2014/04/18 - 2014/04/19
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Donkyさん
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北上する桜前線を追っての「お花見ツアー」第2弾は「桜の里」三春町散策レポートです。
伊達政宗正室「愛姫」(まなひめ・めごひめ)のふるさとである三春町(みはるまち)は、江戸期に、秋田氏5万石の城下町のして周辺地域の経済・文化・芸術の一大中心地として栄えました。
三春は、この城下町特有の落ち着いた佇まいに加え、数多くの桜の名木があることで知られています。
訪れた観光客は、咲き競う桜とともに、歴史と伝統に培われれた小都市の魅力を知ることができるのです。
見どころいっぱいの桜の名所の中で、その筆頭は何と言っても「滝桜」
三春滝桜(みはるたきざくら)は、福島県田村郡三春町大字滝字桜久保に所在する、樹齢推定1000年超のベニシダレザクラ(紅枝垂桜)の巨木です。
国の天然記念物である「滝桜」の他にも三春町には ちょうど満開の時期にあたったこともあり 桜の名所・名木と 観光客があふれていました。
注)記事中 各地の記述は 公式HPおよび関連WEBサイトから抜粋・加筆したものです。
「愛姫」についてはWEBサイト「ニコニコ大百科」から一部抜粋したものです。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
三春町(みはるまち)は、奥州の覇者「独眼流政宗」こと伊達政宗正室「愛姫」のふるさとです。
三春町の 総人口: 17,401人 (男性: 8,456人 女性: 8,945人)
世帯数: 5,544世帯 (平成26年3月1日現在 町役場HPより)
江戸期に、秋田氏5万石の城下町のして周辺地域の経済・文化・芸術の一大中心地として栄えた三春は、城下町特有の落ち着いた佇まいに加え、数多くの桜の名木があることで知られています。 -
三春町内には、約10,000本の桜の木がありますが、そのうちの約3割にあたる約3,000本の桜が、「さくら公園」に植栽されています。
その種類は16種類で、まず、寒緋桜が冬に花を開き、続いて河津桜、4月中旬からは染井吉野、そして、4月下旬から5月にかけては八重桜、山桜が花開き、秋には十月桜も花を咲かせます。 -
訪れた観光客は、咲き競う桜とともに、歴史と伝統に培われれた小都市の魅力を知ることができます。
一般的に「梅・桃・桜の花が一度に咲き、三つの春が同時に来るから三春と呼ばれるようになった」と言われています。しかし、現在の三春の気候で、こうした状況に逢えるのはまれなことです。
写真は「磐州通石畳の道」・・・同行したMさん撮影 -
また、田村義顕が三春へ城を移したのが、永正元年(1504)の正月のことで、移る前の城で1回、三春に移って2回目、その年が閏年だったのでもう1回正月の祝いをしたので、三春と名付けたという説もあります。
しかし、永正元年の閏月は3月で、さらにそれ以前から三春の名を記録に見ることができることから、これも正しいとは言えないようです。
宿泊先 若松屋旅館の近辺は どこを向いても 桜・さくら・サクラ -
こうした中で、三春の地名が初めて記録に表れる南北朝時代の文書を見ると、そこには「三春」ではなく「御春」と表記されています。このため、「ミハル」という読みが先にあり、それに「三つの春」という文字を充てたと考えられます。
-
こうしたことから、三春は小高い山がいくつも連なり、そこからは郡山盆地を一望にすることができるため、見張りをする「見張る」から「三春」に変わったのではないかとも考えられます。
時はまさに「桜の里」三春の春。人口2万に満たない北の町に観光客が殺到する時期なのです。 -
旅館から歩いて数分のところにある 法華寺のしだれ桜
慶長18年(1613)、三春が会津蒲生領の一部だった時代に開山された日蓮宗の寺です。
「日本さくら名所100選」には滝桜を含む約2000本の「三春町のシダレザクラ」が選ばれてもいます。 -
法華寺のしだれ桜
三春町字八幡町法華寺境内にある桜です。
本堂内陣には2代目徳田研山の筆による巨大な天井画があり、「鳴き龍」になっています。 -
写真は「八幡神社の後継ぎ桜」・・・同行したMさん撮影
戦国時代に京都石清水八幡から勧請された八幡町地区の鎮守で、「ハチマンサマ」と呼ばれます。 -
八幡神社の桜
江戸時代の絵馬や、丈六焼の狛犬などが社殿内に奉納され、拝殿の前には寛文7年(1667)に下総結城(現在の茨城県結城市)の生糸商人が奉納した石灯籠があります。
4月の第3日曜日の春祭りには、勇壮な長獅子舞が桜で彩られた町内を巡ります。 -
八幡神社の桜
訪れたのは4月18日(金)でしたが、20日(日)には三春町内の八幡神社の祭礼が行われ、長獅子が町内を練り歩きます。 -
「滝桜 」 エドヒガン系の紅枝垂れ桜。
大正11年10月12日に国の天然記念物の指定を受けた名木です。
日本三大桜(岐阜県本巣市淡墨桜、山梨県北杜市神代桜)の一つ。
