2014/06/08 - 2014/06/10
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Donkyさん
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国内47都道府県踏破の旅で最後に残されていたところが奈良県でした。
奈良は奈良時代に平城京が置かれた古都であり、シルクロードの終着点として天平文化が花開いた地として知られています。
奈良の地を訪れるのも生まれて初めてではなく1962年以来ですから52年ぶり・その間になんと半世紀経過。半世紀を超えて2度目の訪問です。
6月8日-10日「古(いにしえ)の奈良名所15か所を巡る旅」古都の歴史探訪・2泊3日です。三日間で3万5千歩、歩きます 歩行距離だけでもおよそ21-22キロの行程。
今回の旅では歴史上のいくつかの疑問に回答が与えられました。 1)奈良のお寺にはなぜお墓がないのか? 2)五度の渡航失敗を経て どうやって鑑真和上は来日したのか? 3)東大寺の大仏はいつごろのもの?などなど・・・
お墓のない奈良のお寺は国内の一般のお寺にはない重要な使命を持っていました。
奈良市は、奈良県の北部一帯を占める広域市で、同時に奈良盆地の北端にも当たります。市東部は大和高原にあたり、標高300mから600m級の高地が続きます。
2日目以降は春日大社 法隆寺 唐招提寺 薬師寺などの順で回りましたが、保存しているパソコン・Windows7の反乱で 今回の旅行記の写真データは全て消滅してしまいました。残念です。
注)ブログ記事のうち寺社仏閣の紹介文及び史実はフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』および東大寺など関連の公式サイトから引用したもの、あるいは抜粋・加筆したものです。 また「菊一包永」紹介記事は同社HPから抜粋したものです。
- 旅行の満足度
- 3.5
- 観光
- 3.5
- ホテル
- 3.0
- グルメ
- 3.5
- ショッピング
- 3.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 観光バス 新幹線 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
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6月8日東京駅から 新幹線で出発。
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出発前に 東京駅日本橋口「スタバ」での 軽い朝食です。
東京駅出発時の定番になっています。 -
午前8:26発の新幹線「こだま」号 名古屋行に乗車。
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毎度のことですが、東京駅で出発前に「新幹線弁当」と「すき重弁当」を調達。
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これが新幹線弁当です。
幕の内の高級モダンバージョン? -
こちらが「すき重」弁当ですが、数か月前に「ガイアの夜明け」で紹介された 東京駅駅弁トップ5に 入っていたような それに似たもののような・・・。
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名古屋着11:15 駅前に近鉄のバスがお出迎え。
乗客は 家族連れ・夫婦が14組 老夫婦に付き添いが1名 単独旅行者3名
総勢34名。 いずれも旅慣れた面々が勢ぞろい。 -
高速名阪から阪奈線へ 2時間もしないうちに奈良市内へ到着。
奈良公園では 鹿と戯れる修学旅行生など観光客でいっぱいです。 -
まずは 阿修羅像で名高い 興福寺国宝館へ。
国宝はすべて撮影禁止のため 美術品の写真はこの後もほとんど掲載はありません。興福寺国宝館 美術館・博物館
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梅雨の晴れ間の奈良の古都ですから、修学旅行やら国内各地から訪れた観光バス そして海外からの観光客で、市内の駐車場はどこも こんな感じです。
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興福寺(こうふくじ)は、奈良県奈良市登大路町(のぼりおおじちょう)にある、南都六宗の一つ、法相宗の大本山の寺院であり、南都七大寺の一つ。
藤原氏の祖・藤原鎌足とその子息・藤原不比等ゆかりの寺院で、藤原氏の氏寺であり、古代から中世にかけて強大な勢力を誇ったようです。興福寺 寺・神社・教会
