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松尾大社<後編>は、松風苑(石庭)と途中で寄り道した松尾大社の摂社「月読神社」を中心にレポいたします。<br /><br />松尾大社を訪れる楽しみのひとつが、松風苑の拝観です。松風苑は、平安風の曲水の庭、即興的に造り上げられた即興庭、上古風の磐座の庭、鎌倉風の蓬莱の庭の4つの石庭で構成されています。昭和の石組庭園学の第一人者だった重森三玲氏が、心血を注いで1975年5月に1億円をかけて完成させた「静と動」を表現した遺作となる立体造形石組庭園です。これらの庭には200個余りの巨石が使われていますが、すべて希少な徳島県や香川県、愛媛県産の緑泥片岩(青石)を使用して贅を尽くした法悦なものです。伝統を重んじながらも、現代的な自分流の表現方法を開拓した重森三玲氏の最高到達点「永遠のモダン」が心憎いまでに展開されています。<br /><br />

松風水月 葛野紀行②松尾大社<後編>

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2014/05/30 - 2014/05/30

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montsaintmichel

montsaintmichelさん

松尾大社<後編>は、松風苑(石庭)と途中で寄り道した松尾大社の摂社「月読神社」を中心にレポいたします。

松尾大社を訪れる楽しみのひとつが、松風苑の拝観です。松風苑は、平安風の曲水の庭、即興的に造り上げられた即興庭、上古風の磐座の庭、鎌倉風の蓬莱の庭の4つの石庭で構成されています。昭和の石組庭園学の第一人者だった重森三玲氏が、心血を注いで1975年5月に1億円をかけて完成させた「静と動」を表現した遺作となる立体造形石組庭園です。これらの庭には200個余りの巨石が使われていますが、すべて希少な徳島県や香川県、愛媛県産の緑泥片岩(青石)を使用して贅を尽くした法悦なものです。伝統を重んじながらも、現代的な自分流の表現方法を開拓した重森三玲氏の最高到達点「永遠のモダン」が心憎いまでに展開されています。

旅行の満足度
5.0
同行者
カップル・夫婦
交通手段
私鉄
  • 松尾大社 松風苑<br />拝観受付で、宝物館の入場料を含めた拝観料(500円)を支払ってこの回廊の下を潜ります。<br />その先に右手に松風苑の受付があり、そこでチケットを渡して右折し、またしても回廊の下を潜り抜けます<br /><br />松尾大社には、昭和の名作庭家 故重森三玲氏の晩年の庭として有名な「曲水の庭」、「上古の庭」、「即興の庭」、「蓬莱の庭」の4つの庭を見ることができます。徳島や香川、愛媛県の緑泥片岩を使用した石組構成は、伝統を重視しつつも現代的な表現を目指す重森三玲氏の最終到達点を垣間見ることができます。<br />因みに、「三玲」は、絵画『落穂拾い』で有名な「ジャン=フランソワー・ミレー」にちなんで本人が改名されたものだそうです。

    松尾大社 松風苑
    拝観受付で、宝物館の入場料を含めた拝観料(500円)を支払ってこの回廊の下を潜ります。
    その先に右手に松風苑の受付があり、そこでチケットを渡して右折し、またしても回廊の下を潜り抜けます

    松尾大社には、昭和の名作庭家 故重森三玲氏の晩年の庭として有名な「曲水の庭」、「上古の庭」、「即興の庭」、「蓬莱の庭」の4つの庭を見ることができます。徳島や香川、愛媛県の緑泥片岩を使用した石組構成は、伝統を重視しつつも現代的な表現を目指す重森三玲氏の最終到達点を垣間見ることができます。
    因みに、「三玲」は、絵画『落穂拾い』で有名な「ジャン=フランソワー・ミレー」にちなんで本人が改名されたものだそうです。

  • 松尾大社 曲水の庭<br />身を屈めて回廊の下を潜るのですが、視線を戻した瞬間に眼前に広がるのがこの風景です。現実離れした異空間へ迷い込んでしまった衝撃で、暫し呆然!<br /><br />三玲氏は、社殿と宝物館の間の低い場所に、優雅で流麗な水が流れる「曲水の庭」を造りました。中央に亀を象った築山を造り、数多の三尊石組を配し、サツキを植栽し、平地には緑泥片岩の小石を丹念に並べた州浜を複雑な曲線で描き、御手洗川の水流を取り込み、平安時代に行われた雅な「曲水の宴」を演出しました。そして曲水の中に3つの出島を設けて石橋を架け、平安時代の趣を強調しています。州浜の小石の彩色やあしらいは三玲氏のオリジナリティーに溢れ、手練手管の集大成を実感させます。優雅かつ優美な現代の王朝絵巻を彷彿とさせる庭園に感じ入りました。<br /><br />

    松尾大社 曲水の庭
    身を屈めて回廊の下を潜るのですが、視線を戻した瞬間に眼前に広がるのがこの風景です。現実離れした異空間へ迷い込んでしまった衝撃で、暫し呆然!

    三玲氏は、社殿と宝物館の間の低い場所に、優雅で流麗な水が流れる「曲水の庭」を造りました。中央に亀を象った築山を造り、数多の三尊石組を配し、サツキを植栽し、平地には緑泥片岩の小石を丹念に並べた州浜を複雑な曲線で描き、御手洗川の水流を取り込み、平安時代に行われた雅な「曲水の宴」を演出しました。そして曲水の中に3つの出島を設けて石橋を架け、平安時代の趣を強調しています。州浜の小石の彩色やあしらいは三玲氏のオリジナリティーに溢れ、手練手管の集大成を実感させます。優雅かつ優美な現代の王朝絵巻を彷彿とさせる庭園に感じ入りました。

  • 松尾大社 曲水の庭<br />ここを流れている小さな渓流は、松尾山中腹からの湧き水が霊亀の滝を通ってきたもので、七曲りして築山を縫い、州浜をやさしく濡らしながらサラサラと流れます。州浜と流れの中に点在する緑泥片岩は、曲水の宴を催す詠み人とその短冊を載せて流す杯を表現しているように感じます。築山の上には青石を点在させ、それぞれの青石は、川の流れを見下ろす典雅な平安貴族の御曹司を彷彿とさせます。<br />州浜を象った小石の妙は、形だけでなく、色彩にもとことん拘った結果ではないでしょうか?日本庭園の頂点に君臨する桂離宮にある州浜を参考に、独特のアレンジを加味されたものかもしれません。<br />重森三玲氏の真骨頂を見た思いです。<br />

    松尾大社 曲水の庭
    ここを流れている小さな渓流は、松尾山中腹からの湧き水が霊亀の滝を通ってきたもので、七曲りして築山を縫い、州浜をやさしく濡らしながらサラサラと流れます。州浜と流れの中に点在する緑泥片岩は、曲水の宴を催す詠み人とその短冊を載せて流す杯を表現しているように感じます。築山の上には青石を点在させ、それぞれの青石は、川の流れを見下ろす典雅な平安貴族の御曹司を彷彿とさせます。
    州浜を象った小石の妙は、形だけでなく、色彩にもとことん拘った結果ではないでしょうか?日本庭園の頂点に君臨する桂離宮にある州浜を参考に、独特のアレンジを加味されたものかもしれません。
    重森三玲氏の真骨頂を見た思いです。