樹高12m、根回り11m、樹齢1000年以上。開花時期4月中下旬。 -
観桜料金 300円也 滝桜観桜入場は有料です。
4月18日の夜桜、19日の午前 いずれも観桜入場料は支払いました。
―ー>4月28日より、観桜料をお支払いただかずに、滝桜をご覧いただけます。(三春町役場より) -
三春の滝桜、開花状況掲示板にも 18日 ついに矢印は満開のマークに。
年間でも一週間前後がピークですから この日に訪問できたのは ほんとに とても幸運でした。
このツアーは2か月以上前に企画されていますので 2か月前この日に照準を合せた Mさんはじめ皆さんの読みはお見事でした。 -
しだれ桜番付 滝桜は東の横綱です。
公園の周りは、三春ダムの人工湖「さくら湖」で、水と花と緑が織りなす空間を楽しむことができます。カタクリ・ニッコウキスゲの群生地もあります。 -
夜桜見物前に腹ごしらえ 売店が並びます。
滝桜大駐車場に850台(大型駐車可)の駐車が可能です。
また、混雑時には、周辺の臨時駐車場もご利用が可能です。【駐車料金】無料
(三春町役場より) -
写真は「滝桜」・・・同行したMさん撮影
三春町の滝地区に所在すること、毎年4月中・下旬に四方に広げた枝から薄紅の花が流れ落ちる滝のように咲き匂うことから、この名があります。 -
1922年(大正11年)10月12日、2本の桜と共に国の天然記念物に指定されました。
日本五大桜または三大巨桜の1つとして知られていますが まぎれもなく我が国有数の桜の名木の一つです。
機会があれば ぜひ一度観ておくことをお勧めします。 -
天保の頃、加茂季鷹の詠歌によってその名を知られ、三春藩主の御用木として保護され続けてきました。
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三春滝桜(みはるたきざくら)は、4/12-23 ライトアップされます。
三春滝桜 名所・史跡
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2014年現在、推定樹齢1000年超、
樹高12m、根回り11m、幹周り9.5m、枝張り東西22m・南北18m。 -
「ライトアップされた滝桜(左横から)」
『滝桜(エドヒガン系紅枝垂桜)(2014年4月18日)
前年 有志と訪れた時は五分咲きだったがその美しさに感動し、今年は満開をぜひ見たいとの思いで、リベンジをかけての再会。
願いが通じて満開の滝桜はライトアップされて浮き上がる姿は妖艶な雰囲気が漂い、心を奪われる美しさ。』
・・・撮影及びコメントはMさん(Mさんはこのツアーを企画し私たちを連れて行ってくださった方です。) -
ライトアップすると どこか幻想的ですらあります。
2008年(平成20年)から2009年(平成21年)にかけて、本桜を含む14種の花の種を国際宇宙ステーションの日本実験棟「きぼう」に8カ月半滞在させた後に地球へ戻し、無重力状態が発育に与える影響などを調べるという実験が行なわれたそうです。 -
「ライトアップされた滝桜(裏側から)」
『横から見ると滝が流れるようなダイナミックな印象だが、この角度からはやわらかい雰囲気が感じられる。』・・・撮影及びコメントはMさん(Mさんはこのツアーを企画し私たちを連れて行ってくださった方です) -
2011年(平成23年)の東日本大震災では、折れた小枝がいくらかあったものの滝桜に大きな損傷はありませんでした。
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しかし、観光客への十分な対応が困難であったため、2010年度に始めた一人当たり300円の観桜料の徴収を一時停止し、夜間のライトアップ、シャトルバスの運行などの中止も余儀なくされました。
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また福島第一原発事故の影響で花見客が半減し、観覧料収入が大幅に減少したとして、三春町が東京電力に対し、逸失利益など約3,272万円の損害賠償を求め、福島地裁に訴訟を起こしているそうです。
原発事故の影響はこんなところにも出ているのです。 -
1990年(平成2年)には「新日本名木100選」の名木ベスト10に選ばれ、桜の名所ランキングでは常に第1位の評価を得ています。
それゆえに 町役場観光課の気持ちはとてもわかりますが、東電にも支払先がたくさんあることでもあり、うまくいくといいですね。 -
観光地ごとに命名された ご当地アイスはここでも見つけました。
なお私が全国各地で見かけた「おもしろアイス」はこちら
http://kj2k3.at.webry.info/album/W29 -
ご当地アイスは やはり「さくらアイス」と命名されていました。
あまり意外性はないものの いつものように食べちゃいました。 -
写真は滝桜を見下ろす丘の上の桜です -
滝桜周辺マップです。
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だけど 滝桜の お菓子って 一体どんなものなんでしょうね?