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興福寺(こうふくじ)国宝館は旧・食堂(じきどう)の跡地に建てられた文化財収蔵・展示施設で、1959年に完成した。鉄筋コンクリート造だが、外観は旧・食堂(じきどう)を模した寺院建築風。食堂(じきどう)は1874年(明治7年)、廃仏毀釈のあおりで興福寺が荒廃していた時代に取り壊されました。
内部にはもと食堂本尊の千手観音の巨像(高さ5.2メートル)が中央に安置され、仏像をはじめとする多くの寺宝が展示されています。
2010年3月にリニューアルオープンし、従前に比べ展示点数が増えたほか、文化財に与える悪影響が少ないLED照明が採用されたことにより、多くの仏像がガラスケースなしで見られるようになりました。現館長は金子啓明氏。興福寺 寺・神社・教会
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中でも三面六臂(手が6本)の阿修羅像が著名で、憂いを含んだ何とも言えない顔立ち それでもどこか親しみのもてる表情を観察。
三面 すなわち 正面から見て耳の位置にそれぞれ別の顔があります。 指の一部が数本破損していますが スリムなボディはほぼ健在で 実物は背丈が2メートル超 くらいでしょうか。
これだけはと思ってよーく見てきました。
阿修羅像の写真が撮れないので入場チケットです。 -
他にも乾漆八部衆立像(国宝)−奈良時代の作。もと西金堂本尊釈迦如来像の周囲に安置されていた群像の1つ。
五部浄、沙羯羅(さから、しゃがら)、鳩槃荼、乾闥婆、阿修羅、迦楼羅、緊那羅、畢婆迦羅(ひばから)の8体が揃って現存するが、五部浄像は大破して胸から下の体部が失われている。 その他 国宝がいっぱい展示されていますが・・。
神秘的な全ての映像を紹介できないので ここでは 近所にいた奈良の鹿を使います。奈良の鹿 自然・景勝地
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興福寺南円堂。
「古都奈良の文化財」の一部として世界遺産に登録されています。
この後も 世界遺産がいっぱい出てきます。興福寺 南円堂 寺・神社・教会
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興福寺南円堂は西国三十三所第9番札所。
興福寺 南円堂 寺・神社・教会
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中金堂は只今再建中でした。
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興福寺慶大案内図 建屋も 国宝と重文でいっぱいです。
興福寺 寺・神社・教会
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東大寺(とうだいじ)は、奈良県奈良市雑司町にある華厳宗大本山の寺院。
金光明四天王護国之寺(きんこうみょうしてんのうごこくのてら)ともいい、奈良時代(8世紀)に聖武天皇が国力を尽くして建立した寺でもあります。
現別当(住職)は、筒井寛昭師。
この住職はなんと・221世 つまり221番目ですよ。東大寺 寺・神社・教会
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東大寺南大門
天平創建時の門は平安時代に大風で倒壊しました。現在の門は鎌倉時代、東大寺を復興した重源上人(ちょうげんしょうにん)が再建したもので、今はなき鎌倉再建の大仏殿の威容を偲ばせる貴重な遺構です。 -
東大寺南大門
正治元年(1199)に上棟し、建仁3年(1203)には門内に安置する仁王像とともに竣工しました。入母屋造、五間三戸二重門で、ただ下層は天井がなく腰屋根構造となっています。
また屋根裏まで達する大円柱18本は、21mにも及び、門の高さは基壇上25.46mもあります。大仏殿にふさわしいわが国最大の山門です。
(以上 東大寺HPではこのように記述されています) -
南大門にある仁王像二体は、昭和63年から5年間にわたって全面解体修理が行われ、天平創建期から向かい会って立っていたことや、山口県で伐採された木材が、約1年程で搬送され、古文書の記述通り、ほぼ70日間で二体同時進行で、造像されたことも証明されたのだそうです。(以上東大寺HPより抜粋)
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南大門にある仁王像二体
口を開けているのが「阿」閉じているのが「吽」 あわせて「阿吽(あうん)の呼吸とはここからきています。 -
東大寺は「奈良の大仏」として知られる盧舎那仏(るしゃなぶつ)を本尊とし、開山(初代別当)は良弁です。
そして国宝や重要文化財である美術品の宝庫でもあるのです。
写真は 東大寺のパンフをスキャンしたもの。東大寺 寺・神社・教会