  • 松尾大社 曲水の庭<br />宝物館へ向かう渡り廊下の高台から庭を俯瞰できる趣向になっています。<br /><br />庭園の観賞というものは考えすぎると逆に難しくなります。作者の意図、哲学は我々素人には難解すぎて理解できないことが多いのですが、理屈を抜きに、自分なりの解釈、感動ができればそれでいいのではないかと自らを慰めながら鑑賞します。<br /><br />

    松尾大社 曲水の庭
    宝物館へ向かう渡り廊下の高台から庭を俯瞰できる趣向になっています。

    庭園の観賞というものは考えすぎると逆に難しくなります。作者の意図、哲学は我々素人には難解すぎて理解できないことが多いのですが、理屈を抜きに、自分なりの解釈、感動ができればそれでいいのではないかと自らを慰めながら鑑賞します。

  • 松尾大社 即興の庭<br />曲水の庭の背後の社殿と宝物館の狭い空間には、室町時代を思わせる枯山水庭園が作られています。白砂の部分と赤砂の部分とがはっきりと分けられ、アクセントを効かせた現代風の枯山水になっています。<br />三玲氏らしい視覚効果が発揮された、モダン枯山水です。 <br /><br />枯山水は抽象芸術の部類ですので解釈は難しいのですが、「分かるようで分からないのが石庭」という解釈もあるようです。解釈にも個性があっていいのでは!<br />

    松尾大社 即興の庭
    曲水の庭の背後の社殿と宝物館の狭い空間には、室町時代を思わせる枯山水庭園が作られています。白砂の部分と赤砂の部分とがはっきりと分けられ、アクセントを効かせた現代風の枯山水になっています。
    三玲氏らしい視覚効果が発揮された、モダン枯山水です。

    枯山水は抽象芸術の部類ですので解釈は難しいのですが、「分かるようで分からないのが石庭」という解釈もあるようです。解釈にも個性があっていいのでは!

  • 松尾大社 即興の庭<br />この庭は、当初の庭園設計にはなく、即興で造り上げられたそうです。緑泥片岩や白川砂、錆砂利で構成された小洒落た枯山水庭園です。宝物館、渡り廊下、葵殿の3方向からの眺めが考慮されており、心に残る庭でした。<br /><br />宝物館に展示されている宝物の目玉は、2体の「木造男神座像」と1体の「木造女神座像」です3三体とも等身大で平安時代初期の作と言われています。特に面白いのは「木造女神座像」の表情。例えば正面から見た時、右側から見た横顔、下から見上げた時など、不思議なことに見る位置によって表情が違って見えます。3体の彫像は、我が国最古の神像の一つとされており、重要文化財に指定されています。これらの仏像は、この宝物館ができるまでは、某博物館で展示されていたと説明がありました。<br /><br />

    松尾大社 即興の庭
    この庭は、当初の庭園設計にはなく、即興で造り上げられたそうです。 緑泥片岩や白川砂、錆砂利で構成された小洒落た枯山水庭園です。宝物館、渡り廊下、葵殿の3方向からの眺めが考慮されており 、心に残る庭でした。

    宝物館に展示されている宝物の目玉は、2体の「木造男神座像」と1体の「木造女神座像」です3三体とも等身大で平安時代初期の作と言われています。特に面白いのは「木造女神座像」の表情。例えば正面から見た時、右側から見た横顔、下から見上げた時など、不思議なことに見る位置によって表情が違って見えます。 3体の彫像は、我が国最古の神像の一つとされており、重要文化財に指定されています。これらの仏像は、この宝物館ができるまでは、某博物館で展示されていたと説明がありました。

  • 松尾大社 上古の庭<br />上古の庭は、磐座のある松尾山の斜面に造られました。藤原氏により春日大社が建造される以前は、神社は立派な本殿を持たず、山や巨石といった天然の産物を神が降臨する場所と崇め、そこで祭祀を行っていました。霊験あらたかな神が宿る「磐座」をどう表現するかが、この庭のテーマだそうです。三玲氏は、ここではデザイン的な技巧は全て破棄し、無技巧の技巧とも称される、立石自体の霊力を信じてインスピレーションや感性に委ねたままに巨石を配置して庭園を造り上げました。<br />ですから、近代文明に慣らされた我々にも、神秘的な趣を持ち、神と石が一体化し、荒々しく迫りくるものを実感することができます。 <br />この庭には、理屈は不要です。<br />

    松尾大社 上古の庭
    上古の庭は、磐座のある松尾山の斜面に造られました。藤原氏により春日大社が建造される以前は、神社は立派な本殿を持たず、山や巨石といった天然の産物を神が降臨する場所と崇め、そこで祭祀を行っていました。霊験あらたかな神が宿る「磐座」をどう表現するかが、この庭のテーマだそうです。三玲氏は、ここではデザイン的な技巧は全て破棄し、無技巧の技巧とも称される、立石自体の霊力を信じてインスピレーションや感性に委ねたままに巨石を配置して庭園を造り上げました。
    ですから、近代文明に慣らされた我々にも、神秘的な趣を持ち、神と石が一体化し、荒々しく迫りくるものを実感することができます。
    この庭には、理屈は不要です。

  • 松尾大社 上古の庭<br />上古の庭は、古代祭祀の場である磐座のオマージュです。上古(古代)では、巨石などを神霊の宿る聖地としてきました。その場所を磐座や磐境と言い、松尾大社でも本殿を建てる以前は、松尾山の頂上近くにある磐座で祭祀が営まれていました。庭の後方中央にある2対の巨石は、ご祭神の男女2神を表し、これらを取り巻く多数の岩は、随従する諸神の姿をそれぞれに表象しています。それぞれが思い思いの風貌、配置を取り、見る人の感性でいかようにも物語が描ける構図です。<br />

    松尾大社 上古の庭
    上古の庭は、古代祭祀の場である磐座のオマージュです。上古(古代)では、巨石などを神霊の宿る聖地としてきました。その場所を磐座や磐境と言い、松尾大社でも本殿を建てる以前は、松尾山の頂上近くにある磐座で祭祀が営まれていました。庭の後方中央にある2対の巨石は、ご祭神の男女2神を表し、これらを取り巻く多数の岩は、随従する諸神の姿をそれぞれに表象しています。それぞれが思い思いの風貌、配置を取り、見る人の感性でいかようにも物語が描ける構図です。

  • 松尾大社 上古の庭<br />重森三玲氏の作庭は、日本庭園史大系においては日本庭園の源流として扱われています。<br />それは初期日本庭園が自然の再現的な表現から始まったことに関係しています。すなわち、石を組み、山を築き、流れを設け、池を作り、島を配す。それらの構成美を鑑賞することを基本として日本庭園は作庭されてきたからです。<br /><br />

    松尾大社 上古の庭
    重森三玲氏の作庭は、日本庭園史大系においては日本庭園の源流として扱われています。
    それは初期日本庭園が自然の再現的な表現から始まったことに関係しています。すなわち、石を組み、山を築き、流れを設け、池を作り、島を配す。それらの構成美を鑑賞することを基本として日本庭園は作庭されてきたからです。

  • 松尾大社 上古の庭<br />中央奥(左)の並んで立つ尖った2石は、左が男神「大山昨神」、右が女神「市杵島姫命」と言われています。<br />右側の傾斜して立てられている石は、磐座の方向を指し示す影向石と言われています。<br />また、高山の趣を醸すため、丹波篠山産のミヤコザサを辺り一面に植えているそうです。<br />

    松尾大社 上古の庭
    中央奥(左)の並んで立つ尖った2石は、左が男神「大山昨神」、右が女神「市杵島姫命」と言われています。
    右側の傾斜して立てられている石は、磐座の方向を指し示す影向石と言われています。
    また、高山の趣を醸すため、丹波篠山産のミヤコザサを辺り一面に植えているそうです。