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写真は「福聚寺の紅枝垂桜」・・・同行したMさん撮影
上品さ 気品 大関格です。地元桜番付でも東の大関。戦国時代の三春城主田村家の菩提寺で臨済宗。田村氏の三春入城に伴い、八丁目(現在の郡山市日和田)から現在地へ移転したといわれます。御免町の由来とも関係する県指定重要文化財の「田村氏掟書」のほか、雪村筆「達磨図」や木造十一面観音坐像、田村氏三代の墓所など数多くの文化財があります。 -
常楽院の桜
地元桜番付では東の前頭2枚目 -
常楽院桜
三春町四軒丁「田母野邸」にある枝垂れ桜です。 -
八十内かもん桜 案内石碑
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4/18 ライトアップされた八十内のかもん桜 です。
ベニシダレザクラ(紅枝垂桜)の古木です さすがに樹齢350年のサクラです。
古木ですが 姥桜ではありません。 現役そのものです。 -
写真はライトアップされた「八十内(やそない)のかもん桜」・・・Mさん撮影
Mさんは滝桜より こちらのほうが落ち着いているとご推奨。 -
八十内かもん桜
三春町桜ケ丘八十内公園にある枝垂れ桜。町指定の天然記念物。
地元桜番付では東の関脇 -
城山公園
永正元年(1504)に田村義顕により築城されたと伝えられ、明治維新後に解体されるまで三春藩主の居城となり、別名「舞鶴城」と呼ばれました。
秋田氏の時代に、藩主の御殿は現在の三春小学校がある麓へ移りました。
(写真は城山公園の案内板) -
愛姫(めごひめ) 生誕の地 石碑
1568年三春城にて出生。父は三春領主・田村清顕、母は相馬顕胤の娘・於北御前。
「めご」とは東北の方言でかわいらしい様を示す「めごい、めんこい」から来ています。 -
田村氏は坂上田村麻呂の子孫を称し、現在の福島県田村郡三春町周辺を支配していました。伊達と相馬の和睦のため典型的な政略結婚で 1579年愛姫は伊達政宗へ輿入れ。
形の上では夫婦となった両人でしたが、政宗は数え歳13、愛姫は同12歳と幼く、また田村家より随行した侍女たちによる囲い込みもあってしばらく距離を置く日々が続きました。
(写真は城山公園の桜) -
清顕の尽力によって伊達と相馬が和睦に至るなど両家の関係は良好でしたが、何年経とうと二人の間に子はできませんでした。 愛姫の名前から受けるイメージとは異なり 前半は愛姫はあまり幸せではなく でも結果はそこそこの人生を送ります。
当初は 子は産めず乳母は殺され実家は改易と、愛姫にとって時流に翻弄され続けた前半生でした。
(写真は城山公園の桜) -
愛姫は1590年豊臣秀吉の人質として京都の聚楽第に移ります。
天下人・秀吉相手に命懸けの田舎芝居で立ち回る政宗を、愛姫はやがて深く理解するようになっていきます。
写真は「お城坂枝垂桜(浪岡邸の枝垂桜)」・・・同行したMさん撮影 -
夫人を手篭めにしようと迫る秀吉に対し、懐刀を忍ばせる決死の覚悟を示して見事に退かせたとも伝わっています。
奥羽で大崎・葛西一揆が発生すると京の情勢をすぐさま知らせ、手紙には「天下は未だ定まるところを知らず、殿は公儀に従って去就をお決め下さい。私のことはご懸念なさいますな、懐刀を常に携えています。誓って辱めは受けません」としたためています。
政宗はのちに愛姫へ対面した際、三間も下がって平伏し「さすがは田村将軍のお血筋よ」と慇懃に誉めそやしたのだとか。
(写真はさくら湖脇の桜) -
1594年待望の初子・五郎八姫(いろはひめ)を聚楽第伊達屋敷にて出産。
側室に先を越され、入嫁より15年も経た上の慶事でした。
政宗は懐妊の報せを聞いて喜び、以降男子の名前しか考えていなかったため、次子への願掛けの意味も込めてそのまま名付けたといいます。
1595年秀次事件。聚楽第が破却され伏見の伊達屋敷に移ります。
1600年虎菊丸(伊達忠宗)を出産。心から待ち望んだ嫡男の誕生です。
1603年京都伏見から江戸の伊達屋敷に移ったのち、卯松丸(伊達宗綱)を出産。
(写真は城山公園の桜) -
愛姫の晩年は徳川幕府の定めにより、依然江戸に留め置かれたままではあったものの、後半生の暮らしぶりは穏やかであったようです。
