリア129件中)
滝山氏照さん
JR高崎線神保原駅下車線路に沿って高崎方面に向かい神流川(かんながわ)にかかる手前を左折、樹林に囲まれた中に武蔵七党丹党に属する勅使河原(てしがわら)氏創建の丹生神社(たんしょうじんじゃ、埼玉県児玉郡上里町勅使河原)があります。
社殿は250年余りの歳月に耐えられず氏子の総意によって改修が行われ平成24年春に竣工に至ったとのことです。
改修石碑によれば応永年間(1394~1418)に武蔵七党の丹党に属する勅使河原氏によって神流川の流域に創建されるも、宝暦12年(1762)洪水の為御神霊が当地に移され勅使河原地域の鎮守の神として代々崇められています。
御祭神は岡象女神(みずはめのかみ)、埴山姫命(はにやまひめのみこと)他二神でいずれも水と五穀を司る神々となっています。
2022年11月24日追記
境内に建てられた説明板には下記の如く紹介されています。
『 丹 生 神 社 御 由 緒
上里町勅使河原1368
御縁起(歴史)
勅使河原は、武蔵七党の丹党に属した勅使河原氏の名字の地とされる。丹党系図によれば、丹党の祖とされる武信から7代目の子息直時が勅使河原氏を称しており、また、長野勅使河原系図にも承保2年(1075)4月2日に「ト地同国加美郡勅使河原邑移居、則以地名為家号」とあるところから、平安時代の末期には勅使河原氏がこの地に住していたことがわかる。当社は、この勅使河原の鎮守である。
当社の創建について「明細帳」は「古老の口碑」として、応永年間(1394~1426)に神流川の辺り創立されたが、その後、出水で社地が流亡したため、永禄2年(1559)に現在の所に遷座したと伝える。一方、「児玉郡誌」も同様の話を載せているが、創立は大永年間(1521~28)、遷座は永禄2年と、創建の年代が異なる。しかし「風土記稿」勅使河原村の項に「丹生社 村の鎮守なり、昔は神流川辺にありしが、川欠にて元禄年中(1688~1704)今の地へ移せり」と載理、当社にも元禄16年(1703)の年紀のある幣束が現存することから、遷座の時期は元禄年間と思われる。
明治に至り、神仏分離が行われるまで、当社の西隣にあった当山派修験の文殊院が別当として当社の祭祀を行ってきた。大正年間まで神職を務めていた下山家はその末裔で、現在は神社の祭祀と直接のかかわりはないが、今も神葬祭を続けている。
御祭神と御神徳
埴山姫命 ・・・・ 厄除開運、商売繁盛
御祭日
・春祭り (3月15日) ・大 祓 (7月13日)
・秋祭り (10月20日) ・新嘗祭 (11月25日) 』
- 旅行の満足度
- 3.0
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
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丹生神社入口
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丹生神社石標
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祠堂
参道途中に盛り土に墓石がまとまっておかれています。 -
祠堂接近
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丹生神社・鳥居
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丹生神社・神門
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イチオシ
丹生神社・神門(近景)
多年の歳月を経ているようで、社殿に続いて改修を期するところです。 -
丹生神社神門・扁額
「正一位丹生大明神」の扁額が掲載されています。また門上部の彫物が立派です。 -
イチオシ
丹生神社・拝殿
平成24年春の改修竣工で新しい拝殿です。 -
丹生神社・拝殿扁額
「丹生神社」と縦に掲載されています。 -
丹生神社・拝殿彫刻
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丹生神社・拝殿内部
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境内風景
社殿から神門方向を眺めます。 -
丹生神社・社殿後部
小型墓石が並んでいます。 -
丹生神社・改修石碑
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丹生神社・遥拝所石標
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丹生神社・神楽殿
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丹生神社内・稲荷神社
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丹生神社・境内
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丹生神社・祓所石標
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丹生神社・境内
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丹生神社・参道(振り返り)
山門から鳥居方向を捉えます。 -
丹生神社遠景
高崎線側から捉えますが、樹林等に囲まれている為神社の姿は困難です。
尚当神社創建の勅使河原氏居館跡はここから神流川方向に徒歩約10分ほどに在する大光寺となっています。
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