  • 松尾大社 上古の庭<br />土塀と瓦、そして巨石群のコラボレーションも粋な感じに映ります。

    松尾大社 上古の庭
    土塀と瓦、そして巨石群のコラボレーションも粋な感じに映ります。

  • 松尾大社 アジサイ苑 ヤマボウシ<br />アジサイ苑はまだ早かったのですが、その一角にヤマボウシが咲いていました。<br /><br />ミズキ科ミズキ属ヤマボウシ亜属の落葉高木。日本原産で東北以南、日本各地の山野に自生しています。開花期は5月中旬〜6月中旬。花穂は黄緑色で小さく、20〜30個の花が球状に集合しています。その外側に大形で蕾を包んでいたものが変化した白色の総包が4枚あり、一見するとそれが花びらのように錯覚します。秋には赤いイチゴを連想させるような甘い果実が付き、食べられるそうです。赤く熟す実が、桑の実に似ているため「山桑」という別名もあります。<br />「ヤマボウシ」という名は、花の姿が比叡山延暦寺の「山法師」に似ていることが由来です。中央の丸い花穂を坊主頭に、4枚の白い総包片を白い頭巾に見立てたものです。<br />ハナミズキと似ていますが、ハナミズキの開花期が4〜5月、ハナミズキ総包の先は丸くなっていることが異なります(ヤマボウシは尖っています)。<br />花言葉は「友情」。<br />

    松尾大社 アジサイ苑 ヤマボウシ
    アジサイ苑はまだ早かったのですが、その一角にヤマボウシが咲いていました。

    ミズキ科ミズキ属ヤマボウシ亜属の落葉高木。日本原産で東北以南、日本各地の山野に自生しています。開花期は5月中旬〜6月中旬。花穂は黄緑色で小さく、20〜30個の花が球状に集合しています。その外側に大形で蕾を包んでいたものが変化した白色の総包が4枚あり、一見するとそれが花びらのように錯覚します。秋には赤いイチゴを連想させるような甘い果実が付き、食べられるそうです。赤く熟す実が、桑の実に似ているため「山桑」という別名もあります。
    「ヤマボウシ」という名は、花の姿が比叡山延暦寺の「山法師」に似ていることが由来です。中央の丸い花穂を坊主頭に、4枚の白い総包片を白い頭巾に見立てたものです。
    ハナミズキと似ていますが、ハナミズキの開花期が4〜5月、ハナミズキ総包の先は丸くなっていることが異なります(ヤマボウシは尖っています)。
    花言葉は「友情」。

  • 松尾大社 上古の庭<br />仲良く並んだ男神と女神の2対をこのように後方から眺めることもできます。

    松尾大社 上古の庭
    仲良く並んだ男神と女神の2対をこのように後方から眺めることもできます。

  • 松尾大社 登拝口<br />松尾山山頂にある磐座を登拝することもできますが、昔は神職以外の登拝を禁じた神聖な場所だったそうです。頂上には社殿祭祀以前に祀っていた磐座があります。しかし、勝手に登ることはできません。神聖な場所に変わりはないので、カメラ持ち込み禁止、草木・キノコ・土石類などの採取禁止など色々な決まりごとがあり、登拝受付所での許可が必要です。(登拝初穂料:1000円)また、2人以上で登拝する決まりになっています。何故かと言うと、近年野生の猿が頻繁に出没しているらしく、1人だと怪我をした時に危険だからとの理由。入山受付も、午前9時〜午後3時までとなっています。松尾山は標高200m程なので、30〜40分程で登頂できるようです。<br />

    松尾大社 登拝口
    松尾山山頂にある磐座を登拝することもできますが、昔は神職以外の登拝を禁じた神聖な場所だったそうです。頂上には社殿祭祀以前に祀っていた磐座があります。しかし、勝手に登ることはできません。神聖な場所に変わりはないので、カメラ持ち込み禁止、草木・キノコ・土石類などの採取禁止など色々な決まりごとがあり、登拝受付所での許可が必要です。(登拝初穂料:1000円)また、2人以上で登拝する決まりになっています。何故かと言うと、近年野生の猿が頻繁に出没しているらしく、1人だと怪我をした時に危険だからとの理由。入山受付も、午前9時〜午後3時までとなっています。 松尾山は標高200m程なので、30〜40分程で登頂できるようです。

  • 松尾大社 <br />上古の庭を見下ろす高台からは京都市内も一望できるはずなのですが、生憎の黄砂で遠くが霞んでしまっています。

    松尾大社 
    上古の庭を見下ろす高台からは京都市内も一望できるはずなのですが、生憎の黄砂で遠くが霞んでしまっています。

  • 松尾大社 <br />滝御前社の手前まで来ると、樹木が崩落した様が間近に迫ります。この正面の左側が本殿上面に現れた岩肌になります。<br />

    松尾大社 
    滝御前社の手前まで来ると、樹木が崩落した様が間近に迫ります。この正面の左側が本殿上面に現れた岩肌になります。

  • 松尾大社 亀の井<br />手水囲は「お酒の神様」を意識して酒樽をモチーフにしています。<br />「大山咋神がこの水をくみ置いていたら、一夜にして酒となり、その酒を諸国の神々に振る舞った」。これは、松尾大社に古来より伝わる伝説です。<br />その水は、神泉「亀の井」のことを指します。井戸の中には松尾山一帯に降り注いだ雨が地中で濾過され、天然の水として湧出しており、飲むと延命長寿のご利益があり、別名「よみがえりの水」としても親しまれる霊泉です。またこの水をお酒の元水として造り水に混和すると美味しいお酒が造れ、かつ腐らないとの言い伝えがあり、持ち帰る酒造家も多いそうです。一般的には茶道や書道の水として、また家庭用の飲料水として酌み帰ります。直接飲むこともでき、とてもまろやかなやわらかな美味しい水でした。水筒などに入れて持ち帰りもできるそうですが、水量が弱いので日時によっては行列ができることもあるそうです。<br />有料の庭園拝観の受付からさらに先に進んだ所にありますが、庭園を拝観しなければニコッと会釈すれば無料で通れます。<br /><br /><br />

    松尾大社 亀の井
    手水囲は「お酒の神様」を意識して酒樽をモチーフにしています。
    「大山咋神がこの水をくみ置いていたら、一夜にして酒となり、その酒を諸国の神々に振る舞った」。これは、松尾大社に古来より伝わる伝説です。
    その水は、神泉「亀の井」のことを指します。井戸の中には松尾山一帯に降り注いだ雨が地中で濾過され、天然の水として湧出しており、飲むと延命長寿のご利益があり、別名「よみがえりの水」としても親しまれる霊泉です。またこの水をお酒の元水として造り水に混和すると美味しいお酒が造れ、かつ腐らないとの言い伝えがあり、持ち帰る酒造家も多いそうです。一般的には茶道や書道の水として、また家庭用の飲料水として酌み帰ります。直接飲むこともでき、とてもまろやかなやわらかな美味しい水でした。水筒などに入れて持ち帰りもできるそうですが、水量が弱いので日時によっては行列ができることもあるそうです。
    有料の庭園拝観の受付からさらに先に進んだ所にありますが、庭園を拝観しなければニコッと会釈すれば無料で通れます。