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奈良時代には中心堂宇の大仏殿(金堂)のほか、東西2つの七重塔(推定高さ約70メートル以上)を含む大伽藍が整備されたが、中世以降、2度の兵火で多くの建物を焼失したのだとか・・。
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東大寺ミュージアム
美術の教科書に出てくる 日光・月光菩薩 の像がここにあります。
法華堂内には21世紀初頭まで多数の仏像が安置されていたものが、2011年の東大寺ミュージアム開館に際し、大半の仏像が同ミュージアムに移動されているのだそうで。東大寺ミュージアム 美術館・博物館
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同ミュージアム開館以前の法華堂内の仏像は次のとおりでした。
すなわち、内陣中央の八角二重の仏壇上には中央に不空羂索観音像(乾漆)、その左右に日光菩薩・月光菩薩像(塑造)が。
八角仏壇の左右には梵天・帝釈天像(乾漆)が立ち、この両像の手前、やや本尊寄りの位置には一対の金剛力士像(乾漆)が、須弥壇の四隅には四天王像(乾漆)が。
これらの大半がミュージアムへ移動しました。東大寺 寺・神社・教会
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木造建築の建屋が 数百年 千年を経て 今なお持ちこたえる建築技術が わが国にはあったということです。
そして 忘れてならないのはお墓を持たない奈良のお寺さんの使命ですが、平たく言えば僧侶の養成所 いわばお坊さんの学校ですね。 講堂とは僧になる仏弟子が仏教を学ぶ巨大な教室・オーディトリアムだったのです。
ゆえに檀家に依存せず拝観料とその他寄進により維持されていたのです。 -
東大寺は「大仏さん」の寺として、古代から現代に至るまで広い信仰を集め、日本の文化に多大な影響を与えてきた寺院であり、聖武天皇が当時の日本の60余か国に建立させた国分寺の中心をなす「総国分寺」と位置付けられていました。
東大寺は1998年に古都奈良の文化財の一部として、ユネスコより世界遺産に登録されています。東大寺 寺・神社・教会
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東大寺 戒壇堂
754年に唐から来日した高層鑑真が僧の授戒のために開いたお堂です。
授戒とは仏門に入る者に、仏弟子として生きるための戒を授けることです。
鑑真は、大仏殿の前に特設された戒壇で聖武天皇らに戒を授け、その後、現在地(大仏殿の西方)に戒壇院が建立されました。 -
長い間には幾度かの火災にあい、現在の戒壇堂は再建されたものです。
8世紀の彫刻の傑作、四天王像(国宝)が安置されています。
普通の仏像と異なり 目には眼球が配置されているのも 特徴の一つです。 -
四天王は、仏法を守護する神です。東大寺戒壇堂の壇上の四隅にも四天王像が安置され、今も仏に誓いを立てる人々を見守っています。
四天王はもともと古代インドの神々で、仏教に取り入れられる際に四方を守る護法神となりました。
『唐大和上東征伝』には次のように記されています。
唐から日本へわたる鑑真を、いくたび壁のような波濤が襲ったことだろう。何度も渡航に挫折し、5回目を試みたとき、やはり嵐が船を襲った。もはやこれまでと思ったところで、船頭は言った。
「恐れることはない。甲をつけ、杖を持った四天王が、船首に2人、帆柱に2人現れた」 人々はほっと胸をなでおろしたという。鑑真は四天王に守られながら、無事日本にたどり着くことができた。
写真は戒壇堂パンフレットをスキャンしたものです。東大寺 寺・神社・教会
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東大寺 大仏殿
現存する大仏殿は江戸時代の18世紀初頭(元禄時代)の再建で、創建当時の堂に比べ、間口が3分の2に縮小されています。東大寺 寺・神社・教会
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金銅八角燈籠(国宝)
大仏殿の正面に立つ燈籠。総高464センチ。たびたび修理されていますが、基本的には奈良時代創建時のものです。
火袋羽目板4面には楽器を奏する音声菩薩(おんじょうぼさつ)像を鋳出しています。 -
金銅八角燈籠(国宝)
4面の羽目板のうち西北面と西南面が当初のもので、東北面と東南面はレプリカです。
東北面の羽目板は1962年に盗難に遭い、直後に発見されましたが、その後はオリジナルは別途保管し、燈籠にはレプリカを取り付けています。
東南面の羽目板のオリジナルは早くに紛失しています。 -
「奈良の大仏」として知られる盧舎那仏(るしゃなぶつ)現存する大仏は、台座(蓮華座)などの一部に当初の部分を残すのみです。