1636年伊達政宗遠行。死の床につく以前から何度も目通りを嘆願していましたが、政宗は「老いてくたびれた姿を見せたくはない」と最期まで見舞いを許さず、
愛姫は「もっともである」として以降は一切口に出さず、死後は雲居禅師の導きによって仏門に入り「陽徳院」と号して菩提を弔ったのでした。
(写真は「城山公園裏の桜」・・・同行したMさん撮影) -
「三春駒」
三春領が馬の産地であったことを反映して、高柴では「三春駒」と今では呼び習わされる(かつて三春駒とは、三春藩から産出される馬そのものを指しました)木馬を作っています。
日本三大駒として、八幡馬(青森県)・木ノ下駒(宮城県)・三春駒が挙げられますが、三春駒は、木ノ下駒の影響を受けていると考えられています。
郷土人形館では、江戸時代に制作された三春駒をご覧いただいています。
三春駒の成立については、京都の清水寺の僧延鎮が、坂上田村麻呂の出兵にあたって仏像を刻んだ残りの木切れで100頭の木馬を作り、これが実戦で本物の馬となって田村麻呂を助けたことから作られはじめたとの伝説があります。
(三春町HPより) -
お昼前です。 ランチは 先輩お薦めの お寿司屋さんへ
城山公園にも行先の案内板が。 -
これがその 「大音」の お花見ランチです。
(写真は同行のMさん撮影) -
花見期間限定 「大音」の お花見ランチ 1600円
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握りずし ちらしずしに おかずと 茶わん蒸しそしてお吸い物。
これだけあれば お味も お値段もリーズナブルですね。
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最終訪問地は「雪村庵」です。
雪村庵(せっそんあん)は、郡山市西田町雪村(三春町に隣接)にある庵です。雪村庵 名所・史跡
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室町時代の画僧雪村が晩年、当地を活動の処としたとされます。
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現存する建物は、後世に再建されたもので建築年不詳です。
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1658年(明暦4年)、三春藩主秋田氏の菩提寺の僧侶一元紹碩が当時の古老から雪村が晩年に隠棲していた地であることを聞き、庵の扁額に書き残しています。
また、以前、当地周辺は「李田」(すすもだ)という地名だったものを、後に「雪村」と改称されています。 -
正面にはそれぞれ、「雪村桜」、「雪村梅」と名づけられたシダレザクラと梅の古木があり、桜の名所の一つに数えられています。 -
写真は・Mさん撮影の雪村庵の桜」
戦国時代の画僧雪村が晩年を過ごした庵跡で、裏には雪村の墓といわれる石があります。 -
また、庵の左手にある小道は裏の竹林の中にある、雪村の墓と伝えられる花崗岩の大きな石に通じています。
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雪村庵アクセス:
三春駅から西へ1kmほどで、郡山市西田町雪村地内にあります。
JR東日本磐越東線三春駅より西へ徒歩15分
磐越自動車道郡山東ICより車で12分 -
帰路 那須高原 SAにて
往路復路ともに立ち寄り。 -
帰路 那須高原 SAにて
ご当地アイスの名称は「とちおとめアイス」はたしてお味は? -
帰路 那須高原 SAにて
乳製品の陳列が目立ちました。 -
帰路 那須高原 SAにて
珍しいチューブに入ったプリンです。
マヨネーズではありません 念のため。 -
今回も天候と お仲間に恵まれ 友人ともども とてもラッキーでした。
特に 満開時期にあわせて このツアーを セットしていただき とても感謝しています。 -
ご一緒いただいた皆様 お世話様でした。
ありがとうございました。
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