  • 松尾大社 亀の井<br />山の神様なのに何故お酒の神様なのかについては、2つの説があります。<br />一つ目は、秦氏がお祀りしている神様という所以です。秦氏は、朝鮮の方からお酒造りの技術を日本に導入したのです。<br />二つ目は神話になりますが、その昔、松尾山で神々が話し合いをする日がありました。全国津々浦々から神々が集まるため、松尾の神様はわざわざおいでいただくので心のこもったおもてなしがしたいと思い、松尾や嵐山で採れるお米や山からの湧き水を使って一晩で美味しいお酒を作ったのだそうです。そして杉を使って、徳利などの器類を作って振る舞われたそうです。(上の伝説とほぼ同じです)<br />これらのような言い伝えが中世以降に広まり、お酒を作る神様となっていったそうです。<br />

    松尾大社 亀の井
    山の神様なのに何故お酒の神様なのかについては、2つの説があります。
    一つ目は、秦氏がお祀りしている神様という所以です。秦氏は、朝鮮の方からお酒造りの技術を日本に導入したのです。
    二つ目は神話になりますが、その昔、松尾山で神々が話し合いをする日がありました。全国津々浦々から神々が集まるため、松尾の神様はわざわざおいでいただくので心のこもったおもてなしがしたいと思い、松尾や嵐山で採れるお米や山からの湧き水を使って一晩で美味しいお酒を作ったのだそうです。そして杉を使って、徳利などの器類を作って振る舞われたそうです。(上の伝説とほぼ同じです)
    これらのような言い伝えが中世以降に広まり、お酒を作る神様となっていったそうです。

  • 松尾大社 霊亀の滝(れいきのたき)<br />霊亀の泉から先を眺めると、小ぶりで簡素な鳥居と祠があり、その奥には鬱蒼とした森と岩に包まれた「霊亀の滝」があります。

    松尾大社 霊亀の滝(れいきのたき)
    霊亀の泉から先を眺めると、小ぶりで簡素な鳥居と祠があり、その奥には鬱蒼とした森と岩に包まれた「霊亀の滝」があります。

  • 松尾大社 滝御前社<br />霊亀の滝の手前に佇む滝御前社です。<br />霊亀の滝は、背後の松尾山からの湧水が落差約10mの2段になった段瀑で、水量はいつも少なめですが決して枯れることがないそうです。霊亀ノ滝そのものが滝御前社のご神体となっています。滝から流れ落ちた水は、御手洗川となって下っていきます。荘厳な空気に包まれ、濃密なマイナスイオンが発せられていそうな神秘的な空間です。<br /><br />ところで、注連縄から垂れている中央2枚の紙垂のすぐ下を見てください。<br />何か写っていませんか?

    松尾大社 滝御前社
    霊亀の滝の手前に佇む滝御前社です。
    霊亀の滝は、背後の松尾山からの湧水が落差約10mの2段になった段瀑で、水量はいつも少なめですが決して枯れることがないそうです。霊亀ノ滝そのものが滝御前社のご神体となっています。滝から流れ落ちた水は、御手洗川となって下っていきます。荘厳な空気に包まれ、濃密なマイナスイオンが発せられていそうな神秘的な空間です。

    ところで、注連縄から垂れている中央2枚の紙垂のすぐ下を見てください。
    何か写っていませんか?

  • 松尾大社 天狗岩<br />少しズームアップしたものです。<br />このように霊亀の滝の中腹には「霊亀」を神敵から守るように天狗の顔で睨みをきかす「天狗岩」が岩肌にくっきりと浮かんでいます。<br />鼻の場所さえ分かれば、口や目が次々につながってくると思います。<br />天狗が左を向いた横顔そっくりの岩です。

    松尾大社 天狗岩
    少しズームアップしたものです。
    このように霊亀の滝の中腹には「霊亀」を神敵から守るように天狗の顔で睨みをきかす「天狗岩」が岩肌にくっきりと浮かんでいます。
    鼻の場所さえ分かれば、口や目が次々につながってくると思います。
    天狗が左を向いた横顔そっくりの岩です。

  • 松尾大社 天狗岩<br />それでも分からないという方のために特別サービスです!<br />無事にアハ体験できましたか?<br /><br />松尾山は別雷山(わけいかずちのやま)とも言われ、7つの谷に分かれています。そのうちのひとつの渓流を御手洗川と称し、そこから亀の井に繋がっています。つまり、「亀の井」の源泉は霊亀の滝ということです。<br />霊亀の滝には2つの霊亀伝説があります。<br />一つ目は、奈良時代、元正天皇時代のできごとです。715年、この谷から『首に三台(三つの星)をいただき、背に七星を負い、前足に離の卦を顕わし、後足に一支あり尾に緑毛・金色毛の雑った長さ八寸の亀』が現れたそうです。それを朝廷に献上したところ、元正天皇が「これはめでたい」と、元号を「和銅」から「霊亀」へ改元し、亀は元の谷に戻されたという言い伝えがあります。<br />そして、次の聖武天皇時代のこと。729年、再びこの谷から現れた亀の背中に『天王貴平知百年』の文字が書かれていたそうです。これは天王、つまり「聖武天皇の時代は平和が100年続く」という意味です。確かに、聖武天皇の時代から天平文化が花開いて長く続いたのは歴史が証明しています。天皇は奉幣使を立てて感謝を伝え、この時に元号を「天平」に変えたそうです。<br />

    松尾大社 天狗岩
    それでも分からないという方のために特別サービスです!
    無事にアハ体験できましたか?

    松尾山は別雷山(わけいかずちのやま)とも言われ、7つの谷に分かれています。そのうちのひとつの渓流を御手洗川と称し、そこから亀の井に繋がっています。つまり、「亀の井」の源泉は霊亀の滝ということです。
    霊亀の滝には2つの霊亀伝説があります。
    一つ目は、奈良時代、元正天皇時代のできごとです。 715年、この谷から『首に三台(三つの星)をいただき、背に七星を負い、前足に離の卦を顕わし、後足に一支あり尾に緑毛・金色毛の雑った長さ八寸の亀』が現れたそうです。それを朝廷に献上したところ、元正天皇が「これはめでたい」と、元号を「和銅」から「霊亀」へ改元し、亀は元の谷に戻されたという言い伝えがあります。
    そして、次の聖武天皇時代のこと。 729年、再びこの谷から現れた亀の背中に『天王貴平知百年』の文字が書かれていたそうです。これは天王、つまり「聖武天皇の時代は平和が100年続く」という意味です。確かに、聖武天皇の時代から天平文化が花開いて長く続いたのは歴史が証明しています。天皇は奉幣使を立てて感謝を伝え、この時に元号を「天平」に変えたそうです。

  • 松尾大社 滝御前社<br />ご祭神は、罔象女神(みずはのめ)です。伊邪那美(いざなみ)の尿から生まれたとされる水の女神でもあり、そして農業の神でもあります。<br />窒素(尿)は農業にとって大切な要素ですから、そこで尿から生まれたとの言い伝えができたそうです。

    松尾大社 滝御前社
    ご祭神は、罔象女神(みずはのめ)です。伊邪那美(いざなみ)の尿から生まれたとされる水の女神でもあり、そして農業の神でもあります。
    窒素(尿)は農業にとって大切な要素ですから、そこで尿から生まれたとの言い伝えができたそうです。

  • 松尾大社 滝御前社<br />滝御前社の左脇にある異様な指のような形をした岩が気になって調べてみましたが、ネットではそれらしき情報は得られませんでした。<br />いったい何なんでしょう?