国宝指定名称は「銅造盧舎那仏坐像(金堂安置)1躯」。像高は14.7メートル。大仏は『華厳経』に説く盧舎那仏という名の仏です。
盧舎那仏は「蓮華蔵世界」(『華厳経』の説く世界観)の中心に位置し、大宇宙の存在そのものを象徴する仏です。
大仏の鋳造が始まったのは天平19年(747年)で、このころから「東大寺」の寺号が用いられるようになったと思われています。東大寺 寺・神社・教会
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大仏殿内の人気スポット:穴の開いた柱 「この穴を通り抜けると何か良いことが・・。」期待感が子供たちの行列になって・・。
柱の穴は何故あるのかも不明 通り抜けても何のご利益もありません。念のため。 -
聖武天皇は短期間に遷都を繰り返していましたが、2年後の天平17年(745年)、都が平城京に戻ると共に大仏造立も現在の東大寺の地で改めて行われることになりました。
この大事業を推進するには幅広い民衆の支持が必要であったため、朝廷から弾圧されていた行基を大僧正として迎え、協力を得たのです。東大寺 寺・神社・教会
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聖武天皇が大仏造立の詔を発したのはそれより前の天平15年(743年)のことです。
当時、都は恭仁京(現・京都府木津川市)に移されていましたが、天皇は恭仁京の北東に位置する紫香楽宮(現・滋賀県甲賀市信楽町)におり、大仏造立もここで始められました。 -
難工事の末、大仏の鋳造が終了し、天竺(インド)出身の僧・菩提僊那を導師として大仏開眼会(かいげんえ)が挙行されたのは天平勝宝4年(752年)のことです。
そして、大仏鋳造が終わってから大仏殿の建設工事が始められて、竣工したのは天平宝字2年(758年)のことでした。 -
東大寺では大仏創建に力のあった良弁、聖武天皇、行基、菩提僊那を「四聖(ししょう)」と呼んでいるそうです。
なお現在の大仏は台座と袖、脚などの一部に当初部分を残すのみで、体部の大部分は中世の作、頭部は江戸時代の作です。
ゆえにお顔だけは新鮮で 心なしかテカテカ光って見えるのです。東大寺 寺・神社・教会
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東大寺二月堂(とうだいじにがつどう)は、奈良県奈良市の東大寺にある、奈良時代(8世紀)創建の仏堂です。
二月堂は、東大寺金堂(大仏殿)の東方、坂道を上り詰めた丘陵部に位置する、十一面観音を本尊とする仏堂です。東大寺 寺・神社・教会
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現存する建物は1669年の再建で、日本の国宝に指定されています。
すぐ南には三月堂の通称で知られる法華堂があります。
これらの堂が所在する一画を「上院」(じょういん)と称し、大仏開眼以前から存在しました、東大寺の前身寺院があった場所です。 -
二月堂は奈良の早春の風物詩である「お水取り」の行事が行われる建物として知られています。
東大寺は治承4年(1180年)の平重衡の兵火と、永禄10年(1567年)の三好・松永の兵乱とにより、創建時の建物の大部分を失っています。
二月堂はこれらの兵火では類焼をまぬがれたものの、寛文7年(1667年)、修二会の満行に近い2月13日に失火で焼失しました。東大寺 寺・神社・教会
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「お水取り」は正式には修二会(しゅにえ)といい、8世紀から連綿と継続されている宗教行事です。
二月堂は修二会の行事用の建物に特化した特異な空間構成をもち、17世紀の再建ながら、修二会の作法や習俗ともども、中世の雰囲気を色濃く残しているのです。
有名なあの巨大な松明を回しながら走る回廊がここです。 -
その回廊から見渡した眼下には芝生の坂が見えます。
現存する二月堂は失火の直後の寛文9年(1669年)、江戸幕府の援助を得て、従前の規模・形式を踏襲して再建されたものです。
火災を出したお寺で 今も続く あの火祭?ちょっと意外・・かも -
その火の粉を浴びる場所 芝生の 傾斜地です。
テレビの映像では こんなに傾斜しているなんて気が付きませんでした。 -
重文 閼伽井屋 説明文
「お水取り」正式には修二会(しゅにえ)で使うお水を採取する儀式を行うところです。 -
東大寺法華堂(とうだいじほっけどう)は、奈良県奈良市の東大寺にある奈良時代(8世紀)建立の仏堂。
一般に三月堂(さんがつどう)として知られています。
日本の国宝に指定されています。東大寺に現存する数少ない奈良時代建築の1つであり、堂内に安置する10体の仏像も奈良時代の作です。東大寺 寺・神社・教会