    松尾大社 滝御前社
    滝御前社の左脇にある異様な指のような形をした岩が気になって調べてみましたが、ネットではそれらしき情報は得られませんでした。
    いったい何なんでしょう?

  • 松尾大社 蓬莱の庭<br />最後は、楼門の手前まで戻って「蓬莱の庭」を拝観します。解説によると、三玲氏が作庭途中に享年79歳で生涯を終えたため、長男 完途氏がその遺志を継いで残された構図を基に完成させた、最初で最後の親子コラボレーションの庭です。<br />蓬莱神仙の世界を池中の神仙島で表し、龍門瀑形式の滝などで構成されている地泉庭園です。石は「池に浮かぶ島」を表しており、池の周囲を歩き、池に浮かぶ島々を眺め、仙界に行った気分に浸るのが鎌倉時代の流行だったそうです。<br />

    松尾大社 蓬莱の庭
    最後は、楼門の手前まで戻って「蓬莱の庭」を拝観します。解説によると、三玲氏が作庭途中に享年79歳で生涯を終えたため、長男 完途氏がその遺志を継いで残された構図を基に完成させた、最初で最後の親子コラボレーションの庭です。
    蓬莱神仙の世界を池中の神仙島で表し、龍門瀑形式の滝などで構成されている地泉庭園です。石は「池に浮かぶ島」を表しており、池の周囲を歩き、池に浮かぶ島々を眺め、仙界に行った気分に浸るのが鎌倉時代の流行だったそうです。

  • 松尾大社 蓬莱の庭<br />広々とした水を潤沢に湛えた池に、数多の立石がまるで音符を配したようにリズミカルかつランダムに配置されています。そして庭園全体を引き締めているのが、中央に鎮座する中国の故事「登龍門」で名高い龍門瀑を模した滝です。池の周囲に設けられた苑路をそぞろ歩けば、刻々と変化する景観が眼を楽しませてくれます。<br />

    松尾大社 蓬莱の庭
    広々とした水を潤沢に湛えた池に、数多の立石がまるで音符を配したようにリズミカルかつランダムに配置されています。そして庭園全体を引き締めているのが、中央に鎮座する中国の故事「登龍門」で名高い龍門瀑を模した滝です。池の周囲に設けられた苑路をそぞろ歩けば、刻々と変化する景観が眼を楽しませてくれます。

  • 松尾大社 蓬莱の庭<br />フォーカルポイントとなる龍門瀑です。手前にある滝に打たれている石が、滝を登って龍になろうとしている鯉をイメージした鯉魚石(りぎょせき)。<br />他の方が撮影された写真では、苔むした鯉魚石の頂に水が勢いよく降り注いでいるのですが、これは勢いがなく、岩の裏の中腹に降り注ぐ図になり、しょぼいものになっています。<br />暫く好天が続いていたこともあり、お家事情もあるのでしょうが、拝観料を取っている以上、最高の景観を見せるのが務めではないでしょうか?<br />三玲氏、完途氏の怒り心頭の姿が目に浮かぶようです。

    松尾大社 蓬莱の庭
    フォーカルポイントとなる龍門瀑です。手前にある滝に打たれている石が、滝を登って龍になろうとしている鯉をイメージした鯉魚石(りぎょせき)。
    他の方が撮影された写真では、苔むした鯉魚石の頂に水が勢いよく降り注いでいるのですが、これは勢いがなく、岩の裏の中腹に降り注ぐ図になり、しょぼいものになっています。
    暫く好天が続いていたこともあり、お家事情もあるのでしょうが、拝観料を取っている以上、最高の景観を見せるのが務めではないでしょうか?
    三玲氏、完途氏の怒り心頭の姿が目に浮かぶようです。

  • 松尾大社 蓬莱の庭<br />龍門瀑を正面から写すとこんな感じです。<br />やっぱり水量が少ないと迫力に欠けますね!<br />それでも苔むした鯉魚石は、滝登りをする鯉に見えないこともないですね!<br />

    松尾大社 蓬莱の庭
    龍門瀑を正面から写すとこんな感じです。
    やっぱり水量が少ないと迫力に欠けますね!
    それでも苔むした鯉魚石は、滝登りをする鯉に見えないこともないですね!

  • 松尾大社 蓬莱の庭<br />何と本物の亀が、呑気に首を伸ばして岩の上で甲羅干しをしています。<br />四国吉野川より運んできたと言われる青石の巨岩群は、この亀の目にはどのように映っているのでしょうか?<br />摩天楼でも仰ぎ見る感じでしょうか?<br />はたまた、自分が仙人になったような気分に浸っているのでしょうか?<br />いつの日か、石の頂上を制覇してやろうなんてチャレンジ精神に燃えているのでしょうか?<br />何はともあれ、長生きすることは確約されたようなものですね!

    松尾大社 蓬莱の庭
    何と本物の亀が、呑気に首を伸ばして岩の上で甲羅干しをしています。
    四国吉野川より運んできたと言われる青石の巨岩群は、この亀の目にはどのように映っているのでしょうか?
    摩天楼でも仰ぎ見る感じでしょうか?
    はたまた、自分が仙人になったような気分に浸っているのでしょうか?
    いつの日か、石の頂上を制覇してやろうなんてチャレンジ精神に燃えているのでしょうか?
    何はともあれ、長生きすることは確約されたようなものですね!

  • 松尾大社 蓬莱の庭<br />昔の中国人は、東海の海中に不老不死の島があり、そこには蓬莱山が聳え、仙人たちが住んでいると考えました。その島を模して造られたのがこの庭です。岩の間から噴出する水が鶴の形をした池に注ぎ、池の中には多くの島(石)が点在しています。鎌倉期に代表される回遊式庭園で、池の周囲を回遊すると仙境に遊んでいるような錯覚に陥ります。<br />仙界に遊ぶ境地になれば、作庭家の心と鑑賞者の心が共鳴した証しと言えます。<br /><br />しかし、次の予定があるので長居はできません。現実はそんなに甘くありません。後ろ髪を引かれる思いで立ち去ります。

    松尾大社 蓬莱の庭
    昔の中国人は、東海の海中に不老不死の島があり、そこには蓬莱山が聳え、仙人たちが住んでいると考えました。その島を模して造られたのがこの庭です。岩の間から噴出する水が鶴の形をした池に注ぎ、池の中には多くの島(石)が点在しています。鎌倉期に代表される回遊式庭園で、池の周囲を回遊すると仙境に遊んでいるような錯覚に陥ります。
    仙界に遊ぶ境地になれば、作庭家の心と鑑賞者の心が共鳴した証しと言えます。

    しかし、次の予定があるので長居はできません。現実はそんなに甘くありません。後ろ髪を引かれる思いで立ち去ります。

  • 松尾大社 南鳥居<br />正式な名称はないようですが、南側の駐車場からの入り口にある鳥居に掲げられている扁額です。<br /><br />個人的な感想ですが、松尾大社は、「癒される」というよりも、「やる気」をいただき、元気になれる「パワー」を授かれるスポットのように思いました。<br />京都を賀茂氏と共に2分して治め、「猛霊」と称された秦氏の氏神で「やる気」のパワーを充填してみるのはいかがでしょうか。<br />

    松尾大社 南鳥居
    正式な名称はないようですが、南側の駐車場からの入り口にある鳥居に掲げられている扁額です。

    個人的な感想ですが、松尾大社は、「癒される」というよりも、「やる気」をいただき、元気になれる「パワー」を授かれるスポットのように思いました。
    京都を賀茂氏と共に2分して治め、「猛霊」と称された秦氏の氏神で「やる気」のパワーを充填してみるのはいかがでしょうか。

  • 松尾大社 車のお祓所<br />両脇に控えるのは、狛犬ではなく、なんと狛亀でした。<br /><br />交通安全祈祷のお祓いまでの手順が記されています。 <br />1.境内南大駐車場の“車のお祓い所”に前向きに駐車してください。<br />2.右手の坂道を登り、境内の“授与所”にて、まず受付をお済ませください。<br /> ( 所有者の方のお名前・生年月日とお車のナンバーと車種をお申し出ください。)<br />3.受付終了後、『拝殿』にてご祈祷いたします。<br />4.お札・お守りなどの『撤下品』をお渡しいたします。<br />5.車のお祓い所にて、車のお祓いをいたします。<br /><br />因みに、お払い中は、全てのドアを開けっ放して行われるそうです。<br />気を入れるためなのでしょうか?<br /> 

    松尾大社 車のお祓所
    両脇に控えるのは、狛犬ではなく、なんと狛亀でした。

    交通安全祈祷のお祓いまでの手順が記されています。
    1.境内南大駐車場の“車のお祓い所”に前向きに駐車してください。
    2.右手の坂道を登り、境内の“授与所”にて、まず受付をお済ませください。
     ( 所有者の方のお名前・生年月日とお車のナンバーと車種をお申し出ください。)
    3.受付終了後、『拝殿』にてご祈祷いたします。
    4.お札・お守りなどの『撤下品』をお渡しいたします。
    5.車のお祓い所にて、車のお祓いをいたします。

    因みに、お払い中は、全てのドアを開けっ放して行われるそうです。
    気を入れるためなのでしょうか?
     

  • 月読神社 大鳥居<br />松尾大社正面赤鳥居より南に400m程(徒歩5分)の所にある、松尾大社・境外摂社です。古代京都の祭祀や渡来文化の考証上重要な神社であるとして、境内は京都市指定史跡に指定されています。文献によれば、顕宗3年(487)阿閉臣事代(あべのおみことしろ)が朝鮮半島に遣わされる際、壱岐で月読尊(つきよみのみこと)がよりついて宣託をしたので、これを天皇に奏上して山城国葛野郡歌荒樔田(うたあらすだ)に社を創建したと伝えます。<br /><br />『日本書紀』によると、天照大神は弟の月読尊に、「地上には保食神(うけもちのかみ)というのがいるそうだから、お前ちょっと行って見ておいで」と命じられた。山城国風土記逸文では、月読尊が天から降り立った場所に桂の木があり、そこでしばし休息した。それで桂の里と名付けたという。この後、月読尊は保食神に会いますが、彼女(保食神は女神)が歓迎のため、口から様々な食物を吐きだして月読尊に勧めたので、月読尊は「汚いことをする」と怒り、いきなり剣を抜いて斬り殺してしまいました。このことを復命すると天照大神は激怒し、「お前は悪神だ。二度とお前には会わない」と言い出し、それ以後太陽は昼、月は夜と別々に暮らすようになったのだそうです。<br />

    月読神社 大鳥居
    松尾大社正面赤鳥居より南に400m程(徒歩5分)の所にある、松尾大社・境外摂社です。古代京都の祭祀や渡来文化の考証上重要な神社であるとして、境内は京都市指定史跡に指定されています。文献によれば、顕宗3年(487)阿閉臣事代(あべのおみことしろ)が朝鮮半島に遣わされる際、壱岐で月読尊(つきよみのみこと)がよりついて宣託をしたので、これを天皇に奏上して山城国葛野郡歌荒樔田(うたあらすだ)に社を創建したと伝えます。

    『日本書紀』によると、天照大神は弟の月読尊に、「地上には保食神(うけもちのかみ)というのがいるそうだから、お前ちょっと行って見ておいで」と命じられた。山城国風土記逸文では、月読尊が天から降り立った場所に桂の木があり、そこでしばし休息した。それで桂の里と名付けたという。この後、月読尊は保食神に会いますが、彼女(保食神は女神)が歓迎のため、口から様々な食物を吐きだして月読尊に勧めたので、月読尊は「汚いことをする」と怒り、いきなり剣を抜いて斬り殺してしまいました。このことを復命すると天照大神は激怒し、「お前は悪神だ。二度とお前には会わない」と言い出し、それ以後太陽は昼、月は夜と別々に暮らすようになったのだそうです。

  • 月読神社 拝殿<br />石段上の楼門をくぐった清楚な境内には、入母屋造銅板葺の拝殿を兼ねた舞殿があります。<br />月読神社が京都へもたらされるにあったっては、渡来系氏族、なかでも山城国と深く関係する秦氏が関わった可能性が強く、古代京都の神祇信仰や渡来文化を考える上で重要な意味を持つ神社であると言えます。<br /><br />かつては大堰川(桂川)河畔にあったそうですが、水害を嫌って856年に現在の地に移されたそうです。創建は阿閉臣事代が487年に行ったとされ、1877年に松尾大社の摂社となっています。

    月読神社 拝殿
    石段上の楼門をくぐった清楚な境内には、入母屋造銅板葺の拝殿を兼ねた舞殿があります。
    月読神社が京都へもたらされるにあったっては、渡来系氏族、なかでも山城国と深く関係する秦氏が関わった可能性が強く、古代京都の神祇信仰や渡来文化を考える上で重要な意味を持つ神社であると言えます。

    かつては大堰川(桂川)河畔にあったそうですが、水害を嫌って856年に現在の地に移されたそうです。 創建は阿閉臣事代が487年に行ったとされ、1877年に松尾大社の摂社となっています。

  • 月読神社 本殿<br />松尾山麓の叢林に囲まれ、流造檜皮葺の簡素な本殿がひっそりと佇んでいます。<br />伊邪那伎命の子 月読尊を主祭神とし、高御産巣日神(たかみむすびのみこと)を相殿に祀っています。延喜式では名神大社のひとつに数えられる神社で、元々は壱岐氏により壱岐島で海上の神として奉斎されたものだそうです。<br />

    月読神社 本殿
    松尾山麓の叢林に囲まれ、流造檜皮葺の簡素な本殿がひっそりと佇んでいます。
    伊邪那伎命の子 月読尊を主祭神とし、高御産巣日神(たかみむすびのみこと)を相殿に祀っています。延喜式では名神大社のひとつに数えられる神社で、元々は壱岐氏により壱岐島で海上の神として奉斎されたものだそうです。

  • 月読神社 本殿<br />扁額にも悠久の深みが感じられます。

    月読神社 本殿
    扁額にも悠久の深みが感じられます。

  • 月読神社 願掛け陰陽石<br />左右別々の石なのですが、びったりと合わさる形状になっています。<br />2つの石を撫でてご祈願下さいと記されています。

    月読神社 願掛け陰陽石
    左右別々の石なのですが、びったりと合わさる形状になっています。
    2つの石を撫でてご祈願下さいと記されています。

  • 月読神社 聖徳太子社<br />本殿右手にある小祠で、ご祭神は聖徳太子。<br />月読尊を崇敬した太子の霊を祀ったものだそうで、小ぶりながら学問の神様でもあります。<br />記紀に秦河勝が太子に近侍したと記されているように、太子と秦氏とは関係が深かったことから祀られたようですが、詳細は不明です。<br />