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東大寺では、治承4年(1180年)の平重衡の兵火と、永禄10年(1567年)の三好・松永の兵乱とにより、創建当時の建物の多くが失われました。
東大寺に現存する奈良時代の建物としては転害門(てがいもん)と本坊経庫などの校倉(あぜくら)があるが、奈良時代建立の仏堂で現存するものは法華堂のみです。東大寺 寺・神社・教会
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法華堂は奈良時代仏堂の数少ない現存例として貴重であり、安置される仏像群とともに天平盛期の文化を今日に伝えています。
向かって右半分が後年の増築部分で 奈良時代に新築された左半分と比し 左右の建屋は実に700年の差があるそうです。東大寺 寺・神社・教会
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校倉(あぜくら)
東大寺では、治承4年(1180年)の平重衡の兵火と、永禄10年(1567年)の三好・松永の兵乱とにより、創建当時の建物の多くが失われたのですが・・・。 -
現存する奈良時代の建物としては転害門(てがいもん)と本坊経庫などの校倉(あぜくら)がありますが、奈良時代建立の仏堂で現存するものは法華堂のみです。
東大寺 寺・神社・教会
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若草山
若草山(わかくさやま)は奈良県奈良市、奈良公園の東端に位置する標高342m、面積33haの山です。 -
なだらかな山腹が芝に覆われており、奈良を代表する景観の一つです。山頂には古くから知られる前方後円墳(鶯塚古墳、全長103m)があります。
山頂から見る奈良の夜景は、新日本三大夜景のひとつに認定されているそうです。
山頂にある鶯塚古墳から「鶯山」とも呼ばれます。また、菅笠のような形の山が三つ重なって見えることから俗に「三笠山」とも呼ばれ、御蓋山と混同されてきました。若草山 自然・景勝地
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若草山は芝に覆われています。この芝はノシバ(日本芝の一種)と呼ばれる日本固有のシバで、近畿では若草山付近が唯一の自生地とされています。
ノシバの種は堅い殻に覆われており、シカがシバの葉と共に種を食べても、シカの歯と胃液による消化などから堅い殻が種を守ります。 -
ただ守るだけでなく、シカの胃に入ると、胃液と体温(40度程度)で殻は速やかに溶けて発芽できる状態になり、未消化の種は糞とともに山に散布されることにより、ノシバは発芽するのです。
このサイクルを繰り返し、古来よりこの地で生息してきました。このため、若草山のシバの生育には自然状態ではシカの存在が不可欠なのです。 -
この日の夕食は若草山の老舗「菊一包永」経営のレストラン「永楽」です。
何が老舗かというと 刃物つくりの老舗で 食堂は昔はメインではなく あとから始めたサブだったようです。若草山 自然・景勝地
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菊一文珠四郎包永(きくいちもんじゅしろうかねなが)は、古く鎌倉時代より刀剣の匠として銘を受け、その秘伝の技を今日に伝えています。
(同社HPより) -
菊一文珠四郎包永は、風光明媚な奈良公園・若草山麓に位置し、打刃物類の製造販売を中心に、おみやげ処として、またレストラン「永楽」は、皆さま方の奈良・大和路観光の旅すがら…お食事処としてご好評いただいております。
(同社HPより)
レストラン「永楽」での夕食 店主はさすがに食事よりも 包丁の販売にはそれはそれは熱心で・・。無理ないですね 老舗の刃剣屋さんですから。若草山 自然・景勝地
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レストラン「永楽」での夕食
ヘルシー きれいでコンパクトにまとまっています。 -
レストラン「永楽」での夕食
野菜の炊き込釜飯。 -
マスコットキャラ せんとくん
東大寺のガイドさんによれば 発表当初はちょっとだけ物議をかもしたそうですが・・・。
大仏に角をつけるのは少し奇抜すぎたかも。 -
宿泊先 : アジール 奈良 アネックスです。
明日は 春日大社 法隆寺 唐招提寺 薬師寺 の順で回ります。
なおアジールは、歴史的・社会的な概念で、「聖域」「自由領域」「避難所」「無縁所」などとも呼ばれる特殊なエリアのことを意味します。
ギリシア語の「?συλον(侵すことのできない、神聖な場所の意)」を語源とし、具体的には、おおむね「統治権力が及ばない地域」ということになります。
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