    月読神社 聖徳太子社
    本殿右手にある小祠で、ご祭神は聖徳太子。
    月読尊を崇敬した太子の霊を祀ったものだそうで、小ぶりながら学問の神様でもあります。
    記紀に秦河勝が太子に近侍したと記されているように、太子と秦氏とは関係が深かったことから祀られたようですが、詳細は不明です。

  • 月読神社 月延石(つきのべいし)<br />石柵の中の一抱えほどの黒石の上に、浅い椀を伏せたような黒褐色の石が載っており、この石が「月延石」です。別名「鎮壊石(ちんかいせき)」。<br />「月延石」は「安産石」とも呼ばれ、安産の神として信仰されています。『雍州府志』所載の伝説では、この石は元々は筑紫にあり、神功皇后が応神天皇を産む際、この石で腹を撫でて安産し、後に舒明天皇の時に月読神社に奉納されたと伝わっています。<br />俗信では、満ち欠けする月には人の出産を早めたり延ばしたりする霊力があるとされ、それが鎮懐石の伝承と結び付いて、月神を祀るこの神社に奉納されたとも言われています。<br />この石は安産に霊験があるとして信仰され、今も月延石の上や周りには、子授けや安産を祈る素朴な願文、あるいは子供を授かったお礼文を記した白い石が数多く奉納されています。霊験あらたかな証拠と言えるのでは!

    月読神社 月延石(つきのべいし)
    石柵の中の一抱えほどの黒石の上に、浅い椀を伏せたような黒褐色の石が載っており、この石が「月延石」です。別名「鎮壊石(ちんかいせき)」。
    「月延石」は「安産石」とも呼ばれ、安産の神として信仰されています。『雍州府志』所載の伝説では、この石は元々は筑紫にあり、神功皇后が応神天皇を産む際、この石で腹を撫でて安産し、後に舒明天皇の時に月読神社に奉納されたと伝わっています。
    俗信では、満ち欠けする月には人の出産を早めたり延ばしたりする霊力があるとされ、それが鎮懐石の伝承と結び付いて、月神を祀るこの神社に奉納されたとも言われています。
    この石は安産に霊験があるとして信仰され、今も月延石の上や周りには、子授けや安産を祈る素朴な願文、あるいは子供を授かったお礼文を記した白い石が数多く奉納されています。霊験あらたかな証拠と言えるのでは!

  • 月読神社 むすびの木<br />本殿の右手には「むすびの木」がありました。丁度、注連縄の辺りが連理になり、3本の幹がつながっています。<br />縁結びや恋愛成就のご利益があるそうです。<br /><br />早足ですが、ここで月読神社ともお別れして嵐山へと向かいます。

    月読神社 むすびの木
    本殿の右手には「むすびの木」がありました。丁度、注連縄の辺りが連理になり、3本の幹がつながっています。
    縁結びや恋愛成就のご利益があるそうです。

    早足ですが、ここで月読神社ともお別れして嵐山へと向かいます。

  • 渡月小橋<br />中ノ島公園と大堰川右岸の間に架かる短い橋から上流方向を写したものです。<br />掘割の周囲には江戸時代を彷彿とさせる風景(石垣、木々、舟など)が多く、また橋桁の下を覗き込んだアングルは、沢山の堀を巡らせていた江戸の水景を表現するには絶好のアイテムとなっているため、渡月小橋の周辺は、剣客商売、必殺仕事人シリーズ、長七郎江戸日記など、数々の時代劇のロケが行われた場所です。

    渡月小橋
    中ノ島公園と大堰川右岸の間に架かる短い橋から上流方向を写したものです。
    掘割の周囲には江戸時代を彷彿とさせる風景(石垣、木々、舟など)が多く、また橋桁の下を覗き込んだアングルは、沢山の堀を巡らせていた江戸の水景を表現するには絶好のアイテムとなっているため、渡月小橋の周辺は、剣客商売、必殺仕事人シリーズ、長七郎江戸日記など、数々の時代劇のロケが行われた場所です。

  • 渡月橋<br />大堰川の上流を見やると、木の杭を並べた堰が目に付きます。葛野大堰(かどのおおい)と呼ばれる堰です。堰の上流は、保津川と名を変えます。秦氏が築いた葛野大堰の原型はすでに失われていますが、現在も渡月橋上流の川底には往時の段差が残されているそうです。渡月橋を渡りながら堰の様子を眺めていると、悠久の歴史を誇る都人の矜持のようなものを感じずにはいられなせん。<br /><br /><br />

    渡月橋
    大堰川の上流を見やると、木の杭を並べた堰が目に付きます。葛野大堰(かどのおおい)と呼ばれる堰です。堰の上流は、保津川と名を変えます。秦氏が築いた葛野大堰の原型はすでに失われていますが、現在も渡月橋上流の川底には往時の段差が残されているそうです。渡月橋を渡りながら堰の様子を眺めていると、悠久の歴史を誇る都人の矜持のようなものを感じずにはいられなせん。


  • 渡月橋<br />昨年の9月16日には、台風18号の影響で嵐山の河川が氾濫し、渡月橋が今にも崩れそうに悲鳴を上げているTV映像に目が釘付けになりました。<br />参拝ルートとして桂川に橋が架けられたのが平安時代。鎌倉時代には貴族の憩いの場となり、亀山上皇が月が橋を照らす様を愛でて渡月橋と名付けました。江戸時代には京都の豪商、角倉了以が現在の位置に橋を架けました。参拝後、橋を渡り切るまでに後ろを振り返ると、授かった知恵が逃げるという言い伝えがあります。ぶれずに先を見据えて渡月橋を名勝に築き上げた先人達の知恵。日本技術の底力を改めて実感する瞬間でした。<br />では、何故渡月橋は濁流に耐えられたのか?欄干や橋桁隠しがヒノキ造のために木製橋と錯覚し易いのですが、実は橋脚と路面は鉄骨鉄筋コンクリート製です。しかし、コンクリート製だから大丈夫という単純な話でもないそうです。橋が崩壊しなかったのは、橋の上流側に屹立する「流木止め」と呼ばれる7本のコンクリート製杭の恩恵と言われています。流木止めが濁流と共に流れてくる大木や岩を堰き止めたそうです。水嵩が減った時の映像は、確かに流木止めが「身代わり地蔵」の役目を果たしたことを物語っていました。過去にも桂川は度々氾濫を起こし、その経験から川床を改修する際に追加したそうです。同じ構造の橋は、宇治市宇治橋、八幡市上津屋橋、伊勢神宮の参道口にある宇治橋などがあるそうです。渡月橋は生活道路である半面、歴史的風土特別保存地区内にあるために木橋のイメージを保つ必要もあり、日本の橋の技術と知恵の結晶と言えます。

    渡月橋
    昨年の9月16日には、台風18号の影響で嵐山の河川が氾濫し、渡月橋が今にも崩れそうに悲鳴を上げているTV映像に目が釘付けになりました。
    参拝ルートとして桂川に橋が架けられたのが平安時代。鎌倉時代には貴族の憩いの場となり、亀山上皇が月が橋を照らす様を愛でて渡月橋と名付けました。江戸時代には京都の豪商、角倉了以が現在の位置に橋を架けました。参拝後、橋を渡り切るまでに後ろを振り返ると、授かった知恵が逃げるという言い伝えがあります。ぶれずに先を見据えて渡月橋を名勝に築き上げた先人達の知恵。日本技術の底力を改めて実感する瞬間でした。
    では、何故渡月橋は濁流に耐えられたのか?欄干や橋桁隠しがヒノキ造のために木製橋と錯覚し易いのですが、実は橋脚と路面は鉄骨鉄筋コンクリート製です。しかし、コンクリート製だから大丈夫という単純な話でもないそうです。橋が崩壊しなかったのは、橋の上流側に屹立する「流木止め」と呼ばれる7本のコンクリート製杭の恩恵と言われています。流木止めが濁流と共に流れてくる大木や岩を堰き止めたそうです。水嵩が減った時の映像は、確かに流木止めが「身代わり地蔵」の役目を果たしたことを物語っていました。過去にも桂川は度々氾濫を起こし、その経験から川床を改修する際に追加したそうです。同じ構造の橋は、宇治市宇治橋、八幡市上津屋橋、伊勢神宮の参道口にある宇治橋などがあるそうです。渡月橋は生活道路である半面、歴史的風土特別保存地区内にあるために木橋のイメージを保つ必要もあり、日本の橋の技術と知恵の結晶と言えます。

  • 嵐山 辨慶<br />本日の昼食は、嵐山 辨慶で賞嵐二段弁当(湯豆腐付き)をいただきます。<br />食後は嵐山温泉に浸かり、プチ贅沢を味わいます。<br />と言っても、料金は合計2700円/人です。<br />これは、【ぐるなび限定】賞嵐二段弁当プラン(温泉付、要予約)を利用したからです。直接辨慶で予約すると、温泉なしで2732円ですので、とってもお得です!<br />詳細は、下記のサイトを参照ください。<br />http://r.gnavi.co.jp/k011700/menu10/

    嵐山 辨慶
    本日の昼食は、嵐山 辨慶で賞嵐二段弁当(湯豆腐付き)をいただきます。
    食後は嵐山温泉に浸かり、プチ贅沢を味わいます。
    と言っても、料金は合計2700円/人です。
    これは、【ぐるなび限定】賞嵐二段弁当プラン(温泉付、要予約)を利用したからです。直接辨慶で予約すると、温泉なしで2732円ですので、とってもお得です!
    詳細は、下記のサイトを参照ください。
    http://r.gnavi.co.jp/k011700/menu10/

  • 嵐山 辨慶 <br />屋号「嵐山 辨慶」の累跡は、天龍寺241世管長 関牧翁老師(せきぼくおうろうし)の揮毫だそうです。<br />めったに来られないので、玄関口で記念撮影をしておきます。<br />お隣は「吉兆」です。

    嵐山 辨慶 
    屋号「嵐山 辨慶」の累跡は、天龍寺241世管長 関牧翁老師(せきぼくおうろうし)の揮毫だそうです。
    めったに来られないので、玄関口で記念撮影をしておきます。
    お隣は「吉兆」です。

  • 嵐山 辨慶<br />手水鉢も苔むして趣深いです。

    嵐山 辨慶
    手水鉢も苔むして趣深いです。

  • 嵐山 辨慶<br />玄関を入るとこんな風景が出迎えてくれます。

    嵐山 辨慶
    玄関を入るとこんな風景が出迎えてくれます。

  • 嵐山 辨慶<br />更にその奥にある中庭の風景は、日本画を見ているような錯覚に陥ります。

    嵐山 辨慶
    更にその奥にある中庭の風景は、日本画を見ているような錯覚に陥ります。

  • 嵐山 辨慶<br />2階左端の紅葉の間に案内され、そこで昼食をいただきます。

    嵐山 辨慶
    2階左端の紅葉の間に案内され、そこで昼食をいただきます。

  • 嵐山 辨慶<br />窓からは、保津川舟遊びの典雅な景観を一望にできます。

    嵐山 辨慶
    窓からは、保津川舟遊びの典雅な景観を一望にできます。

  • 嵐山 辨慶<br />枝ぶりのいい松越しに眺める渡月橋の絶景。

    嵐山 辨慶
    枝ぶりのいい松越しに眺める渡月橋の絶景。

  • 嵐山 辨慶<br />案内されて15分ほどで賞嵐二段弁当(湯豆腐付き)が給仕されました。<br />見た目も味も最高です。<br />特に、湯豆腐はトロトロで、嵯峨豆腐の森嘉に匹敵する絶品です。<br />豆腐の量が多いので、二段弁当でも結構満腹になります。ランチならこれで十分です。

    嵐山 辨慶
    案内されて15分ほどで賞嵐二段弁当(湯豆腐付き)が給仕されました。
    見た目も味も最高です。
    特に、湯豆腐はトロトロで、嵯峨豆腐の森嘉に匹敵する絶品です。
    豆腐の量が多いので、二段弁当でも結構満腹になります。ランチならこれで十分です。

  • 嵐山 辨慶<br />食事を終えて温泉へ向かいます。途中、中庭がちらりと覗ける空間がありました。<br />薄暗い通路のその先に、ハッとするような碧が息づいています。

    嵐山 辨慶
    食事を終えて温泉へ向かいます。途中、中庭がちらりと覗ける空間がありました。
    薄暗い通路のその先に、ハッとするような碧が息づいています。

  • 嵐山 辨慶<br />男性用の露天風呂です。<br />ラッキーなことに男女用ともに貸切状態でした。<br />お得な温泉付きプランをご存じない方が多いようです。<br />源泉名:嵐山温泉、泉質:単純温泉(低張性弱アルカリ性温泉)、泉温:35.2℃。<br />お肌がつるつるになります。

    嵐山 辨慶
    男性用の露天風呂です。
    ラッキーなことに男女用ともに貸切状態でした。
    お得な温泉付きプランをご存じない方が多いようです。
    源泉名:嵐山温泉、泉質:単純温泉(低張性弱アルカリ性温泉)、泉温:35.2℃。
    お肌がつるつるになります。

  • 嵐山 辨慶 池田の菊炭<br />良質のクヌギから作られるという「池田の菊炭」がテーブルの上にさりげなく置かれていました。リフレッシュ効果や空気の浄化のためでしょうか?炭は水分を吸い取る働きがありますが、乾燥時には逆に水分を放出する働きがあり、湿度を適正に保持する働きがあるそうです。これぞ究極のおもてなしです!<br /><br />「池田炭」には次のような逸話があります。<br />秀吉は1595年、池田にある久安寺を訪れ、境内の小山で石に腰掛けながら月を観賞しました。続いて行われた茶会で池田炭を見て、「まさに菊の炭。皇室の象徴・菊紋に似ているので、朝廷に毎年献上しよう」と提案したと伝わります。<br />久安寺の旅行記はこちらを参照ください。<br />http://4travel.jp/travelogue/10834433<br /><br />次回は、③桂離宮<前編>をお届けいたします。<br />

    嵐山 辨慶 池田の菊炭
    良質のクヌギから作られるという「池田の菊炭」がテーブルの上にさりげなく置かれていました。リフレッシュ効果や空気の浄化のためでしょうか?炭は水分を吸い取る働きがありますが、乾燥時には逆に水分を放出する働きがあり、湿度を適正に保持する働きがあるそうです。これぞ究極のおもてなしです!

    「池田炭」には次のような逸話があります。
    秀吉は1595年、池田にある久安寺を訪れ、境内の小山で石に腰掛けながら月を観賞しました。続いて行われた茶会で池田炭を見て、「まさに菊の炭。皇室の象徴・菊紋に似ているので、朝廷に毎年献上しよう」と提案したと伝わります。
    久安寺の旅行記はこちらを参照ください。
    http://4travel.jp/travelogue/10834433

    次回は、③桂離宮<前編>をお届けいたします。

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